2023年9月15日金曜日

トワとはモン永遠

Akira Mizubayashi "Suite Inoubliable"
水林 章『忘れじの組曲』


林章自身が「ロマネスク三部作」と名付けた『折れた魂柱(Ame Brisée)』(2019年)、『ハートの女王(Reine de coeur)』(2022年)に続く第三話。三作に共通するのは演奏楽器や留学体験などでフランスと深い関係のあった日本人演奏家が、(水林が”15年戦争”と呼ぶ1930〜45年の)日本の帝国主義戦争で運命を打ち砕かれ、非業の死をとげるが、フランスと日本に引き継がれていった子の世代と孫の世代の人々が、70余年の時を超えて、その悲話のすべてを再トレースして、縁りの楽器を復元し、故人が愛した楽曲を孫の世代の世界的演奏家が再演し鎮魂するという筋。この三部作はクラシック擦弦楽器の三部作でもあり、『折れた魂柱』=ヴァイオリン、『ハートの女王』=ヴィオラに続いて、この『忘れじの組曲』はチェロが”主役”になっていて、三部作のロジックにかなっている。またこの第三話に、前二作との関連をつけて、悲劇のチェロ奏者ミズタニ・ケンが1939年に戦況の悪化でパリ留学を続けられなくり帰国を余儀なくされ、乗り込んだマルセイユから横浜に向かう最後の汽船「箱根丸」には『ハートの女王』の悲劇のヴィオラ奏者ミズカミ・ジュンも乗り合わせているし、第一話『折れた魂柱』の楽器製造職人ミズサワ・レイ(仏名ジャック・マイヤール)は、この第三話の重要な登場人物となっている。三部作の最終話に花を添えての愛読者サービス”オールスター出演”のように読める。三作の3人の最重要人物の名前はみな”ミズ”で始まる。作者から分けてもらったかのように。げに名前は大切。この三部作で作者が重要人物(重要”楽器”にも)に与える名前はすべて小説の鍵となるような重要な意味が込められている。これは水林小説の得意技(決まるときも決まらないときもある)。

 1939年、パリ留学中だった19歳の日本人チェロ奏者ミズタニ・ケンは、スイス・ローザンヌの国際コンクールに出場し、エドワード・エルガー(1857-1934)チェロ協奏曲を弾いて優勝する。その副賞としてチェロの歴史的名器、1712年ヴェネツィアの名匠マッテオ・ゴフリラーの手になる一本を限定6年間貸与される。このゴフリラー1712を持って憧れの大巨匠パブロ・カザルス(1876-1973、とりわけこの小説の中心的楽曲であるJSバッハ『無伴奏チェロ組曲』を不朽の名曲の地位に押し上げた偉人)の(フランコ政権スペインからの)亡命先プラードを訪れ、カザルスのマスタークラスで「鳥の歌」を直伝される。しかし、大日本帝国の戦争は無残にもこの天才チェロ奏者の歩き出したばかりの道を閉ざしてしまい、泣く泣くケンは名器ゴフリラー1712を背負いマルセイユから「箱根丸」に乗り日本に帰る。戦時下で演奏会はできなくてもケンが連日チェロの鍛錬を続ける東京で、この歴史的チェロの調整手入れを依頼できる腕利きの楽器工芸職人がフランス人女性オルタンス・シュミットだった。にわかに名演奏家を多く輩出するようになったこの極東の国で、楽器工芸家としての腕が発揮できるはずと勇んでやってきた日本だったが、戦況の悪化はオルタンスの道も閉ざしていく。ケンは家族(父・母・妹リン)と共に東京を離れ、信濃追分(堀辰雄と加藤周一ゆかりの地、というのはこの小説の大きな鍵)へ疎開、オルタンスもまたその楽器工房を信濃追分に移す。だが、ケンのところに「赤紙」が届いてしまう...。
 同じ頃信濃追分を舞台にしたパラレルストーリー。職業は医師でありながら、医学を超えてあらゆる分野の博識人である人物カンダ・リョウ、東京を離れ信濃追分で医局を開業、同じ場所に自らの蔵書コレクションと推薦する児童書と教養書を集めた私設無料図書館を開設、住民たちに慕われるお医者・知識人として信望を集めていたが、古典ギリシャ語とラテン語を含む驚異的に堪能な語学力のおかげで日本語でない情報も入ってくるものだから、大日本帝国の敗北が確定的なこと、その出口なしの狂信的帝国主義の末路を予見していた。そんな時に長男テツに「赤紙」がやってくる。それを知った近所住人たちが、お国のための出征の栄誉をお祝いにやってくる。リョウは激昂し、その近所の蒙昧びとたちを相手に、帝国と天皇のために命を捧げることの不条理さをぶち上げてしまう。これが密告されリョウは特高に捕らえられ、二度と帰ってこない。出征したテツは戦死。しかし特高に連行される前、リョウは憤怒と絶望の淵にあって信濃追分の人知れぬ森の中に入り、木々の間にぽっかりあいた日なたにあった木のベンチに、彫刻刀を使って人類への祈りの言葉を刻みつけていた。
In terra pax hominibus bonae voluntatis
Dona nobis pacem.  R.K.
ラテン語で書かれたカンダ・リョウの最後の言葉、当時の日本のこの奥まった場所でたやすく読まれることなどありえなかったこのラテン語詩句を、同じ頃同じ場所にいた若きチェロ奏者ミズタニ・ケンが発見してしまう。パリで音楽を学んだことで、バッハやベートーヴェンのミサ曲で歌われるこのラテン語讃美詩の意味をケンは瞬時に読み取った。「この地に善意の人々に平和を、われらに平和を与えたまえ」ー この時自身も「赤紙」を受け取り死出の旅を覚悟し絶望の淵にあったケンは、このラテン語の彫文字に出会い、「僕はひとりではない」という強い思いで救済される。絶望の底の底で見た人間性の光、この感動のあまりケンはこの見ず知らずの彫文字の作者R.K.に(読まれる可能性の限りなく薄い)感謝の手紙をしたためる。その人か自分の死後の後世の人かに届けと、ビンに詰めて大洋に投げる思いで、その手紙をオルタンスの楽器工芸人の最高度の匠の技であのゴフリラー1712の音胴内部に穴を穿って隠し入れるのである...。
 R.K.への手紙で心の整理がついたミズタニ・ケンは出征前の最後の夜を信濃追分のオルタンスの楽器工房兼住処小屋で過ごし、歴史的名器ゴフリラー1712を預け、次の年にローザンヌの国際コンクール委員会に返却する役目を依頼する。最初で最後の愛情交わりの夜が明け、出発の朝、ケンはゴフリラー1712での最後の演奏をオルタンスの前で披露する。バッハ無伴奏チェロ組曲。終わって小屋の戸を開けると、そこには一匹の犬、二頭の馬、そして鳥たちが集まっていた(いい話。これは宮澤賢治『セロ弾きのゴーシュ』のヴァリエーションのように小説中で種明かしされている)。
 だがほどなくミズタニ・ケンの戦死が告げられる。オルタンスの目の前には「R.K.への手紙」を隠し込んだゴフリラー1712。これはケンの形見。だがそれは次の年にはローザンヌに返却しなければならない。手放すにはあまりにも心残りが。そこでオルタンスは信濃追分の工房で5か月の月日をかけ全身全霊をこめてゴフリラー1712の(ほぼ)完全コピー(違いは3世紀前の木材を使っていないことだけ)を製作するのである。この製作中にオルタンスはケンの子を宿していることを知る。完成したゴフリラー1712完コピチェロに、オルタンスはラテン語で「Pax animae(魂の平和)」という名をつける。ゴフリラー1712は人の手に渡っても、私はこのパックス・アニマエ器をケンの形見として持ち続けよう。そしてそのいきさつを、ケンの「R.K.への手紙」に倣って覚書にして記し、それをゴフリラー1712に隠したケンの手紙と同じように、パックス・アニマエ器の音胴の内側に穴を穿って隠すのである。その覚書の結びにはこう書かれている。
TOI - NI, ce Pax animae : fait par Hortense Schmitt.
A Shinano-Oïwake, juin - octobre 1945.
Copie du Matteo Goffriller de 1712.
En mémoire de Ken Mizutani
et dans l'attente de 麗音.

このパックス・アニマエを TOI - NI : 製作オルタンス・シュミット
1945年6月〜10月、信濃追分にて
1712年製マッテオ・ゴフリラー器の複製
ミズタニ・ケンの思い出に
霊音を待ちながら

 "TOI - NI"は日仏バイリンガル人には説明不要と思うのだが、この小説の主要登場人物たちにはこの部分意味不可解ということになっていて、後半部で種明かしがある。「問い2」という意味ではない。最終行「麗音を待ちながら」:前作『ハートの女王』を読んだ方には、おおこの名前は、と思われようが、この小説では結果的に女王 = Reine(作者はこれを”レイネ”と読ませる)にならない。オルタンスはこの時点で生まれてくるケンの子供が女児か男児かわかっていない。しかし名前にはどちらであってもこの漢字(”麗音”)をあてようと決めている。女だったら読みは「れいね(Reine)」、男だったら読みは「れおん(Léon)」。しかして、その数ヶ月後にこの世に現れたのは.... レオン・シュミット。Reviens Léon !


 2016年、パリ16区、ラジオ・フランスのオーディトリウムで国際的評価を受けた若きチェロ奏者ギヨーム・ヴァルテールがラジオフランス交響楽団を従えてエドワード・エルガーのチェロ協奏曲(↑にも出てるから読み返して)を。演奏会は無難にこなしたが、ヴァルテールはヴィルツオーゾの超繊細な耳と楽器振動感触でしかわからない、そのチェロのごくわずかな異常振動を感じ取り、翌日長年ヴァルテールの楽器調整を任せている楽器工芸職人のジャック・マイヤールのところにそのチェロ(マッテオ・ゴフリラー1712!)を持っていく。三部作の第一話『折れた魂柱』の中心人物ミズサワ・レイ = ジャック・マイヤールはこの時もう89歳になろうとしていて、自らの楽器工房を後継者に考えていた頃で、それに渡りに舟のごとく弟子入りきたのがパミナという若い女性。この名前はモーツァルト歌劇『魔笛』に因む。なおパミナの父の名前はレオン、祖母の名前はオルタンス。(小説ですから)世界はせまい。マイヤールはヴァルテールの”症状説明”から判断して、それは魂柱の小さな破損が原因であろうと診断、私にとても腕の良い職人が来てくれたので、これは彼女に修理を任せる、と。パミナの前に初めて姿を現した歴史的名器ゴフリラー1712、その特徴的な重厚に赤黒い桜桃色を見た時、パミナは激しく動揺し、これと同じものを私は見たことがある、と(それは楽器商だった父親レオンの倉庫の奥深くに”非売品”として保管されていた)。
 パミナはギヨーム・ヴァルテールのゴフリラー1712を修理するため、何時間もかけたごくごく繊細な手仕事で音胴の表板を外していく ー  この小説がすごいのは古の名匠から代々継がれてきた楽器職人の細やかな匠のわざによる修復修理のさまを丁寧に描写していること、これには頭が下がる ー そして音胴内部のありえないところにあの「R.K.への手紙」を発見してしまう。 さらに、まさかと思ってパミナが取り寄せた父の倉庫奥深くにあったゴフリラー1712と瓜二つのチェロ(Pax animae)を、同じように表板を外してみると、ゴフリラー1712と同じところに「オルタンス・シュミットの覚書」があったのである....。

 小説はここからギヨーム・ヴァルテール、パミナ・シュミット、そしてジャック・マイヤール = ミズサワ・レイの3人が、1945年春に信濃追分を舞台にしたチェロ奏者ミズタニ・ケン、流謫の楽器匠オルタンス・シュミット、抵抗の知識人医師カンダ・リョウのそれぞれに起こった悲劇の全容を見いだしていく。71年前の悲運の魂を鎮めるのは、水林三部作に共通するものである音楽なのである。戦争などの人類の狂気に立ちはだかる最後の砦が音楽である。おそらく水林はこのテーマでさらに書き続けるだろう。
 ギヨーム・ヴァルテールは私立探偵などを駆使して、これらの悲劇の存命の証人であるミズタニ・ケンの妹リン、カンダ・リョウの娘アキを見つけ出す。この二人の老女を招待して、2017年10月、上野の東京文化会館でニ夜のコンサートを打つ。演目はJSバッハ・無伴奏チェロ組曲全6曲。第一夜に組曲1番から3番、第二夜に4番から6番。このコンサートのために、老体のジャック・マイヤール=ミズサワ・レイもパミナに付き添われてパリから飛んでくる。サプライズはいろいろ。パミナは血縁的には「大叔母」にあたるリンと初対面(このシーンは読んでいて思わず涙がほとばしり出た)。文化人カンダ・リョウの娘アキは南フランスで”作家”になっていて完璧なフランス語を話す... 。そしてギヨームはこの二夜に見た目には分からない瓜二つのチェロ名器を使い分けた。第一夜にはかの歴史的名器ゴフリラー1712を、そして第二夜にはオルタンス・シュミット作のパックス・アニマエ器を。そして演奏終了後ギヨームはマイクを手に持ち、東京の聴衆を前にこの2台の瓜二つの名チェロ器にまつわるストーリーと、戦争によるミズタニ・ケンとカンダ・リョウの無念の死について、ジャック・マイヤール=ミズサワ・レイの通訳ですべてを熱弁し、満員の聴衆の大喝采を浴びる、という....。

 水林小説であるから、楽曲演奏シーンは講談師の名調子のように、音楽の流れが多彩な表現で文字描写され、世の音楽評論家たちに見習ってほしいと思うほどたいへん雄弁なのであるが、どんなにどんなに表現的であっても、その文字から音楽が聞こえてくる(と読める)ことは....。

 信濃追分の森の中のベンチにラテン語文字が彫られてあった、という話は、加藤周一(1919 - 2008)のドキュメンタリー映画『しかしそれだけではない - 加藤周一 幽霊と語る』(2009年鎌倉英也監督)に登場するエピソードで、戦争中加藤が信濃追分のベンチで偶然見つけた"in terra pax hominibus bonae voluntatis"という文字に、このような考えを持つ人間は私ひとりではないという思いにどれほど励まされたか、というシーンにインスパイアされたと水林が注釈している。水林の加藤への深い敬愛の表れでしょう。

 この水林三部作は現代日本の”再”右傾化+”再”軍国化を真剣に憂う作者の偽りなき警鐘であると同時に、音楽や文化教養が持っていた役割を再考せよと訴えている。それは外国語を学んだり、外国語でものを考えてみることの意味を再考せよとも説いている。水林の場合はとりわけフランス語であるが、フランス語を「父語 langue paternelle」として内在化し、それを自らの文学表現の言語にまで昇華させた人間の言葉は説得力がある。戦時下の日本で、戦争語彙の氾濫する日本語環境の中で、ミズタニ・ケンはオルタンス・シュミットとフランス語で話すことに無上の喜びを感じている。音楽が鳴るとき、ケンの中でそれはフランス語なのである、とも表現されている。別の言語で考えられる自由、音楽で考えられる自由、それは戦時において人間を生き延びらせることができるものなのだ、と教える小説である。
 こうして水林はその独自の文学スタイルを築いたわけだが、三部作の3作とも(楽器と楽曲は異なれど)パターンはほぼ同じと言えなくもない。戦争は惜しみなく破壊し、音楽はその淵で人間性を蘇生させる。世のメロマンヌ(mélomane)たちはすべて平和の側の人たちであってほしい(が)。
 最後に、重箱のスミ的苦言をひとつ(これは『ハートの女王』の時のそれと同じ種類のものだが)。本記事中盤で引用したオルタンスの覚書の冒頭、”TOI - NI"、これは登場人物たちが小説終盤まで解読できなかったのだが、”トワ(toi)に”(あなたに捧ぐ)と”永遠(とわ)に”の日本語フランス語かけことばである、と解き明かされる。あのですね、われわれバイリンガル人から見ますとね、これはかなりがっかりするレベルの(jeux de motsとも言えない)ダジャレだと思った。三部作の戦争と音楽とユマニテという重厚なテーマをいささかも殺ぐものではないとは言え。

Akira Mizubayashi "Suite Inoubliable"
ガリマール刊 2023年8月17日 245ページ 20ユーロ


カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)ガリマール社制作の”Suite Inoubliable"プロモーションクリップ。


(↓)ボルドーの書店Librairie Mollat制作の動画で『忘れじの組曲』を紹介する水林章


(↓)ロストロポーヴィチ、JSバッハ・無伴奏チェロ組曲・第1番プレリュード 。1991年初頭、ブルゴーニュ地方ヴェズレーに長期滞在して、その名高いサント・マドレーヌ大聖堂で無伴奏チェロ組曲全6曲を録音した(CDとヴィデオで発表された)。1992年発表のジュール・ロワ(ロノードー賞作家、1907-2000)著『Rostropovitch, Gainsbourg et Dieu(ロストロポーヴィチ、ゲンズブールと神)』によると、この時死期間近いセルジュ・ゲンズブール(1991年3月2日没)もヴェズレーに滞在していて、ロストロポーヴィチが大聖堂でこの組曲を仕上げるために演奏しているところを静かに見ている。そしてさめざめと涙を流したというのである。ヴェズレーにゆかりのあるラジオパーソナリティーのギィ・カルリエは、それに尾鰭をつけて、ロストロポーヴィチの『バッハ無伴奏チェロ組曲』のCDを耳をすませて聴くとゲンズブールのすすり泣きが聞こえてくる、と言いふらしたのだった。


(↓)エリ・メデイロス「トワとはモン永遠」(1985年)

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