2021年3月21日日曜日

そんなバナナ...

Frànçois & The Atlas Mountains "Banane Bleue"

フランソワ&ジ・アトラス・マウンテンズ『青いバナナ』

ランソワ&ジ・アトラス・マウンテンズを初めて聴いたのは2009年のことで、その4枚目のアルバムにあたる"Plaine Inondable(洪水に襲われやすい平原)"でやっとフランスのメディア(FIP、Radio Nova、レ・ザンロキュプティーブル...)が大きく取り上げ始めたおかげで、私も版元のボルドーの小さなレーベルTalitres Recordsから通販でCDを手に入れることができた。この衝撃は当時の当ブログで詳しく伝えたし、次いで英国ドミノ・レーベル(ジ・アークティック・モンキーズ、フランツ・フェルディナンド...)と契約してメジャーデビューした2011年の傑作アルバム『エ・ヴォロ・ラヴ』についても当ブログに興奮した紹介記事を載せている。
 さてジ・アトラス・マウンテンズは2005年に英国ブリストルで結成された実体のあるリアルなバンドであり、フランソワ・マリーはこのバンドと共にレコーディングとコンサートツアーを続けてきた。この”フランソワとジ・アトラス・マウンテンズ”を名乗る新アルバムは、2019年8月から12月にかけて、ベルリンとパリとアテネの3都市で録音されたものだが、ミュージシャンとしてクレジットされているのはフランソワ・マリーとフィンランド人のマルチインストルメンタリストにしてドミノ・レーベルの僚友ヤーコ・エイノ・カレヴィ(Jaakko Eino Kalevi)のみ(+若干のエキストラミュージシャンあり)。録音はいつものアトラス・マウンテンズではないのだが、アトラス・マウンテンズを名乗る。そして2021年春からブッキングされている(この新アルバムのレパートリーを中心とした)新コンサートツアーではいつものアトラス・マウンテンズがバッキングを務める予定(だが、現時点のコ禍状況で定かではない)。
 今回の道連れヤーコ・エイノ・カレヴィは、1993年設立以来インディーのシーンで最も先鋭的な英国レーベルのひとつであるドミノ・レーベルが契約したただひとりの北欧人であるが、同じようにフランソワ・マリーはドミノが契約した唯一のフランス人である。英国という何十年も世界で最もイノヴェーティヴな音楽の数々を発信している国がヨーロッパで発掘し門戸を開いた二人のアーチストであった。そして英国はあの時ヨーロッパでもあった。アルバムは英国が欧州に最後の別れを告げる頃に制作された。前作までとは打って変わってミニマルで音数を削り取ったような軽妙なサウンドに漂う哀感は、英国とヨーロッパの別れを象徴しているように聞こえる。またヨーロッパが"共同体”だった頃への郷愁とも。
 アルバムタイトルの『青いバナナ』とは日本語版ウィキペディアの記述をそのままコピペすると
西ヨーロッパにおいて特に経済的、人口的に発展しているバナナ型の地帯のこと。(中略) 北西方向にはノースウェスト・イングランド、南東方向にはミラノまで、バーミンガム、ロンドン、アムステルダム、ブリュッセル、ルール地方、ストラスブール、チューリヒ、トリノ、ミラノなどを含むように湾曲して及ぶ。「青」というのはEUの旗の色として、また、伝統的にヨーロッパを示す色として青が使われてきたことに由来する。
とある。すなわちかつての西欧の先進地帯であり、ヨーロッパを未来に導く中軸だったところである。フランソワはこの「青いバナナ」を中学の社会地理の教科書で教わった世代であるが、今この呼称がフランスの中学教科書に残っているかは定かではない。20世紀後半の欧州のイメージと言える。
 このアルバムは旅への誘いである。冒頭の曲「ザ・フォーリナー(The Foreigner)」では、あの頃ヨーロッパの長距離列車や長距離バスで聞かれたようにさまざまな言語が飛び交っている(歌詞はギリシャ語、フィンランド語、スペイン語、イタリア語、フランス語)。国境のないアメリカやロシアのように広いゾーンだったヨーロッパの記憶はこんな言語が飛び交う旅だった。フランソワには「インターレイル」(日本人的には"ユーレイルパス")と呼ばれる欧州鉄道周遊パスで旅した思い出がある。2020年全世界を襲ったコ禍は、このかつての簡単に移動すること、簡単に言語の異なる友人たちに会いに行くことを不可能にさせ、私たちの知るヨーロッパはさらに記憶の彼方に追いやられた。
 つづく2曲めの「ククー(Coucou)」(↓クリップ)はいかにも無害でバブルガムのようなポップソングのように聞こえるが..... 別れの歌なのである。

(↑)青いバナナを食べて、みんな仲良くヨーロッパ、みたいな皮肉なメタファーのクリップ。歌はそんなふうにとても軽く簡単に恋人関係になれたんだけど、一緒に騒いで、セックスをして、朝になるとよそよそしくなっていて、メール(あるいはSMS)に他人行儀なあいさつを書いてくる。
Coucou coucou coucou
coucou, comment vas-tu ?
まるで彼女が僕の裸を一度も見たことがないような
まので僕が赤の他人であるような
Coucou coucou coucou
coucou, comment vas-tu ?
なぜ彼女はこんなことを書くの?
まるで彼女が僕の裸を一度も見たことがないような

これがヨーロッパだったのかもしれない。相手の「裸」を認知しないような関係。急いで関係をつくっても絆はもろいもの。歌はライトな鼻歌ふうだけれど、結末は彼女が使っていた歯ブラシを捨ててしまう、という別れ。一聴だけでこの悲しみはわからないものだけど。
 英語とフランス語ちゃんぽんで歌われる3曲めの「ジュリー(Julie)」(↓クリップ)、英語の5曲め「ホリー・ゴーライトリー(Holly Golightly)」(↓クリップ)と9曲め「ゴールド&リップス(Gold & Lips)」などを聞くと、ヨーロッパを支えてきた重要な要素のひとつが英語だったということを思ってしまう。欧州共同体を中心的に推進してきた国の言語(ドイツ語、フランス語、オランダ語)はついに共通語にならずに、それぞれの土地の訛りがついた英語がどうにかこうにか通じる言語になった。20世紀の中頃、誰がフランス人が英語をしゃべることになると想像できただろうか。私たちのヨーロッパはこうやって「口」を形成していったのだが...。
 
(↑"Julie" ウォークマンと、テレビアンテナと、ルノー12が象徴的)

(↑"Holly Golightly"、映画『ティファニーで朝食を』のオードリー・ヘップバーンの役名ホリー・ゴーライトリー。画家/造形作家でもあるフランソワのペインティングによるヘップバーンのポートレイトをアニメ化したクラフトマンシップあふれるクリップ制作。脱帽)

 ヨーロッパという成就しない恋のメタファーであるとこじつけるのは無理があるかもしれないが、決して成就することのない関係を歌う90年代風シンセ・エレポップ(ピコピコ)曲が7曲め「軌道回転(Tourne autour)」(↓クリップ)なのである。
奇妙なことに、真っ昼間なのに僕は道を見つけることができない
僕ときみは周り道ばかりしていて、きみは僕の周回を避けてるが、
そんなこと気にしない
きみは何も待っていないから何も失わない、明日も無音、不在
僕だって何も失うものはない、遠くからきみを監視する塔を建てて
そこに住み着くんだ、遠距離から楽しむ、悪賢い王子さ
もうこの恋物語は遠ざかってしまったときみに信じ込ませ
絹の肌の女王たちをあしらった僕の衣装をキラキラ輝かせ
必要ならば、きみの雌犬のような心根と戦うために戻ってくるよ

執念のように、ストーカーのようにひとりの女性の周りを回り続ける人工衛星マンという態のクリップであるが、本当に恋は成就しないものなのか。
 
 ライトで耳障りのよい鼻歌のように聞こえてしまう10曲35分のアルバムは、実はヨーロッパの黄昏のメランコリーに満ちている。ヨーロッパと失われたままそこにある英国という恋人、閉じ込められて1年以上になるパンデミックの世界。この悲しみは、ポップな鼻歌に込めることもできるのであるよ。

<<< トラックリスト >>>
1. The Foreigner
2. Coucou
3. Julie
4. Par le passé
5. Holly Go Lightly
6. Lee-Ann & Lucie
7. Tourne autour
8. Revu
9. Gold & Lips
10. Dans un taxi

Frànçois & The Atlas Mountains "Banane Bleue"
LP/CD/Digital DOMINO Wig478
フランスでのリリース 2021年2月

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓"Coucou" 2020年12月レ・ザルク映画祭に出品された雪山ヴァージョンのクリップ。すごく好き)

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