2021年3月12日金曜日

私の体はおもちゃなの?

Céline Banza "Praefatio"
セリーヌ・バンザ『序章』

アルバムタイトル”Praefatio"(プラエファチオ)はラテン語であり、大学でラテン語哲学を学んでいたセリーヌ・バンザ(1997 - )が当時最も感銘を受けた哲学者がキケロ(106BC - 43BC)だったことに由来する。このすべての分野において雄弁な哲学者・弁護士・政治家に魅せられ、(歌手の道に進まなかったら)アフリカの女性たちの権利のために弁護士あるいは政治家になることを夢見ていた。キケロの著作にはいつも既に雄弁な導入部(イントロダクション)があり、自分も最初の著作(あるいは音楽作品)にはキケロに倣って「プラエファチオ」と名付けて、後に続く自分のライフワークの序章にしようと決めていたのだそう。
 セリーヌ・バンザは1997年コンゴ民主共和国(RDC)の首都キンシャサで生まれた。幼少からコーラス隊で歌う音楽好きで、父から贈られたギターで早くも作詞作曲する少女であったが、その父が亡くなり、一家はRDC中央部のキサンガニに移住する。家族の反対にもめげず、少女はこの町のアリアンス・フランセーズを中心として展開する様々なアート(音楽、ダンス、演劇、ヴィデオ、映画...)活動に専心していき、録音スタジオ(Studio Kabako)やダンスワークショップに入り浸る。誰が何と言おうが私は音楽の道に進むと決めたセリーヌはキサンガニの養親のポケットから金を抜き出し置き手紙を残して単身キンシャサに戻り、国立芸術院(Institut National des Arts)に入学し音楽民俗学(Ethnomusicologie)を学ぶ。この"民族学”がセリーヌにRDCコンゴの民俗音楽の豊穣さを開眼させるのである。約250に分類できる民族集団があり、言語も同じほどの数存在するマルチカルチャー風土にあり、その個々の文化遺産はやんぬるかな急速に消滅しつつある。これを絶やすまじと、セリーヌは祖父祖母が話していたンバガンディ語(両コンゴ北西部、中央アフリカ共和国、カメルーンにまたがって話される)を再学習し、ンバガンディ語で作詞作曲するようになる。またその学部で知り合った仲間たちとバンド、Banza Musikを組み、そのメンバーとの活動は今日まで続いている。
 2017年、セリーヌはテレビ(フランス語圏アフリカ版)「ザ・ヴォイス」にエントリーしていて、その時のコーチが(コート・ディヴォワールの世界的ズーグルー・バンド)マジック・システムアサルフォだったらしい。私は「ザ・ヴォイス」は、歌唱を世界標準の商業芸能としてフォーマット化するためのものであり、百害あって一利もなしと考えているので、セリーヌのチョイスはいただけないが、長いことその中にいたわけではなさそうなので目をつぶる。
 そしてセリーヌはコンゴの俳優/ダンサー/劇作家/演出家のファブリス・ムカラに見出され、彼の戯曲『3人の怒れる女(Trois femmes en colère)』に出演すること、そしてその劇中歌を作詞作曲することを依頼される。こうして作られた歌が「テレ・ムビ(Teré mbi = 私の体)」であり、ンバダンディ語で作詞され、劇中ではセリーヌがギターの弾き語りで歌った。キンシャサのアリアンス・フランセーズで上演された『3人の怒れる女』は大成功を収め、とりわけセリーヌ歌う「テレ・ムビ」はたいへんな評判となった。「私の体はおもちゃになってしまった」ー 女性の肉体をおもちゃのようにした見なさない男たちへの抗議の叫びであり、アフリカの女たちが受けている屈辱へのマニフェスト的告発であった。20歳そこそこのセリーヌは、この歌で怒れる女たちの代弁者となっていった。この歌の噂は RFI(ラジオ・フランス・アンテルナシオナル)のジャーナリストの耳にも届き、アフリカに広く電波網を持つこのラジオが毎年主催している「RFI デクーヴェルト」賞(過去にティケン・ジャー・ファコリ、ロキア・トラオレ、アマドゥー&マリアムなどを世に知らしめることになった新人発掘賞)に応募することを強く進言する。アルバムはおろかシングルも録音したことのなかったセリーヌは急遽仲間をスタジオに招集して、「テレ・ムビ」を含む3曲の持ち歌を録音して、RFIに送りつけたところ、予選、二次選を通過し、数ヶ月後には最終選考の末、2019年度の「RFI デクーヴェルト賞」を受賞してしまう。

私の体 私の体
おもちゃになってしまったの?

私の体 私の体

おもちゃになってしまったの?

今や私の言葉は
ほとんど叫びになってしまった
あなたが望んでるのはそれ?
私が女であるっていうこと?
あなたが望んでるのはそれ?

あなたには腕力はある
私の力はおなかの中にある
あなたには体の力がある
私の力はおなかの中にある
あなたは私よりも値打ちがあると思っている
あなたは私に金で施しをしたことを覚えている
あなたは私よりも値打ちがあると思っている
おおおお、おおおお!

あなたにはもはや私より強い力などない
私に人を押し倒すような癇癪は起こさないけれど
世界の強がっている男どもよ

あなたには腕力はある
私の力はおなかの中にある
あなたには体の力がある
私の力はおなかの中にある
私の力はおなかの中にある

あなたは私よりも値打ちがあると思っている
あなたは私に金で施しをしたことを覚えている
あなたは私よりも値打ちがあると思っている
おおおお、おおおお!
 
あなたは私をつまみ上げる物のように見なす
召使いのように見なす
だけど私は人類の母なのよ
あなたの母なのよ
あなたの母なのよ
私の体は

("Teré Mbi" 私の体)


 それからこの"金の卵”をめぐってレコード会社の争奪戦があり、フランスに本拠を置くコンゴ系のラップ/R&Bレーベル、Bomayé(ボマイエ)が獲得に成功、ファーストアルバムの制作とあいまった。このボマイエという会社、創業者(兼メインアーチスト)がユースーファというラッパーで、ザイレアン・ルンバの王フランコ(1938 - 1989)と並び称される歴史的大歌手タブー・レイ・ロシュロー(1940 - 2013)の息子である。フランスでもフランス語圏アフリカでも広く名が知れたレーベルであり、そのチョイスは悪くはないとは思うんだが、このユースーファという人は目立ちたがりなので、さっそくこのセリーヌのファーストアルバムでも"フィーチャリング”出演している。(↓アルバム11曲め「出発 Départ」feat. ユースーファ)


 アルバム『プラエファチオ』はキンシャサで録音され、基本的にアフロ・アコースティック・フォークだが、土地柄ルンバもズーグルーも顔を覗かせ、いい感じに多彩さがある。私には「テレ・ムビ(私の体)」という超強烈なインパクトの1曲だけでこのアルバムは十分に価値があるのだけれど、ンバガンディ語の歌はすべて(歌詞カードはあっても翻訳がついていないにもかかわらず)とても説得力があり、往年のトレーシー・チャップマンを思わせる大事な言葉づかいを感じさせる。”アフリカ女性のアンガージュマン”もびしびし感じる。それにひきかえ、2曲の英語曲はどうしたものだろうか。誰に向かって歌っているのかちょっと曖昧になるような気がする。
 そんな中で異彩を放つのがフランス語で歌われる3曲め「路地の上で(Sur le pavé)」であり、キンシャサというメガロポリスの路上で貧困と共に生きる少女のストーリーが、まるでフランスのシャンソン・レアリスト(1930年代の写実派シャンソン:ダミア、フレエル、ピアフ...)のように語られ、物語の最後に悲劇が待っている。これはまさにシャンソン・フランセーズの本領のような歌ではないか。

わたしは8歳、路地の子供
でもわたしにはちゃんとした家族があった
わたしは舗道の上で新しい父たち、新しい母たち、
姉妹たち、兄弟たち、なんでも目印になるものを見つける
 
タクシー運転手で一日15時間
夜明け前から真夜中すぎまで
こんな仕事で何日かの生活費にはなる
だからわたしを見てあの人は幸せそうに微笑んだ
 
父も母も同じように
働き尽くめ、だからわたしをひとりにしておく
 
ビルの清掃係
屑篭を空にし、床にモップをかける
通勤の混雑は言うまでもない
母はわたしのごく小さかった頃のことをまるで知らない

母も父も同じように
働き尽くめ、だからわたしをひとりにしておく

わたしは8歳、路地の子供
でもわたしにはちゃんとした家族があった
わたしは路地の上で新しい父たち、新しい母たち、
姉妹たち、兄弟たち、なんでも目印になるものを見つける

午後2時にわたしは学校から戻る
帰っても親も神様の代わりもいない
大人の女たちもようにわたしは舗道を駆け回りたい
ミニスカートの女たちがわたしの味方になってくれる

かの姉たちはかの兄たちと同じように
用心深くて、しっかり絆で結ばれていた
 
その人たちは店員だったり、客だったり、原付タクシーだったり
カサイ出身だったり、イトゥリ出身だったり
わたしにやさしい言葉と微笑みとボンボンをくれた
路地で暮らす者はあいさつなしで通りすぎることなどしない
かの兄たちはかの姉たちと同じように
思慮ぶかく、なんでも分かち合っていた

わたしは8歳、路地の子供
でもわたしにはちゃんとした家族があった
わたしは路地の上で新しい父たち、新しい母たち、
姉妹たち、兄弟たち、なんでも目印になるものを見つける

女たちが乗り込んでいく車と車の間を縫って
両替屋が請求書を勘定しているそばを通って
いつもと同じような日、そこにあるバー
わたしはその奇妙な場所に行くのをOKした

かの姉たちはかの兄たちのように多忙で
わたしをほったらかしにしておいた

それでもわたしはこのやさしいおじさんを知っていた
毎晩わたしにソーダをおごってくれた
知らない人に付いて行ってはダメ
それが路地の姉たちの忠告だった

その男が服を脱ぎ始めたとき
わたしは逃げ出したかった、
でももうドアは閉まっていた...
(「路地の上で Sur le pavé」)
<<< トラックリスト >>>
1. TERE MBI(私の体)
2. SONGO TE HE(私たちの愛)
3. SUR LE PAVE (路地の上で)
4. RAIN 
5. NA MILELI (私は泣く)
6. ZINGO(目覚めよ、立ち上がれ)
7. MBI NGO YEMO (あなたが好き)
8. MBI GWE(私は旅立つ)
9. MBI YEMO SI BABA(父のことを永遠に愛する)
10. IS IT LOVE
11. DEPART (旅立ち)
12. MBI LO (私はここにいる)
13. LEGIGI NO GBI (失われゆく世界)

Céline Banza "PRAEFATIO"
CD/LP/Digital Bomayé/Believe
フランスでのリリース:2021年2月19日

カストール爺の採点;★★
★★


(↓ "Na Mileli 私は泣く" オフィシャルクリップ)

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