2007年大統領選挙の時マジッド・シェルフィはニコラ・サルコジ選出を妨げるために、ヴァーチャル空間「セカンドライフ」を使って、サルコジ当選後の世界のシミュレーションを作ったり、ジョゼ・ボヴェなどのゲストを招いての公開討論会を主催したりしました。しかし、それは大きな効果もなく、サルコジはセゴレーヌ・ロワイヤルに大差をつけて当選します。マジッドは後悔したと思います。あの選挙の時、当地の政治的アンガージュマンを明白にした3大ロックスターたるゼブダ、ノワール・デジール、マニュ・チャオは、「不在」だったのです。来る2012年の選挙には、ノワール・デジールは既に解散していますし、マニュ・チャオの姿も(まだ)見当たりません。しかし、ゼブダは10月から精力的に動き出したのです。ヴァーチャルではダメなんだ、という思いでしょう。もう一度シャツを汗でびしょびしょにして動き回って、人々に直接出会いに行かなければ、と。
その間、ムース&ハキムのアモクラン兄弟は素晴らしい成長を遂げました。その仕事の濃さは当ブログの「オリジンヌ・コントロレ」、 そして「ライヴ - 栄光の20年」のところでも紹介しています。そしてこの兄弟の大躍進に、マジッドは何度もそのステージに駆け上がりたい衝動にかられ、実際に2010年には数回ゲストで出演しています。その時、なんだこれはゼブダではないか、と思った人たちも多かったでしょう。しかし、今夜私たちがわかったのは、"Mouss & Hakim featuring Magyd Cherfi"は"Zebda"と等価ではない、ということ。ゼブダはゼブダである。それはジョエル・ソーラン、レミ・サンチェス、マジッド、ムース、ハキムの5人と、このツアーでサポートしている2人のギタリストと1人のドラマー、全部で8人のバンドのことなのです。
FGOバルバラ音楽センターのコンサートホールは大きなところではありません。キャパ500人ほどでしょうか。これだったら3夜連続コンサートもチケット発売まもなくソールドアウトになるのは当り前でしょう。しかし、この小さなスペースのおかげで、私たちは目の前で、彼らの汗の飛ぶ距離で、ゼブダの帰還を体験できたのでした。レパートリーは1月リリース予定の新アルバム『スゴンド・トゥール』の中の曲を前半に。「教会の周りの日曜日 (Le dimanche autour de l'église)」は、そのファーストシングルになる曲で、トゥールーズのサン・セルナン教会の周りの日曜市のような、フランスのどんな市町村にでもあるような日曜市の風景(多種の物産、多種の文化、多種の人々)を、政府の強要する「フランス国民資格」(L'Identité nationale、ナショナル・アイデンティティー)によって壊されてたまるか、という歌。サルコジ治世のフランスには「フランス国民資格(イダンティテ・ナシオナル)」担当省があり、その担当大臣にブリス・オルトフー、次いでエリック・ベッソンが就任しましたが、2010年末の内閣改変で同省は内務省に統合され、移民/移民統合/国籍/国民資格関係の担当も警察/公安のトップである内務大臣クロード・ゲオンが統括して現在に至っています。オルトフー、ベッソン、ゲオン、これらの大臣たちが(逆説的に)ゼブダを奮起させてくれたのです。もちろんその上に、最もゼブダを元気づけさせたのはサルコジであるということは言うまでもありまっせん。
新曲披露にまぜて、往年のゼブダの定番レパートリー、"Ma rue", "Oualalaradime", "Le bruit et l'odeur", "Pas d'arrangement", "On est chez nous"などでパリのオーディエンスは大揺れになったり、垂直飛びになったり...。MCはマジット、ムスタファ、ハキムが取りますが、サルコジ・ジョーク多数、極右を茶化し、イスラム亡国論を笑い...。そしてこの3人がそれぞれに何度か繰り返すのは「ゼブダは帰ってきたぞ」と、自分たちがそこにいるのを自分たちで確認しているような言葉です。ゼブダであることの喜び、ゼブダでプレイすることの至福を自分たちで祝福しあっているような。
ムースもハキムも舞台から飛び降りて、歌いながら会場をぐるぐる周り一番後方の階段席まで来てくれました。私も娘も汗びっしょりのムースに祝福のタッチ。ハキムは階段席からダイブして無数の腕上の遊泳をしながら舞台に戻っていきました。そして、最後は"Tomber la chemise"、再アンコールのオーラスは"Motivé"で締めました。この人たちが帰ってきたんだから、来年はきっと勝てる、と確信した瞬間でした。
(↓Youtubeに早速貼られた 12月9日パリFGOバルバラ音楽センターでのゼブダ『トンベ・ラ・シュミーズ』 )
0 件のコメント:
コメントを投稿