2008年2月13日水曜日
"Il faut savoir partir"
アンリ・サルヴァドールが90歳で亡くなりました。
2007年12月(まだ2ヶ月も経っていない!)にパレ・デ・コングレで「最後のステージ(adieux à la scène)」コンサートをやった時も,ラジオのインタヴューでは,ステージはもう無理かもしれないけれど,レコーディングは大丈夫だろう,ふぁっ,ふぁっ,ふぁっ....と言っていた90歳青年でありましたが。これから先,「さよならツアー」を100歳までは続けられるだろう,と関係者たちも思っていたようです。
最後を察していたのでしょうね。そのパレ・デ・コングレの夜,コンサートの途中でサルヴァドールはこう切り出した:Il faut savoir partir (身の引きどころも知らないとね)。
Juste ce soir, c'est bien ma veine, j'ai plein de chats dans la gorge, et tous mes copains sont là! Il est temps que j'arrête, c'est pas possible ce truc.
今夜だけさ,なんて俺は運がいいんだ,俺はもう喉がガラガラで声が出ない,だけど俺のダチたちはみんな集まってくれた! もう俺の潮時だ。こんなこともうできないんだ...。
私はこの最後の言葉,冗談だとは思っていませんでしたが,もう2〜3回は言うのではないか,と思ってました。大変失礼しました。合掌。
PS : また youtubeで見つけたのですが,去年の12月,さよならコンサートのちょっと前に放映された国営TVフランス2の「日曜万歳」(司会ミッシェル・ドリュッケール)のアンリ・サルヴァドールです。ボサノヴァ・マニアの投稿ビデオのようで,「2008年ボサノヴァ50周年」という前看板がいいですね。その日の番組のメインはフランス最高の声帯/形態模写芸人ローラン・ジェラで,アンリはそのゲストで出ています。その中でアンリのスコピトーン(ヴィデオ・クリップの前身)集のDVDが紹介されていて,"Faut Rigoler"や"Zorro"などの断片が紹介されてます。90歳。ドリュッケールが芸歴70年と言ったら,すかさず75年と自ら訂正して,スタンディングオヴェーションで喝采されてます。泣けてきました。
Henri Salvador "VIVEMENT DIMANCHE" (Dec 2007)
PS 2 : 2008年2月14日付リベラシオンの第一面です。
いい顔ですね。見出しのタイトルは『Chagrin d'hiver (シャグラン・ディヴェール)(冬の悲しみ)』となっています。ケレン・アン・ゼイデルがアンリ翁に捧げた歌で、それがきっかけで翁の奇跡のカムバックがなしとげられた『Jardin d'hiver (ジャルダン・ディヴェール)(温室庭園)』とのかけ言葉ですね。そうか、今日はバレンタイン・デーでしたか....。
PS 3 :
2月17日の日曜新聞ル・ジュルナル・デュ・ディマンシュ(略称JDD)に,アンリ・サルヴァドールが準備中だったアルバムのことが書いてありました。それによると,この未成の新アルバムはサルヴァドールの希望で,彼の音楽ルーツであるスウィング(ジャズ)への回帰を企図したもので,仏ポリドール(ユニバーサル)が制作することになっていました。仏ポリドールの社長アラン・アルトーによると,ジャズ・ビッグバンドとのダイレクト録音をアンリは希望していて,5月にロサンゼルスで録音され,10月にはリリースされることが予定されていたそうです。録音予定曲はすべてカヴァーで,言わばサルヴァドールの「ファイバリット・ソングス」のようなラインナップ:「俺はスノッブ」(ボリズ・ヴィアン),「Belle Ile en Mer」(ローラン・ヴールズィ),「Quand je serai KO」(アラン・スーション),「ムーン・リヴァー」(コール・ポーター),「Partir quand-même」(フランソワーズ・アルディ),それから題名を明記せずに,シャルル・トレネの曲,フランク・シナトラとナンシー・シナトラのデュエット曲をヴァネッサ・パラディとのデュエットで...。
PS 4 :
テレラマ2月20日号にヴァレリー・ルウーが3頁の素晴らしい追悼文を書いています。もうこの女性が書くものを見る度にすごいなあ、すごいなあ、と思ってしまう爺ですが、このサルヴァドール・オマージュはすごすぎて目眩が起きました。
Ces derniers temps, c'est vrai, il avait eu tendance à se répéter, tirer un peu trop sur la ficelle du crooner, exploiter le créneau sans toujours se soucier d'y trouver des pépites. Mais la voix restait impeccable, presque aussi forte et aussi juste qu'avant. Il fallait bien qu'un jour elle finisse par se taire. Le lion est mort, c'est vrai. Mais le chat rôde toujours. (たしかに、この数年彼は同じことを繰り返す傾向があったし、クルーナーという芸に頼りすぎる面があり、苦労をせずに宝石を掘り起こせるような分野を利用しつくそうとしているようなところがあった。しかしその声は完璧なのだった。若い頃同様にパワーがあり、狂いがないのだった。それは当然いつかは消え去る運命にあった。確かにライオンは死んだ。しかし猫はさまよい続けているのだ。)
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4 件のコメント:
アンリ翁が草葉の陰に逝ってしまわれたとは、驚きでした。
私の中に存在する「この人はけっして死なない人辞典」の最右翼だったんです。
こうなると昨年大枚を叩いてでも翁のさよならコンサートに行くべきだったと後悔してしまいます。 もうあの「フォ~ッフォッフォッ」という妖怪のような高笑いは聞くことができないんですね。
歌が聴けないより、翁の笑顔が見れなくなるのがさびしいです。
今週はジュリアンに5番目の子供が生まれるニュースだけでも私のビックリ度数は針が振れ切ってしまっているのに。。。
合掌
Tomiさん,こんばんわ。
爺もパパになることを許可してくれるような環境にあれば,何度でもパパになりたいクチなので,ジュリアン・クレールの喜びようは共感できます。いいなあ。新ママンのエレーヌ・グレミヨンという人はどんな人なのかな?
サルヴァドールに関してはおととい原稿依頼が来たので,きのうのリベラシオン紙だけでなく,いろんな資料を見始めました。笑っていない目などで見えてきますが,内側はとても厳しく,苦労が絶えなかった人で,南方系の楽天家エピキュリアンという外側のイメージとは違う面が多いです。
きのうのリベラシオンに,アルバム"Chambre avec vue"でヴィクトワール賞を取った時,テレビカメラが絶対に捉えていないと確信した場所から,観客に向かってdoigt d'honneur(中指を突き出して見せるファック・ポーズです)をしたことが証言されてました。レコード界芸能界から放り出されて数年の臥薪嘗胆を経ての,ヴィクトワール賞はサルヴァドールの「復讐するはわれにあり」だったわけですが,彼の(隠された)激しい性格がよくうかがえるエピソードです。
今頃、天国でボリス・ヴィアンと再会している頃ですかね。
「遅かったな、アンリ」なんて言われているかも。
未完のアルバム、聞いてみたかったです
さなえもん、おひさしぶりぶりっ。
ブログ本文の方にも付け足したけど、テレラマの今週号を読んで、最晩年にやっと自分がやりたいことの楽しみを見つけたようなヴァレリー・ルウーの解説にとても納得しました。その代わりその楽しみがちょっと自家中毒となってしまうんですが。
「ひとりブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は何度でもというわけにはいかないのですね。
ペール・ラシェーズ墓地の墓はエディット・ピアフの墓とすぐ近くの区画のようで、今度の日曜日に「ラティーナ」用に写真を撮りに行きます。
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