2020年2月25日火曜日

アメリカ帝国主義は張り子のトラである

この記事はウェブ版『おフレンチ・ミュージック・クラブ』(1996 - 2007)上で2002年12月に掲載されたものの加筆修正再録です。

Olivier Rolin "Tigre en papier"
オリヴィエ・ロラン『張り子のトラ』


(2002年9月刊)

2002年春の大統領選の時、立候補者のひとりで一時は最有力と目されていた社会党のリオネル・ジョスパンが、その過去においてトロツキスト党派の活動家であったことが暴露され、物議をかもしたことがある。68年5月革命の運動を多くのフランス人は肯定的に語るし、多くの68年世代が今日のフランスの表舞台で活躍しているのを日常的に見ていたため、私にはこの「トロツキストとしての過去」が今さらなぜスキャンダルとなるのか不思議に思えた。そして現在も活動するトロツキスト政党であるLCR(Ligue Communiste Révolutionnaire 革命的共産主義者同盟)とLO(Lutte Ouvrière 労働者闘争党)は地下政党ではなく、大統領選に5%の票を得る確かな地盤を持った政治団体となっている。トロツキストであることは今日何ら咎めを受けることではないのであるが、過去においてはそれはそれほど穏やかなものには見られていない。トロツキストとは70年代において、爆弾を使った武装闘争や、保守政治家および大資本家家族の誘拐や殺人などといった事件を起こす者というレッテルが貼られてしまっていたからだ。
 68年世代は、既成左翼(この場合は共産党、あの当時社会党は小さな勢力しかなかった)のスターリン主義化を批判し、大きく二派に分かれて新しい左翼の政治潮流となっていった。ひとつはトロ(トロツキスム)、もう一方はマオ(毛沢東主義)であった。新左翼はトロかマオだったのである。当時のジャン=リュック・ゴダールの映画を思えば了解できるだろうが、あの頃フランスのマオ派は大変おおきな勢力があった。
 さてこのオリヴィエ・ロランの小説はマオなのである。上に書いたように、トロはまだ現役であるのだが、2002年の今、誰がマオでありえるだろうか。マオは歴史的に否定されてしまったかのように、1976年の毛沢東の死後、すっかり鳴りをひそめてしまうのである。マオが地上から姿を消しつつあった頃、すなわち70年代前半という時期には、フランスでも日本でも、大多数の学生運動/新左翼運動の活動家たちがおおいに白け、その運動から離れていったのである。私はその当時の学生であるし、デモもよく行ったし、機動隊のジェラルミン盾の縁で背中を殴打されたこともある。新左翼系の新聞も買わされて読んでいたから、彼らの言語もわかっていた。しかし私の当時(73 - 77年)は、積極的な活動家だった友人たちが「内ゲバ」に消耗し、出口なしの状況に追い込まれていった時期だった。大部分が運動を捨てていく中で、敢えて地下活動に入っていく少数派がいたことも見ていた。
 オリヴィエ・ロランの小説は、二人称単数(tu = きみ)で書かれる主人公(マルタン)が、闘争を一緒にやってきた親友の死について、その親友の娘に彼がどのようにして死んだかを語る、というかたちで進行する。21世紀の今日に、マオ派の残党がその過去について語るのである。スタイリッシュなことに、それはシトロエン・DSというあの時代の高級車(走る応接間と呼ばれた)で、パリの環状道路(ペリフェリック)やパリ市内の小道を夜半から未明まで走りながら、その車中で語られるのである。同乗の娘マリーは20歳前後。活動家の通り名としてトレーズ(13)と呼ばれた男の娘であり、彼女は父親の記憶を持たずに育った。
 今日の子供たちに理解できるだろうか。インターネットが存在しなかった時代があったことを。携帯電話もケーブルテレビもウォークマンも留守番電話さえなかった時代があったことを。あの頃テレビは白黒であり、ド・ゴールがポンピドゥーに席を譲り渡し、ヴェトナムでは人民軍の勢力が米軍を退却させた。アメリカ帝国主義は張り子のトラであることが露呈してしまったのだ。チェ・ゲバラは革命の殉教者として一挙にヒーロー化し、そして中国は赤く、まっかに赤く、偉大なる指導者毛沢東は世界の進路を変えつつあった。革命の二文字がこれほどまでにリアリティーを持っていた時代があったことを、今、誰が信じることができようか。
 マルタンの回想は、マリーに対して、こういう信じられないような過去が歴史的に存在したことを理解しなければ、おまえの父の死についても何ひとつ理解できないのだ、と中年的なしつこさから、過剰なまでの説明を加えようとするのだが、説明しよう、理解させようとすればするほど、口が寒くなっていくような寂しさが去来する。それでもかまわない。マルタンは時折苛立ちを覚えながらも語り続ける。
 革命を信じた若者たちが毛沢東主義のセクト、ラ・コーズ(La Cause)に入党する。ラ・コーズとは原因、理由を意味する言葉であるが、中国文化大革命の有名なスローガン「造反有理」の「理」である。造反には理由がある。それは人民的理由(La Cause du Peuple)である。このセクトは60年代末から70年代初めにかけて、大衆運動化する方向を取らずに、過激化し、少人数の革命的精鋭による直接行動派となり、戦略的に地下組織となっていく。資金調達のために強盗もあれば、爆弾による破壊活動も、要人誘拐も、高級ヨットハーバーでの船舶施設破壊攻撃なども。人は今日、これらすべての暴力破壊行動を「テロリズム」と呼んでいるが、消極的ながらこのレッテル貼りに賛成しかねる心情的「過激派びいき」がまだ私には残っている。それはそれ、後日別の機会で書こう。
 さて、このような地下組織はどうやって活動資金を得ているか、というと、シンパからのカンパだけではなく、桁外れな億万長者からの寄付というのもあるのだ。ラ・コーズにはレバノンの富豪や、フランスの旧貴族などの支持者があって、その活動アジトにとてつもなく豪奢な城館が使われたりする。内部には偽パスポート作りのプロもいるし、高級乗用車盗みのエキスパートもいる。南米、中東、ヨーロッパ諸国の同系地下組織とのネットワーク、国際ルートがあり、その精鋭が人民抵抗の前線(例えばレバノン)に義勇軍として飛んだりするのだ。
 このラ・コーズの主要メンバーが、60年代の末、ブルターニュ地方のとある町で秘密会議を持つのだが、その時にこの種の活動家たちとしては稀なことに、海をバックに1枚の集合写真を撮っている。写真に映っているのは12人。写真に映っていない男、つまりカメラを持ってこの写真を撮った13番目の人物がトレーズ(13)であった。だから今日トレーズの写真は1枚も残されておらず、マルタンもその親友の顔の記憶が曖昧なまま語っている。この13人の革命の精鋭たちは、中国水滸伝の英雄たちのようにひとくせもふたくせもあり、プロの革命家たる資質を備えた者も備えていない者も、偉大なる指導者の下で革命に奉仕する。ならず者、香具師、詐欺師も革命に奉仕する。
 このあまり華々しくもない革命戦士たちの武勇伝は、もう今日となっては笑い話にしてもいいのか。飲み屋の暗がりの酒のサカナにしてもいいのか。今日ある者はジャーナリストとなり、ある者はバーのマスターになり、あの者は緑の党の活動家となって政治行動を続け、ある者は企業家として成功し、そして多くの者たちは音信不通となった。しかしマルタンはマリーに強調して言うのである「俺たちはなによりも俺たち(nous)であった」と。集団で生き、集団で考え、集団で決め、集団で行動する。私にはそういうユートピア・コミューンへのノスタルジーがある。あの時私は集団で何かを創っていたというノスタルジーである。Collectif(コレクティフ=集団的な、共有的な)、Collectivité(コレクティヴィテ=集団)といった言葉は私にとって今でもとてもポジティヴなものである。Création collective(クレアシオン・コレクティヴ=集団的創造)は私たちの目指すものであったし、その手本はジルベール・アルトマンのアーバン・サックスや、アリアーヌ・ムヌーシュキン太陽劇団であった。この"集団"であったことを誇らしげに語るマルタンは、私が同時代人であったあの時代のヴァリューを代弁するものであるが、実のところ私は集団ではなかった。私は嫉妬を禁じ得ないが、マルタンやトレーズはまさに集団であったのだ。
 小説はマルタンのラ・コーズ回想と平行して、インドシナ戦争でヴェトナムで命を落としたマルタンの父親のことも詳説されていて、マリーが父トレーズに一度も会ったことがないように、マルタンも一度も会ったことのない父親の死んだ場所に、50年の年月を隔てて訪問するというエピソードが挿入されている。志願兵であったマルタンの父は、メコンデルタをパトロールする哨戒艇の舵手として、ヴェトミンの銃撃を受けて死んでいる。多分に愛国者であったと言われているその父は、志願してこの闘いに参加し、この地で死んだ。自分は革命という理想にアンガージュマン(政治参加)し、闘士として地下活動をしてきた。ヴェトナムでこの父の死は敬われていないし、自分の闘士としての活動は何ら革命に近づくものではなかった。この虚しさが、ヴェトナムで父と子を和解させるのである。
東方紅、太陽昇
中國出了個毛澤東
他為人民謀幸福
呼爾海約、他是人民大救星
東方紅」は中華人民共和国の準国歌とされている毛沢東讃歌である。東方は紅にして、太陽は昇る。この歌をマルタンもトレーズも原詞を暗記して歌っていた。どん・ふぁん・あん・ぽん・たい・やん・あん・しぇん...。この歌を歌いながら、ある未明、マルタンとトレーズは、パリ6区、サン・シュルピス教会の柵を破り、その教会の塔へよじ登っていく。アポロ・カプセルに乗って月で革命を起こすために、あるいは「神」と出会うために。二人はこの子供じみた賭けのために、ロケットのような形をした鐘楼によじ登っていく。二人の問題というのははっきりしていた。小冊子毛沢東語録を誰も必要としなくなった今、われわれは何をなすべきか。鐘楼のてっぺんで、二人は東方のヴァンセンヌの森の動物園の猿山から真っ赤な太陽が昇ってくるのを見るのである。トレーズは怒鳴る口調でこう言う「ヴァンセンヌの猿たちもこの時間にはサングラスが必要だ」。そして彼は自分もサングラスを取り出し、鼻の上にかけ、鐘楼修理用に組まれていた足場の上を全速力で駆けていき、「毛主席は猿の王、人民の幸福、猿の人民の幸福を望んだ金の猿!」と叫んで、空中に身を投げる。ここで小説は終わる。

 彼らが数年の間に作った集団的現代史を、オリヴィエ・ロランはすでに2篇の小説で書き直している。アンケート世論調査が代理選挙を行なってしまう「新しい」民主主義の時代、世の中の第一の関心事として朝一番でラジオテレビで株式市況がアナウンスされる2002年的現在において、この失われた熱情の時代を回想することは、ノスタルジー以外の何を私たちに提出できるだろうか。この小説は2002年9月に刊行されて、大ベストセラーとなり、ゴンクール賞候補ともなった。ということは多くの人たちがあの時代の熱さを強烈に感じ取ったことには違いないが、それは今日において生きられる熱ではない。ここで書かれているのは、理想は死んだ、ということであり、革命は死んだ、ということである。おまえの父は革命と共に死んだのだ、とトレーズの娘に伝えているのである。それが犬死であったことを証明するような嘲笑的な今日の現実がある。これはやはり笑い話としてバーの暗がりの中でしか伝播できなかった現代史なのだろう。
 この小説の中で、B52爆撃機とジョニー・アリデイの相似性を語るくだりがある。 どちらも50年代後半のデビューで、今だに第一線で現役である。ヴェトナムで、湾岸戦争で、アフガニスタンで、あの空飛ぶ要塞は同じ顔で爆弾を投下していた。大統領が何代変わっても、アメリカ帝国主義の看板スターの顔は今日も変わっていない。アメリカに追随してフランスでロック王になった歌手ジョニー・アリデイは、今週もアルバムチャートの1位に輝いている。

Olivier Rolin "Tigre en papier"
Seuil刊 2002年9月 267ページ

(↓)2002年国営テレビFRANCE 3でオリヴィエ・ロラン自作『張り子のトラ』を語る。

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