2025年12月31日水曜日

2025年の1曲:鼻で笑う

Théodora "Ils me rient tous au nez" (Live version, feat. Chilly Gonzales)
テオドラ「みんな私を鼻で笑う」(ライヴ・ヴァージョン、feat. チリー・ゴンザレス)


From mixtape "MEGA BBL" (Réédition)
(2025年5月29日リリース)


テオドラは今22歳。コンゴ民主共和国(RDC)出身の両親のもと、ルッツェルン(スイス)生まれ、RDCコンゴとフランスの二重国籍、17歳の時から音楽アーチストとして活動しているが、大ブレイクは2024年、TikTokに端を発した"Kongolese Sous BBL"の大ヒット。この"BBL"とは3つの意味で使っているが、この歌では Brazilian Butt Liftという臀部のヴォリュームを大きくする整形手術の意味で、肉感セクシーを誇示する女性たちをあっけらかんと体現してしまっている。またテオドラの別源氏名で Big Boss Ladyを自称しているのだが、奇天烈エキセントリックなイデタチのアフロ黒人女性たちのリーダー格を自認している所以。そして初アルバムで連作として展開される Bad Boy Lovestory もBBLのひとつ。
  この”Bad Boy Lovestory”をタイトルにした13曲33分のテオドラ初のアルバム(彼女はアルバムではなく Mixtape と呼んでいる)がリリースされたのが2024年11月1日。これに「みんな私を鼻で笑う Ils me rient tous au nez」のオリジナルヴァージョンが収められている。それはそれで悪くないのであるが。
 その7ヶ月後、(フランス最高の人気を誇るマルセイユのラッパー)JUL、今や中堅大物女性SSWジュリエット・アルマネなどを招いて、12トラック31分を追加した増補版アルバム”MEGA BBL"(25トラック66分)を2025年5月29日にリリースしている。これがまた大ブレイクで、フランスのアーバンミュージック専門アワード”Les Flammes"賞で最優秀新人女性アーチストに選出され、さらに2026年4月の4日間のパリ・ゼニット(キャパ7千)のコンサートチケットを15分で完売した。世界的には(ビルボードによると)”フランス語”アーチストとしてアイヤ・ナカムラに次ぐ第二位のリスナー数を獲得している。いやはや、短期間で大変な出世を成し遂げたのである。
 さてこの"MEGA BBL”の最終の25トラックめに収めされているのが、チリー・ゴンザレスによるピアノ+ストリングスアレンジ+プロデュースで録音された「みんな私を鼻で笑う Ils me rient tous au nez」のライヴヴァージョン(3分)なのである。


J'ai souvent trop donné
私はしょっちゅうやりすぎるのよ
Ils me rient tous au nez
みんな私を鼻で笑う
Quand je les traite d'ingrats
彼らのことをつまらない奴らとあしらうと
Ils disent qu'ils m'avaient pas sonné
おまえのことなんか何とも思わないと言われる
Pourtant, j'suis juste passionnelle
でも私は激情的なのよ
Au point d'en perdre sommeil
眠気を失ってしまうほどに
Si j't'aime et que ça va pas
あなたが好きで何かうまく行かないんだったら
Sans demander, je te passe mon aide
頼まれなくても、私はあなたに助け舟を出すわ
Mais comme moi, personne n'aime
でも私と同じように、誰も好きじゃないの
Toi non plus, rien de personnel
あなたも同じ、全然個性的じゃない
Tes messages donnent hyper sommeil
あなたのメッセージは過剰に眠気を誘うのよ
Donc j'ai le plaide et le bon sommier
だから私にはブランケットとベッドが要るの
Pourtant, j'suis juste passionnelle
でも私は激情的なのよ
Au point d'en perdre sommeil
眠気を失ってしまうほどに
Si j't'aime et que ça va pas
あなたが好きで何かうまく行かないんだったら
Sans demander, je te passe mon aide
頼まれなくても、私はあなたに助け舟を出すわ

Les super vilains l'sont pour une raison
超タチ悪がそうなのは理由あってのこと
Moi, j'suis une garce née, un peu trop garçonnée
私は生まれついてのあばずれ、ちょっと男勝りすぎた
Méchante à cause de la pression qui me monte au nez
むかつくプレッシャーのせいで意地悪になるのよ
Trop gentille, tous me frappent
優しすぎると、みんなに叩かれる
C'est moi qu'ai tendu le putain de bâtonnet
私がその忌々しい棒を差し出したのよ
Stationne devant mon cœur, évite de sonner
私の心の真ん前に立って、音を出さないで
Les problèmes m'ont déjà fait perdre sommeil
既にいろんな問題が私の眠気を失せてしまったの
Mon cœur est resté seul plusieurs longues semaines
私の心はもう何週間も孤独のまま
Pourtant, j'ai pleuré, personne m'a tendu sa main (mh-mh)
でも私は泣いたのよ、それでも誰も手を差し伸べてくれなかった
Mais comme moi, personne n'aime
でも私と同じように、誰も好きじゃないの
Toi non plus, rien de personnel
あなたも同じ、全然個性的じゃない
Tes messages donnent hyper sommeil
あなたのメッセージは過剰に眠気を誘うのよ
Donc j'ai le plaide et le bon sommier
だから私にはブランケットとベッドが要るの
Pourtant, j'suis juste passionnelle
でも私は激情的なのよ
Au point d'en perdre sommeil
眠気を失ってしまうほどに
Si j't'aime et que ça va pas
あなたが好きで何かうまく行かないんだったら
Sans demander, je te passe mon aide
頼まれなくても、私はあなたに助け舟を出すわ
Pourtant, j'suis juste passionnelle
でも私は激情的なだけなのよ
Au point d'en perdre sommeil
眠気を失ってしまうほどに

何度聴いても、この2行のところで涙が迸り出る。これはこういう歌なのだ。ゴンザレスのピアノとストリングスもおおいに泣かせる。そしてテオドラの歌も泣いている。2025年、私はこの歌で何度泣いたことだろう。バス/地下鉄の中のヘッドフォンでやってしまったこともある。
(↓)YouTubeに載ってたゴンザレス+テオドラのアコースティック・ヴァージョン。



テオドラ、エモーションをありがっとう。2025年はこの歌の年だった。

(↓)YouTubeに載ってた2025年10月ジョゼフィーヌ賞セレモニー(於オランピア劇場)でのライヴ動画。動くテオドラの”本物っぽさ”よ。

2025年12月29日月曜日

きみはわがさだめ:2025年のアルバム

Aya Nakamura "Destinée"
アイヤ・ナカムラ『きみはわがさだめ』

2024年が彼女を変えてしまったのである。アイヤ・ナカムラは既に「世界で最も再生回数の多い”フランス語歌手”」であった。”Pookie"(2018年)そしてとりわけ”Djadja"(2028年)は(日本はどうか知らないが)世界中でブレイクし、何語で歌っているかなどどうでもよく、未体験のグルーヴ、未体験のR&B、未体験のしなやかな大型女性ソウルを大歓呼を持って迎えたのだった。アルバムもコンサートも”特大アイヤ・ナカムラ印”の追随を許さないトップアーチストの貫禄で5年間走り続けてきた。バマコ(マリ)生まれ、パリ郊外オルネー・スー・ボワ育ち、2021年フランス国籍取得、知名度においても独創的な音楽性においても、今や世界に誇れるフランスを代表する”フランス人”(国籍取得!)アーチストではないか、と多くの人々が思っていたのだが、なんとそうは思わない人々も多くいたのだ。
 2024年3月、同年7月に開幕するパリ・オリンピックの開会セレモニーにアイヤ・ナカムラが出演するらしい、しかもフランスシャンソンの至宝エディット・ピアフの歌を歌うらしい、という”情報もれ”が一部メディアで報じられた。ここから悍ましいまでの囂々たるナカムラ・バッシングが始まる。ウルトラ極右グループがセーヌ河岸に「ここはパリでバマコの市場ではない」というレイシズム丸出しの横断幕を掲げる(→写真)。極右政党RN党首マリーヌ・ル・ペンはアイヤ・ナカムラがオリンピックで国を代表して歌うことは「フランス国民を侮辱すること」と断じた。RN党幹部がこぞってメディア上でそのオリンピック開会式出演中止を訴える。極右ルコンケート党、他保守政党の右派のメンメンも同じキャンペーンを張った。加えて今や極右系大メディアグループとなったヴァンサン・ボロレ傘下のテレビ・ラジオ・新聞・出版各社(CNEWS、 Europe 1、JDD、Fayard...)も総動員でナカムラ攻撃を展開する。曰くフランスを代表する”容姿”ではない、その歌詞は全く”フランス語”とは言えない、下品で低俗である...。その攻撃の根拠のひとつとなったのが、調査会社Odoxaによるアンケート調査(2024年4月発表)が挙げた「63%のフランス人がアイヤ・ナカムラ出演を良しとしない」「73%のフランス人はその歌を嫌っている」などの数字であった。その勢いはメディアもさることながらネット上でさらに輪をかけて凶暴になり、アイヤ・ナカムラとその家族親族は夥しい数のサイバーハラスメントに晒されている...。2024年春、「アイヤ・ナカムラ」は(当人が全く意図したわけではない)政治的事件であった。レイシズムを糾弾し、アイヤ・ナカムラを擁護する、ということは、轟々に盛り上がる極右勢力と真っ向から戦うことであった。そして当人アイヤ・ナカムラは一切表に出ることなく、五輪開会セレモニー総合監督のトマ・ジョリーと本番での”反撃”を秘密裡に準備していた...。

 2024年7月26日、雨、スタジアムではなくセーヌ川を舞台にしたパリオリンピック開会セレモニーは執り行われ、アイヤ・ナカムラは左岸フランス学士院(アカデミー・フランセーズ)と右岸ルーヴル宮を結ぶセーヌに架かる橋「ポン・デ・ザール Pont des Arts 芸術橋」の上に、(シャルル・アズナヴール「ラ・ボエーム」のイントロに乗って)颯爽と登場した(↓)

含みはいろいろある。まずフランス学士院、これは”フランス語の殿堂”であり、古くもあり新しくもあるフランス語を生きた言語として保護・監督・再創造する仏語学長老たちが集う場所である。極右からその”フランス語”を揶揄嘲笑されたアイヤが、フランス語の殿堂を後ろ盾にするように歩み出したのである。そしてシャンソン・フランセーズの巨匠にして巧みなフランス語達人であったシャルル・アズナヴールの英仏語ちゃんぽんの語呂合わせ遊び曲「For me formidable」(1963年)をナカムラ流に歌ってみせた。彼女がフランス語の伝統と、シャンソン・フランセーズの伝統をリスペクトし、それを継承するものである、という鮮やかなメッセージである。その前後に持ち歌(アイヤ・ナカムラの2大代表曲)”Pookie"と"Djadja"を披露する。後半の”Djadja"では、フランスの国家的セレモニーの(国歌演奏などの)公式音楽隊であるガルド・レピュブリケーヌ(共和国親衛軍楽隊)の吹奏楽団と合唱団が "Djadja"に合わせて踊りながら伴奏する、という(常識を覆す)演出がなされている。先入観を打ち破る新旧&硬軟の味のある調和、これがフランスの現在進行形の音楽、と世界に見せつけた瞬間だった。この時、この五輪開会セレモニーのテレビ視聴数は平均で2400万だったのが、アイヤ登場時に3100万に跳ね上がった。このアイヤ・ナカムラによる視聴ピークは、聖火台点火シーンよりも、エッフェル塔上のセリーヌ・ディオン「愛の讃歌」よりもはるかに高かったのである。
 鬼才演出家トマ・ジョリーと型破りポップシンガーアイヤ・ナカムラのなんと鮮やかな逆襲勝利、春からの極右の猛攻撃に彼女は完全に打ち勝った。アイヤ・ナカムラ流儀で。

 だが、この2024年春から受け続けた攻撃のダメージから回復するのに、1年以上の月日が必要だったのである。そしてアイヤ・ナカムラは30歳になった。そしてアイヤ・ナカムラは還ってきた。2023年1月リリースの『DNK』から3年近いブランクののち、5枚めのアルバム『デスティネ Destinée 』は2025年11月21日にリリースされ、たちまちチャート1位に躍り出た。2024年が彼女を変えてしまったのである。アルバムはその "After" 感が強い。やはりそれに落とし前をつけたかったのだろう、アルバムは冒頭に「麻痺 Anésthésie」という打たれた痛みを麻痺させて再浮上しようとする意思表示のような歌を持ってくる。
Je m'en fous des gens, maintenant, je fais ce que je veux
人のことなんかどうでもいいの、私はやりたいようにやる
Je sais qui je suis, donc moi je fais ce que je veux
私は自分が誰かを知っている、だから私はやりたいようにやる
On m'a fait des phases, mais avec eux j'ai avancé
人は私に言葉をかけた、そのおかげで私は前に進めた
Mais avec eux j'étais sincère, ouais (j'étais sincère)
あの人たちと私は本気の関係だった、そうよ私は本気だった
Tellement mon cœur est pur, j'me remettais en question (en question)
私の心が純粋すぎたから、私はそれを疑うようになった
Où sont passés certains amis à qui je me confiais
私が信頼していた友人たちはどこに行ってしまったの
Je leur ferai plus confiance, même à des membres de la famille
私はもう信頼していない、家族たちも同じよ
(Même à des membres de la famille)
(家族たちも同じよ)
Ils me comparent
あの人たちは私を
À la Madrina
ラ・マドリーナ
(※)のようだと言った
Mais j'suis pire que la Madrina (dure comme la Madrina)
でも私はラ・マドリーナよりひどいのよ(ラ・マドリーナのように強いわ)
J'suis devenue pire, pire, pire
私はどんどん悪くなっていった、もっともっと悪く
J'ai les sentiments anesthésiés
たくさんの感情が麻痺してしまった
Plein de souvenirs à effacer
さまざまな機会に私を傷つけてきた
Par des moments qui m'ont traumatisée
たくさんの思い出を消さなければ
Donc j'ai les sentiments anesthésiés
私はたくさんの感情が麻痺してしまった
Comment je pourrais oublier
どうしたら忘れられるの?
J'ai pardonné, mes douleurs coulent, coulent dans mes veines (dans mes veines)
私は罪を許したのに、私の苦痛は血管の中に流れている
Moi, j'ai jamais cherché la guerre
私は戦争を起こそうとしたことなんかない
J'suis plutôt cool, tu savais pas que j'étais la plus vorace (la plus vorace)
私はむしろクールな女、あんたは私が貪欲だってことを知らなかっただけ
Son daddy?
この子のダディー?
Cherche pas la merde quand je te parle
厄介ごとを探さないで
C'est ton daddy?
あんたのダディー?
Tu vois très bien c'que je veux dire, mais tu fais semblant (ouais, il fait ça)
私の言いたいことよくわかってるくせに、あんたはふりをする
J'vais pas rentrer dans tes vieux jeux, parce que je m'y perds (parce que je m'y perds)
あんたの古い手にはかからないわ、私は何が何だかわからない(何だかわからない)
(J'y perds de l'énergie)
(私は消耗してしまう)
(Parce que j'y perds de l'énergie)
(だって私は消耗してるんだから)
Aïe, aïe, aïe, j'avoue avant j'étais naïve (j'étais naïve)
白状するわ、私はウブだったのよ
Mais j'dois vous remercier, grâce à vous j'connais le vice (j'connais le vice)
あんたたちに感謝するわ、あんたたちのおかげで私は悪を知ったのよ
Je pratique le vice (je pratique le vice)
私は悪を行使する
Je sais ce qui rend love
私はLoveになるものを知っている
Tous les jours, je fais des victimes ça recommence
毎日私は犠牲者を出している、それがまた始まるの
J'ai les sentiments anesthésiés
たくさんの感情が麻痺してしまった
Plein de souvenirs à effacer
さまざまな機会に私を傷つけてきた
Par des moments qui m'ont traumatisée
たくさんの思い出を消さなければ
Donc j'ai les sentiments anesthésiés
私はたくさんの感情が麻痺してしまった
Tu disais que tu m'aimais

あんたは私が好きって言ってたわね
(Tu disais que tu m'aimais fort)
(あんたは私が好きって言ってたわね)
Mais dans quelles conditions
でもどんな条件で
(Mais dans quelles conditions)
(でもどんな条件で)
J'suis sensible et rancunière
私は感じやすくて根に持つタイプなの
(Pardon, pardon)
(ごめんなさい)
Mais dans quelles conditions
でもどんな条件で
(Mais dans quelles conditions)
(でもどんな条件で)


(※)「ラ・マドリーナ」とは実在した人物、本名をグリセルダ・ブランコ(1943 - 2012)と言い、コロンビア最大の麻薬組織の女帝、暗殺されてこの世を去った。オリンピック件で(政治的に)猛攻撃を受けたこと、その過去の男性関係からありとあらゆる暴露記事/画像/映像がネット上を嵐となって吹き荒れたこと、それまで所属していたプロダクションREC 118を離れ独立会社"Nakamura Industrie"を設立したこと...。30歳のアイヤ・ナカムラは何ものにも動じない鉄面皮の怪女のように振る舞ったかもしれない。だが中身は異なる。どれほどの痛みを殺さなければならなかっただろうか。この歌は支離滅裂寸前の内心吐露であり、弱さを露呈し、打たれ強さの限界を告白し、それでも無理やり麻酔薬で麻痺させるように耐えてきた。これからは違う、という未来を垣間見せながら。

 とは言え17曲のアルバムは総じて「一皮剥けた」感はなく、95%が女性ファンだというその少女層から同世代層までを歌詞丸暗記させ唱和させ一晩中(ナカムラダンスで)踊らせるアフロ・ズーク(オラが国さのR&B)に満ちていて、このアネさんに一生ついていくわ感をひときわ高揚させてくれる。姐御(アネゴ)の顔もあれば女王(”わたしを女王様とお呼びっ”の方)の顔もある。それはゲームであり、官能と誘惑によって征服を勝ち取る”権力”(パワー、Pouvoir)競争である。こうすれば勝つのよ、と姐さんは子分(少女ファン)たちに実践教唆しているようなところがある。
 ハイチ系の(コンパ)R&Bシンガー、ジョエ・ドウェット・フィレがフィーチャリング登場している「バディーズ Baddies」(16曲め)は、”バディー”(アメリカ英語訛りのbodyか)の効力について実践レッスンを。(※ ”Jacques a dit” とは幼児のする命令遊び、”ジャカディ”で始まる命令に従い、”ジャカディ”と言わない命令に従ったら負け)
Soit d'la magie, j'en fais des tonnes, avec mes atouts je matrixe (matrixe)
魔法なら、私にはいくらでもできるわ、私の手にかかれば人を術中にはめられる
On parle des heures au téléphone, j'avoue, je le matrixe
何時間も電話で話すのは、実は私は彼を手玉に取っているのよ
Il dit qu'j'suis chiante et capricieuse mais le voilà rebelotte
彼は私を腹立たしい気まぐれ女だと言うけれど、もっととねだるの
Des câlins, des caresses, en vrai, il en redemande
おさわり、なでなで、彼はもっととねだるの
J'ai choqué, choqué, choqué, choqué, choqué le boug (j'ai choqué, choqué)
私はどんな男にもショックを与えてきたの、ショックをショックをショックを
Choqué, choqué, choqué, choqué, choqué le boug (j'ai choqué, choqué)
男にショックをショックをショックをショックを
T'aimes trop les folles comme moi, assume (t'aimes trop les folles comme moi, assume)
あんたは私みたいな狂女が大好きよね、白状なさい
Faut du cardio, j'te l'avais dit (faut du cardio, j'te l'avais dit)
心臓医が必要ね、忠告したでしょ
Mon body style c'est sexy, sexy, sexy (sexy, sexy)
私のボディースタイル、セクシーセクシーセクシー
Même quand je marche, les gens disent, "elle est sexy" (sexy)
歩いているだけでみんな言うわ「あの娘はセクシーセクシー」
J'veux minimum dix compliments c't après-midi
午後だけで最低10回のお世辞を言われたいわ
Dès qu'il m'a vue, il a dit, "je veux cette fille"
私を一眼見ただけで、彼は「この女が欲しい」って言った
Des attitudes de baddies (des attitudes de baddies, ah-ah)
バディーアティチュード、バディーアティチュード、ああ、ああ、
Ça te dérange? Tu m'as pas dit (ça te dérange? Tu m'as pas dit, ah-ah)
気に触った?あんた私に言わなかった?ああ、ああ、
Je le contrôle, Jacques a dit (je le contrôle, Jacques a dit, ah-ah)
私が命令するの Jaques a dit
(※) ああ、ああ、
C'est normal, j'suis sa gadji (mais c'est normal, j'suis sa gadji, ah-ah)
当然よ、私は彼のイイコなんだもの、ああ、ああ、
Je le domine, il donne tout, tout, tout (il donne tout, tout, tout)
私は彼を支配し、彼は捧げるのすべてをすべてをすべてを
Avec moi, il est doux, doux, doux (il est doux, doux, doux)
私と一緒なら彼はやさしいやさしいやさしい
Je le domine, il donne tout, tout, tout (il donne tout, tout, tout)
私は彼を支配し、彼は捧げるのすべてをすべてをすべてを
Avec moi, il est doux, doux, doux (il est doux, doux, doux)
私と一緒なら彼はやさしいやさしいやさしい



 私はこうやってアイヤのフランス語詞を訳すのが大好きだ。いろんな新しいアイヤ語彙に出会える。1行目の”Matrixer(マトリクセ)"という動詞、当然あの「マトリックス」に由来するのだが、何か(あるいは何者か)の呪縛の中に陥れることの意味のようだ。私はこれを「手玉に摂る」「術中にはめる」と訳したのだが、あっているかどうかはわからない。
 5曲め「ノー・ストレス No stress」では、アイヤにとってはラヴ(love)と愛情(affection)は別物であることがわかる。この二つを捧げてくれる男がパーフェクトな恋人となるようだ。
Tout, tout, tombé love
すべてはラヴに落ちる
Il est tombé dans mes bras
彼は私の腕の中に落ちる
Tout, tout, tombé love
すべてはラヴに落ちる
Il est tombé dans mes bras
彼は私の腕の中に落ちる
Ah, automatique (automatique)
ああ、自動的なことよ
Je lui fais de l'effet automatique (automatique)
私は彼を自動効果をかけてやる
Ah, téma ma shape
ああ、私のボディーラインをこっそり見て
Il fait que de me regarder, fait que me cheb
彼は私を見つめ、誘惑するばかり
Tout est clean-clean, il aime bien le bling-bling
みんなクリーンクリーン、彼は派手派手が好き
Il aime bien les folles comme moi
彼は私みたいな狂った女が好き
Dans sa te-tê, j'ai fait dring-dring, j'crois, je suis dans un délire
彼の頭の中で私は鐘をガンガン鳴らす、もう狂気の中ね
Je veux qu'il s'habille comme moi
私みたいに彼が着飾って欲しい
Tout en douceur mais ça sort comme ça sort
ゆっくりだけど始まるものは始まっていくわ
Émotions commencent à toucher mon cœur, yeah
エモーションが私の心に触れ始めるわ、イエー
No stress, no stress
ノー・ストレス、ノー・ストレス
En détente quand tu m'appelles
私を呼ぶならリラックスして
Bébé, no stress, no stress
べべ、ノー・ストレス、ノー・ストレス
Même dans mes rêves ta voix m'apaise
夢の中でもあなたの声は私をリラックスさせる
Affection (affection)
愛する心
J'veux que du love et de l'affection (et de l'affection)
私はラヴと愛情が欲しいのよ
Donne-moi tout, donne-moi affection (donne-moi affection)
私にすべてをちょうだい、私に愛情をちょうだい
Je veux que tu m'aimes à la perfection (à la perfection)
私はあなたにパーフェクトに愛されたいの


 この歌でも 7行目に "téma ma shape"という一見わけのわからないアイヤ語に出会う。これは mater(覗き見する) ma shape(英語シェイプ、かっこう、体型)なのだろうが、私の訳は合ってるだろうか。それはそれとして、ラヴとアフェクシオン(affection 愛情、愛する心)という二つのものを欲しがっている歌である。ということはラヴは肉体のことなのだろうか。若い人たちには違いがわかるのだろうね。爺さんは愛情だけでとても満たされるけど。

 そしてこういう別れの哀歌(ブルース)もある。
J'ai pas loupé, loupé l'appel, pas du tout (Pas du tout)
あなたのコールをミスったんじゃない、全然そうじゃない
Toi, tu me causes des soucis
あなたは私に厄介ごとを起こすのよ
J'pars en week-end aux Seychelles pour l'mois d'août
私は8月の週末にセイシェル島へ行く
Mes douleurs sont sensibles
私は苦痛に敏感なの
J'ai besoin d'sunshine loin de tout
私は遠く離れてサンシャシンに浸りたいの
Tu fais l'intéressant, moi j'perds le goût
あなたは気を引こうとするけど、私は興味を失ってるの
Et si j'pense à moi, j'arrête tout (Tout, tout, tout)
自分のことを考えるなら、私はすべてをやめるわ
Le seul chemin possible
それが唯一可能な出口

Blues (J'ai le blues), j'ai le blues (J'ai le blues)
塞ぎの虫、私はブルースに見舞われている
J'suis pas forte quand il s'agit de casser
別れることに関しては、私は得意じゃないわ
D'autres, y'en a d'autres
他のことがあるのよ、他のことが
J'espère bien qu'le message il est passé
私の言いたいことが伝わるといいな
Comportement j'suis à bout (J'suis à bout)
私はもう身動きもやっとなの(私は限界))
J'le vois flou (J'le vois)
見えるものはぼんやり
Je laisse mes doutes (Dou-dou-doutes)
疑いは全部
Foutre le camp (Foutre le camp)
消えてなくなって欲しい
Attention (Attention), y'en a d'autres (Y'en a d'autres)
でも聞いて、まだ他にもあるのよ
J'espère qu'le message il est passé, oh
私の言いたいことが伝わるといいな、おお

 歌える人なのである。これはソウルシンガーの力量であって、聞かせどころをちゃんと伝えられるパワーである。
 この力量と人気が2026年5月29-30-31日のスタンド・ド・フランス(キャパ8万)3日間を発売するやいなや瞬時にしてソールドアウトにしたのである。これは、やはり、2024年が彼女を変えてしまったからなのだと思うのである。ゴッド・セイヴ・アイヤ!

<<< トラックリスト >>>
1. Anésthésie
2, Il veut
3. Désarmer
4. Alien
5. No Stress
6. Summum
7. Dis-moi (feat. Shenseea)
8. Bueno
9. Carnet d'adresses
10. BLues
11. Obsession
12. Pamela (feat. Kany)
13. Débrancher
14. Tralala (feat. Jayo)
15. Kata
16. Baddies (feat. Joé Dwêt Filé)
17. Kouma

Aya Nakamura "Destinée"
LP/CD/Digital Nakamura Industries/Warner
フランスでのリリース:11月21日

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)このクリップ大好き。「武装解除 Désarmer」

2025年12月19日金曜日

心が折れるさん:2025年のアルバム

Orelsan "La Fuite En Avant"
オレルサン『現実逃避』

43歳になったオレルサン、5枚めのアルバムであり、リリースと同時期にフランス公開された映画『Yoroï 鎧』(監督ダヴィッド・トマシェウスキー、主演オレルサン、クララ・ショイ)にインスパイアされて作られた曲で構成されている。10月末に劇場公開された『Yoroï』は12月現在で28万人の入場者数を記録する(まあまあの)ヒット映画となっている(私は観ていない、多分ストリーミングになったら観る)。あらすじは、フランスの大物ポップスター、オーレリアン(演オレルサン)がツアーで消耗し切って(燃え尽き症候群)、妊娠した妻ナナコ(演クララ・ショイ)と共だって日本に生活の拠点を移すのだが、住処に決めた過疎地の田舎屋敷の中にあった井戸に落ち、引き上げられると体が鎧(よろい)片に覆われていて剥がそうにも剥がせない、そして次々に登場する(水木しげる流)妖怪たちと格闘する羽目に。というこちら側から見ればエキゾティックな特撮ホラー・アクション映画のようなもの。ガキの時分から激愛していた漫画・アニメ・ゲームを通じて日本オタク上級者になったオレルサンの趣味全開のおめでたい娯楽映画であろう。(↓)映画『Yoroï』予告編


 アルバムは同じような流れだが、大きなテーマは4つある。ポップスターのバーンアウト、逃走/逃避、初めての子/父親になることへの恐怖、(妖怪との闘いの末の)人格分裂/オレルサマ("Sama")の出現。アルバムタイトルが示すように、最重要のテーマは逃避であり、どこまで逃げてもどこまでも追ってくるものとのエンドレスな闘いである。追ってくるもの、これを西洋人はデーモンと呼び、日本人は妖怪と呼ぶ、なんていうわかりやすい図式。
 冒頭の「契約 Le Pacte」から、燃え尽き症候群で現実から逃避しようとする仏ラップのトップスター(おのれ自身)を厳しく追求する”世間さま”の罵りのような激しい駆け足ライムがたたみかける。
Tu l'as voulu, tu l'as eu, maintenant assume
(おまえ自身が望んでそれを勝ち得たのだ、責任を全うしろ)
繰り返し連呼される自己責任論の嵐である。スターの座、リミットなく寄ってくるファンたち、全言全身インフルエンサーとなってあらゆる誤解が一人歩きする、責任を全うしろ。
 そこから抜けると空虚が襲ってくる。2曲め「もはや何もない Plus rien 」は、フィーチャリングで幾田りら(Yoasobi)が参加しているのだが、この共演はたぶん幾田にも重要なことだったのかな、オレルサンのライムと幾田ヴォーカル部分詞を全日本語訳して、YouTube動画(Lylics video)化している(↓)



 (↑)日本語読んでどう思われたかな? ポップスターが極めた頂上で襲われる虚無感、すべてに何も感じなくなってしまう空虚ゾーンに入ってしまった絶望的独白と、幾田の歌う日本語詞ってマッチしてるのかな?こういうのってマッチしなくても別にいいのかな?「いっそ書き換えて/咲ける日まで」 ー こういう日本語は私のような日本非在住の日本人には、ほんと、わからないのですよ。
 3曲め「よその地 Ailleurs」はいよいよ逃亡の始まりで、テーマは「さがさないでください」。
Si vous me cherchez, j'suis ailleurs
俺を探してるんだったら、俺はよその地にいて
J'suis loin, loin, loin, loin, loin de vous
あんたたちから遠い遠い遠い遠いところだから
Oublie-moi
俺のことは忘れてくれ
この「よその地」とはとりもなおさず日本のことなんだが。
(↑)日本オタクのフランス若衆に夢見られた”日本”全開のクリップ。とても良くわかるし、多くの(フランスの)若衆にとって日本は間違いなく夢の国なのだが... 爺さんはそのままにしておこうと思うのだよ。
 さて映画の方は妻ナナコの妊娠というのが重要なファクターとなっているのだが、アルバムの方は40歳過ぎで初めて父親になる男の期待と不安(5曲め「二人半 Deux et demi 」)と、さらに出産が近づくにつれて父親になることへの恐怖、父親になる準備ができていない自分の葛藤(9曲め「数ヶ月後 Dans quelques mois 」)と二度にわたってこのテーマを登場させている。
Dans quelques mois tout va changer
あと数ヶ月ですべては変わるんだ
D'ailleurs tout a déjà changé
なにしろもうすべてはすべては変わってしまったんだ

J'regarde son ventre et j'me rappelle qu'c'est un mini miracle
そのおなかを見ると、これは小さな奇跡なんだと改めて思う
Maintenant un plus un font trois, on a fait mentir les maths
今や1+1=3なんだ、数学はうそっぱちだったのさ
À l'échographie, je vois sa tête et je verse une petite larme
腹部エコーでその頭部が見えると涙が出てしまう
C'est le plus beau film que j'ai vu
今まで見たうちで最も美しい映画みたいだ
Et c'est que le début de l'histoire
それは物語の始まりなんだ

それがしばらくすると黒々とした不安に変わってしまう。どうやって子育てをしたらいいのかわからない。まるで自信がない。俺は父親になれない...。
Dans quelques mois, dans quelques mois, dans quelques mois
数ヶ月後に、数ヶ月後に、数ヶ月後に
Il arrive bientôt, j'serai jamais prêt
もうすぐそれはやってくる、俺は到底準備できていない
Dans quelques mois, dans quelques mois
数ヶ月後までに、数ヶ月後までに
J'vois même pas comment j'vais savoir l'élever
俺が子育てのしかたを覚えるなんてできっこない
Dans quelques mois, dans quelques mois
数ヶ月後には、数ヶ月後には
J'fais la liste des erreurs que j'pourrais faire
俺がやってしまうヘマの数々のリストができてるさ
Dans quelques mois, dans quelques mois
数ヶ月後、数ヶ月後...

私は初めての子の誕生を待つプレ父親の葛藤の2曲がこのアルバムの中でことのほか好きである。私も40歳で父親になった遅めの初パパであったが、その「覚悟」には時間がかかった記憶がある。女性は具体的な身体の変化を伴って母親になっていくが、男は観念でしか父親になれない。この心理ドラマの上昇と下降は歌になるようなテーマではなかったはずだ。このあたりのオレルサンの極パーソナルな正直さを”音楽化”するところ、私は評価しますね。

 映画の方は富士山麓の田舎家の井戸に落ちたことを発端に、鎧を纏った男になってしまったオーレリアンが次から次に現れる(水木しげる様式の)妖怪たちに襲われ、果てしない闘いを強いられるのだが、音楽アルバムの方はその妖怪たちとは外在的に出現するものではなく、内在的に噴き出して来る不安や恐怖や強迫観念の化身のように捉えられる。職業(この場合ラップアーチスト)、家族(+来るべき子供)、友だち、ファンを含めた群衆、フランス、ソーシャルネットワーク... それらが自分の心を蝕み、食い尽くされそうになる、と思ってしまうんだね。これは俗に言われる(往々にして40歳頃に起こる)"La Crise Existencielle ラ・クリーズ・エグジスタンシエル=実存的危機”と言い換えていいと思うのですよ。43歳になって心が折れそうになっているオレルサン。
 最も激烈にオレルサンを攻撃する曲が12曲め「小さな声 La petite voix 」である。
Regarde la vérité en vrai, c'que t'es devenu
真実を直視しろ、おまえがなってしまった今の姿を
Vois c'que t'aurais pu être en vrai, tu t'es perdu
おまえが本来なるはずだった姿を思い出せ、おまえは自分を見失ったんだ
Arrête de faire le mec rangé, personne n'est dupe
真っ当な男のふりをするのはやめろ、誰も騙されない
T'es devenu, en vrai, c'que tu détestais au début
真実は、おまえが自分が元々唾棄していたものになっちまったということだ
T'es qu'une merde, mon p'tit Aurélien, en vrai, tu m'as déçu
オーレリアンちゃんよ、おまえはクソ野郎だ、俺はおまえにがっかりした
Comme t'as déçu tes parents quand tu ratais tes études
お前が勉学に失敗しておまえの両親を落胆させたようにな
Mais qu'ils aillent se faire foutre, en vrai, mon p'tit Aurélien
だが親なんていなくなっちまえばいいんだ、オーレリアンちゃんよ
J'suis l'seul qu'il faut qu't'écoutes, en vrai, mon p'tit Aurélien
俺の言うことだけ聞いてりゃいいんだ、オーレリアンちゃん
Regarde où ça t'mène à force de vouloir plaire à tout l'monde
みんなに好かれようとした結果一体どうなったかよく見てみろ
Ils volent ta part d'oxygène, t'as comme une barre dans les poumons
奴らはおまえの酸素を盗んでいるんだ、おまえの肺に鉄棒を押し付けて
Boum-bou-bou-boum-boum, c'est ton cœur qui s'emballe
ブン・ブーブー・ブン・ブン、おまえの心臓がバーストする音だ
Boum-bou-bou-boum-boum, encore une crise d'angoisse
ブン・ブーブー・ブン・ブン、ほらまた苦悶のパニックだ
T'oses pas affronter tes p'tits problèmes, donc tu t'caches
おまえは些細な問題だと逃げてきたんだ、おまえは身を隠す
Et tu t'couches comme pendant les polémiques parce que t'es lâche
おまえは臆病だから論争の間身を屈めて逃げ隠れる
J'ai toujours su qu't'étais lâche, mais regarde c'que tu gâches
俺はずっとおまえが臆病だと知ってた、おまえが台無しにしたものを見てみろ
T'as toutes les choses dont tu rêvais à la moitié d'ton âge mais
おまえは若い頃に夢見ていたものすべてを手に入れた、だが
Boum-bou-bou-boum-boum, petite biatch
ブン・ブーブー・ブン・ブン、牝犬野郎め


 自分を責め、自分を否定する自分は、人格分裂し、サイテー人間となった「オレルさん」に退場していただき、強靭な悪の化身となった「オレルさま」(13曲め「さま Sama 」)の登場を見る。



 とまあ、こんな形而上学的ストーリーを孕んだアルバムとして仕上がっているのですよ。妖怪戦争の混沌という極端な自我葛藤で、ジキルとハイドのように分裂した「さん」と「さま」を再び統合させるという大団円に向かうのである。それは妖怪の弱点をポジティヴな何かに変容させる ー Turn the scary part of the Yôkaï into something positive ー ということなのだよ。よくわからんとは思うが。(16曲め「隠された真実 Epiphanie」)
Turn the scary part of the Yōkai into something positive

En regardant mes angoisses droit dans les yeux
俺の苦悶をしっかりと直視する
Sans les lunettes de la peur
恐怖という色眼鏡を通さずに
Sans m'dire qu'tout l'monde m'en veut
みんなが俺を恨んでいると自分に言うことなく
J'ai compris qu'l'habitude rend banals les trucs précieux
習慣が大切なものをつまらないものにしてしまうと俺はわかった
Qu'certaines choses ne changent pas
ある種のものは変わらない
Mais qu'au final, c'est peut-être mieux
だが最終的にはその方がいいのかもしれない
Si j'peux pas changer les choses
俺はものごとを変えられないかもしれないけれど
J'peux changer comment j'les vois
俺がどうやってそのものごとを見るのかは変えられる
Qu'si j'peux pas changer les autres
俺は他の人たちを変えられないけれど
J'peux changer leur influence sur moi
他の人たちの俺に及ぼす影響は変えられる

 なんとも禅問答的であり、蘊蓄マンガ的でもあり、リセの「哲学」の授業で面白く説得力のある先生の話をうなづいて聞いたような印象もあり、果てしない苦悩の果てに見出したモアベターな自分自身という幻想のありがたさもある。ラップは今や浅くない。
 主にストーリーの部分だけで、難しくなってしまうキライがないことはないが、音楽的には多彩なフィーチャリングの人たち:幾田りら、ヤメ(Yamê)、K-popのフィフティーフィフティー(素晴らしい)、SDM(まこと素晴らしい)ー に随分と助けられてレンジの広い音像を展開している。その最良の例がアルバム終曲17曲め(映画ではエンドロールで流れてくる)「鎧 Yoroï」で、トマ・バンガルテール(ex ダフト・パンク)との共同制作である。



悟りを開いたオーレリアンの未来への快進撃をダフト・パンクに景気づけてもらったようなつくりであるが、曲の最後にマニフェスト的に繰り返される言葉は
Le monde, c'est c'que t'en fais
世界、それはおまえが作るものだ
というもの。陳腐に聞こえるかな? 爺さんはその通りだと思うよ。

<<< トラックリスト >>>
1. Le Pacte
2. Plus rien (feat. 幾田りら)
3. Ailleurs
4. Boss
5. Deux et demi
6. Osaka
7. Encore une fois (feat, Yamê)
8. Internet
9. Dans quelques mois
10. Ou la la la la (feat. Fifty Fifty)
11. Tellement d'amis
12. La Petite Voix
13. Sama
14. Soleil Levant (feat. SDM)
15. Les Monstres
16. Epiphanie
17. Yoroï (feat. Thomas Bangalter)

ORELSAN "LA FUITE EN AVANT"
LP/CD/Digital Sony Music
フランスでのリリース:2025年11月7日


カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)「日いづる国 Soleil Levant」(feat. SDM)

2025年12月7日日曜日

夏の終わりは唐突にやってくる

"Mektoub My Love - Canto Due"
『メクトゥーブ・マイ・ラヴ - 第二の歌』

2025年フランス映画
監督:アブデラティフ・ケシッシュ
主演:シャイン・ブーメディン、サリム・ケシウーシュ、オフェリー・ボー、ジェシカ・ペニングトン
フランス公開:2025年12月3日


2018年公開の『メクトゥーブ・マイ・ラヴ - 第一の歌』に爺ブログは★★★★★評価で大絶賛したのであった。その後アブデラティフ・ケシッシュにはいろいろあった。『第一の歌』を含めた『メクトゥーブ・マイ・ラヴ』連作の撮影は2016年から2017年にかけて行われていて、その撮影素材(ラッシュ)は1000時間以上あったと言われる。ケシッシュはその『第一の歌』の高評価&興行成功に応えて、さっそく『第二の歌』の編集にかかるのだが、監督のヒラメキで『第二の歌』の前に、拾遺断片寄せ集めで『間奏曲(インテルメッツォ)』編というのを作ってしまい、それが2019年カンヌ映画祭に招待され、晴れて『メクトゥーブ・マイ・ラヴ - インテルメッツォ』でカンヌで初上映される。4時間に及ぶ長尺のこの『インテルメッツォ』はメディア/批評家/一般観衆のすべてから大不評を買い、その画面を覆って展開する裸体表現/性表現(模擬演技でないものを含む)で途中退場者が続出する大スキャンダルとなった。主演女優の一人オフェリー・ボーが無承諾の性映像であるとケシッシュを訴える事件も起こった。また挿入曲として使用したアバの「ヴーレ・ヴー」の”テクノリミックス”の使用権料(100万ユーロと言われる)も払えない。『インテルメッツォ』はそんなこんなでこのカンヌでの1回の上映だけで、誰もが手を引き、一般公開されずに姿を消し、アブデラティフ・ケシッシュの制作会社は倒産し、ケシッシュ自身が病気に倒れ、時代はコロナ禍期に突入し、『メクトゥーブ・マイ・ラヴ』は座礁してしまう... 。
 ところが2025年7月、スイスのロカルノ映画祭で、ほとんどの人々が忘れかけていたケシッシュ『メクトゥーブ・マイ・ラヴ - 第二の歌』がプレミア上映される。ケシッシュ自身は映画祭に出席していないが、主演俳優陣が登壇し、訴訟沙汰まで起こした女優オフェリー・ボーもケシッシュとの和解を示すように『第二の歌』プロモーションの重要メンバーとして振る舞っていた。評判は上々。『第一の歌』を絶賛した人々の期待は裏切られなかった、と...。


 12月3日、フランス一般劇場公開最初の日にわが町の商業映画館パテ・ブーローニュへ。7年ぶりかぁ。映画の場所と時期は『第一の歌』と同じ、1994年夏(の終わり)のセート。7年前に見たあの顔ぶれがみんな(もちろん同じ役で)出てきて、観る方は安心してしまう。オフェリーもシャルロットもセリーヌもカメリアもダニーもみんないて、『第一の歌』のまばゆい娘たちはみんな気心の知れた”コピーヌ”たちになっている。きれいな顔立ちをしたナイーヴな若者アミン(演シャイン・ブーメディン)は、パリで映画科学校を卒業して脚本家としてデビューしかけている、というのが『第一の歌』とはちょっと違う。夏、セートに帰省して、母(演デリンダ・ケシッシュ、この『第二の歌』でも素晴らしい)のところで寝泊まりしているのだが、その母が働いているクスクス・レストランに、閉店後だというのに、派手な赤いフェラーリで横柄なアメリカ人カップルが押しかけてきて、クスクスを出してくれと。ほほおぉ... 『第二の歌』はどうやら波乱万丈のドラマがありそうな展開。このアメリカ人カップル、いわゆる「ピープル」であり、女の方は名の通った女優(映画ではなくTV連ドラ系)のジェシカ・パターソン(演ジェシカ・ペニングトン)であり、男の方はその夫で映画プロデューサーのジャック(演アンドレ・ジャコブス)であった。こういうピープルに弱い土地柄なのかな?あるいはこの並外れて旺盛な食欲の持ち主でその上大酒飲みのスター女優に魅了されたか、われらがクスクスレストラン一派はこのカップルと打ち解ける。
 『第一の歌』と同じように映画の狂言回しの役として最も目立った存在となっているのが、アミンのいとこ(にして親友)のトニー(サリム・ケシウーシュ、本当にすばらしい)である。話術に長け、お調子者で、しかも天性の女たらしであるトニーは『第一の歌』でも複数の娘たちをその誘惑ゲームの輪に引き込むのであるが、その相手のひとりがオフェリーだった。『第二の歌』ではオフェリー(演オフェリー・ボー)がトニーの子を妊娠していて、(トニーがオフェリーと結婚する気も父親になる気も全くないので)時期を見て中絶するしかないのだが、”不義の子中絶”という家名を汚す大スキャンダルを許すはずのない頑迷固陋なオフェリーの父親を恐れて、アミンとの偽装結婚という懐柔策を企てている。セートで結婚式を上げて、二人は(アミンの仕事の拠点である)パリでしばらく暮らすというストーリーが出来上がっていて、周囲もその気になっているようなのだが、この映画ではほぼ現実性のないハナシのように軽んじられる。オフェリーはこの映画で目立っていない。『第一の歌』であの眩い豊満な肉体を誇らしげに晒し、酪農家として羊たちと苦楽を共にして生きる大地の女だったオフェリーだったが、『第一の歌』で印象的だったオフェリーが一人で子羊を出産させるシーンとは対照的に、『第二の歌』では子羊が次々に伝染病で死んでいき、その死体をトロッコに乗せて捨てに行くオフェリーの姿がとても象徴的だ。 
 それに引き換えお調子者のトニーは元気いっぱいで、米人女優&プロデューサー夫婦が逗留している丘の上の超豪奢なプール付きヴィラに、毎日(自分の経営する)クスクスレストランからクスクスその他料理を出前で運んでいく。いとこのアミンが映画の仕事をしていて、シナリオも書いているんだが、一度ハリウッドのプロデューサーの目で読んでみてくれないか ー という経緯でジャック・パターソンはアミンの草稿シナリオに目を通す。
 どんな筋かと言うと、近未来もので女性仕様アンドロイド(人間そっくりに造られたヒューマノイドロボットという意味)が、人間感情を深く学習した末に、恋愛ができるようになり、最後には涙を流すレベルに至るというもの。AI時代前の1994年時点の想像力と思って大目に見ていただきたい。この異種ラヴストーリーをジャックはえらく気に入って、色々手直しすればハリウッドで作れないことはない、とまで言う。あれを変えてこれを変えてという注文には、戯画的に”映画”を作るのではなく”ブロックバスター”を作るという意図が見え見えで、ケシッシュの皮肉が込められているのだろう。それはそれ。しかしすっかり乗り気になっているジャックは、この主演女優は妻ジェシカを置いて他にない、というヴィジョンまで展開する。
 こういう会話が豪奢なヴィラのプールサイドでクスクス(+アルコール)のテーブルを囲みながら、ジェシカ、ジャック、トニー、アミンの間でされるのである。シャイでナイーヴな微笑みを絶やさないアミンの下手くそな英語はジャックに通じるものの、プロデューサーの”押し”に負けっぱなしである。だが悪い話ではない+ハリウッドという遥か彼方の世界に接触できたかのようなホンワカ感はまんざらではない。お調子者トニーは、それに乗じて自らのハリウッド進出(ハリウッドでのクスクスレストラン開店)の野望まで出るほど舞い上がっている。そしてその天性の女たらしはスター女優ジェシカを誘惑することも忘れていない。ハリウッド映画狂を自認するトニーはこの二人のハリウッド人の前でロバート・デニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシの声帯形態模写をやってのけ、特にジョー・ペシがジェシカにバカウケで、ジェシカとトニーが二人で『レイジング・ブル』(1980年マーティン・スコセッシ監督)の名場面(ロバート・デニーロ = ジェシカ、ジョー・ペシ=トニー)を再現してしまうというシーンあり(おそらくこの映画のハイライトシーンのひとつ)。とにかくトニーはうまい。こうしてハリウッド人カップルとセートのマグレブ系青年二人は密接な関係を築いていくのだが....。
 夏の太陽に映える娘たちの肉体が大いに”ものを言った”『第一の歌』と対照的に、『第二の歌』は娘たちの視線が雄弁に多くを語っている。それは『第一の歌』の”欲望”、”誘惑”といったものを肉体が表現していたのとは違って、視線は距離があり”探り”があり”ためらい”もある。シャルロット、セリーヌ、ダニーらのアミンに向ける視線は複雑そうだがなんとなくわかってしまう。そして『第一の歌』の肉体の女王だったオフェリーも、視線は”引いて”いるのだ。バーやディスコで踊る娘たちは、『第一の歌』の狂熱さが薄らいでしまっている。夏の終わりは近い。そして彼女たちの重要なイヴェントとなるはずだったオフェリーとアミンの”結婚”も、どこか空々しいもののように、準備にも熱がこもっていない。
 一方ハリウッド人カップルのヴィラでは、ジェシカとアミンの間に深刻な会話がある。それはジャックの熱意とは裏腹にジェシカにはアミンのシナリオに全く乗り気がしないこと。ナイーヴで青臭く、”映画”に幻想を抱いているアミンを見て、「きみは世界を救いたいみたいね」とまで手厳しいことを言うジェシカ。映画で何をしたいの?映画監督になりたいの?あれは最低の職業よ、自分を限りなく失ってしまうわよ...。ハリウッドのスター女優のキャリアがそう言わせているのかも知れない。そしてジェシカはアミン一人への秘密の告白として、ジャックとの破局が間近であると告げる。ジェシカのアンニュイは爆発寸前なのである。これは暗にアミンへのSOSなのか、誘惑なのか....。
 『第一の歌』で映し出されたアミンの純朴そうな人物像は変わらない。美しく、ナイーヴで、もの静かでミステリアスな観察者、という態。抗弁せずに微笑みを浮かべながら見ている男。これを未来の”映画人”にするのはその観察眼ゆえか。たぶん心は細やかに動揺しているはずだが、出さない(出せない)若者。『第二の歌』でいつの間にかオフェリーのことなんかどうでも良くなっているのだよ。

 そしてカタストロフはやってくる。 結婚準備中のアミンに、ジャック不在のヴィラにいてしたたかに酔いしれているトニーとジェシカから呼び出し電話が来る。見せたいものがあるから来い。クルマでヴィラまで行ってみると、ジェシカとトニーがサロンで情事の真っ最中なのである。『第一の歌』の冒頭でオフェリーとトニーの情事シーンに出くわす状況と同じように、アミンはその現場に立ち入らずヴィラのプールを囲む垣根の外から観察している。そこへ、赤いフェラーリに乗ったジャックが帰ってくる。全裸の男女、ジャックによるピストル発砲、アミンが割って入る、プール転落、銃弾はジャック自身に撃ち込まれる、流血、アミンの車で重傷のジャックを病院に運び込む、たちまちハリウッド女優のスキャンダル事件、(被疑者トニーがアラブ人と見るやたちまちレイシストと化す)警察取り調べ、アミンの逃走...。

 地中海の太陽の下の肉体と情愛の夏へのオードだった映画の『第二の歌』はこうして唐突な夏の終わりとして幕を下ろす。夜の街を走って逃げていくアミンは何を失ったのだろうか。ナイーヴさと夏をいっぺんに失ったのだろうか。2時間14分映画。特に終盤で膝がガクガクしてきた。なんと気まぐれな運命、これをアラブの賢人は「メクトゥーブ」と呼んだのであろうか。問いが残る。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『メクトゥーブ・マイ・ラヴ - 第二の歌』予告編

2025年11月17日月曜日

かくも長き影: 2025年のアルバム

Andrea Laszlo De Simone "Una Lunghissima Ombra"
アンドレア・ラスロ・デ・シモーネ『かくも長き影』


をつくるものは光である。なにやら禅問答みたいな物言いであるが、光源がなければ影はできない。そもさん。
 デ・シモーネ本人曰く「かくも長き影」とは外部から侵入増幅していく思念のメタファーである。それは具体的にはインターネットやらSNSやら、われわれの明晰さ・晴朗さ・沈着冷静を脅かしてやまない圧倒的な影響の数々のことなのだろうが、その影が色濃いと思うのは光が向こう側にある証しなのである。
 イタリアはトリノ出身の39歳、カンタウトーレ/マルチインストルメンタリスト、アンドレア・ラスロ・デ・シモーネの3枚目のアルバムである。フルアルバムとしてはファースト『エッチェ・オーモ(Ecce Homo)』(2012年)、セカンド『ウオモ・ドンナ (Uomo Donna)』(2017年)に続くものだが、2019年の4曲EP『インメンシタ(Immensità)』も重要な作品(レ・ザンロック誌激賞)として注目された。あとフランスでは2023年のトマ・カイエ監督の大ヒット映画『動物界(La Règne Animal)』のサントラも。時間のかけ方に頓着しない独立独歩のインディーの人だが、このアルバムは前EP『インメンシタ』から5年後の録音。とは言っても自宅だろうが、旅先だろうが、閃けば作曲/録音する極端な多産家で、この5年間にできた/録音した曲は732(ななひゃくさんじゅうに)曲。しかし発表するには極私的なものがほとんどだったとデ・シモーネは言う。厳選の上残った17曲(トータル70分強)がこのアルバム『かくも長き影』となった。
 鬼才の風格、フランク・ザッパ顔、70年代カンタウトーレ(フランコ・バッチャート、ルーチョ・バッティスティ、アンジェロ・ブランドゥアルディ...)風な佇まい、硬派で難解であってもおかしくないのだが、それはない。因みにセカンドアルバムからこのアーチストとレーベル契約してフランスに紹介してフランスでのアーチスト活動を牽引しているのが、ラファエル・アンビュルジェ(Raphaël Humburger、 1981年生れ、父はミッシェル・ベルジェ、母はフランス・ギャル)のレーベル Humburger Recordsである。その亡き父ミッシェル・ベルジェには1971年『パズル(Puzzle)』と題されたピアノ・コンチェルト(20分)を含むプログレアルバムがあるんだが、その頃は非常に”硬派”だったということを蛇足で付け加えておく。
 アンドレア・ラスロ・デ・シモーネを初めて聴いた。歌詞も聞かず(聞いてもイタリア語だから馬耳東風であるが)70分通して続けて2回聴いた。メランコリックで美しいハーモニーを構成する楽器(豪奢な弦もヴィンテージ・シンセサイザーも)の数も声の数も豊富で、街音、自然音、機械音、子供の声、通りのブラスバンド、スタジアムの歓声、聖堂内の残響音.... これらをこの青年は集めたり、貼り付けたり、編曲したり、歌わせたり、鳴らせたりが自在にできる人なのだ。これまで聞いたことがない”ウォール・オブ・サウンド”だと思った。そしてデ・シモーネのヴォーカルは、几帳面に楽譜に書かれた通りの旋律と歌詞を穏やかで明瞭でフラットな歌唱で聞かせるのだが、そのエフェクトは20世紀の電話受話器から聞こえてくる声のような、あるいは20世紀のトランジスタAMラジオから聞こえてくる声のようなフィルターがかけられたような...。このヴォーカルのおかげで、全体のサウンドはなんとも言えないノスタルジーに包まれてしまうのである。まず私はこの未体験のメランコリック/ノスタルジック・ウォール・オブ・サウンドに震えてしまったのですよ。
 そしてその歌詞の世界を解くために、テレラマ誌2025年10月8日号(↑表紙写真)の(インタヴューを含む)3ページ記事を熟読した。そこには”外部”との関わりにややナーヴァスに注意して暮らすデリケートな”万年少年”の39歳の音楽家像があった。一家(伴侶+2人の子供=13歳と6歳)でトリノのヴァンシリエッタ(Vanchigliette)地区の一戸建ての旧店舗を改造(中)した家に越してきたばかりで、地下室は録音スタジオとして使っている。デ・シモーネにとって最も大切なものはこの4人家族であり、ここで一緒に暮らすことがすべての中心だと言う。私の音楽は(さまざまな媒体を通して)世界中に行くことができるが、私はこの家にいる、と断言する。この地下室で生まれた曲も多い。地下室には21時半に降りて行って、朝6時半に階上に戻るのが日課だそうだ。「私のヴォーカルがささやき声なのは、子供たちを起こしたくないからなんだ」と。そのクリエーションは発表する作品もあるが、ほとんどの場合が極私的な営為である。「私は聴衆たちが大好きだし、彼らがもたらしてくれるものには感謝しかない。でも彼らと私の関係は真のものではない。私は自分のために音楽を創造している。もしも彼らのことを思ってその創造姿勢を失ったら、私はすべてを失ってしまうんだ。」
 有名になったり、町で人に呼び止められたり、セルフィーを求められたり、ということは避けたい。”上の人”になることは絶対に避けたい。地面に足のついた無名の人として、この世の”リアル”と繋がっていたい。記事中に飛び込みでフランス国営テレビがインタヴューを申し込んできたのを断っている(”2分30秒で自分の仕事を説明できるのか” ← えらい!)。だからこの人のプロモーションは難しいだろう。マネージャーもレーベルも大変だろうが、平衡を保ってほしいとデ・シモーネは言う。平衡が崩れたら私はすべてを止めてしまうだろうとも言う。実際にツアーを途中で中止してしまったこともあり、その理由は”家族の都合”だった。
 自分が”リアル”を失ってしまう脅威は、外部からとめどなく押し寄せてくる。そんな個人的な恐怖や、失いたくないものへのしがみつきを歌にしている。イタリア語はほとんどできないので仏語翻訳経由の又訳であるが、訳してみました。

La notte
夜は
Cela i ladri e cela anche un fiore
泥棒だけじゃなくて花も匿っている
Sfuggito al giorno ma non a vento e pioggia
日の光から逃れられても、風と雨は防げない
E tutti quanti ci fa innamorar
そんなすべてのことが僕らを恋に落とすのさ
E io vorrei tornare
僕は還りたい
Al tempo della mia prima voglia
初めて欲望が目覚めた頃に
Quando si godeva ancora
まだ育ち盛りだった頃
Mi abbandonai a vivere il fiore
僕は心に花を育てていた
Avaro della tua primavera
きみの春を大事にしまっていた
E ora sconvolto dal dolore
今は苦しみに打ちひしがれ
Abbandonato nella mia sventura
不幸の中に投げ捨てられた
Se c'è qualcuno che non ha paura
もしも怖さ知らずの人がいたら
Io prego mi soccorra
お願いだから僕を助けに来てほしい
Ma il tempo non si ferma
でも時間は止めることができない
Desiderata vita e trascurato amore
望んでいた生活となおざりにされた恋
Ma finché non si muore avremo sempre un cuore
でも死なないでいる限りは人にはまだ心がある
E che stringa giuste nozze o che non sappia amare
結婚だけに縛られ、愛することを知らないでいるのか
Vorrò sempre tornarе
僕は今でも還りたい
Al tempo della mia prima voglia
初めて欲望が目覚めた頃に
Quando si godeva ancora
まだ育ち盛りだった頃
Mi abbandonai a vivеre il fiore
僕は心に花を育てていた
Avaro della tua primavera
きみの春を大事にしまっていた
E ora sconvolto dal dolore
今は苦しみに打ちひしがれ
Abbandonato nella mia sventura
不幸の中に投げ捨てられた
Se c'è qualcuno che non ha paura
もしも怖さ知らずの人がいたら
Io prego mi soccorra
お願いだから僕を助けに来てほしい
La notte, la notte
夜よ、夜よ
La notte, la notte
ラ・ノッテ、ラ・ノッテ

 私たちの時代(言わば1970年代)のフォークシンガーたちが歌っていたような内容だと思った。ナイーヴだけど”個人的”本音なのだ。「僕は今でも還りたい/初めて欲望が目覚めた頃に」。ライトでポップなロックンロール(しかしソフィスティケートされた編曲だこと)に乗せて。私にはこういうのは必殺なんですよ。
(Dieci, nove (vai), otto, sette, sei, cinque, quattro, tre, due, uno)
10、9(行け!)、8、7、6、5、4、3、2、1
Ho perso il cuore ed un amico vero
私は私の心とひとりの真の友を失った
Ho perso tutti e non ho più nessuno
私はみんなを失い、もう私には誰もいない
Ho dato amore, ma non son stato sincero
私は愛を与えたのだが、私は真剣ではなかった
Ed ho mentito senza rimorso alcuno
私は何の後ろめたさもなく嘘をついた
Ho avuto un padre e dico un padre vero
私には父がいた、それは真の父だった
Che mi ha mostrato cosa vuol dire essere uomo
父は私に大人になるということはどういうことかを教えてくれた
Ma ho scelto di voler restare bambino
でも私は子供で居続けることを選んだ
Di non seguir l'esempio di nessuno
誰のことも模範にしないと決めた
Ho perso il cuore ed il mio amore vero
私は私の心と私の真の愛を失った
L'ho perso, еd ora non so più chi sono
私は愛を失い、今私は自分が誰なのかもわからない
Ho dato amore, ma non son stato maturo
私は愛を与えたが、私は成熟していなかった
E senza amore dovrò vivеre
そして愛を失ったまま、私は生きていかなければならない
Le ho regalato tutto ciò che avevo
私は私の持っていたものすべてを捧げたのだが
Ma quel che avevo, poi, non era molto
私の持っていたものなんかたいしたものではなかった
E ho preso tutto, derubando il destino
私はすべてを奪い、運命を盗み取った
Ma il destino non è preda facile
でも運命は簡単な獲物じゃない
Forse ho mentito sempre o forse son troppo sincero
たぶん私はずっと嘘つきだったか、まじめすぎていたかのどちらかだ
Ed ho una fragile mente, o sono solo immaturo
私の心は傷つきやすいものなのか、それとも単に未成熟なだけなのか
O, più probabilmente, non voglio pensare al futuro
最も可能性があるのは、私が未来を考えようとしないということ
Perché sono quasi sicuro che sbaglierò per sempre
なぜなら、私はいつも間違った道を進むということをほぼ確信しているから
Nessuno, nessuno
誰にも、誰にも、
Nessuno, nessuno
誰にも、誰にも、
Ha mai avuto un momento migliore
より良い時など一度もやってこなかった
Nessuno, nessuno
誰にも、誰にも、
Nessuno, nessuno
誰にも、誰にも、
Nessuno, nessuno
誰にも、誰にも、
Ha mai avuto un momento migliore
より良い時など一度もやってこなかった
Nessuno, nessuno mai
誰にも、誰にも、一度も
Mai
一度も
Mai
一度も
Mai
一度も
これも大人になることを拒否して歳くってしまって、すべてを失ってしまったと述懐する歌だけど、個人的な悔やみ/恨み節だけではなく、誰にも”約束されたより良い時”など来なかったし、やって来っこないんだ、という調子の"ビタースイート・シンフォニー"なのがたまらなく好きですね。

 それからテレラマ・インタヴューでもこだわっていた”リアル”との関わりというテーマでは16曲め”Non è reale"(それは真実ではない)で、こんな結語を出してしまう。
Noi
私たち
Cosa sappiamo di noi
私たちが私たち自身について知っていること
Cosa ci illumina
私たちを照らしているもの
Cosa ci spinge
私たちを掻き立てるもの
Cosa ci domina
私たちを支配するもの
Non è reale
それは真実じゃない
Non è reale
Non è reale
Non è reale
Non è reale....




 このナイーヴでデリケートで神経質なアーチストに圧倒された。豊かな音楽性、イタリアのDNAのような和声の幻想、囁き声で素朴に歌われる極私的吐露.... そのままでい続けてほしい。爺さんはずっと聴いていたい。

<<< トラックリスト >>>
1. Il Buio
2. Riccardo tattile
3. Neon
4. La Notte
5. Colpevole
6. Quando
7. Aspetterò
8. Per te
9. Un momento migliore
10. Diffrazione
11. Pienamente
12. Planando sui raggi del sole
13. Spiragli
14. Quello che ero una volta
15. Rifrazione
16. Non è reale
17. Una lunghissima ombra

Andrea Laszlo De Simone "Una Lunghissima Ombra"
Ekler/Hamburger Records E05137/HR016
フランスでのリリース:2025年10月17日


カストール爺の採点:★★★★★

(↓)「かくも長き影 Una Lunghissima Ombra」

2025年11月5日水曜日

Un résident de la République

J'sais pas pas pas pas pas pas pas
j'sais pas pas pas


Alain Bashung "Résidents de la République"
アラン・バシュング「共和国の住人たち」
2008年アルバム『ブルー・ペトロル』所収
詞曲:ガエタン・ルーセル


新申請から8ヶ月待たされたが、2035年5月まで有効の Carte de résident(カルト・ド・レジダン=居住許可証)がやっと手に入った。この10年有効カードの更新はこれが5回め。フランス共和国のレジデントになって40有余年、その間に6人大統領が変わった。その間私のような外国人居住者には比較的寛容な時期もあったし冷ややかな時期もあったが、毎回このような居住許可更新のときはフランス共和国の役所は”おまえを住まわせてやっている”という態度をあからさまにする。ずっと納税者だし、犯罪歴ゼロだし、少額ながらチャリティー寄付はまあまあしてるし、事業者だった頃はフランス音楽の振興に(微力とは言え)いくらかは貢献していたという自負があるのだが、移民担当窓口はそんな個人プロフィールを考慮するわけがない。私は”移民A"であり、必要書類の不備がなければ、居住許可は延長できる ー とは言え...。多くのメディアのアンケート調査によると、2027年フランス大統領選挙では(アメリカやかなりの数の主要国がそうなったように)極右ポピュリスト候補が勝ってしまう可能性がかなり高い。その空気は私たちの日々の生活現場でも感じることができる。
 とは言っても、私は2017年に病気で早期退職した隠居人であるから、生きる”現場”としてのフランス社会とちょっと距離ができてしまった。私の行動範囲は小さく、病院(6カ所、滞在十数回)と市中ラボと薬局とは親密な関係になった。2015年に今の病気を発症してから、私にかかる医療費は全額社会保障保険から払われ、私は一切負担していない。この点で、私はフランスにいくら感謝しても仕切れないほどの恩義を感じている。フランス共和国に生きているというのはこういうことなのだ、とその度量を実感している。

 私は日本国籍を有する日本人なので、在仏日本大使館に滞在届を提出している。このことで大使館は私の動向がちょっと気になるらしい。数年前2度電話がかかってきた。「あなたの滞在届の”滞在予定期間”の欄が空白になっているので確認したい」と言う。「あと何年で帰国しますか?それとも永住ですか?」と言う。いや、わからないので空欄にしておいてください、と答えると、それは困ると言う。在留邦人の所在の正確な情報を把握する義務が大使館にはあるという意味のことを言ったと思う。私はできるだけ丁重に事情を説明しようと努めた。ガン闘病者であり、病状はかくかくであり、なになにの医療機関で長期に治療を受けているので、今はフランス滞在を続けています、と。すると「その治療はいつまでの予定ですか?」とたたみかける。あのですね、この病気はそれがわかる状態じゃないのです、と答えると「では永住ということでよろしいですか?」とまで言う。私は日本で高い治療費を払って治療を受けるお金がないので、フランスで治療してもらってますが、将来においてひょっとして日本の地で人生を終えたいと思ってしまう可能性がないわけじゃないのです、永住などということはあなたが私に代わって決められることではないのではないですか? ー 「それでは困るのです、おおよそでいいですから、滞在予定を教えていただけませんか?」.... この職員さんは仕事熱心だが、人間の言葉を理解していない。「そこは空欄のままにしておいてください」と言って私は電話を切った。数日後に別の大使館職員から同じ内容の電話が来たので、以前の方に全部説明してありますから空欄のままでお願いします、と突っぱねた。
 これには後日談がある。去年と今年、ほぼ同じ内容のメールが大使館から送られてきた。「このメールは、滞在届記載事項に不備のあった方に送られています。リンクから滞在届フォーマットに入り、不備の部分を記入してください。」そしてそれに加えて「不備部分の記入がされない場合は、滞在者の所在の確認ができなかったことと見なし、滞在届を抹消することもあり得ます」とあり。これは人間ではなく機械が書き送ってきたのだろう、という印象。私は無視しましたよ。
 日本国は疲れる。ー 私にとって”日本国”と”日本”は別のものであり、日本語や文化などで私の基底を形づくってくれ、家族友人+袖触れ合った人々の社会として私と繋がっている”日本”と、”国”は違うものである ー こんなに離れているのに、こんなに縁遠くなっているのに、日本国は私をひどく疲れさせることがある。いつか国との関係が非常に難しくなることもあるかもしれないが、それはまたその時に。

 同じように”フランス共和国”と”フランス”は別ものとして考えている。20代後半で移住した私をフランスは迎えてくれたし、救ってもくれた。私がここまで生きてこられたのは多くはフランスのおかげである。私に生活の糧を与えてくれたのはフランスの文化(音楽)であり、土地で生活する人間になって小さな家族も作れた。日本をほとんど知らない娘を育て、知識を獲得させ、成人させてくれたのは私たち両親よりもフランスの教育だったと思う。詳らかに挙げないが、フランスの嫌いなところは山ほどあるけれど、好きなところはその倍はある。日本にいる自分というのはまるでリアリティーがなくなったので比較はできないが、フランスにいて良かったと思うことはしばしばある。ところが、”フランス共和国(ラ・レピュブリック・フランセーズ)”となると話は違うのだよ。共和国は王や首領や宗教ではなく、民が決めごとを作り機能させていくものだが、共和国が何の支障もなく機能することなどありはしない。共和国は病み、疲れ、揺れ動いたりする。われわれレジダン(résidents、居住者、住民)は(”フランス人”のように)不平を垂れがちで、ビストロのカウンターはいつもそんなことで共和国の現状を嘆いたり呆れたり怒ったりで...。

 アラン・バシュング(1947 - 2009)のこの「共和国の住人たち Résidents de la République 」はその死(2009年3月14日)のほぼ1年前の2008年3月24日にリリースされた最後のアルバム『ブルー・ペトロル』(20万枚、プラチナ・ディスク)のA面2曲め、すなわちアルバム代表曲として発表された。2009年2月28日(死の15日前)、ヴィクトワール賞セレモニー(3部門で受賞)のステージで歌われたのが、この歌(YouTubeリンク)で、その後2度と公の場に姿を現さなかったから、これが文字通り白鳥の歌となったのですよ。この時バシュング61歳、肺がん最末期。
 この歌の作詞作曲はガエタン・ルーセル(1972 - )で、90年代の人気バンドルイーズ・アタックのフロントマン(ヴォーカル/作詞作曲)であったが、2009年からソロアーチストとしても活動している。骨のあるビートフォークロック系の人という印象はあるが、政治的なメッセージを歌う/書くことは稀だったと思う。時代背景を少し説明しておくと、2007年5月フランスの選挙民たちはニコラ・サルコジを新共和国大統領として選出している。このショックは後年に「トランプ2016」「トランプ2024」を体験した今となっては、たいしたものではなかったと思われようが、当時は私もずいぶん揺れたものだった。娘がまだローティーンだったから、この子はこのサルコジ治世下の共和国で生きていけるだろうか、と不安になっていた。私の業界はCD売上の落ち込みがいよいよ厳しく、運営していた会社を閉める覚悟もしていた頃だ。仕事の方はフランスのパートナーたちに支えられて(本当に感謝している)何とか続けられたが、今はあらゆる意味でレジスタンスの時期である、と念じてサルコジの諸政策にも耐えていた。
J'sais pas pas pas pas pas pas pas, j'sais pas pas pas...
いつの日か、おまえへの愛が薄らいでいき
おまえをまったく愛せなくなってしまう
いつの日か、私は笑うことが少なくなり
全く笑えなくなってしまう
いつの日か、私は走ることが稀になり
全く走れなくなってしまう
昨日まで私たちはかろうじて見つめ合うことができた
お互いに身を乗り出せばの話だが
今日私たちの視線は宙吊りのままだ
私たち共和国の住人
ここではバラ色に青い影がついている
共和国の住人たち
元素たちのことなど、おまえの好きにしたらいい

いつの日か、おまえに語りかけることも少なくなり
その日にはおまえも私に何も語らなくなるだろう
いつの日か、私は航海することも少なくなり
その日には地球がぽっかり裂けてしまうだろう

昨日まで私たちはかろうじて見つめ合うことができた
お互いに身を乗り出せばの話だが
今日私たちの視線は宙吊りのままだ
私たち共和国の住人
ここではバラ色に青い影がついている
共和国の住人たち
元素たちのことなど、共和国よおまえの好きにしたらいい



(↑)このヴィデオクリップに主演しているのはメルヴィル・プーポーである。
この歌の中で共和国は "Chérie"=最愛の女性である。昨日まで見つめ合うこともできた愛する人である。背伸びして耳に手をかざせばその言葉が聞き取れ、互いに近づけばその姿を認めて微笑み合うこともでき、愛する人のために走ることもできた。共和国は疲れ、姿を変え、バラ色(左派/社会党のシンボル)も青色(保守のシンボル)も曖昧になり、その建国原理(この歌では”元素たち”という言葉を使っている)も好き勝手に変えられてしまう。いつか私は共和国に愛想を尽かしてしまうかもしれないのですよ。共和国は病み、共和国は疲れ、私たちも疲れてしまう時があるのですよ。
 J'sais pas pas pas pas pas pas pas, j'sais pas pas pas... これは聞いての通り、シェパパパパパパパ、シェパパパ... と言っているのです。"Je ne sais pas"(ジュ・ヌ・セ・パ = 私は知らない)のくだけた口語表現、と言うよりはほとんど幼児語であろう。知らねえよ、知るか、知ったこっちゃねえよ... ー そういうニュアンスなのだろうか。それよりも、”私にはまったくわからないのだよ”と年寄りが嘆いているようにも聞こえる。私たちの信じてきた共和国って何だったのか、とも聞こえる。嘆き節なのですよ。

 で、私は(たぶん作者も歌唱者も)たとえこの先、どんなに共和国を放り出して逃げたいような事態になろうとも、この共和国を見つめる多くの目があって、何とかしようとする民の意志は抵抗すると思うのですよ。共和国は何とか持ち堪えるものだと思うのですよ。あのサルコジを監獄に送ったのも共和国の司法ですし。そういう共和国のそういう民(レジダン)の端くれであり続けたいと思うのですよ。

(↓)バシュング「共和国の住人たち Résidents de la République」、2008年オランピアでのライヴ。

2025年10月20日月曜日

Don't look back in anger

Paul Gasnier "La Collision"
ポール・ガスニエ『衝突』


リア・アセーヌ(『苦々しい太陽』、『パノラマ』)、アンブル・シャリュモー(『生きとし生けるもの』)に続いて、テレビTMCのトーク番組「コティディアン(Quotidien)」のジャーナリストの中から3人目の作家がデビューした。ポール・ガスニエは1990年生れ、2019年から「コティディアン」のジャーナリスト/コメンテーターとして時事/社会/国際問題を担当する切れ者記者である。
 ガスニエの初の文学作品『衝突』は2025年8月21日にガリマール社から刊行され、9月8日に発表された2025年度ゴンクール賞の第一次選考の15作品の一つに選ばれていて、9月中は書店ベストセラーの上位にあって注目されていた。ロマン(小説)ではなくレシ(出来事記録)であり、自身の母の母の死(”事故死”とも”他殺死”とも呼ぶのに躊躇う)に関するその後の自身の調査によって知られていくさまざまなことの記録である。
 著者の立場はポール・ガスニエ自身であり、テレビにも露出する時事リポーター/ジャーナリストであるが、母の事件があった時(2012年6月6日)著者は21歳で、インドのボンベイ(ムンバイ)でフランス大使館管轄の仕事をしていた。事件現場からは遠いところにいたのだ。
 場所はリヨン市1区、リヨン市役所のあるクロワ・ルース地区、高台クロワ・ルースの丘から市庁舎広場の方に降りてくる細い坂道ロマラン通り、作者の母は自身が半年前に開設したばかりのヨガ練習場に向かって自転車を漕いでいた。そこへ背後から時速80キロで”ウィリー走行”(前輪を地面から浮かせ後輪のみで走行する曲乗りテクニック)で突進してきたモトクロス・バイク KTM654cc(→写真)に追突される。母は病院に収容されるが1週間の昏睡状態の末に命を落とす。
 これはフランスでは2010年代から社会現象化した"Rodéo Urbain(ロデオ・ユルバン)”と呼ばれる、オートバイ、四輪バギー、四輪車などが公道上で極端な曲乗りテクニックを競う非合法スペクタクルと関連している。乗っていた18歳の少年はこの6月の午後の時間に狭い坂道の公道で、ひとりロデオ・ユルバンを気取り、悦に入っていたのだが、前方を走る自転車を避け切れない。この火の玉バイクKTM654ccは、バイク愛好者専門サイトでは「テストステロン(男性ホルモン)とならず者の血から構想された」と評されていて、そのデザインは「凶暴」と形容されている。2022年のゴンクール賞作品ブリジット・ジローの『生き急ぐ Vivre vite』では、作者の伴侶クロードがホンダCBR900ファイアブレードという怪物オートバイにまたがり予期できなかったウィリー走行に吹っ飛ばされて即死する。ある種のオートバイは魔物であり怪物であり重破壊兵器である。これは四輪車も同じか。
 件の少年はこの怪物を操るための免許を持っていない。大麻検査に陽性反応が出ている。名前をサイードと言い、モロッコ系移民二世である。一度ならず前科があり、警察からはすでにマークされている。
 さらにこの事故/事件には付帯状況があり、負傷したサイードに代わってその時現場にいたサイードのダチ2人が証拠を隠すためにKTM654ccに乗り逃走している。警察の取り調べにサイードは(無免許罪を免れるために)自分が乗っていたのは軽スクーターだったと虚偽の証言をしていたが、すぐに事故を起こしたKTM654ccが見つかってしまう。防犯カメラ映像の証拠もあるのに、事故状況についていろいろ虚偽証言を繰り返すがすべてバレてしまう。絵に描いたようなステロタイプな”郊外”不良である。そして事件から裁判(1年半後の2013年暮)までの予防拘禁期間にも、仮保釈条件のリヨン1区に足を踏み入れないという禁を破って、10数回1区にいる姿を防犯カメラが捉えている(それには理由があるのだが、あとで述べる)。
 無免許、スピード違反、曲乗り、麻薬効果.... といった条件で引き起こされた事故であっても、殺意はなく、”過失致死”の範疇に入れられる。サイードへの判決は禁固4年が言い渡され、予防拘禁期間などを差し引くと、サイードはこの判決の夜から監獄で暮らし、1年3ヶ月で出所することになる。この刑が軽いのか重いのか。被害者(作者の家族)側の弁護士はこの判決に満足しているので、そんなものなのだろう。
 だが、当時の作者はこの途方もない事故/事件に、冷静に向き合うことなどできるわけがなく、悲しみ、怒り、憎しみ、不可解といった感情が混然と襲ってきて、この”喪”はいつまでも明けられないでいた。
 母の死から10年の月日が経つ。その間に作者はジャーナリストになっていた。2022年春のフランス大統領選挙に向けて、作者は某候補者(作中では名指されていないが、当時急伸長して極右RN党のマリーヌ・ル・ペン候補を脅かしていた新極右党”再征服”のエリック・ゼムール)の選挙キャンペーンを追跡していて、某大規模集会(作中では特定されていないが2021年12月5日パリ北郊外ヴィルパント国際見本市会場で催されたゼムール候補の決起集会=15000人参加)に取材に行き、そこで展開される極限まで白熱した集団ヒステリーに驚愕するのである。極右RN党に輪をかけた過激な移民排斥論で支持を拡大した同候補は、日々の三面記事ネタで世を騒がせる移民絡みの犯罪&事件をあれもこれもと例に出し、市民生活を脅かし伝統文化を破壊し治安を崩壊させる悪のすべてが移民問題に起因しているがゆえに、早急な移民ゼロ政策の断行を訴え、大喝采を浴びている。移民によって家族を殺され、傷つけられ、公園や職場や教室を占領され、ビジネスを失い、テロに怯え.... そういう被害者たちが涙を流しながらゼムールの演説に救世主を見出して極端に興奮しているのだ。作者は、そこで自分はその被害者のひとりだと気がつく。移民の不良少年の凶悪バイクによって母を殺されたのは私だ。私は”権利として”ゼムールの側につくはずの人間なのだ。作者は揺れ動かされる。
 10年前の母の死で自分を襲ってきた悲しみ、怒り、憎しみ、不可解といった感情のありかを検証するべく、作者は再びこの事故/事件の真相/深層を調査していくというのがこの小説である。母を死に追いやったものは事故なのか、事件なのか、この境界の曖昧な出来ごとを作者は事故とも事件とも名指さずに、「衝突 (la collision) 」と呼ぶことにした。
 アプローチはジャーナリスト的であり、警察や裁判所の事件簿をはじめ、被害者側の弁護士、被告側の弁護士、この裁判の担当判事まで直接のインタヴューを得ている。そして自分と3歳しか違わない同世代人であるサイードの個人史についてもさまざまな証言を通して概観を掴んでいく。
 この「衝突(la collision)」とは、分断化され敵対する二つの世界の衝突のように単純化され短絡的に構図化されうるのか? フランス対移民社会、BoBo(ブルジョワ・ボエーム=左翼エコロジスト系新上流クラス)対パラレル(地下)経済(麻薬・贋ブランド流通)無法社会、良識ある大人社会対無軌道な若者たち...。この対立を鮮明な善悪論で断じ、憎悪を煽り、解決は排斥しかありえないとする極右ポピュリズムに、母の死は加担することになるのか?
 作者と母は親友同士のような仲の良さだったと言う。作者は母をママンと呼ばず、そのファーストネームで呼んでいた。作者は母の生き方が好きだった。母が体現してきて作者が受け継いだ「こちら側」のヴァリュー(価値)を「衝突」によって壊されまい、守りたいと構えるのだが、「衝突」してきたものは”敵”だったのか、”悪”だったのか。
 母は1957年グルノーブルで生まれた。その祖父は第二次大戦抗独レジスタンス殊勲者でレジオンドヌール勲章も授かっている。裕福ではないが7人の子沢山で賑やかで自由な雰囲気の家族だった。イエイエに合わせて踊り、活発な青春期を過ごし、16歳で未来の夫(作者の父)と出会い19歳で結婚した。”結婚したから私は何でも自由にできる”(p.88)と考える女性だった。母はパリで建築学の勉強を終えフリーの建築家となり、情報工学エンジニアだった(つまり当時最先端だった)父は世界中どんなところでも仕事ができる身の軽さがあり、インドのポンディシェリを皮切りに、プラハ、ミラノ、ニース、ロンドンと転居していった。7歳上の姉と作者はほんの小さい頃からこの父母の移住の旅に同行し、自然とコスモポリタンな子供に育った。東欧共産圏が崩壊して新しい民主国家となったチェコのプラハで、古い修道院を旧共産党政府が接収して政治囚収容監獄に使っていた石造の建物を、35歳の若き建築家だった母がフランス政府を後ろ盾にフランス語学校を中心にした文化施設にリニューアル改造するという大仕事を請け負っている。才能もあり機会にも恵まれ、一家は世界を楽しむように転々としてきたが、母はいまだに”男性原理”的であり、クライアントに妥協を強いられる建築界に限界を感じるようになり、新しいことに活路を見出したいと、何年も研究/学習して準備していたのが「ヨガ」だった。最初の移住地ポンディシェリが”修行”の始まりであるから、30年のヨガ修練者であり、サンスクリット語で文献を読み漁る”マスター”だった。ロンドンから帰仏し、リヨンに居を定めたのは、このヨガスタジオを開設するのにクロワ・ルース地区が最適と踏んだからだった。そしてヨガスタジオのオープンの半年後に、母は「衝突」によって帰らぬ人となる。

 クロワ・ルース地区が古都リヨンにあって昨今一風変わった人気スポットになっているのには長い歴史がある。古く繊維業で栄えたこの地区は、クロワ・ルースの丘陵に多くその織工たちや関連産業の労働者たちが住んでいた。その経営陣たちはリヨン中心街にいるのだが、まだ組合や労働運動などなかった頃、この労働者たちは自警団的に武力を装備して経営陣らに待遇給与改善などを交渉し、時には武力に訴え、流血沙汰にもなり、市民たちから恐れられた。フランス革命後も、クロワ・ルースは武装解除に従わず、その労働者コミューン的性格は受け継がれ、産業革命時に流入してくる労働者たちを受け入れていく。フランス随一の金融都市リヨンにあって、この職人町は重要な対抗勢力になっていく。産業形態・経済システムが変わっていっても、その気質は継承され、1960年代には最初期のマグレブ系移民労働者たちもこのクロワ・ルースの丘に住み、”受け入れられ”同化していったのである。
 大規模な移民移入が進み、大都市は低所得者用高層集合住宅(シテ)を林立させた郊外タウンを周囲に作り、その受け皿にしたのであるが、リヨンもその”荒れる郊外”の代名詞となったヴェニシュー市のマンゲット地区(1981年から移民系住民の暴動が起こっている)をはじめ、多くの周辺都市がマンゲット化した。
 クロワ・ルース地区が”移民街”にならなかったのは、リヨン市内ということで住宅費/生活費の高さのせいもあるが、パリでもリヨンでもどの大都市でも市政・都市再開発は低所得者層を郊外に追いやることを露骨にやってきたのである。その結果、ある種乱雑として汚くすらあった旧庶民街が1980年代頃から妙に小綺麗になり、芸術家やプチブルジョワたちも集まってきて、ちょっと古くもあり、エキゾティックでもあり、絵になる街並みになってスノッブな若い人たちで賑わうようになる。私はここで、私が1996年から事務所を持っていたパリ11区オーベルカンフ通りのことを想うのであるが、庶民的意味でごちゃごちゃだった旧職人街が見る見るうちに小洒落た街に変身していく様をこの眼で見ている。それと同じような感じだと想像するが、リヨンのクロワ・ルース地区は人々を惹きつける魅力を獲得したのだった。そして政治的には、オーベルカンフ通りもクロワ・ルース地区も、左派・左翼・エコロジストに投票する人たちが多数派なのである。

 さて件のサイードの父は1960年代に最初の”移民の波”に乗ってモロッコからリヨンにやってきた。30代だった。インドシナ戦争(1946年ー1954年)では、”フランス兵”として前線に送られている(これは作者が書いているのだが、インドシナ戦争はフランス植民地の独立勢力とフランス植民地から送られた”フランス兵”が戦った、フランス人が手を汚さない戦争だった)。そしてクロワ・ルース地区に住居を構えられた。妻をモロッコから呼び寄せ、家族を構成し、子供は3人授かり、末っ子がサイードだった。この一家とほぼ時期を同じくしてこのクロワ・ルースの丘に住み着いたマグレブ系移民たちは、後年になって郊外にしか入居できなかった移民たちに比べると恵まれていた、と言うべきか、ある種のハッピーヒューであったかもしれない。そして先住者(=クロワ・ルース市民)たちとの軋轢が後年の郊外入居者たちよりも少なかったかもしれない。クロワ・ルースには労働者たちを”迎える”伝統があったはずだし。
 サイードのようにそこで生まれ、そこで育った移民の子たちは、周りに”フランス社会”を見て育っていて、その点が上述のマンゲットのように言わば”ゲットー化”された社会しか知らずに育った子たちとは違うはずではないか。荒れていない公立学校に通い、勉強すれば高等教育の道も開けたはずだ。いわゆるフランス人側から見る”同化”が可能な環境だった。さらに言えば、この一家は裕福ではないが、貧乏では全くない。4人の子と妻を養い、一家を定期的にモロッコにヴァカンスで連れて行き、家を購入できる収入(+フランス退役軍人交付金)がサイードの父にはあった。その環境にありながら、この4人の子供のうち、2人(長兄のアブデルと末っ子のサイード)が勉強を嫌い、学校を嫌い、職業訓練を嫌い、グレた。本稿の後で登場させるが、姉のアフシアは非常に聡明な女性で、一人で父母とサイードを弁護する立ち回りをしている。
 このグレ=非行化の大きな要因と言えるのが、1990年代からフランス全国に浸透してしまったドラッグ禍であり、少年たちがその売買ルートの末端実行役になるだけで簡単にいい報酬が得られる地下経済が出来上がってしまったことだ。勉強と学校を嫌った兄アブデルはディーラーになった。監獄も経験している。だがこのアブデルはただの”ワル”ではなかった。少年グループの兄貴分として人望が厚く、近所の大人たちも好印象を持って一目置く硬派の”兄ィ”で、娘たちにも人気があった。サイードはアブデルが自慢の兄だったし、自分のモデルでもあった。兄についてまわり、兄もサイードを可愛がっていた。だがアブデルはドラッグ密売グループ同士の抗争に巻き込まれ、アブデルのかつてのダチに射殺されてしまう。サイードは最愛の人物を失ったのである。それが作者の母の死の1年前に起こった事件だった。
 弟サイードの計り知れないショックだけでなく、このアブデル射殺事件はリヨン1区クロワ・ルース地区にも大変なショックとなり、この地区の不動産評価額が軒並み20%下落し、リヨン市と公安当局はこの地区の治安悪化に歯止めをかけることが最緊急課題となった。兄を失いますます無軌道な不良となったサイードは、警察に世話になる回数を増やした。

 裁判でサイードの弁護士だった人物からも、サイードの地区で接触があったソーシャルワーカーからも、その他作者が裁判の10年後に取材し得られた証言からも、異口同音にサイードの人物像は”どうしようもないやつ”なのだ。何度裁判をやり、何度監獄に入ろうが、懲りずにまた同じ(小さな)ことをしてしまう。この小説の中で作者は、公判などで同じ場所に居合わせることはあっても、一度もサイードと対面していない。面と向かい、言いたい、確かめたい、聞きたいことはある。するべきかしないべきか。この小説の時間で作者はしていない。

 ひとつ重要と思われることがある。サイードは作者の母を死なせた「衝突」のあと、その1年半後の公判までの間に、”父親”になっている。予防拘禁期間に、仮保釈条件のリヨン1区に足を踏み入れないという禁を破って、10数回1区にいる姿を防犯カメラが捉えているのは、そのためだったのだ。どうしようもないならず者だったサイードがこれで変わるかもしれないとは考えられないことではない。

 小説の大きな山場は、サイードの姉アフシアとの対面である。アフシアは10年前のサイードの公判の時に、法廷の外の廊下で、作者の家族の方に一人で歩み寄り、サイードの家族の名において深く詫び、許しを乞うたという経緯がある。健気で、彼女の家族の尊厳を一身で守ろうとする強い心の女性だ。10年後、作者の申し出に応じて、リヨンのカフェで再会する。弁護士やソーシャルワーカーらの証言とやや温度差があり、アフシアはサイードが事件後どれほど後悔し、どれほど消沈し、どれほど自分のせいで亡くなったマダムとその家族へ詫びの心があったかを語るのだが、その真摯さには疑いの余地がない。敬虔なムスリムであるアフシアの語りの核心的ことばは「許し pardon」である。これは敬虔なキリスト者でも同じなのかもしれない。アフシアはもう一人の弟アブデルが射殺されたあと、悲嘆と憎悪と消沈の入れ混ざった煩悶の日々を送っていたが、そこから前に歩み出すために「許し pardon」を選んだと言う。
 このことは10年前、「衝突」から1年後の2013年夏、作者が思い立ってリヨンからパリまで徒歩縦断を挙行するのだが、その途中サンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼の出発地として知られるヴェズレーでひとりの巡礼者セルジュと遭遇し、母の死に整理のつかない怒りと悲しみと憎しみと不可解に苛まれている作者に、セルジュはやはりサイードへの「許し pardon」を説くのである。その時作者は承服していない。だが10年後、その姉アフシアの説く「許し pardon」には心が動いてしまうのである。

 もうひとつ山はやってくる。作者のリヨンでの”母の死再検証”の調査も一段落する頃、親しくなった裁判所筋から情報が入る。サイードがまたまた再犯したらしい。前段のアフシアとの対面での会話では、サイードがやっと抜け出しつつある(具体的にはミニ運輸会社を設立してまっとうに稼動しつつある)ことをアフシアは強調していたのだが...。やはりダメなのか。何度更生しようとしても同じように転んでしまうやつなのか。作者はそれを知りたいのだ。知ったところでどうなるものでもないのに。母の死が、この野郎がどんな卑劣漢かを知ったところで何も変わりはしないのに。作者はこのサイード再々々々々犯裁判の公判を傍聴すべく、裁判所にやってくる。その姿を見た姉アフシアが作者の前に立ちはだかる。家族の尊厳を尊重してほしい。私たち家族はサイードを擁護するためにここにいる。あなたがここにいることで私たちの立場は揺らいでしまう。今すぐここを立ち去ってほしい。
 アフシアは最後の最後までサイードを庇うだろう...。

 母を死なせた「衝突」事件の裁判長だった人物が、作者にこんなことを言う。この話に何か教訓はあるのか?
「それはあなたのお母さんが悪い時に悪いところにいた、1秒も1センチもずれず悪い時に悪いところにいた、ということだけですよ」(p.149)
これは断じて結論ではない。だが、(これだけの再調査をして)すべてを知ったところで、作者は区切りをつけられるわけではない。母の喪は終わらない。自由人だった母はその意志を通して生き、もうひとつ先のステップとなるはずだったヨガスタジオが軌道に乗るのを見ずに死んだ。この「衝突」は二つの世界の衝突ではない。ましてや極右ポピュリストの三面記事誇大解釈による「われわれ」世界と「非われわれ」世界の衝突などではありえない。リヨンのこの坂道はこの「衝突」に歴史、文化、宗教、階級闘争、移民史といったもろもろのことがらが関与していることを教えてくれた。この膨張していくさまざまなエレメントを作者が直視して書き綴っていったらこういう小説になった。この膨らみが文学の力なのだと思うし、作者の葛藤と立ち会うわれわれの読む進める体験も文学の力を分かち合うことなのだ。母の死が不条理なように、アフシアの頑なな弟擁護も不条理だ。この二人の女性の強さが、強烈な印象となって残る。この出口は用意されてあったはずはないのだが、読後感はエモーショナルだ。

Paul Gasnier "La Collision"
Gallimard刊 2025年8月21日  161ページ 19ユーロ


カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)国営ラジオFrance Inter 朝番ソニア・ドヴィレールのインタヴューに答えて、『衝突 La Collision』について語るポール・ガスニエ


(↓)2017年5月、マンチェスター・アリーナ/アリアナ・グランデのコンサートで起こった爆弾テロ(死者22人)の犠牲者に対するオマージュで、フランス対イングランドの試合(於スタッド・ド・フランス)の前にフランス共和国近衛軍楽隊(ガルド・レピュブリケーヌ)が(オアシス)”Don't look back in anger"を演奏。

2025年10月13日月曜日

ぼくの顔を食べると元気になるよ

Paolo Vallesi "La Forza Della Vita"
パオロ・ヴェレージ「ラ・フォルツァ・デッラ・ヴィータ(生命の力)」


詞 : ベッペ・ダティ
曲:パオロ・ヴァレージ
1992年サンレモ音楽祭3位


ール・ガスニエ作『衝突 La Collision』(2025年)の中で、公道曲乗りオートバイ(ロデオ・ユルバン)のウィリー走行に追突されて作者の母が50代の若さで死ぬのだが、収容された病院でもう助かる可能性がないと判断されるや、未来の遺族に臓器提供の許諾を求めてくるくだりがある。50代だからまだフル稼働の臓器がたくさんあっただろうから、それで”命”や”機能”が救われた人たちもあっただろう。私は2017年のガン再発以来、浅い時も深い時もあるが、死を考えることがままある。私の臓器はまだ使いものになるものがあるのだろうか。私の何かが、他の人の”命”や”身体機能”の助けになる可能性があるだろうか。若い時は献血も何度かしたことがある。2015年の初手術以来、大きな手術は3度しているが、その度に大量の血をいただいているので、私にはフランス人の血が多く混じっている(笑)はずだ。私が今生きているのは、この血だけでなく、10年もの間さまざまな治療で注入された薬や照射された放射線のおかげなのだけど、自分の体がどんどん変わっていって、”自力”で生きていない感覚は日々増大している。自分の体がどんなものにも頼らずに自力で生きてたこともあった。なつかしい。そんなことを言うと、いやいやあなたは自力で生きてますよ、あなたを守っているのは、あなた自身の免疫の力なのですよ、と言ってくれた人がいた(故・土屋早苗のことです)。私自身の命の力がまだあるからなのですよね。ラ・フォルツァ・デッラ・ヴィータ。

 1992年、私はまだ再婚していないひとり身で、まだ30代で、フランスの独立系レコード会社メディア・セット(在ナンテール)の社員だった。かなりヘヴィーなスモーカーだったし、アルコールはもっとひどかった。仕事場に冷蔵庫を持ち込んで私設バー("Toshi's Bar"の始まり)を開設して、周囲に何もないナンテールでも深夜までToshi's Barで同僚たちと飲んで”フランスの大衆音楽の現在と未来”を口角泡飛ばして論じていた。ほぼ毎晩泥酔状態でナンテールからブーローニュまで車で帰ったものだ。あの時クルマはFIAT Unoだった。イタリア好き。ミラノにも取引先があって、個人的に好きなカンタウトーレの新譜なんかを送ってもらっていたし、日本の取引先に依頼されてミラノに新譜買い付けに行くこともあった。だから社内的にも「イタリアにも詳しい」変なヤツと思われていた。
 パオロ・ヴァレージ、1964年フィレンツェ生れ、自作自演歌手(カンタウトーレ)、1991年サンレモ音楽祭新人セクションで優勝した「Le persone inutili (無用の人)」でブレイク。まあ、あえて言えば、リカルド・コッチャンテ/エロズ・ラマッツォッティ系の熱唱カンツォーネ・ロマンティカの人。私が当時好んでいたイタロポップロック系とは違うんだけど。1992年サンレモ音楽祭メジャーセクションで3位になり、イタリアのチャートNo.1、パオロ・ヴァレージの最大のヒット曲となったのがこの「La Forza Della Vita(生命の力)」。まあ一発屋と思っても差し支えないと思う。そのサンレモ本選ステージでの熱唱がこれ(↓)



では歌詞を紹介しましょう。

Anche quando ci buttiamo via
慰めようのない恋のために
per rabbia o per vigliaccheria
怒りややるせなさで
per un amore inconsolabile
自暴自棄になる時も
anche quando in casa il posto è più invivibile
家に住めなくなって
e piangi e non lo sai che cosa vuoi
泣いて、どうしていいのかわからなくなってしまう時も
credi c'è una forza in noi amore mio
愛する人よ、僕たちには力があるんだ
più forte dello scintillio
この狂ってしまって無用になった世界の
di questo mondo pazzo e inutile
偽りの光よりも強くて
è più forte di una morte incomprensibile
不可解な死よりも
e di questa nostalgia che non ci lascia mai.
僕たちを苛み続けるノスタルジーよりももっと強い力が


Quando toccherai il fondo con le dita
きみの手の指が谷底に届いたとたん
a un tratto sentirai la forza della vita
きみは生命の力を感じとるんだ
che ti trascinerà con sé
そしてきみを連れ戻してくれる
amore non lo sai
愛する人よ、わからないかい?
vedrai una via d'uscita c'è.
きみには見えるよ、出口はあるんだって

Anche quando mangi per dolore
辛苦を舐めさせられ
e nel silenzio senti il cuore
静寂の中で聞こえるきみの心臓の音が
come un rumore insopportabile
辛抱できない雑音のように響く
e non vuoi più alzarti
きみはもう起き上がれない
e il mondo è irraggiungibile
世界は近づきがたいものになる
e anche quando la speranza
もはや希望でさえ
oramai non basterà.
何の役にも立たない

C'è una volontà che questa morte sfida
でもこの死に抗う意志が存在するんだ
è la nostra dignità la forza della vita
それが僕たちの尊さ、生命の力なんだ
che non si chiede mai cos'è l'eternità
それは永遠が何かなんて問わないものなんだ
anche se c'è chi la offende
ある種の人々がそれを傷つけようとしたり
o chi le vende l'aldilà.
それを売っ払おうとしたりしようとも

Quando sentirai che afferra le tue dita
きみの指が触れて感じられたら
la riconoscerai la forza della vita
きみはそれが生命の力だとわかるんだ
che ti trascinerà con se
それがきみを連れ戻してくれる
non lasciarti andare mai
きみを決して去らせたりしない
non lasciarmi senza te.
僕をきみから離さないものなんだ

Anche dentro alle prigioni
人々の偽善の
della nostra ipocrisia
監獄の中にあっても
anche in fondo agli ospedali
新しい病気に冒されて
della nuova malattia
病院の奥の奥に隔離されても
c'è una forza che ti guarda
きみを見守ってくれる力があって
e che riconoscerai
きみにはそれがわかるんだ
è la forza più testarda che c'è in noi
それは夢を見、決して降伏しない
che sogna e non si arrende mai.
私たちの内にあって最も頑強な力なんだ


(Coro:) E' la volontà
それは意志なんだ
più fragile e infinita
最も壊れやすいけれど、無限なんだ
la nostra dignità
それが僕たちの尊さ
la forza della vita.
生命の力なんだ

Amore mio è la forza della vita
愛する人よ、それが生命の力なんだ
che non si chiede mai
永遠が何かなんて
cos'è l'eternità
絶対に問わないものなんだ
ma che lotta tutti i giorni insieme a noi
でもそれはいつも僕たちのそばにいて戦っている
finché non finirà
終わりの日が来るまで

(Coro:) Quando sentirai
きみが指先を握りしめられてる
che afferra le tue dita
と感じたら
la riconoscerai
きみにはわかるはず
la forza della vita.
それが生命の力なんだって

La forza è dentro di noi
力は僕たちの内にある
amore mio prima o poi la sentirai
愛する人よ、きみも遅かれ早かれわかるはず
la forza della vita
生命の力が
che ti trascinerà con sé
それがきみを引っ張っていくんだよ
che sussurra intenerita:
そしてきみにやさしくこう囁くんだ
"guarda ancora quanta vita c'è!"
「ごらん、命はまだ確かにここにあるんだよ」


グアルダ・アンコーラ・クワンタ・ヴィータ・チェ! ー ごらん、命はまだ確かにここにあるんだよ。ー なんか、私、言われちゃってるような気がする。すなおに受け止めよう。次の点滴治療の時にイヤホンでループして聴いてみたら...。
(↓)これがオフィシャルヴィデオクリップ(1992年)



(↓)それから30年後2022年12月、「ゴーカート・ツイスト」(1962年)のジャンニ・モランディ(↓この時77歳)とのデュエット。これ、本当に生命の力の重さを感じてしまいますよ。