2018年3月9日金曜日

ベルジェ+ギャル神話の現在

2018年1月に70歳でこの世を去ったフランス・ギャルに関して、ちょっと長めの原稿を用意している。1月から2月にかけてこのブログやラティーナの連載のために随分と資料は洗ったつもりでいたけれど、最近仏語版ウィキペディアを見たら、以前には気づかなかった(記載されていなかったはず。確証はない)以下のような数行がある。

1991年7月以来ミッシェル・ベルジェはマヌカンのベアトリス・グリムと暮らしていた。彼は(フランス・ギャルと)離婚して、彼女と再婚しサンタ・モニカに移住することを望んでいた。1992年夏、彼は南仏ラマチュエルの私有別荘に戻って休養していた。アルバム『ドゥーブル・ジュー』の録音はフランス・ギャルとの音楽的意見の食い違いによって彼を疲労困憊させ、弁護士を通じての夫婦問題の解決は彼の重い心労としてのしかかっていた。1992年8月2日、テニスの試合の後、心臓発作によってこのシンガーソングライターは斃れ、二人によるコンサートツアーの計画は頓挫した。

 これはフランス・ギャルの死後に書き加えられたものだろう。ただ、ミッシェル・ベルジェ(1947-1992)がその死の1年前からこのドイツ人マヌカンのベアトリス・グリムと恋仲にあったということは、2012年(ベルジェ死後20年)に音楽ジャーナリスト、イーヴ・ビゴが発表したベルジェ伝記本"Quelque chose en nous de Michel Berger"で初めて公にされた。それはある種理想化&神話化されていた「ベルジェ+ギャル」ストーリーを否定するものであった。60年代虚飾に満ちたロリータアイドルであったフランス・ギャルがその表面的な輝きを失った後、大人の女性として、音楽アーチストとして、まるで別人として第一線に復帰することを100%支えた稀代の作詞作曲家&プロデューサーのミッシェル・ベルジェの愛情物語は、80年代的社会的背景(ミッテラン、SOSラシスム、バンドエイド、エコロジー...)に呼応したポジティヴな左寄り世代の理想のように見られていた。アフリカに赴き、その窮状をなんとかしようとする夫婦の姿は、ボブ・ゲルドフと同じように聖人のように見えたものだ。しかし、歯に衣着せぬ論客にして夫妻と親しい位置にいたフランソワーズ・アルディは、ベルジェ生前の時から既に、この夫婦が(どこにでもある夫婦と同じように)問題も確執もあり、その愚痴聞きの役を買って出ていたことを証言していた。おまけにヴェロニク・サンソンという「ベルジェの過去」は常に「現在」となってフランス・ギャルを苛立たせていて、それはベルジェ死後にますます顕著になり「ベルジェ未亡人は私」と言わんばかりの...。
 ベアトリス・グリムは別ものであり、ベルジェ生前および死後(2012年まで)に、フランス・ギャルによってその存在も隠されていた、いわば「なかった話」である。実際ベルジェ&ギャルは離婚していなかったし、結果的には両者の遺作となる夫婦名義のアルバム『ドゥーブル・ジュー』 まで発表した直後のベルジェの死だったのだから。フランス・ギャルはベルジェの最後まで添い遂げた夫人であったのだから。
 このウィキペディアの記述で私が非常に気になるのは
アルバム『ドゥーブル・ジュー』の録音はフランス・ギャルとの音楽的意見の食い違いによって彼を疲労困憊させ
というくだりである。 このアルバムは1992年6月のリリースの2ヶ月足らずの時に降ってきたベルジェの突然死という事件によって、急にアルバムチャート1位、70万枚セールスの大ヒットとなった。私はこれはベルジェの死がなければこのような現象はなかったと思う。ミッシェル・ベルジェおよび(ベルジェ期)フランス・ギャルのアルバム全てを聞いてきた人間に言わせれば、この『ドゥーブル・ジュー』が最も精彩を欠く作品であることは明らかである。それが、ベルジェの死の20年後に、その頃離婚の危機にあったという「真相」が公になり、二人の白鳥の歌となったこのアルバムの不調に納得した人々もあっただろう。
 私が(↑)冒頭で書いた準備中の「ちょっと長めの原稿」とはフランス・ギャル個人名義の最後のスタジオアルバム『ババカール』(1987年)についての論考である。これもフランス・ギャルの死後に読んだことだが、フランス・ギャルはこのアルバムに最高の満足を感じていて、このアルバムとそれに続く全国ツアー "LE TOUR DE FRANCE 88" (音楽監督ミッシェル・ベルジェ)の大成功を「自分の歌手引退にふさわしい」と、ベルジェに引退希望を告げたのだそう。確かにここでアーチストとしてのフランス・ギャルは頂点であった、ということは後になってからでも多くの人々が納得するところであるだろう。ところが、ミッシェル・ベルジェは「フランス・ギャルの頂点」は、ミッシェル・ベルジェの頂点ではないと思うんですな。この引退をギャルのエゴイストな決断であり、ベルジェへの裏切りと取ってしまうんですな。わかりますか、お立ち会い?
 その辺のことも今準備中の『ババカール』論に書くので、興味あるムキは楽しみにしていてください。ただ、私は芸能誌的な記事は書かないので、ベアトリス・グリム(童話で有名なグリム兄弟の直系の子孫だそう) のことは触れません。悪しからず。

(↓)ベルジェ+ギャルのアルバム『ドゥーブル・ジュー』(1992年)から"Superficiel et léger"、直訳すると「表面的で軽薄な」とは象徴的。



 

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