Jean-Michel Caradec "Mai 68"
詞曲:ジャン=ミッシェル・キャラデック
アルバム "Ma petite fille de rêve"(1974年)より
1946年ブルターニュ生まれのシンガー・ソングライター、ジャン=ミッシェル・キャラデックは、1968年にパリに上り、マキシム・ル・フォレスティエ、カトリーヌ・ソヴァージュ、イーヴ・シモン等と共に左岸派フォーク・フーテナニーのフィールドで実力をつけ、ボビノ座でジョルジュ・ブラッサンスの前座歌手として世人に知られるところとなります。1981年に自動車事故で34歳の若さでこの世を去っていて、生前アルバムは8枚発表されました。1974年のセカンドアルバム "Ma peite fille de rêve"に収められたこの68年5月革命を歌った作品は、僚友マキシム・ル・フォレスティエに寄ってもカヴァーされていますが、74年という時期の「あれから6年後」の思いは苦々しく、敗北感すら匂わせています。運動は尻すぼみ、日常の倦怠は恒常化し、ジスカール=デスタン大統領期の経済安定消費文化時代/テレビ支配時代から振り返れば、近い過去である68年5月は一体何だったのだろうか、という無常感はあったでしょうね。しかし68年5月は10年経ち、20年経ち、今や50年経ち、その画期的な社会革命/意識革命としての評価をどんどん高いものにしていっている。そのノスタルジーは、本当にフランスの良き時代へのそれよりも大きなものになっている。どうしてなんでしょうか?
それはこの歌の中でいみじくも繰り返される「フランスという名の王国」、つまり共和国とは名ばかりの権威主義的で封建的なフランス=旧時代のフランスが、74年のジャン=ミッシェル・キャラデックの視点から見れば「68年5月」の希望は挫かれ、ついに倒れることはなかった、という結論を持ってくるのだけれど、10年後、20年後、50年後の長いタームで振り返ってみると、やっぱりあの時にすべてが変わったのだ、と思えるようになった、ということなのでしょう。
ではその「68年5月」の弔いのようなジャン=ミッシェル・キャラデックの歌を訳してみます。(訳註も入れてます)
La branche a cru dompter ses feuilles
Mais l'arbre éclate de colère
Le soir que montent les clameurs,
Le vent a des souffles nouveaux
Au royaume de France枝は葉の萌え出るのを抑えて我慢していたつもりがその木は怒りで破裂してしまった怒号が湧き上がる夜風が新しい息吹を取り戻したフランスという名の王国で
Le peintre est monté sur les pierres
On l'a jeté par la frontière
Je crois qu'il s'appelait Julio
Tout le monde ne peut pas s'appeler Pablo
Au royaume de France画家が石で積んだ山に登ったのに彼は国境で振り落とされた彼の名前はたしかフリオ(※1)誰もがパブロという名前ではないんだフランスという名の王国では(1 : Julio Le Parc : アルゼンチン人画家。闘争ポスターの制作に積極的に参加していたという理由で国外追放処分になる)
Et le sang des gars de Nanterre
A fait l'amour avec la terre
Et fait fleurir les oripeaux
Le sang est couleur du drapeau
Au royaume de Franceナンテールの若者たちが流した血が大地と愛し合って金メッキの花を地上に咲かせた血は旗の色フランスという名の王国では
Et plus on viole la Sorbonne
Plus Sochaux ressemble à Charonne
Plus Beaujon ressemble à Dachau
Et moins nous courberons le dos
Au royaume de Franceそしてソルボンヌ(※2)が強姦されるにつけソショーがシャロンヌ(※3)に似通っていくにつけボージョンがダショー(※4)に似通っていくにつけ我々はもはや譲歩のしようがなくなっていくこのフランスという王国で
(2 : 1968年5月3日、学生たちが封鎖して立てこもったソルボンヌ校の警察による強制排除)(3: 1968年6月スト封鎖中のプジョー自動車ソショー工場の警察による強制排除、死者2名。1962年2月、アルジェリア戦争反対デモ、地下鉄シャロンヌ駅出口付近で機動隊の襲撃で死者8名)
(4:ボージョンはパリ市内の警察機動隊駐屯施設。ダショーは1933年に開設されたナチスの強制収容所の名)
Perché sur une barricade
L'oiseau chantait sous les grenades
Son chant de folie était beau
Et fous les enfants de Rimbaud
Au royaume de Franceバリケードにとまり催涙弾の雨にさらされながら鳥は歌っていたその狂気の歌は美しかったそしてランボーの子供たちは熱に浮かれていたこのフランスという王国で
La branche a cru dompter ses feuilles
Mais elle en portera le deuil
Et l'emportera au tombeau
L'automne fera pas de cadeau
Au royaume de France枝は葉の萌え出るのを抑えて我慢していたつもりがそれはその死の悲しみに伏し墓まで運んでいくだろうこの秋には実りの贈り物などありはしないこのフランスという名の王国では
私もあの古めかしい「王国」は 、1968年を転機にしてフランスから消えていったのだと思います。そういう原稿を今、準備しています。
(↓)ジャン=ミッシェル・キャラデック「68年5月」
(↓)マキシム・ル・フォレスティエによるカヴァー「68年5月」
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