2014年9月22日月曜日

Go down Moses

ヨム『出エジプトの沈黙』
Yom "Le Silence de l'Exode"

ヨム:作曲、クラリネット
クロード・チャミチアン:コントラバス
ファリッド・D:チェロ
ビージャン・シェミラニ:ザルブ、ダフ、ベンディール

  もしも後世にヨムの名が残るとすれば、この作品によってでしょう。これはヨムのメジャー・ワークスです。
  1980年生れ。「クレズマー・クラリネットの新王(The New King of Klezmer Clarinet)」を僭称して本格ソロデビューしたのが2008年。1920年代のニューヨークの「クレズマー・クラリネットの王」ナフトゥール・ブランドウァイン(1889-1963。音符を読めないヴィルツオーゾ・風変わり・派手好み・アル中・暗黒街の人間)へのオマージュアルバムでした。そういう人に私はなりたい、で、比類ないクラリネット・ヴィルツオーゾであるところよりも、ブランドウァイン流の派手でエキセントリックなところが目立って、ケレンのクラリネッティストでその本領を発揮していたかに見えました。他流試合のようなデュエットアルバム 『ウヌエ(Unue)』(2009年。デュオの相手は:ドニ・キュニオ、イブラヒム・マルーフ、ファリッド・D、ワン・リ、ビージャン・シェミラニ)、その延長線上のワン・リとのデュエット・アルバム『グリーン・アポカリプス(Green Apocalypse)』 (2012年。当ブログのここで紹介)、そしてエレクトロ・ポスト・ロック仕立てのスーパーヒーローアルバム『愛をこめて(With Love)』(2011年。当ブログのここに関連記事)、その延長線上の『愛の帝国(The Empire of Love)』(2013年)と、ケレンの人ヨムはそのアートをきらびやかにド派手に披露してきました。
  ところが、この『出エジプトの沈黙』は最初から志(こころざし)が違うようなのです。ことの発端は2012年、イル・ド・フランス音楽フェスティヴァルからの作品依頼でした。

ヨム「その時のフェスティヴァルのテーマはディアスポラ で、僕は一夜でそれを主題にしたトリプティック(3枚続きの絵)を構想した。その3つとは "東方から西方へ”、”過去から現在へ(そして未来へ)"、"伝統から現代性へ”。『出エジプトの沈黙』はトリプティックの第一の絵であり、同フェスティヴァルでの初演にたくさんの人たちが来てくれ、オーディエンスの反応は非常に熱く、僕の心にダイレクトに響いてきた!」

そのフェスティヴァルでの初演(2012年9月14日)の映像が(↓)です。


 これではあまりわからないかもしれません。『出エジプトの沈黙』が どういう作品かと言いますと、ディアスポラ、すなわち民族の逃亡・移住・四散の史上(つまり文字が書かれて遺されたものの中で)最古の民族移動記である、旧約聖書「出エジプト記」をヨムが音楽化したものです。これを長さにして60分の1曲で表現しました。エジプトで奴隷として虐げられていたユダヤの民を、神がファラオ(エジプト王)に様々な奇跡によって攻撃し、この民をエジプトから脱出させるのですが、その時に神からの直接の指示を受けてユダヤの民を率いたのがモーゼです。モーゼは神から与えられた杖を使って、神の予言した奇跡を起こして民を安全な逃げ道に導き、また神の垂れた戒めごとを民に守らせ、民は約束の地カナンまで40年かけて荒地をさまようことになるのです。
 フランス語の表現で "traversée du désert"(トラヴェルセ・デュ・デゼール。砂漠横断)という言葉があります。長い間続く艱難辛苦の時期、という意味で使われます。この表現の語源は、このユダヤ民族のエジプト脱出後のシナイの砂漠であるとされています。
 初演から約2年後に完成したCDアルバムは、パッケージがスリップケース入りの4つ開きディジパックで、その4面を開くと屏風絵となってパノラミックなシナイの岩肌の荒野がひろがります。何もない乾いた岩の丘陵の連なりです。ユダヤ人の原風景であり、ヨム的解釈では土地を追われて移動をよぎなくされたあらゆる民族、あらゆる人々の普遍的な原風景でもあります。
 ヨムはこのトラヴェルセ・デュ・デゼールを、句切りのない60分の年代記音楽としました。CDでは14の小章分けがされていますが、曲は連続していて、録音も連続60分のダイレクトレコーディングでした。これは2012年9月に初演された時と同じ条件です。前2作(『愛を込めて』&『愛の帝国』)で大幅に導入されたエレクトロニクスを全面的に排して、アコースティック楽器のみのアンサンブルで演奏されていますし、何よりもそれまでのヨムのトレードマークであった「ケレン味」が顔を出さないのです。題材が題材ゆえに、と簡単に説明できるような程度ではない、ストイックで内省的な音楽表現のしかたに驚かされます。
 東欧イディッシュに育てられ、ニューヨークのディアスポラで花開いたクレズマー音楽の、西欧フランスでの新展開の旗手がヨムです。おのずとその音楽の中に旅があります。そのヨムの先祖帰り(「原点帰り」と言うべきでしょうか)としての旧約聖書世界の音楽的再現プロジェクトです。この新たな旅の道連れとしてヨムは、クラシック音楽、民族音楽、ジャズなどにまたがる3人のヴィツオーゾ・ミュージシャンを従えています。クロード・チャミチアン(コントラバス)、ファリッド・D(チェロ)、ビージャン・シェミラニ(ザルフ、ダフ、ベンディール)。この3人の出自がそれぞれ異なる民族のディアスポラであり、チャミチアンはアルメニア系、ファリッドはアルジェリア系、そしてシェミラニはペルシャ系です。このそれぞれの内なる旅を持った音楽家たちが、ヨムの想像した旧約世界のオリエント性を浮かび上がらせる重要な屋台骨となります。そしてヨムはこのプロジェクトのために特別にG管クラリネットを使っていますが、それはヨムによると「トルコ・クラリネットに近いもので、音栓配列が西欧式なのに出て来る音色は重厚でまろやかで、僕にとっては即座に"中東”をイメージさせるもの」なのだそうです。
 ユダヤの民がどこをどう通ってシナイをさまよっていたか、という歴史を描写する音楽ではありません。ヨムの内側で瞑想と内省によって再体験された旅の音楽化です。そのクラリネットは、モーゼが神から与えられた杖のようなものに思えてきます。蛇と化したり、水を血に変えたり、イナゴの大群を呼び寄せたりした杖です。民の苦悩や痛みを音にしたものでもあり、沈黙する神への祈りでもあり、民を祭りと陶酔へと誘う音楽でもあります。内なる旅で交差する4人の異邦人、という図を思わせる音楽でもあります。

<<< トラックリスト >>>
1-14 : LE SILENCE DE L'EXODE (トータルランタイム:57分16秒)
1) Le Silence de l'Exode 1 : RAMSES
2) Le Silence de l'Exode 2 : ROUGE (RED)
3) Le Silence de l'Exode 3 : REVELATION
4) Le Silence de l'Exode 4 : ERRANCE (WANDERING)
5) Le Silence de l'Exode 5 : CHAOS
6) Le Silence de l'Exode 6 : SARAB
7) Le Silence de l'Exode 7 : L'EAU JAILLIE DU ROCHER (WATER SPRINGING FROM THE ROCK)
8) Le Silence de l'Exode 8 : SINAI
9) Le Silence de l'Exode 9 : IVRESSE (INEBRIATION)
10) Le Silence de l'Exode 10 : SOLITUDE 1
11) Le Silence de l'Exode 11 : MEMOIRES (MEMORIES)
12) Le Silence de l'Exode 12 : SILENCE
13) Le Silence de l'Exode 13 : SOLITUDE 2
14) Le Silence de l'Exode 14 : MOISE (MOSES)

YOM "LE SILENCE DE L'EXODE"
CD BUDA MUSIQUE 860255
フランスでのリリース:2014年8月

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)ヨム『出エジプトの沈黙』

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