Amélie Nothomb "Pétronille"
今年も「ラントレ・リテレール (la rentrée littéraire)」(晩夏から初秋にかけて、新刊小説が大量に出版される時期。年末の各文学賞へのレースの始まりでもある)がやってきて、この時期に23年間毎年新作小説を発表してきたアメリー・ノトンブは、お約束を忘れずに、今年も23作めの小説『ペトローニュ』を8月20日に上梓しました。
前作『幸福なる郷愁』については拙ブログのここで紹介しましたが、 私にしてはかなり好意的な評価だったと思ってますよ。この作品はまだ日本語訳出版がないので、拙文を参照していただきたいのですが、彼女の重大なテーマである「日本」(そこで生れ、日本人乳母に育てられ、若き日に再滞在して極端に苦い体験をし...)にある種の落とし前をつけた小説でした。吹っ切れたと言いましょうか。だから新しい小説は日本と関係がないのです。しかし日本という「エキゾチック」な国を自由勝手にデフォルメすることによって「面白い」小説が書けていたノトンブは、この新小説で新しいエキゾチスムをフランスに求めます。彼女は「日本生れのベルギー人」であり、彼女にはフランスはまだまだ謎がいっぱいの国なのです。ディスカバー・フランス、と言うわけです。
最初は酩酊の話です。上級外交官の娘だからというわけではないかもしれませんが、この「私」はおそらくドラッグ類とは無縁だと思います。しかし酩酊の恍惚状態の幸福というのは彼女にとっては欠かせないものであり、それをもたらしてくれるのがアルコール、とりわけシャンパーニュなのです。この恍惚の深みはひとりでの体験だと、度を越え、病院沙汰になってしまうということを知ったので、「私」は呑み相手が必要だと悟ります。呑み相手は「私」と気が合い、シャンパーニュの喜びを100%共有できる人でなければなりません。その相手を探すのに、作家である「私」は書店やブックフェアなどで開かれるサイン会を利用します。自分のサインを求めて集まってくるファンをいろいろ観察して「ポン友ハント」をするのです。
ペトロニーユ・ファントは、そういうサイン会にひょんと現れた若い女性です。14〜15歳の少年を思わせる細身のアンドロギュノス娘は、この時22歳の大学生で、シェークスピアの同時代人クリストファー・マーロウ、ベン・ジョンソンなどを研究していました。このマーロウ(1564-1593)というのがちょっと気になる人物で、貧民階級の出ながらシェイクスピアに先駆けてエリザベス朝演劇を確立したたいへんな戯曲家・詩人で、無頼生活を送り、29歳で町の喧嘩に巻き込まれて死ぬのです。それがこの少年のような若い娘と似ているということが小説が進むにつれてわかってきます。
余談ですが、アメリー・ノトンブは読者から寄せられた手紙をすべて読み、それに対してひとつひとつ必ず返信する、ということを公言している作家です。ペトロニーユもそういう手紙を寄せる読者のひとりで、出会う前にすでに書簡交信があったのですが、それを知らずサイン会で献本者に名前を尋ねたら「ペトロニーユ」という珍しい名前を告げたその顔が、可愛い少年のそれだったので「私」は衝撃を受けます。その文章から年齢をかなり上と推測していたからです。この日「私」は この少年=少女と初めてシャンパーニュの杯を交わします。
その2年後、ペトロニーユは作家としてデビューして、今度は「私」が彼女の処女作品のサイン会に出向いていき、二人は再会します。「シャンパーニュは持ってきた?」とデビュー作家は「私」に聞きます。その献本サインにペトロニーユは「アメリー・ノトンブ、私の庇護者へ」と書くのです。ここから、二人の本格的な呑友交流が始まります。
二人は10歳の年齢差があります。この頃すでに「私」はベストセラー作家であり、金銭的に何の苦労もないばかりか、在日ベルギー大使などを歴任した上級外交官の家のお嬢様でもあり、長年ブルジョワ世界に浸って生きてきたわけですが、このペトニーユはジーンズ、皮ジャン、ドックマルテンスブーツしか纏わない娘で、パリ南郊外の労働者家庭に生れ、しかも父も母も共産党支持者であるという環境で育ちました。ノトンブにしてみれば、これは「エキゾチックでエキセントリックなフランス人」なわけです。マーク・トウェイン『王子と乞食』のように、ブルジョワの「私」は貧民のペトロニーユとその世界を発見していくのですが、この辺はナイーヴにも極端に戯画的です。例えば、アメリーの父パトリック・ノトンブがペトロニーユに発した「自動車を焼いたことがあるか?」という質問に、郊外娘は「そんなの13歳で卒業したわ」と答えたり、大晦日にペトロニーユに集まった家族・(共産党的)友人たちの会話で「北朝鮮のきびしい状況が続いている」という発言が「南朝鮮よりましだ」という意見によって(圧倒的多数で)否定されたり、といった描写があります。ま、笑って読み流すようなことでしょう。
この世界も収入も違う二人がシャンパーニュの杯を重ねれば重ねるほど、親友のように、姉妹のように、恋人のように深い絆で結ばれていくのです。
某有名女性誌から「私」は、ロンドンに行ってファッション・クリエーターのヴィヴィアンヌ・ウェストウッドにインタヴューして記事を書いてほしいという「特注」を受けます。雑誌担当者によると、日頃ウェストウッドはノトンブのファッション趣味のエレガントさを高く評価していて、必ずや良い出会いになるはず、ということだったので、「私」はこれまで一度も足を踏み入れたことのないイギリスに行くことを決心したのです。このクラスのこの有名作家にしてイギリス(&ロンドン)初体験とは意外。ユーロスターに乗って、意気揚々とロンドン入りしたのですが、(この部分は実体験だそう)ヴィヴィアンヌ・ウェストウッドは「私」を全くバカにした態度で、インタヴューにまともに答えないばかりか、アトリエを見せてほしいという希望を無視して、ウェストウッドはその愛犬を「私」に預け、近所を散歩して来い、と。しかも犬様はその道々でしっかりと雲古をしてしまいます。戻るとウェストウッドは「雲古はしたか?」「雲古はどんな形だったか?」とそんな質問ばかり。こうしてノトンブによる「ウェストウッド独占取材」は屈辱的に終ってしまうのです。
このあまりにも大きすぎるショックに「私」はホテルに戻ってきても何もすることができず、閉じこもりを決め込みますが、屈辱の淵から思い切って受話器を取りペトロニーユを呼び出すのです。パリにいたペトロニーユは数時間後にロンドンに到着し、元英文科学生の彼女はロンドンを良く知っていて、「私」を夜のロンドンに連れ出し、気分を180度変えてくれるのです。「ギネスは泡と澄んだビール部分を分けて飲んではいけない、両方一緒に飲むのよ」なんて教示するのです。パブ、インド料理、大英博物館、フィッシュ&チップス、ドックマルテンス・ショップ...。これはアメリー・ノトンブにはカルチャー・ショックでしょうね。酩酊の中でロンドンを彷徨い、ペトロニーユはある小路に「私」を連れてきて「ここがクリストファー・マーロウが殺された場所よ」と言います。いいパッセージです。
月日は経ち、あることないこと理由をつけてシャンパーニュを呑み合う二人の交流は続き、ペトロニーユは2作目、3作目と着実に作品を発表していきます。しかし、その作品への評価は高いものの、売れ行きには結びつかず、生活は非常に苦しいままです。壁にぶつかったと感じたペトロニーユは、ブレークを取る決心をして、サハラ砂漠徒歩縦断の旅へ出ます。出発の前にペトロニーユは「私」に自分の遺作となるかもしれない原稿を託します。「私」はその不在中に原稿の出版の手はずを整えるべく、原稿コピーをさまざまな出版社に「アメリー・ノトンブ推薦つき」で送りつけるのですが、「私」が著しく感動した作品でも出版社の門戸は簡単には開かれないのです。苦戦の末、ようやく1年後に某出版社から色良い返事が来た頃に、サハラ砂漠からペトロニーユが帰ってきます。以前に増してワイルドに変身したペトロニーユは、その原稿の出版OKのニュースにも無感動で、二人の間に大きな「格差」が生じてしまったことを「私」は悟ります。
問題はまさにこの「格差」なのです。ペトロニーユの言葉を借りると、フランスでエクリヴァン(ecrivains 著述業を生業とする人、作家)と称する人たちで、それで生活が出来ている人は1%しかいないのだそうです。99%は喰えない。アメリー・ノトンブはそのハッピー・ヒューである2%のひとりですが、ペトロニーユは99%の側の人。「なぜ私はアメリー・ノトンブではないのか?」ー ここが核心です。ちょっと長いですけど(原作者および出版社に許可なしですけど)、この問題に関する二人のダイアローグ(p149 - p150)を以下に訳します。
(「私」)「それは世界で最も美しい職業なの。簡単にできることだと望んではいけないわ。」
(ペトロニーユ)ー 人があなたを見るとそれは簡単そうに見えるのよ。私はずっと作家になることを夢見ていたけれど、私はあなたを見たことによって、それを本気で試してみるべきだという気になったの。あなたができるのだったら、私でもできるはず、って思ったのよ。
「それは正しいことよ。」
ー それは間違いよ。それは才能の問題ではないの。私はあなたをよく観察したのよ。私はあなたに才能がないなんて言うつもりはない。私は長い間あなたを見てきた結果、才能だけでは不十分だとわかったの。その秘密、それはあなたの狂気よ。
「あなたは私よりも千倍も狂ってるわよ、薬を使おうが使うまいが。」
ー 私はちゃんと言ったわよ、あなたの狂気だって。あなたの狂い方のことよ。狂った人間たちは世の中のどこにでもいるわ。でもあなたのような狂人は存在しない。あなたの狂気が何でできているのかなんて誰も知らない。あなた自身も知らないでしょう。
「その通りよ。」
ー そう、そこにペテンがあるのよ。人はあなたのせいで作家になるのだけど、それはあなたの燃料を使いこなすことなど誰もできないということを知らないからなのよ。
勇気ある自己分析でしょう。また、人は誰でもアメリー・ノトンブのような小説を書けると思うのですが、誰もアメリー・ノトンブのようにはなれない、という勝利宣言みたいにも読めます。
小説の最後には「私」とペトロニーユとの格差はますます拡がっていき、貧乏作家は生活のために製薬会社の実験台としてありとあらゆる薬を飲まされたり、ゴチック趣味のバーで「実弾ロシアン・ルーレット」のショー芸人になったりするのです。「私」のオルター・エゴであるペトロニーユは、遂には対オルター・エゴである「私」を亡き者にしなければ生き延びることができなくなるのですが.... 結末はあかしませんよ。
郊外で生れ育った貧しくワイルドな娘ペトロニーユは、アメリー・ノトンブ一流の誇張とデフォルメの結果、かなり魅力的なキャラクターで描かれています。自分のヘソしか見れない作家アメリー・ノトンブに対峙するオルター・エゴにこういう破天荒な人物をあてがうということが、この小説のうまさでしょう。特にモエ、テタンジェ、ペリエ=ジュエ、ドゥツ、ドム・ペリニョン... などと絡み合った二人の酩酊のダイアローグはまさに名調子。こんなにメリハリのあるノトンブの小説ってこれが初めてではないですか? また来秋、新作読ませていただきますよ。
カストール爺の採点:★★★☆☆
AMELIE NOTHOMB "PETRONILLE"
アルバン・ミッシェル刊 2014年8月 170ページ 16,50ユーロ
(↓)アメリー・ノトンブ『ペトロニーユ』を語る。
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