2013年10月16日水曜日

(This is not a) Love Song

Philippe Djian "Love Song"
フィリップ・ジアン『ラヴ・ソング』

 フィリップ・ジアン(1949 - )は往々にして「フランスで最もアメリカ的な作家」と称されます。それは2年前にジアンの前々作『復讐』をここで紹介した時に述べました。私が読み慣れた20-21世紀のフランスの作家たちとは明らかに違う、動的で映画シナリオ的でエンターテインメント性に富んだ筆致が特徴的な作家です。ゆえに「ポップで軽め」と見なされる傾向があります。この新しい小説もポップ・スターが主人公で、タイトルが『ラヴ・ソング』ときてますから、軽視されてもしかたないような外観・外装ではあります。
 この小説には「殺し」があります。主人公が自ら手を下す場合と、彼が殺人者を使って遂行する場合があり、前者は未遂、後者は完遂しています。ジアンの場合「殺し」をクライマックスに持ってきたり、「殺し」を物語の進行上の大転機にすることになりますが、なにかゲーム上での事件のように、「殺す」「死ぬ」ということへの頓着が少ないのです。(かの『37,2(ベティー・ブルー)』でも殺してますでしょ。)
 ダニエルは53歳のメジャーのポップ・シンガー・ソングライターですが、かれこれ30年に及ぶ 第一線でも活躍で、世界的にも評価が高く、ヨーロッパ、北米、オセアニア、アジアなどで世界ツアーを敢行できるほどのスター・アーチストでした。「でした」と過去形で書きましたが、現役です。ところが、ダニエルだけでなく、この世界の現役はみんな苦境に立たされている。これを書いている私はその内部の人間のひとりなので、この説明を書かせたら何十ページだって書けるほど言いたいことはあるのですが、ま、要は音楽業界が20年前とはガラリと変わってしまったということが、この小説の土台になっている暗い状況なのです。ジアンは自ら90年代のメジャーレコード・レーベル、バークレイの看板スターのひとりだったステファン・エシェールの作詞家として、エシェールの栄光の時代と、昨今の苦境を内側から知っている人間という自負があります。変わったのはアーチストではない、音楽産業、すなわちレコード会社が変わってしまったのだ、という憤りがあります。そのことをこの小説の刊行時の種々のインタヴューでジアンは言いたい放題言ってました。レコード会社はその魂を遥か遠方におわす(音楽など何も知らぬ)株主たちに売り渡し、その結果「音楽」ではなくまず第一に「利潤」を作るための組織に変わってしまった、という論です。ダニエルは十数枚のアルバムを世に出し、その流行り廃りの波を越えて、第一線アーチストとしての地位を確保してきました。ところが、今制作中の新アルバムに関しては、そのデモ録音に関してレコード会社ディレクターが注文をつけるようになったのです。「こんな陰気な歌ばかりでなく、2曲は陽気な歌を入れてくれないか?」すなわち「売れ線の曲」を作ってくれないか、という意味です。
 この悪魔の手先と化したレコード会社の制作ディレクターがジョルジュという名の男なのですが、ジョルジュにしたって(レコード会社と同じように)以前はこんな男ではなかった。スタジオやツアーで寝食を共にし、そのインスピレーション探しに共に世界中を駆けずり回り、アーチストを物理的にも心理的にもサポートしてやる公私ともの密着パートナーであり「親友」でもあった。ダニエルのレコードは調子良く売れ、ジョルジュはレコード会社内でどんどん昇格していき、買収や再統合でコロコロ変わっていく上層部(社内にいない出資者)にも信頼が厚く、ダニエルの売上で豪邸を構えた。この小説の中で悪玉がいるとすると、このジョルジュひとりだけなのです。それは腐敗した音楽産業のシンボルである上に、卑劣漢なのです。ところがダニエルはこの男と仕事を続けていくしかない、というジレンマがあります。私のような業界内部の人間にしてみれば、だったらメジャーを離れて独立レーベルで男を上げてみろ、と茶々を入れたい部分でもあります。
 しかし、ダニエルが昨今曲作りのレベルで不調で、陰気な歌しか書けなくなっているのは別の理由があるのです。20年間連れ添ってきた妻のラシェルが不倫をして出て行き、もう8ヶ月もラシェル不在の状態が続いている。 しかもその相手はダニエルのバンドのミュージシャンのトニーで、ダニエルはこの男をミュージシャンとしても人間としてもBクラスと思っていただけに、この不倫は不可解だった。しかし不倫という点では、ダニエルにも「前科」はあり(そりゃあトップクラスのアーチストですから、という理由にならない理由もあり)、20年寄り添っていた夫婦には並にありそうな関係があちこちに。そのひとつもきっかけになって、2年前、ラシェルは携帯電話を耳にあてて車を片手で運転中、突然出て来た犬を避けようとして、通行中のラシェルの弟のワルテール(ダニエルの秘書アシスタント)を跳ね飛ばし、沿道の木に激突したワルテールは背骨を破壊されてしまい、その上ラシェルは対抗から現れたトラックに体を引っ掛けられ、数百メートル走行してひきずったあと、彼女の両脚を轢いてしまいます。
 この大事故は姉弟の運命を変え、特に20年前から秘書としてダニエルの手足となって働いていたワルテールは脊椎に異常をきたし、失敗すれば全身不随という大手術を受けることになります。事故以来ダニエルが欠かさずマッサージを施してきたラシェルの傷跡だらけの両脚も良くならず、杖の人になってしまうのですが、それでもその後でトニーと愛人関係になるのです。
 ジアンの小説ですから、いつものようにたくさんのストーリーが詰まっています。上に書いてあるのは、小説の中頃から分かってくる付帯状況を説明してしまっているのですが、小説の本当の始まりは、8ヶ月の不在の果てに、ラシェルがトニーと別れてダニエルの家に帰ってくるところなのです。そしてダニエルはレコード会社から芸歴上初めての「NG」を喰らい、アルバムの作り直しをしているのです。
 物語は序盤から複雑化していき、ラシェルはトニーと破局したものの、トニーとの子を妊娠している(と最初は告白されるものの、小説後半でそうでないことが判明する)のです。そしてそのトニーは、日本の楽器会社からのスポンサー贈呈のピアノをダニエルのスタジオに搬入する途中、ダニエルが足をすべらせた拍子に搬入業者がバランスを崩し、ピアノに潰されて死んでしまうのです。ラシェルはこれをダニエルが故意に起こした事故という疑いをず〜っと持ち続けるのです。
 長い躊躇と夥しい量の(ちょっと不毛な)ダイアローグの末、家に戻ったラシェルとダニエルは再び男女の欲望を取り戻し、表面上の和解を果たします。長い間ラシェルと愛情を交わし合い、子作りの努力もしていたのに、遂にそれが果たせなかったダニエルが、愛人の子を宿った妻と、その生まれて来る子を自分の子として受け入れられるか、その葛藤は凄まじいものなのですが、これをダニエルは止揚してしまう、乗り越えてしまう。ここでラシェルへの愛の歌(まあ、つまり、ラヴソング、というわけですな)が生まれることになるのです。レコード会社ディレクターのジョルジュは大喜び。傑作、ヒット間違いなし。小説中盤ぐらいで、なんだこの陳腐な落とし前は、思ってしまいますよ。
 最初の殺しは、ワルテールの脊椎の大手術に関係したことで、ダニエルのすべての仕事のオーガナイザーであり相談役であり弟分でもあるワルテールとダニエルの間で、この手術が成功せずにもしも全身不随の状態で存命したら、ダニエルの手でその命を断つ、という約束がなされます。手術後ワルテールの全身マヒ状態は直らず、兄弟仁義的な男の約束を果たすべく、ダニエルは車椅子のワルテールを病院からワゴン車で森の奥まで連れていき、ナイフで刺殺しようとするのですが、その刺さりどころが脊椎を刺激して.... そのショックでワルテールは全身不随状態から脱するのです! うっそぉぉぉぉっ!という展開ですが、この辺がジアン一流のエンターテインメントでして。
 ラシェルが8ヶ月の不在の間、ダニエルの欲望のはけ口としていた元ミュージシャン(ドラマー)でジャンキーで年増のコール・ガール、アマンダも魅力的な人物として描かれています。これもジアンにはおなじみの男にとって都合のよい女性像なんですが、ラシェルと復縁した後、ダニエルは麻薬のために病弱化していくアマンダを、あらゆる手段を使って(超高額の医療施設を使ってということです)救済していきます。ここでジアン小説にはいつも重要なファクターである無頼で堅固な「友情」が 確立していきます。この小説で善玉はただ二人、 ワルテールとアマンダなのです。かと思えば友情も愛情も疲労してしまっている医師ジョエルとその妻キャロのような登場人物もあり、その描き方のコントラストが映画的隠し味のようで妙です。
 かくしてラシェルから女児ドナが生まれます。果たしてダニエルは初意を貫いて「ドナの父親」として生きることができるのでしょうか?
 ここで第二の殺しがあります。殺されるのはレコード会社ディレクターのジョルジュ。最初から悪玉として描かれているので、さもありなん、という感じもしますが、なぜ、というのは.... ダニエルがドナの父親はトニーではなく、ジョルジュだということを知ってしまったからなのです。 ラシェルは20年前にダニエルと結婚した頃から、ジョルジュと関係があったということを知ってしまったからなのです。

 なぁ〜んだ、これは!

 そして故ジョルジュの飼い犬(雌犬)ジョルジアが誰も住む人のいなくなったジョルジュの豪邸で野犬化していくのを見るとき、(もう詳しくかいつまんでは説明しませんが)ああ、これがあの時の犬だったのか、というのもわかってしまう。もうゴッチャのストーリー詰め過ぎですよ。こうしてダニエルの「ラヴ・ソング」は歌になっていくのですが、この小説からはほとんど何も音楽なんか聞こえて来ないのです。

Philippe Djian "Love Song"
(Gallimard 刊  2013年9月。236ページ。18,90ユーロ)





↓ラジオEurope 1で小説『ラヴ・ソング』に関連して、「今日のレコード会社は音楽を愛していない」と述べるフィリップ・ジアン

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