2008年5月27日火曜日

自分はナチスだったと一生告白せずに死んだ父



 ブーアレム・サンサル『ドイツ人の村 - あるいはシラー兄弟の日記』
 BOUALEM SANSAL "Le Village de l'Allemand - ou Le Journal des frères Schiller"


 ブーアレム・サンサルは1949年生れのアルジェリア人作家です。今もアルジェ近郊に住んでいます。経済学博士号を取得後,教職,企業経営者などを経て,アルジェリア政府経済省の官僚となりますが,2003年にその政府に対する批判的な言動のために解任されています。作家としてのデビューは遅く,初長編『蛮人たちの誓約 Le serment des barbares 』(1999年)はフランスの権威ある文学賞で処女作品から選考されるプルミエ・ロマン賞(Le prix du premier roman)を受賞しています。この『ドイツ人の村』はサンサル5作目の長編小説です。その前に短いエッセイ「局留め郵便 - わが同胞への怒りと希望の手紙」(2006年)は,その直接的な権力批判のためにアルジェリア国内では発禁になっています。フランス語で執筆するこの作家は,アルジェリア国内ではかなり難しいポジションにあるようです。

 小説は1990年代が背景で,91年の普通選挙失敗(イスラム原理派FIS党が選挙で多数派を獲得した時点で,政府は軍事クーデターを起こし,選挙無効を宣言しFISを武力的に解散させた)以来,過激化した旧FISはGIA(武装イスラムグループ)となって報復テロを繰り返し,10年間にわたって内戦状態が続いていました。そのなかで,1994年,内陸部の小さな村アイン・デブでGIAによる無差別虐殺が起こり,多くの村民たちが残虐なやり方で殺されます。村の長のように尊敬を集めていたひとりのドイツ人ハンス・シュラーもそのアルジェリア人妻共々非業の死を遂げます。
 このドイツ人とアルジェリア人の夫婦には二人の息子がいました。二人とも早くからフランスに渡り,在フランスの叔父夫婦のもとでフランスの教育を受け,成人していました。兄ラシェル(Rachel。アルジェリアとドイツの二つの名,RachidラシッドとHelmutヘルムートを短縮した愛称)は学業成績も良く,エリート校を出て,多国籍企業に入社して世界を飛び回るエグゼキュティヴ・ビジネスマンとなり,フランス国籍を取得,ロシア人女性オフェリアと結婚,郊外の一軒家に住む成功者でした。それに対して弟のマルリッシュ(Marlich。兄と同様に二つの名 MalekマレックとUlrichユーリッヒの合成短縮の愛称)は出来が悪く,郊外のシテ(低所得者集合住宅)で,ダチとつるんでその日の風まかせで行動する,典型的なバンリューの若者で,地区の警察署長にも目をつけられる存在でした。
 小説は二人の兄弟の日記という形式を取ります。つまり話者は二人です。そして出来の悪いマルリッシュは冒頭のはしがきで,自分の文章を添削校正してくれた彼のリセの先生に謝辞をのべ,正しいフランス語でこの日記が書かれているのは彼女のおかげであるとしています。マルリッシュはこの二人の日記が公に発表され,本として出版されることを切望して,その日記を終えています。
 マルリッシュの日記は1996年10月から始まります。これがこの小説の始まりです。4ヶ月前に兄ラシェルが自殺します。その2年前に父母がアルジェリアの村で虐殺されてから,2年間にわたってラシェルは自分の日記を書き綴り,彼がなぜ死を選んだかを弟に説明しています。自殺事件のあと,その遺品としてラシェルの日記を顔なじみの警察署長から受け取ったマルリッシュは,その日記を何度も何度も読み返し,愕然となります。エリート・ビジネスマンだった兄が,父母の死の真相を知るべく単身アルジェリアに旅立ってから,仕事も妻も顧みないようになり,ある調査に没頭して地獄に落ちて行きます。理解できない妻はラシェルのもとを去り,多国籍企業はラシェルを解雇します。
 ラシェルは亡き父ハンス・シラーの軌跡を追っていたのです。1994年内戦の危険の中,アルジェリアの故郷アイン・デブを訪れたラシェルは父の遺品の中に,ナチス・ドイツ軍の身分証明書を見つけます。生前周りの誰にも,家族にもそんなことは一度も言ったことがなかったのに,父はナチ親衛隊の士官であったのです。化学技師だったと聞いていた父は,実はユダヤ人根絶計画の行動班の中にいて,収容所とガス室でホロコーストを実行していたのです。その事実を確かめにラシェルは,その当時父がいた場所(ドイツ,ポーランド,トルコ)に行き,父の人道に対する犯罪を立証していきます。何百万人という人間の命を奪った,有史以来の大罪の張本人のひとりが父であった,と確信していきます。ラシェルはこの2年の調査で精神的にも肉体的にもボロボロになってしまいます。そしてその父の子として,自分は何をするべきか,自分は父に代わって人類に償うべきか,と葛藤します。
 ラシェルの日記は一種のロードムーヴィーのように父の軌跡を追って移動し,町から町にさまよい,人々に出会い,自分が背負ってしまった秘密(原罪)をどんどん重いものにしていきます。1996年2月,ラシェルはその旅の最終地としてアウシュヴィッツに赴きます。そこで出会った犠牲者の生き残りの老婦人と穏やかに話をしたあとで,その別れ際にラシェルは,抑えがまったくきかなくなり,意識も無意識も越えて,口から赦しを乞う詫びの言葉が出てしまうのです。ラシェルは救済されずに死を選びます。
 この日記を読んだ弟のマルリッシュは,最初は全く兄の行動と死が理解できず,子が父の過去のために償わねばならないという道理を拒否しようとします。ナチズムが絶対の悪とすると,父を残忍な方法で殺したイスラム原理主義とは何なのか,それらの悪はどうしていつの世にもはびこるのか,ということを,今自分が生きるバンリュー(郊外)の現実に投射して考えます。アルジェリアで血腥い蛮行があとを経たないように,フランスのバンリューでも,神アッラーに対して不誠実な者たちを成敗せよというディスクールがまかり通るようになりつつあるのです。
 マルリッシュの日記は,ラシェルの精神の葛藤とは別の次元の,場所的今=現在を問いつめていきます。バンリューは今や,諸イスラム国の外交権力にも結びついたイマムたちが若者たちをじわじわと包囲し,戒律と理想で洗脳していきます。マルリッシュはナチズムとイスラム原理主義の違いをほとんど認めません。弟は兄が父の過去の大罪のために自殺するという,過去方向での清算を拒否し,迫りつつある疑似ナチズムと対抗していくという,未来方向での清算を選択します。そしてマルリッシュ自身もアイン・デブの村まで行って,自分がシラー家最後のひとりであることを確認するのです。

 この小説は2008年3月に出版され,書評誌LIREとラジオ局RTL主催の文学賞「RTL/LIRE大賞」を受賞し,現在ベストセラー上位にあります。実話にインスパイアされたと言われるこの小説は,古今東西の文学の主題である父と子,罪と罰,といったことを熱く激しい文体で問いかけてきます。
 ラシェルは会社に行かず倉庫にこもって,ナチ文献を読みふけり,ナチズムが自分の精神に浸食してくることを体験しようとします。すべてのセオリーを把握してもナチズムは遂にラシェルを侵害することはありません。しかしこれは勝利ではないのです。たぶん普通の(優秀な)ドイツ人であった父は,当時のドイツ人としての義務を遂行したのです。ここで「人間として」という倫理を差し挟めるか。ラシェルの旅は「人間として」父の見た風景を再訪したがゆえに,自分が生きられなくなってしまったのです。
 ラシェルもマルリッシュも,それについてひと言も言わずに死んだ父,というのを恨む文章を何度も書いています。独立戦争の時にアルジェリア民兵を指導して村人たちから尊敬されていたハンス・シラー。父親像をよく知らずに外国で育ってしまった息子ふたり。私はこの家族は最初から壊れてしまっているような印象を持ちましたが,亡き父親に執着し,その大罪まで被ろうとしている息子たちは,この世に珍しい「父の子」と言えるかもしれません。
 何も言わなかった父親は,父親として最低じゃないか,と思われる人たちには,この小説は成立しないのです。これは若い日に自分の親に対して「あんたは親として最低だ」と何度も言ってきた私が書いているのです。

BOUALEM SANSAL "LE VILLAGE DE L'ALLEMAND - OU LE JOURNAL DES FRERES SCHILLER"
(Editions Gallimard刊。2008年2月。265ページ。17ユーロ)

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