2023年12月10日日曜日

Do they know it's Christmas time at all ?

"Bâtiment 5"
『5号棟』

2023年フランス映画
監督:ラジ・リ
主演:アンタ・ジャウ、アレクシ・マネンティ、アリストット・リュインデュラ
フランス公開:2023年12月6日

ンヌ映画祭審査員賞+セザール賞最優秀映画賞(+3部門)+観客200万人の映画『レ・ミゼラブル』(2019年)の4年後、ラジ・リ監督の2作めの長編映画。4年前爺ブログは『レ・ミゼラブル』の絶賛評の最後に「一言だけ苦言を言えば、女性たちの出る幕がほとんどない映画。郊外で女性たちが出る幕がないということはありえないはず。」と書いた。それに応えてくれたのか、ラジ・リ新作の主人公は女性である。これが素晴らしい女性ではあるのだが...。
 舞台は町名は出てこないがパリ郊外93(セーヌ・サン=ドニ)県のとある町である。シテと呼ばれる林立する高層社会住宅の地区があり、一方で瀟洒な一戸建て住宅の立ち並ぶ地区もある。映画は老朽化した高層社会住宅のひとつを爆薬によって倒壊させるセレモニーから始まる。数百人の元住民たちの数十年の歴史の舞台となった建物の最後は、町のお偉方たちがお立ち台に並び、見物聴衆たちのカウントダウンの声が「ゼロ!」になるや爆破スイッチが押され、大歓声と大轟音のうちに...。ところが、爆破工事請負会社の計算違いか、爆破の破壊力は予想をはるかに超える大きさで、爆風がセレモニー場所まで吹き荒れ、市長を直撃し、そのショックで市長は死んでしまう。
 "栄光の30年(Trente Glorieuse)"と呼ばれた第二次大戦後の高度成長期に外国や海外県から迎え入れた夥しい数の労働者たちを住まわせるための低家賃(高層)社会住宅は、大都市近郊周辺からそのドーナツ円周を拡大させ、遠距離に広がっていった。老朽化すれば壊し、新しい建物と地区が同じ場所にできるが、家賃は上がり、元住民はそれより安い遠い周辺に追いやられる。大都市とその周辺の都市計画はこのように低所得者を周辺にさらに周辺にと追いやるかたちで進行してきた。それには当然建設会社や不動産会社の利権が絡み、地方政治的には所得の安定した住民を増やし貧乏人を駆逐することで税収や治安の安定をはかるという意図もある。成長期が終わり、大失業時代がやってきて、貧富の差はいよいよ拡大していくが、この都市計画は止まらない。老朽化した社会住宅は、破壊→建て替え→新地区への移行を早期に実行したいため、公団による修理修繕も手薄になりただ腐敗するのを待っている。そういう郊外の高層住宅が貧困者のゲットーとなったり、地下経済/並行経済および麻薬や銃器売買のアジトとなったり、十全主義的宗教セクト思想の温床となったり、といったネガティヴなイメージで塗り固められていく。前作『レ・ミゼラブル』と同様、この映画もそういう現場を背景にした作品である。
 死んだ市長は、腐敗した高層社会住宅をひとつひとつ爆破して、そのあとに小綺麗なニュータウンを、という都市計画の推進者であり、所属する中央の党(名指されていないが保守系)もゼネコン/不動産筋からの黒い金の恩恵があるので、是が非でもこの路線は続けてもらわなければ困る(これを市幹部に厳命するのが、同党の地方選出国会議員役のジャンヌ・バリバール)。次回選挙までの(市執行部によって選出され)代理市長となったのが、死んだ市長の補佐役のひとりで町の開業小児科医であるピエール・フォルジュ(演アレクシ・マネンティ、前作『レ・ミゼラブル』に続いての怪演)。あからさまな政治的野心があり、これを足掛かりに中央政界さらにその上までを視野に入れている。かなり戯画的なポリティック・アニマル。この男が登場したとたん、映画全体がいっぺんに政治劇になってしまう。
 仮市長フォルジェは権力を掌握するや、町の諸悪の温床はすべてかの老朽化した低家賃公団高層住宅地区にあり、それをできるだけ近い将来に解体し住民たちを放逐するべく工作を始める。シテの駐車ゾーンでの”闇”自動車修理・解体業を禁止し、重機で強制的に撤去する。未成年の夜間外出や未成年だけで集合することを禁止する条例を発令する....。
 北アフリカやアフリカなどからの”難民”は受け入れないが、シリアからの”キリスト教徒”難民は市が手厚く保護する。「選択的難民受入」という批判をものともせず、市長はこれを模範的難民政策として世論にアピールしようとする。父と二人この町に受け入れられた若いシリア難民女性タニア(演ジュディ・アル・ラシ)は市役所の文書管理課に研修生として働き始めるが、その上でその課に働いているのがハビー・ケイタ(演アンタ・ジャウ)で、彼女はシテ地区の”民生委員”的な役割を担っていて、さまざまな相談ごとを受け、その解決のために公的機関と折衝・談判もする行動的ボランティア。ハビーはこのシテの5号棟で生まれ育ち、今もその住民たちと密な関係で生活しているので、市当局の超手抜きのシテ建物管理(エレベーターが長年修理されていない等)には執拗に抗議し改善を求めるが、市が進めている(シテ解体後を想定した)新都市計画には真っ向から反対する。
 オプティミスティックでその”政治”による解決はあると信じるハビーがいる一方で、その恋人のブラーズ(演アリストット・リュインデュラ)は政治では何も変わらない、ましてや暴動でも何も変わらなかった(これは『レ・ミゼラブル』の大きな主題だった)というペシミスティックな考え方の持ち主である。 シテの現実にどちらが近いかと言えば、私はブラーズの側だと断言できる。それはそれ。ブラーズはそれでもハビーの行動を支援し、ハビーの相談に乗っている。
 映画の中で最もイケすかない役割を演じているのが、死んだ前市長の時から市長補佐をしているロジェ(演スティーヴ・チェンチュー。ちょっと柔道のテディー・リネールを想わせる巨漢カリビアン黒人)で、保守市長側がこういう肌の色の人間を要職に置いておけば”その種の”住民たちの信用を得られるだろうという意図が見え見えで、ロジェ本人も保守勢力から甘い汁を吸わせてもらっているという立場。これがシテ住民たちの意見を聞くフリだけはするが。ハビーの行動には敵対していく。
 仮市長フォルジェの(警察機動隊・CRSを使っての)シテ住民たちへの圧力は露骨さを増していき、ハビーは住民たちとデモを組織し、フォルジェに対して市長選挙の実施の義務をつきつけ、ハビーは市長選に出馬する。こうしてフォルジェ対ハビーの一騎打ち選挙戦が始まるのだが、フォルジェはあらゆる手を使ってハビーを妨害する....。

 いいですか、お立ち会い、こんなふうにこの映画ははっきりした「善」対「悪」の政治闘争、いわば古典的階級闘争になってしまうのですよ。これが悪いとは言わないけれど、一挙に『レ・ミゼラブル』の複合的な深みが失われてしまうのですよ。

 シテの中の多彩な民族色あふれる共同体的つながりは、建物の中に調和的な溜まり場をつくり、人々が集まり、共に語り、時には歌ったり踊ったり、そして飲み、一緒に同じものを食べたりする。大鍋を使った大人数料理を作ったりする。彼らには欠かせない生活の営みである。外食するような金などないのだから。みんな助け合っているのだから。これがこの映画の罠になるのである。老朽化したシテ内のアパルトマンの台所での大人数用の火を使った大鍋料理... ここから火災が発生してしまった...。瞬く間に煙が回ってしまう老朽高層住宅、逃げ惑う住民たち...。
 消防のおかげで延焼は免れたが、建物が被ったダメージは甚大である。消火後火災現場を視察する市長フォルジェと消防と市の幹部。フォルジェは検証の結果として、(千載一遇のチャンスと勝ち誇ったように)、消火ダメージによって建物の危険状態が著しく、住民全員の避難(仮住まい転居)が必要と退去命令を発する。長年望んでいたことがこんなに簡単にやってきたではないか、とフォルジェは補佐のロジェに言う。ロジェは驚き「クリスマスの日に住民を追い出すのか?」と異を唱えようとするが、結局権力=フォルジェに従うはめになってします。
 映画の一番の見せ場は、この警察機動隊・CRSの大部隊が出動して、着の身着のままの住民たちを建物から追い出すシーンであるが、住民たちはできる限りの抵抗として家財道具を持てるだけ持ち出し、高層住宅の窓から吊るして下ろしたり、投げ下ろしたり...。これがクリスマスの日に起こったのだ。冷笑的にあんたたちの宗教とは無関係だろうと言うムキもあろうが、子供たちにとってはどんな子供たちでもクリスマスはクリスマスなのだ。ハビーの怒りと悲しみは...。そしてすべてを失ってしまった住民たちは...。
 
 町の反対側の瀟酒な高級住宅街のクリスマス電飾できらめく一角にある市長フォルジェの屋敷では、シリア難民のタニアとその父親をゲストに招いて、市長夫人がホロホロドリを焼き、クリスマス装いの子供二人とともに、ピエール・フォルジェの帰宅を待っている。そこに現れたのが、シテを警察権力によって追い出され無一物になったブラーズ、その煮えたぎる怒りを抑えることができなくなった彼は鉄バールを振り上げ、クリスマス装飾の市長宅サロンを手当たり次第に破壊していく。そこへ帰ってきたフォルジェもその暴力にひるんでしまい、悲鳴を上げ、小心者の正体が露呈してしまう。ブラーズはクリスマス料理の並ぶ大テーブルに石油をばらまき、火を点けてこの家を焼き払おうとするが....。

 映画の結末はこのような「闘争の敗北」を描こうとしているのではないので、最後のところまでは語らないでおくが、最後にかけつけたハビーにはこれでいいのか、これでいいのか、という問いが私には残る。この映画は未完である、と言うより「未完成品」である。山場まで来てシナリオが書けなくなった映画のようにしか見えない。
 この映画には続編が必要だ。「善」と「悪」の問題にしないでほしい。ハビーのやるべきことのヴィジョンも示されていない。クリスマスを台無しにされたのは、この映画を観た人々も同じであろうが、違う答えが来ることを私はまだ願っている。続編を待っていよう。

カストール爺の採点:★★☆☆☆

(↓)『5号棟』予告編


(↓)記事タイトルに借用したので。Band Aid(1984年)私これ大好きでしてん。

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