2021年8月12日木曜日

ヌーヴォー・ウェスタン

『トム・メディナ』
"Tom Medina"

2021年フランス映画
監督:トニー・ガトリフ
主演:ダヴィッド・ミュルジア、スリマン・ダジ、カロリーヌ・ローズ・サン、シュザンヌ・オーベール
音楽:カロリーヌ・ローズ・サン、ニコラ・レイエス、トニー・ガトリフ
フランスでの公開:2021年8月4日

度のことではあるが、トニー・ガトリフは素晴らしいアクター/アクトリスを発掘する。前作『ヂャム(Djam)』(2017年)の主演女優ダフネ・パタキアには全面的に魅了された私である。この新作に主演したダヴィッド・ミュルジアもダフネ・パタキアと同様ベルギー人であり、演劇とサーカスの世界にいたという、アクロバティックなアクションと詩的情動が同居する逸材。この不安定でありながらびりびり張りつめている顔がこの映画の魅力のほとんどを決定していると言えよう。
 撮影は2020年、コ禍対策第一回めのロックダウン(3月17日から)の直前に緊急に行われた。 つまり2月から3月、晩冬初春、場所は南仏カマルグ地方。広大な自然保護区内のワイルドな湿原であり、疾走する白い馬の群れ、ピンクフラミンゴなど絵はがき的なショットも映画に挿入される。映画冒頭は(たぶんアルルと思われる)闘技場でのコリーダのシーン。既にトロー(カマルグ産の闘牛用の牡牛)がピステに登場しているのだが、正装したメインのトレアドールが、黒猫が目の前を通ったという不吉な迷信の呪縛に怯んでしまい、周りがいくら説得してもピステ入場を拒み、場内のやんやの声援はやがて怒号に変わっていく。そこへ客席からピステに降り立ったひとりの若者、怯むトレアドールから闘牛帽を奪い、丸腰でトローと対峙し、トローを挑発する。「おまえは何をやっているんだ、出て行け!」の場内の声を無視して、若者はトローを挑発をし続け、突進して向かってくるトローを見るやあわてて逃げ客席スタンドのフェンスにしがみつく。トローが中央に戻ると、若者は再びピステに降り、トローを挑発し、怒るトローの突進にまた客席スタンドへと逃げていく。得意そうな若者の不敵な笑顔、これはショーマンの恍惚に違いない。無鉄砲な目立ちたがりだが、見せ場はつくれる。命知らずのアクロバット。映画のトーンは早くも「ウエスタン」なのである。
 若者は(おそらく数度の軽犯罪の刑罰として)通常は鑑別所送りとなるべきだったところを、民間の身柄預かり元のところで住み込み職業訓練をして、一定の指導期間を終え(民間)監督者から合格証がもらえれば、社会復帰できるというプロセスを履行しに、カマルグ地方の牧場農家に向かう途中だった。身柄引き受け人の名はユリス(演スリマン・ダジ)、カマルグの白馬の飼育牧場の主、既に何人もの軽犯罪受刑者たちを教育更生させてきた”馬喰親方”タイプの屈強頑固な男。ジョン・ウェインを想ってもいい。
 ユリスは前もって若者に身柄受け入れ受諾の手紙と旅費の小切手を送っていたが、その手紙の封も切らず、若者は約束の日から数日遅れて徒歩でやってきた。泥まみれでたどり着いた若者はトム・メディナと名乗った。ユリスがトムの住み込みの寝場所としてあてがったのは、数年前に行方不明になった息子(画家の卵だったようだ)の部屋だった。ユリスが抱える大きな心の傷である。トムは部屋に飾られた息子の絵画(カマルグの馬とトロー)に強く感じ入るものがあり、そこからトリップもしてしまう。これはトニー・ガトリフ映画に共通するものだが、ガトリフ映画のヒーロー/ヒロインたちは、(近代人が失ったであろう)、動物や自然と感応・交感できる”プリミティヴな”能力をそなえている。プリミティヴ&ピュアー、だから現代社会と軋轢があり、排除されがちな人々。
 そしてこの映画で異彩を放つのが、ユリスの娘ステラ(演カロリーヌ・ローズ・サン)で、父に代わって牧場のすべてを任されていて、蹄鉄打ちやら馬の飼育手入れ全般(トムの職業訓練のコーチとなる)をする一方で、農家の一角を閉め切り、爆音音響でギターをかき鳴らして、ほぼデスメタル風サチュレーション・ヴォーカルでがなりたてる、という音楽家。実際カロリーヌ・ローズ・サン(ドイツ出身のシンガー・コンポーザー)は10年ほど前からロック、メタル、シャンソン、声楽などの分野でライヴ活動を行っている。この映画のサウンドトラックにも5曲提供している。この娘は父の右腕であり、カマルグのワイルドな自然の中で強靭に育ってしまったのだろうが、おそらく芸術家肌だった(失踪した)兄との間には確執があったに違いないし、それが父と心の傷を共有するところでもある。
 この世界に飛び込んできたトムは、純な悪ガキのように突っ張りながらも徐々に順応していく。馬で駆けるシーン多し。因みに「カマルグ・ウェスタン」として今日まで最も有名なのは、ジョニー・アリデイ初主演映画『ジョニーはどこにD'où viens-tu Johnny?)』(1963年、共演にシルヴィー・ヴァルタンとピエール・バルー)であった。この能天気な"芸能娯楽”映画とガトリフ映画が全く何の関係もないとは言えない。どちらもどこから来たのかわからない若者が主人公なのだから。
 厳しい目の監督者であり親方であるユリスも人間としての高さを感じさせるものがある。古い印刷の本を読んでいるのだが、それは何かと興味を示すトムに、これはトルバドールの言語(プロヴァンサル語/オック語)で書かれた伝承譚だと、一説を読んできかせる。目を輝かせて聞き入るトムに、おまえのためにこの本のバイリンガル版(オック語とフランス語)を買ってやるよ、と。するとトムは短期間のうちにオック語をマスターしてしまう。ガトリフ映画に登場する流浪者たちの強みは耳と言語センスであり、流れて生きることを多言語で支えている。
 さて、このオフシーズンで人気のないカマルグの湿地帯や浜辺で、ペットボトルなどのプラスチックごみを拾い集めている行動的エコロジストの一団がいる。そのひとりシュザンヌ(演シュザンヌ・オーベール)は、観光地(ジタンの聖地)サント・マリー・ド・ラ・メールの街頭で観光客相手にローズマリーなど香草を売ってわずかな収入を得て、街道脇に留めた古風なルーロット(キャラバン)の中で生活している。トムに芽生えるほのかな恋心。しかしシュザンヌには彼女の両親によって無理やり生き別れにされた3歳の娘がいて、この娘を取り戻して一緒に暮らしたいという悲願がある。この悲願への旅立ちが映画のクライマックスとなるのであるが...。
 プリミティヴ&ピュアーなトムはこの環境でもさまざまな問題を起こす。妻に暴力を振るう夫を現場で見てしまったトムは夫に襲いかかり大怪我を負わせる。トムを警察に引き渡さざるをえないユリスにトムは「女に拳をあげる男を目の前に見て、あんたならどうする?」と詰問する。これは圧倒的にトムが正しいのだ。ユリスとステラはトムの真の味方となるのだが...。
 裁判所出頭命令、晴れて監督期間終了のお墨付きがもらえる日に、トムは姿を現さない。「トム・メディナ」という男は存在しない。でっち上げのアイデンティティーでここまでやってきたが、ユリスには嘘を通し続けられない。貧困と戦乱を逃れて地中海をボートで渡ってきた(その間に同行した弟が命を落とす)素性をユリスに告白し、トムは再び流浪の身となる。その旅は、その日のうちに、愛するシュザンヌとその子を奪還しに行く旅へと変わっていく。二人で徒歩で進む旅へと。エンドマーク。
 これはまさにウェスタンですよ。
 2020年第一次ロックダウン前のカマルグで撮られた緊急感がカメラアイにも明らか。野生の白馬のように御し難く直進型の若者トム、憑物となってトムが幻視してしまう白く光り突進してくるトローのイメージ、サント・マリー・ド・ラ・メールの守護聖人である黒い聖女サラへの安直な祈り.... 現地で浮かんだであろうさまざまなアイディアを乱暴に詰め込んだような編集もいつものガトリフ調だ。ニコラ・レイエス(ジプシー・キングス)の挿入歌(2曲)も直球ど真ん中でこれ以上求められないようなはまり方。美しいカマルグに、どこからやってきたのかわからない美しい黒い瞳の若者が、出会いと苦悶苦闘を経て脱皮し、またどこかへ去っていく。それだけの映画がどれだけ心を射るか。また同じような映画をガトリフは撮り続けるだろう。変わらぬ巨匠の熱情に感謝。

 
カストール爺の採点:★★★☆☆
 
(↓)『トム・メディナ』 予告編


(↓)MC ソラール「ヌーヴォー・ウェスタン」(1994年)


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