ジェーン・バーキンの極私的日記の第二巻『ポスト・スクリトム』(2019年10月刊)の中に、2004年発表のアルバム『ランデ・ヴー』に収められた井上陽水作の曲「カナリー・カナリー」に関する記述がある。2004年2月、東京、インタヴュー、口パクヴィデオ撮影、インタヴュー、またインタヴュー...。ジェーンBはかなり疲れている。東芝EMIとフィガロ・マガジンが日本でまだ絶大な力があった頃の話と理解しよう。
ギャルリー・ラファイエット百貨店のような建物の中の美容室にいたように思われたが、気がついたらホテルの鏡の中に私は自分の姿を見出し、すべては明白になった。前夜はめちゃくちゃだった。私は延々と終わらない数回のインタヴューの間じゅう、何リットルもの水を飲んでいた。午後1時にヘアーとメイクに始まり、日本の偉大なシンガー井上陽水の歌「カナリー・カナリー」のプレイバックフィルム撮影のために通りを歩いていった。彼は歩きながらずっと私の背中を撫でていて、彼らは私にも同じことを彼にするように要求し、私は恥ずかしさで真っ赤になり、どこから始めていいのか、怪しげな黒いカラスのような彼の頭髪から始めようか? これに関して私は何も言えないのだ! この優しい"おさわり”はフィガロ・マガジン用なのだ。レッドゾーン、歓楽街を通過していったが、とても興味深く、私はもっとゆっくり進みたかった。白ソックスの悲しげな二人のティーンネイジャーが、物憂く小ぶりな顔で、薄汚い男たちにいかがわしいヴィデオを売り付けようとしていたのが見えた。たぶんこの娘たちは21歳に達しているのだろうが、私には12歳ぐらいにしか見えなかった。
ややこしい質問のインタヴュー。なぜあなたは「カナリー・カナリー」を選んだのですか?それは日本の巨大な音楽市場に食い込むためですか?
井上陽水は私のチョイスだった。なぜなら彼は非常に繊細だから。彼は予想もしていないようなことを私に語った。彼はビートルズを熱愛していて、そのためにマージーサイド橋を渡ってリヴァプールまで行ったのだ。あの当時、日本からは北極回りで飛行機を三度乗り換え、次いで電車で目的地まで到達したのだ。ひとたびそこに着くや、彼は動けなくなり、ただ泣いて震えていた。自分の激愛していたバンドのそばにやってきたひとりの日本青年 ... 私はとても感動した。
(Jane Birkin "Post-Scriptum" p305-306)
(↓)ジェーンB + 井上陽水「カナリー・カナリー」(東京ヴァージョン)
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