『グッドラック・アルジェリア』
"Goog Luck Algeria"
2015年制作フランス・ベルギー合作映画
監督:ファリド・ベントゥーミ
主演:サミ・ブーアジラ、フランク・ガスタンビド、キアラ・マストロヤンニ
フランス公開:2016年3月30日
この映画の封切日の2016年3月30日、共和国大統領フランソワ・オランドは「国籍剥奪法」の法制化に不可欠な憲法条項の改正を断念したのでした。これは2015年11月13日に起こったパリ&サン・ドニ同時テロ(スタッド・ド・フランス、パリ10/11区の街頭乱射、バタクラン劇場)に際しての国家緊急事態宣言の発令の時、テロリズムとの徹底抗戦のマニフェストの一つとして、凶悪テロリストへの刑罰として「国籍剥奪」を刑法に加えると提案したことに端を発しています(11月16日大統領演説。これはサルコジが大統領在任中にも提案されたことがある法案で、主に保守硬派から極右にかけての人たちが口にするのがこれまでの通例でしたが、かりそめにも社会党から大統領に選出された者が... と良識ある左派陣営はかなりあきれたのでした。そして「国籍剥奪法案」の国会上程の前に、その法案提出者の役であった法務大臣クリスティアーヌ・トビラ(今のところオランド治世中の唯一の成果「同性結婚法」の立役者です。歴史に残ります)が、この法案は自らの政治信念と異なる、と大臣職を辞職します。
国籍を剥奪され無国籍となった状態を "apatride"と言いますが、 フランスは1954年の「無国籍に関する国際条約」に調印しているので、フランスが国として無国籍者を発生させるわけにはいかない。オランド政府がこの法案と対象としているのは、テロリストの多くがフランスとその親の出身国の「二重国籍者」であったことから、そのうちのフランス国籍を剥奪して、無国籍者にすることなく「オリジンの国の国籍者」に戻すという範囲にとどまる。そうすると法の下に平等であるはずのフランス人が、「純フランス人」と近年に国籍を取得した(二重国籍の)「非純フランス人」の二つに分けられ、法対象は後者のみという不平等を生むことになる。私はもともとこの法案は不条理にして不可能なものと思っていましたし、オランドへの失望は底をついた感がありました。歴史的にフランスがこの「国籍剥奪」で悪名を馳せたのは、第二次大戦中、ナチス傀儡のヴィシー政権によるユダヤ系フランス人の国籍剥奪でした。こういう記憶があるにも関わらず、かのテロ以降のフランス人の過半数はこの「国籍剥奪法」を支持していたというアンケート数字があります。けっ。それは私があまり認めたくない昨今の右傾化したフランスの素顔でしょう。
この標的にされたのが「二重国籍者」です。フランス語では "binational"(ビナシオナル。複数形は "binationaux" ビナシオノー)と言います。この法案が出た頃から略称で "bi"(ビ)と呼ばれるようになりましたが、 その前まで "bi(ビ)"と言えばバイセクシュアルのことだったのです。最近のテレビインタビューで、パリ市長アンヌ・イダルゴに「あなたは "bi"ですか?」と尋ねたら、市長はきっぱりと「私は "bi"です」と答えました。バイセクシュアルということではなく、フランスとスペインの二重国籍者であると答えたのです。彼女は社会党内にいながら、はっきりとこの国籍剥奪法には反対の立場を取っていました。なぜなら "bi"は他のフランス人とは全く異ならないということを身を持って証明している立場の人間だからです。しかし、多くの人から見れば「ビ」はオランドの発案によって、国籍の剥奪が可能なB級国民に等級付けられたような印象があり、国内でのテロの危険の潜在的な可能性はこの人々にあるかのようなレッテル貼りと言えます。
この映画は「ビ」の物語です。制作時にはおそらくそのような意図があったとは思えないのですが、偶然にしてこの数ヶ月の政治状況のせいで、これは「ビ」の映画になってしまったのです。そしてこれは「ビ」であることの素晴らしさを描いてしまったのです。
映画の劇場公開日の3月30日に、オランドは「国籍剥奪法」の成立を断念しました。象徴的です。「ビ」はこの日、数ヶ月間の政治的激論の中でかけられていたあらぬ嫌疑からやっと解き放たれたのです。「ビ」の勝利の日です。ですから、この映画の読まれ方はこの日まるっきり変わってしまったのです。
前置きが(超)長くなりました。
映画に登場する「ビ」は二人いて、夫婦です。妻のビアンカ(演キアラ・マストロヤンニ)は女優の実生活と同じでフランスとイタリアの二重国籍者です。夫のサム(演サミ・ブーアジラ)はフランスとアルジェリアの二重国籍者です。二人とも40歳過ぎの働き盛り。一人の娘がいて、もう一人の子供がビアンカのお腹の中にいます。サムは元ノルディック・スキー(距離)のフランス・チャンピオンであるステファヌ・デュヴァル(演フランク・ガスタンビド)と共同経営で、グルノーブル近郊でノルディック・スキー板製造会社を運営しています。会社は元チャンピオンの名を冠して「スキー・デュヴァル」というブランドです。この世界、スキーのワールドカップや冬季オリンピックでそのブランドの製品が好成績を収めたら、それに勝る宣伝効果はありません。勝てるスキーは自動的に売上を倍増します。20年前のチャンピオン、デュヴァルの名は今日宣伝効果として通用しないものになっていますが、ロシニョール、エラン、フィッシャーなどの大量生産の大ブランドと対抗して、少量生産のヴィンテージスキーとして生き延びようとしているものの、道は厳しい。厳しいどころか、会社存続の危機に瀕している。そんな時に次期冬季オリンピックに、スウェーデンのトップ選手が「スキー・デュヴァル」をオフィシャル・サプライヤーとして指定するという大朗報が飛び込みます。会社はシャンパーニュの栓を抜き、未来の成功のためにスウェーデン選手ヨハンセンとの大々的な広告を準備し、社運の全てを賭ける投資をしてしまいます。ところがヨハンセンは土壇場でその契約に調印せず、ライヴァル会社に鞍替えしてしまうのです。「スキー・デュヴァル」は一転して倒産の危機に直面します。
ここでステファヌが奇跡的なアイディアを思いつきます。二重国籍者であり、アルジェリア国籍を持っているサムに、次期冬季オリンピックにアルジェリア代表としてノルディック・スキー(距離)に参加させることによって、「スキー・デュヴァル」をアルジェリア・チームのオフィシャル・サプライヤーにすること、さらにその露出度で世界に「スキー・デュヴァル」の知名度を高めること。IOC(国際オリンピック委員会)は、アルジェリアがこの種目で参加することになれば2万ドルの補助金を出す、と。アルジェリアに公式のノルディック・スキー・チームがあるか?実際に存在していたのです!43歳のサムは、オリンピック出場のための距離種目最低タイムを突破するべく、猛練習を始めます。最初は誰も信じません。妻や取引銀行たスキー製作会社社員たちは、全く現実的ではないこのプロジェクトに呆れ、 いい加減に目を覚ませとサムに迫ります。
しかし、サムは猛訓練の甲斐あって、徐々に実力をつけて行きます。けれど会社の金庫は底をつき、道半ばにしてこの計画は座礁しそうになります。思い立ってサムは(20余年も一度も足を踏み入れたことのない)アルジェリアに飛び、アルジェリア政府スポーツ省から、CIOの補助金2万ドルを回収しようとします。アルジェリアの役人は、サムを公式のアルジェリア・距離スキー選手として認定するものの、補助金のほとんどはピンハネして、スズメの涙ほどの金額しかサムに渡しません。
万事休す。映画はここで一転して、絶望の淵にあるサムの「アルジェリア再発見」のエピソードに変わっていきます。父親が残した土地にオリーヴの木を植えて、その土地を守って欲しいという父親の夢。故国アルジェリアへの誇り。田舎者だけれどシンプルな人間たちの生き様。サムは父親から受け取ったこのような「血の故国」の財産に目覚めてしまうのです。たとえ「国家機関」としてのアルジェリアは腐敗していて自分にとって何の意味もないものでも、血の故国アルジェリアは違うのだ、という実感を得るのです。
映画は、かつての大ヒット映画でジャマイカのボブスレーチームを描いた『クール・ランニング』(仏語題『ラスタ・ロケット』。1993年アメリカ・ウォルト・ディズニー映画)と似たようなところがあり、南国アルジェリアではありえないスキー種目での果敢な挑戦という見せ方もします。しかし、それよりもずっとケン・ローチ風社会派映画に近い、現代の失業現象、中小企業の危機、移民と二重国籍の問題、ナショナリズムと土地の問題、そして共生する社会の実現とはどういうことなのか、といった盛りだくさんの主題を一挙に突きつける映画です。サムは山積みの問題を超えて、アルジェリア国旗を掲げて冬季オリンピックの開会式の行進のテレビ中継に映されることに、無上の誇りを覚えるのです。
前半に長々と書いたことの繰り返しになりますが、これは「ビ」であることが何かしら後ろめたいことになっていた時期に、全く逆の「ビ」であることの誇りを表明した映画になったのでした。図らずも、のことです。オランドは大変な誤りを冒したのです。この作品に対する世の評価は知りませんが、私にとって、これは2016年春的には非常に重要な映画として記憶されるはずです。
なお、この映画は監督ファリド・ベントゥーミの実兄ヌーレディン・ベントゥーミ(グルノーブル在のアルジェリア移民二世)が 、2006年トリノ冬季オリンピックにアルジェリア代表のスキー選手として出場した、という実話に基づいています。
カストール爺の採点:★★★★☆
(↓)『グッドラック・アルジェリア』予告編
2 件のコメント:
PERE UBUです。いつも感心しているのですが、タイトルの付け方が最高です。思わずニヤリとするものあり、最初から大爆笑するものありと、変幻自在、軽みと重みの絶妙な組み合せです。それで今回の"bi"はハムレットの苦悩と同じ重さを持っているのですね。超長い前置き(^_^;)のおかげで、トビラ法相の辞任の背景と二重国籍の意味がよく理解できました。France2のニュースを見ていたら、”憎悪反対”キャンペーンの中でユダヤ人を誹謗する落書きが映し出されました。ユダヤ人迫害の歴史があるからと単純に思っていたのですが、これも差別につながる”binational”問題を踏まえているのでしょうね。
Père Ubuさん、コメントありがとうございます。
11月13日のパリ/サン・ドニ同時テロ(含バタクラン)で、オランドをはじめ多くの人々がテロ実行犯のほどんどが外国人ではなく「フランス国籍者」であったことに衝撃を受けたのです。フランス国籍者が無差別に多数のフランス人を殺害するということに、彼らのパトリオティスムは激しく傷つけられたのです。こういう輩は「フランス人」であってはならないという感情論です。死刑を廃止した国にあって、「国籍剥奪」は極端に重い刑のはずですが、この刑はすべての凶悪テロ犯罪者に適用されるのか、それとも「二重国籍を持つ」者だけに適用されのか、が争点になっていました。法の下の平等の原則に従えば(フランス国籍しか持たぬ者も)すべての凶悪テロ犯罪者に適用されなければならない。ところがこの法案の標的は「ビナシオノー(二重国籍者)」に限定されている。
テロがもたらした重苦しい雰囲気は、市民たちの目をいぶかしげなものにし、それはアマルガム(くそみそ論的な同類扱い)として「イスラム教」「アラブ人」「(北アフリカおよびアフリカ移民系)ビナシオノー」をイスラム過激派テロリスムと関連するものと見る傾向を作り出してしまいました。その傾向を故意に助長する「国籍剥奪法」をオランドは提案したのです。3月30日にオランドはそれを断念しましたが、全く以て愚劣な法案であったと私は思います。
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