2012年11月14日水曜日

九分九厘のブルックリン

『ヌー・ヨーク』2011年フランス映画
"NOUS YORK" 監督 : ジェラルディーヌ・ナカッシュ&エルヴェ・ミムラン
主演 : レイラ・ベクティ、ジェラルディーヌ・ナカッシュ、ペイエ
フランス公開:2012年11月7日


 ジェラルディーヌ・ナカッシュとエルヴェ・ミムランの初の共同監督作品 "TOUT CE QUI BRILLE"(『輝くものはすべて』。2010年3月公開)は、その予想外のヒットのおかげで、レイラ・ベクティという女優をスターダムにのしあげ,ベクティの主演映画はこの2年間で7本にもなりました。特にルーマニア生れの監督ラデュ・ミハイレアニュの映画 "LA SOURCE DES FEMMES"(2011年カンヌ映画祭コンペティション出品作。北アフリカの村の水汲み労働を拒否する女たちのセックス・ストライキを描いた映画)に至っては,フランス映画界は大女優の誕生を見てとり,翌年のセザール賞の最優秀女優賞にノミネートしたのでした(受賞はしませんでしたけど)。とにかく昨今のレイラ・ベクティの輝きはたいへんなものです。
 またジェラルディーヌ・ナカッシュの兄,オリヴィエ・ナカッシュは相棒のエリック・トレダノとの4本めの映画 "INTOUCHABLES" (2011年,邦題『最強のふたり』)が地球規模での大ヒットを記録して,ナカッシュ兄妹はフランス映画で最も注目される二人の映画監督となっているのです。
 さて前作 "TOUT CE QUI BRILLE"は郊外の二人の娘エリー(ジェラルディーヌ・ナカッシュ)とリラ(レイラ・ベクティ)の友情のストーリーでしたが,私はブログ紹介 の時にこの二人がユダヤ人(エリー)とムスリム(リラ)であることは語りませんでした。ところが,この二人がそれぞれの文化背景をしっかり抱え込んだまま「親友」であるということは,非常に重要なファクターであった,ということがこの新作を見終わってはっきりとわかったのです。
 新作映画は前作と同じように対照的な二人の娘,サミア(レイラ・ベクティ)とガブリエル(ジェラルディーヌ・ナカッシュ)の友情と仲違いと和解が重要な軸になっているものの,今回は友情は二人だけではないのです。男3人を加えて5人の「兄弟姉妹同様の」(とシルヴァンは映画内で紹介する)親友のストーリーです。
 最初の場面はナンテールです。このパリ西郊外に林立する高層集合住宅(シテ)の前で,3人の30男,ナビル(ナデール・ブーサンデル。マグレブ系移民の子),ミカエル(マニュ・ペイエ。カフェ・オレ色の肌。映画の役では特定されていないものの,マニュ・ペイエはレユニオン島出身),シルヴァン(バチスト・ルカプラン。こいつだけがあまり混じりけのないフランス人か)が,多くの家族&知人友人たちに囲まれてニューヨーク旅行出発の見送りを受けています。たった一週間の旅行なのに,なにか戦中の出征兵士の見送りのような盛大さです。これが郊外の人種も宗教も越えた大家族的でポジティヴな人間関係を過剰に大写しにするものですが,まあ戯画に違いありません。
 3人を乗せたエール・フランス機はJFKに着陸し, この郊外男たちはビッグ・アップルに入城し,目に入るものすべてに超オノボリさん的に驚嘆し,3人そろって歓喜の雄叫びを上げるのですが,そのシャウトが「オバマ〜 !!!」というものなのです。この叫びは映画の中で何度も繰り返されます。これがこの映画の「超フレンチー」なトーンをよく現しています。奇しくも(と言うよりもそういう意図的な狙いはあったでしょうが),この映画の封切日11月7日の前日,合衆国大統領選挙はバラク・オバマを再選しています。選挙結果やその前の米国世論調査ではロムニー/オバマが接戦,僅少差の争いと言われていたのに対して,この地フランスでは80%がオバマ支持で,特にフランスの大都市郊外ではその数字は100%近いものだったはずです。そういう郊外フレンチー気質を丸出しにして,3人はビッグ・アップルをオバマ顔写真Tシャツを着て闊歩するのです。万一ロムニーが当選していたとしたら,この映画のユーモア効果の大半は死んでしまうことになったでしょうが,郊外でオバマが既に偶像であるように,われわれフランスに住む市民にとってロムニー当選など絶対にあり得ないことという確信がずっと前からあったのです。その意味でこの「オバマ〜!!!」はア・プリオリに正しいことだったのです。アメリカ人にはわからないでしょうが。この映画に関して第一に誉めることがあるとすれば,この「オバマ〜!!!」でしょう。そして容姿/肌の色の点で最もオバマに近いミカエル(マニュ・ペイエ)が,大統領的にこの映画のキー・パースンであることは映画の最終部でわかるのです。
 この3人とコレージュ〜リセを通じて「兄弟姉妹と同様の」親友であるガブリエルとサミアは2年前から(古風な)アメリカン・ドリームを追ってニュー・ヨークで暮らしています。前作同様ジェラルディーヌ・ナカッシュ(ガブリエル)は堅実で苦労症な役どころで,レイラ・ベクティ(サミア)は派手好きでチャンスを掴むためだったら何でもするという勝ち気な役どころです。ガブリエルはユダヤ人老人ホームで介護婦/インストラクター/仏語教師として朝早くから夜遅くまで働き,いつも疲れています。サミアは某映画スターの世話係として,ロケなどで不在中のスターの超高級大マンションを管理したり,スターの代わりにブロマイド写真にサインしてやったり,代償としてスターの弁護士を使ってグリーン・カードを取ってやるからという口車で,スターの手足として動き回るのが「仕事」です。3人はブルックリンでガブリエルと再会し,その足で(不在の)某スターの大マンションに直行し,サミアの盛大な30歳の誕生パーティーに参入します。そこには絵に描いた餅のようなアメリカン・ウェイ・オブ・ライフがあるわけですが,5人は夢のアメリカを祝福し,銭湯のペンキ絵のようなニュー・ヨークを抱きしめるのです。
 この5人という関係の微妙さは明白です。2年という不在期間がありながら,ガブリエルとナビルは恋仲であり(ここでもユダヤ人とアラブ人の恋なのです),サミアとシルヴァン(これはマグレブ二世女と白人男との恋と言えましょうか)もそういう仲なのに,ミカエルはフリーな立場にあるのです。映画は進行するにつれて,このミカエルがどんどんリーダーシップを取るようになります。そしてこのお調子者は,滞在中にブルックリン娘デニーズ(ドリー・ヘミングウェイ。そうです,文豪アーネスト・ヘミングウェイの曾孫にして女優マリエル・ヘミングウェイの娘)と恋に落ちてしまいます。このデニーズが大金持ちというのはあとでわかるのですが,”INTOUCHABLES"同様,金持ちであることが映画の解決のカギを握っているという点が,どうもなぁ,と首をかしげたくなる部分でもあります。
 ガブリエルが働くユダヤ人老人ホームにも,この3人は溶け込んでいき,レクリエーションで老人たちとボール遊びに興じる非常に美しいシーンがあります。その老人ホームに収容されているマダム・アザン(マルト・ヴィラロンガ)というフランス人女性がいて,ガブリエルをわが子のよう思って,甘え放題わがままし放題の困ったおばあさんです。ガブリエルの疲労の原因の大半はこの女性のせいなのですが,アルジェリア戦争でアルジェから逃れてきたこのユダヤ人女性は3人男のうち,アラブ人のナビルととても親密になります。ナビルが老人ホームのパソコンのグーグル・アースを使って,マダム・アザンが住んでいたアルジェの家の現在の姿を見せてやるという場面はほんと心温まります。マダム・アザンはガブリエルに,こんなところで未来のない老人たちに囲まれて歳取るのをやめて,自分たちの未来を考えよ,と諭します。ナビルと一緒に家庭を作ってみては,と。
 一週間のつもりが,夢のブルックリンの人々との交流に魅せられて,滞在を延長してきた3人はいよいよお金が尽きてきます。事件はいろいろ巻き起こり,サミアの雇用主である大スター女優はある日前触れもなくニュー・ヨークに帰ってきて,(スターにはよくある)ドラッグ的錯乱の末に, サミアを解雇してしまいます。またガブリエルの老人ホームでも,マダム・アザンが息を引き取ってしまい,ガブリエルはニュー・ヨークに居残る理由はなくなったと悟ります。住む所も金もなくなった5人は,最後のニュー・ヨークをコニー・アイランド遊園地で楽しみます。大ジェットコースターで彼らは思う存分「オバマ〜!!!」と叫ぶのです。美しい!
 ブルックリンの通りの上に電信柱でつながった電線があり,そこに靴ひもでつないだそれぞれの一足のバスケットシューズを投げて,電線にひっかかって線上に残った者が勝ち,という賭けを5人でします。バスケット・シューズをうまく電線に巻き付けられた者が,合衆国大統領になれる,と。そしてそのバスケット・シューズ投げに見事成功するのがミカエルなのです。オバマと同じ褐色の肌をした男です。
 そしてそのミカエルが5人分のフランス行きの帰国便チケットを用意するのです(実は富豪の娘である恋人デニーズの金なんですが)。5人の帰国の日,JFK空港に向かうイエロー・キャブに全員の荷物を押し込んだあと,そしてサミア,ガブリエル,ナビル,シルヴァンが乗り込んだあと,なんとミカエルは乗らずニュー・ヨークに居残ることに決めたのです。バスケット・シューズの賭けを信じて,あたかもここに居残って合衆国大統領になることを決めたかのように。 (エンドマーク)

 軽〜いコメディーで,しかもニュー・ヨークはどこも絵葉書のように美しい。主人公を5人にした分,それぞれ個々のエピソードが薄っぺらく,ガブリエルとサミアの(高校の優等生と劣等生の口論のような)確執と和解も前作のようなメリハリがなく,男たちは滑稽で馬鹿げていることだけが強調されていて残念。ジェラルディーヌ・ナカッシュに親しい世界なのであろうニュー・ヨークのジューイッシュ社会は,この映画の真の舞台背景のようにさまざまな様態で画面に映し出されます。優しいジューイッシュの人たちばかりです。これをプロパガンダと解する人たちも出てきましょうが,これは確実にアメリカの風景のひとつでしょう。絵空ごとのようでも。

  カストール爺の採点 : ★★☆☆☆

(↓『ヌー・ヨーク』 予告編)


 

5 件のコメント:

エスカ さんのコメント...

NYを舞台にしてアメリカ人が作った映画より、むしろ日本の一般オーディエンスに楽しまれそうですね。

Pere Castor さんのコメント...

エスカさん、これ日本じゃ無理。フレンチー内輪な部分が多すぎて、説明がおおいに必要。郊外育ちの「ジューイッシュ + アラブ(x 2) + 褐色人 + 仏白人」の友情ということだけで、かなりの説明が必要。映し出されるジューイッシュ・フレンドリーなNYC像というのも、無前提に笑っちゃっていいものやら...。 
ヘミングウェイの曾孫娘、あまり目立たない人ですね。

清岡智比古 さんのコメント...

Bonjour.

コメントさせていただくのは2回目です。
M. カストールのブログ、とても参考になります。ありがとうございます。
で、今回は1つ教えていただきたくて。

この映画に登場するナビル、
ユダヤ人じゃないかと思うのです。
ガブの恋人だし、
マダム・アザンとも親密だし。
そして1番そういう気がするのは、冒頭です。
ほとんどストーリーとは関係なく、
ナビルのオジを訪ねますが、
このオジはサルセルに住んでいます。
で、教えていただきたいのは、
この「サルセルに住んでいる」と、
「ユダヤ人である」というのは、
こういう映画的表現の中なら、
ほぼイコールということにはならないのか、
ということです。
パリに長くいらっしゃるM.カストールに、
その辺のことをご教示いただけたら、
と思っています。
どうぞよろしくお願いします。

*ちなみにTout ce qui brille は大好きで、ロケ地のほとんどを巡ってきました。

Pere Castor さんのコメント...

清岡先生、いつもご覧いただきありがとうございます。たいへん励みになります。
ご指摘の件、まず分かりやすいところから説明しますと、"Nabil"というファーストネームは、アラビア語で「高貴な」「気高い」という意味で、フランス語の "noble"に相当します。一般にムスリムのファーストネームです。仏ウィキペディアの「ユダヤのファーストネームリスト」(Liste de prénoms hébraïques : http://fr.wikipedia.org/wiki/Liste_de_pr%C3%A9noms_h%C3%A9bra%C3%AFques)を見てみましたが、このリストに「ナビル」という名はありませんでした。よって、ユダヤ人家族が子供に「ナビル」という名を与えることはまず考えられないと思います。
次に映画冒頭から強調されている、郊外におけるコミュニティー間の幸福なミクスチャーという背景です。これは一般のマスコミなどの論調と逆のことです。つまり郊外は各コミュニティー間の対立と衝突が年々激化していて、共存がどんどん難しくなっているという見方ですね。この映画は果敢にも、そうじゃないんだ、ブラックもアラブもジューイッシュも(この映画に登場する青っちろいフランス・フランス人も)、学校も市民生活も町もポジティヴに混ざり合いながら共有して生きているという姿を見せようとしています。この意図があれば映画はジューイッシュをマジョリティーにするまい、という努力があったと思います。
このバランス配分は主演6人のバックボーンにも明らかだと思います。ジューイッシュ x 2 (ガブリエルとアザン夫人)、アラブ x 2(サミアとナビル)、褐色人 x1(ミカエル)、仏白人 x 1(シルヴァン)。よいバランスだと思います。
それから若者たちと同等に重要な役割を果たしていたアザン夫人のポジションです。彼女は故国アルジェリアを捨てなければならなかったピエ・ノワールです。アルジェリアが独立戦争前に、アラブもジューイッシュもクリスチアンも平和に共存していた時代の生き証人です。ナビルがGoogle Earthでアザン夫人にアルジェの現在の姿を見せるシーンがありましたよね。アザン夫人はその平和だったアルジェに強烈な郷愁があるわけです。彼女が好きな二人の若者ナビルとガブリエルが一緒になることは、アザン夫人には平和だったアルジェリアの再現という意味もあるのだと思います。
あとサルセルに関してはほとんど知らないので、何も申し上げられません。

いずれにしても宗教差や人種差を強調して、その軋轢や確執を描き出すことは全くない映画で、逆にこの若い世代にはそんなもの何もないのだ、と言ってしまっている軽めのコメディーなので、郊外のリアリティーをこの映画で見ようというのは難しいように思います。

清岡智比古 さんのコメント...

Bonjour.

さっそくお返事いただき、ありがとうございました。

なるほど。
M.カストールのご説明、とても納得がいきます。
特に、アザン夫人のグーグルのエピソード、
おっしゃる通りだと感じました。
当時のアルジェリアの状況、ですね。
そこにあった「共生」は、
たとえば、大昔のパレスチナにも、
また現代にもあるものなのに、
今回わたしはそこまで思い至らず、
とても教えられました。
Merci mille fois !

Tout ce qui brille の場合は、
G.ナカシュ演じる女性がユダヤ人であることは、やや注意深く見ないと見落としてしまいそうですが、今回これだけはっきりしているということは、M.カストールのおっしゃる意図が、
より明確になっているとも考えられますね。((Tout ce qui brille については、学生たちに、アラブ・イスラエル戦争の説明をした後で、でもここにはこんな友情、ないし共生がふつうにあるんだ、と紹介しています。)

実はM.カストールが選択されている映画群、
わたしが見ているものにとても近いです。
(というか、ここで知って見たものもあります。)

とても勉強になりました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
Merci encore !