2009年2月17日火曜日

もう森へなんか行かない 林もアルディよ



 聖ヴァレンタインにタカコバー・ママにオーキッドの花を贈ったんですが,そのお返しにSpeedoの水泳パンツをもらいました。少しはスポーツせよ,とのココロでした。「サイズLでよかったんでしたっけ?」と言われました。それはコンモリ部分のサイズではなく,ウエスト周りを意味するのですね。「合わなかったら交換しに行きますよ」と,タカコバー・ママははじめから最悪XLを予想していたようなもの言いでした。むっ。で,その場で全部脱いで試着して見せましたよ。..... うわぁぁぁぁぁっ!なんと醜い姿でしょうか。水泳パンツLサイズは問題なく入ったものの,そのウエストの上に盛り上がったゴム浮き輪のような腹部。前腹はもちろんのこと脇腹から背中まで...。爺はホーマー・シンプソンそのものでありました。

  Ma jeunesse fout l' camp

 マジュネス・フ・ル・カン。まじ,私の若さは古い缶詰。私の胴回りはツナ缶のようになってしまった。もう私の若さはシーチキンになって飛んで行ってしまった。おっとチキンは空が飛べないので,のたのたとした足取りで森の中にかくれてしまった,というのが正しいでしょう。
 一体どうしてここまでぶよぶよになるまで放っておいたのでしょう。もうプールになんか行けない。もう海になんか行けない。
 タカコバー・ママとはもう30年来のつきあいです。そりゃあ長い間のことですから,その間には仲違いがあったり,どちらも違う相手に傾いたりとか,いろいろありましたわね。もうこの人とは二度と会うまいと思ったことも何度かありました。タカコバーになんか二度と行くもんか,と。タカコバー・ママは旧姓を「森さん」と言い,爺は若い頃,ずっと森さんと呼んでいたのでした。そして,もう森さんのところへなんか行かない,と捨て台詞を吐いて,その翌日には花束やら菓子折りを持って行くというのが,若い頃の私の常でありました。

  Ma jeunesse fout l' camp

 マジュネス・フ・ル・カン。まじ,私の若さはどっかに消えてしまった。大いなるアンニュイを抱いてこれからの余生を生きていかなければなりません。フランソワーズ・アルディ(1944 - )は早くも20歳の頃にこの大いなるアンニュイを覚え,こういう歌を1967年に歌っていますが,作詞作曲はアルディではなくギ・ボンタンペリです。
 この歌"Ma jeunesse fout l'camp"は日本では「もう森へなんか行かない」という題になりました。これは比喩的に感傷的に少女時代の終わりを暗示させ,もう森にひとりで行ってはいけないんだ,あるいはひとりで森に行ったら別の目的になってしまうんだ,ということを言っているのだなあ,とやんわりわからせる卓抜な邦題でした。が,この歌のリフレイン第一行にある"Nous n'irons plus au bois"(私たちはもう森に行かないだろう)は,18世紀に作られた(ポンパドゥール夫人作と言われる)童謡の題名でした。

  Entrez dans la danse, voyez comm' on danse,
  Sautez, dansez, embrassez qui vous voudrez.
    踊りの輪に入って,どんなふうに踊るのか見て
   跳んで,踊って,好きな人にキスして

 こんな童謡ですから,アンニュイとは何のエニシもないのがこの"Nous n'irons plus au bois"でした。ところがフランソワーズ・アルディがあの声で「もう森へなんか行かない」とぼそぼそ歌うと,アンニュイの霧煙がもくもくもくもくとたちこめてしまうのですね。不思議です。
 
 2月15日(日曜日),妻子からあれほど行けと言われていたプールに私は行かず,フランソワーズ・アルディ自伝"LE DESESPOIR DES SINGES...et autres bagatelles"(猿たちの絶望...その他のつまらない小話集)を読み始めました。タイトルの"Le désespoir des singes"は直訳すると「猿たちの絶望」という意味になり,「猿」と見ただけでアルディ流の高飛車な視線,つまり人間より愚かで物真似ばかりする動物への蔑みみたいなものが匂ってきて,われわれはみんな猿みたいなもんですかいのう,と,むっと来るムキもありましょう。しかしこれは植物の名前でもあり,チリ原産の杉科の樹木アラウカナ(南洋杉)のことです。この写真でわかるように,枝にびっしりとトゲ状の葉が繁っていて,木の枝に登ろうとする猿たちも絶望してしまう,というのがこの名の由縁ナシンバラハウンドッグです。こんな木であったら,猿ならずとも人間でも絶望してしまうでしょう。このトゲだらけで,猿も人間も寄り付かない人間像がフランソワーズ・アルディであるというメタファーでしょうか。それは読んでいくうちにわかることでしょうが,アンニュイの日にはやっぱりアンニュイ,400頁を超えるアンニュイのエクリチュールを,私は灰色の冬空の下で背を丸めながら,一気に読んでしまいそうです。
 また後日。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

今や日本人が森へ行く⇒この世を去る です。
森 =樹海(富士の裾野)へ行くと帰れません。
よく年末にTVで樹海探索とかやっていますけど、おぞましい限りです。
あ、こんなことを書くつもりじゃなかったのですが、帰りの空港にはこの本が沢山置かれていて、さすがJALの発着ターミナルだけあって「日本人向けに置いたなぁ~」って感じでしたが、手にとって見ているのはフランス人ばかりでした。
アルディの名前は知ってても顔は知らない・・・それが今の若い日本人かもしれません。
「あ、アルディの本があるでぃ」なんて言ってる私はやはり自分の年齢を感じずにはいられなくなっております。(寂)