2008年7月18日金曜日
コジ・ファン・トット(ちゃん)
Tetsuko Kuroyanagi "Totto-Chan La petite fille à la fenêtre" (traduction du japonais : Olivier Magnani)
黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』(仏語訳:オリヴィエ・マニャーニ)
娘が夏休み中に読むという約束で買った3冊の本のうちの1冊です。日本戦後最大のベストセラー。オビには"Plus de 8 millions d'exemplaires vendues(8百万部を越す売上)"と書いてあります。フランス語訳の単行本は2006年にプレス・ド・ラ・ルネッサンス社から出ていて,2008年4月に文庫化されたのがこのPOCKET版です。単行本(20ユーロ)の時もいわさきちひろのイラストが表紙でしたが,文庫版(6.40ユーロ)の方がインパクトの強い,はっきりした「ちひろ画」です。
娘が7月前半サヴォワ地方でコロニー(ヴァカンス合宿)だったので,この本も持っていかそうとしたのですが,出発後見たらしっかり自分の部屋の机の上に置いてありました。だめなやつ。
これまでも(そんなに多くないですが)娘と同じ本を読んで,そのあとでその本についてディスカッションをする,ということをしていて,娘の読解力や娘の意見などがわかってとても面白いし,逆に娘も私の見方というのを興味を持って聞いてくれます。というわけで,娘が帰ってくる(実は昨日17日に帰ってきた)までの3日間の通勤時間を利用して,かの有名な『窓ぎわのトットちゃん』(フランス語版)を読み終えました。私は日本語版を読んでいません。初体験です。
まず仏語訳をしたオリヴィエ・マニャーニに満腔の敬意を表します。こんなに柔和でわかりやすく,小津映画の仏語字幕のような優しさにあふれたフランス語に心うたれます。細部の注釈もとても親切で,娘のような日仏宙ぶらりんの人間には「きんぴらごぼう」や「でんぶ」といった食べ物がどんなものなのか,マニャーニ訳でわかってしまうかもしれません。
12月14日赤穂浪士討ち入りの日,つまり義士祭ですね,その時にトモエ学園の丸山先生が子供たちを連れて,"Le temple du Pic-fontaine"というお寺をお参りします。この名前は一体何だろうと,一生懸命探しました。尖った泉の寺? そういう時には私もインターネットを使って赤穂浪士ゆかりの地を探して,それに相当する名前を見つけようとしますね。ありました。「泉岳寺」。四十七士の墓碑のあるところですね。そこに行く道々,子供たちは丸山先生の説明の中に出てくる人物の有名なセリフを真似して,こう繰り返すのです:Moi, Rihei Amanoya, je suis un homme。(モワ,リヘイ・アマノヤ,ジュ・スイ・アン・ノム)。なにかミッシェル・ポルナレフの歌みたいですね。これは四十七士を金銭面で支援したと言われる浪速商人が切る大見栄の台詞で「天野屋利兵衛は男でござる」というやつなんです。こういうところを面白がるのは(へへへ...)日仏バイリンガルの冥利ですね。だからミッシェル・ポルナレフにも日本語でやってみろ,と言ったら「ポルナレフミシェルは男でござる」と見栄を切ってくれるんじゃないか,と。
1940年代初め,1年生で不適応児童として小学校を放校処分させられた「トットちゃん」が,新しい学び舎として編入した一風変わった学校「トモエ学園」と,その中で変身を遂げる「トットちゃん」の風雲録です。日本で超有名な本ですから私がここで内容について説明する必要など何もないでしょう。散歩(小遠足)やリズム体操や時間割の自主管理(1日の課題を好きなものから始めてもいい,何時間かかってもいい...)などで,ノルマ主義の学校教育の正反対を実現していた不思議な学校,その創立者小林宗作は一体何を考えていたのか,また米国との戦争が始まり挙国一致の風潮の中で,吹き荒れる軍国主義にも負けず,どうしてこのような自由な学校が可能だったのか,興味はつきないものがあります。フランス人読者には,その歴史的な周辺の状況が見えづらいかもしれません。とは言っても時代を越えて,国境を越えて,いずこも同じ画一化教育に子供たちも親たちも現場の先生たちもあっぷあっぷしている状況は共通です。フランス人読者たちの感想も,一番先に「こんな学校が欲しい」というものが来ます。
理想の学校は子供の将来をやや過剰に考える親たちとはソリが合わないでしょう。親たちも不安でしょう。「トットちゃん」はその親側の不安を越えて,トモエの教育方針を最終的に信頼してくれた自分の両親にとても感謝していますが,中にはそうでない親がいてトモエを去っていく子もいます。特殊な学校という差別感でしょう。この学校に任せておいたら特殊な子になってしまう。特殊な子で何が悪い,という親はごく少ないでしょうね。
この本で娘によく読み取ってほしいのは,「トットちゃん」が遭遇しているあらゆる種類のレイシズムです。身体障害者,ろうあ者,外国人(この本の中では朝鮮半島から来た人たち),外国育ちの日本人...。この本の中では,あの当時日常的であったこれらの人たちへの差別感覚を,「トットちゃん」やトモエという学校が,「人と人の違いがあることは素敵なことなんだ」へ変えてしまうパワーを持っていたことなんですね。
この本が描いた時代から60数年経っているわけです。レイシズムはいまだに私たちの日常にも娘の学校にもありますし,学校で勉強することがどれだけ意味があるのかがますますわからなくなっている21世紀です。「トットちゃん」は小林宗作と出会えた幸運を一生抱きしめていけるのですが,この出会いを考えた場合,娘はそういう誰かと出会えるのか,あなたや私はそういう誰かと出会ったのか... この最後の問いには私は長い沈黙をするしかないのですが,life goes on。カストール爺は男でござる。
Tetsuko Kuroyanagi "Totto-Chan La petite fille à la fenêtre" (traduction du japonais : Olivier Magnani)
(Pocket文庫13106 2008年4月 284頁 6.40ユーロ)
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1 件のコメント:
今月の「詳しくは別原稿」読みました。必要あって、フレモォの最新カタログを送ってもらったところだったので7人のスタッフの誰かが発送作業をしたのだろうとしみじみ。
思うに、フレモォ氏は成績は悪かったかもしれないけれども文化的な環境で裕福に育ったのではないかしらん。トットちゃんの学校も凄く学費が高かったと聞いてます。
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