2008年3月27日木曜日

摩訶不思議な銀行口座



 ニコラ・ボー&オリヴィエ・トセール著『シラク日本銀行口座綺談』
 Nicolas Beau & Olivier Toscer "L'Incroyable Histoire du Compte Japonais de Jacques Chirac"


 大統領ジャック・シラク(在位1995〜2007)は、去年2007年の5月から免罪権(大統領特権)がありません。ディディエ・ヴァンパスは2006年1月にシングル盤「シラクを牢屋に!(Chirac en prison)」を発表して、俺はフランスの正義を信じる、2007年にはシラクが監獄に行く、と歌っていました。2008年3月現在、シラクはまだ牢屋に入っていませんが、クリアストリーム事件の担当検事二人はシラクに事情聴取ができる状況にあります。
 クリアストリーム事件とはルクセンブルク公国にあるクリアストリーム銀行にある隠し口座に関する事件で、第一次と第二次があって、ここでは第一次を省いて第二次だけを説明すると、2004年に発覚した隠し口座の口座名義人リストの中にニコラ・サルコジの名前があったということなのです。このリストは第一次事件を調べていた担当検事ルノー・ヴァンルインベックに、謎の密告人から届けられたものでが、それがコンピュータを操作したニセ文書であるということがわかり、一体誰がこの偽造リストを作ったか、ということが重要な問題となりました。リストにはサルコジだけではなく、多くの政界人/財界人/マスコミ人の名があり、社会党の重鎮ドミニク・ストロース=カーンもあれば、元ル・モンド編集長もあれば、変わったところでは当時売れっ子の少女歌手アリゼの名前もありました。しかし最重要はサルコジの名前であり、このスキャンダルによってサルコジ降ろしを図ろうとしたという疑惑が、当時の首相ドミニク・ド・ヴィルパンにかかり、ヴィルパンの後ろで糸を引いているのは大統領ジャック・シラク自身であると言われました。と言うのは、この事件の証言者となった、当時フランスの諜報機関である国家保安委員会(DGSE)のNo.2だったフィリップ・ロンドー将軍が、たいへんなメモ魔で、当時の会話記録などを全部メモとして残していて、そのヴィルパンからの指示系統がはっきりと記録されていたのです。
 サルコジとシラクの関係は1995年の大統領選挙の時に、それまで若きシラク派の出世頭だったサルコジがシラクに叛旗をひるがえし、シラクが作ったド・ゴール派政党RPRの反主流派エドゥアール・バラデュール支持に回った時から、サルコジはシラクにとって絶対に許すことのできない裏切り者となっていました。シラクは大統領となり、サルコジはシラク大統領在位中、反主流派として小さくなっていたのですが、徐々に勢力を盛り返し、シラクが作ったRPR(のちのUMP党)の主導権を握り、次期大統領候補への道を着々と準備するに至ったのです。シラク派の第一の後継者となったヴィルパンはこのサルコジ台頭を必死になって阻止しようとします。これが第二次クリアストリーム事件の背景でした。
 ところでこの事件審理中、フィリップ・ロンドー将軍のメモに、ジャック・シラクが日本に隠し銀行口座を持っていて70億円の預金があったということが記録されていたのです。ただならぬ金額です。このことは国家保安委員会でロンドーの前任者たちによって1996年に既に確認していて、国家に大不安をもたらす可能性があるとして、大統領の意志と関係を持たずに調査が続けられていたのです。東京相和銀行という二流の銀行で、なおかつ暴力団界との関係も取りざたされる不透明な金融機関に、シラクはなぜ銀行口座を持っていたのか、そのオーナー長田庄一とシラクの関係は何か、またその70億円という金はどこから来たのか、というのを2年間にわたって追跡調査した二人のジャーナリスト、ニコラ・ボーとオリヴィエ・トセールの調査報告書がこの本です。
 未来においてフランスの大統領になるとは多くの人々が予想していなかった、70年代の保守ド・ゴール派のタカ派政治家だったシラクが、日本と急に親密な関係を持ち始め、今日まで五十数回にわたって日本との往復を繰返し、類い稀な親日家となった真の理由は何だったのでしょうか。その文化が好き、相撲観戦が好き、というだけではないことは確かでしょう。本書は76年にジスカール大統領と袂を分ち首相を辞任し、次期大統領になる野望に燃えてパリ市長となった頃から、シラク流の不透明なやり方で、パリ市公営事業の入札などで入ってくる裏金と、シラクに未来を託す日本の黒幕の後押しによって、シラクが急速に勢力を伸ばす過程も描いています。日本の黒幕は既に70年代から、日本の特定の利益のために働いてくれる都合のよい未来の大物としてシラクに接近していた、というのがこの本の前半部です。
 いろいろな名前が出てきます。シラクに親しい日本女性たちも登場します。N画廊のマダム、女優S、セラピーアーチストCなど写真入りで出ています。長田庄一の持つ淡島のホテル、その豪華クルーザー("東相2世"という名前が見えます。東相とは東京相和銀行でしょうか)の舳先に立つシラクの写真なども見えます。そういう週刊誌ネタ的な部分はさておいて、なぜシラクが日本に70億円もの銀行口座を持つに至ったのか、その金はどこから来たのか、という最も重要なポイントに、この著者たちは笹川財団の名前を持ってきます。
 笹川良一の戦前/戦中/戦後に関してはこの本でも詳しく説明されています。ミッテラン大統領第一期の後半に、いわゆるコアビタシオン(大統領派が国会多数派でなくなったために、首相および政府が大統領対立派となる”保革同居状態”)で首相となったシラクに、中曽根康弘(既にシラクの友人。首相)から笹川良一へレジオン・ドヌール勲章を、という推薦書が届きます。この時すでに笹川財団は、ブロワ城(ブロワ市はミッテランの文化大臣として知られたジャック・ラングの選挙地盤)のステンドグラス修復、およびシャルトル大聖堂の大オルガンの修復で巨額の援助をしていて、この効果でジャック・ラングと大統領夫人ダニエル・ミッテランは親笹川派にまわったように書かれています。しかし政府内では元戦犯にフランス最高栄誉の勲章を与えることに反対する動きもあります。と言う間に1988年の大統領選挙でシラクが負けて、この笹川レジオン・ドヌールの話は一旦消えてしまいます。同じ1988年、新しい左翼政府(首相ミッシェル・ロカール)は笹川日仏財団がフランス政府に申請していた「公益団体」認定を却下します。しかし2年後の1990年には同じ政府の下でそれが認可されてしまうのです。一体その水面下で何が起こっていたのでしょうか。
 それに続いてWHO(国際保険機関)Unesco(国際連合教育科学文化機関)のトップに日本人が選出されます。これはシラクの工作によるもの、とこの本は書きます。シラク2期の大統領在任期間中(1995-2007)に、シラクが後押しをした日本人、日本団体、日本企業はどれほどあるでしょうか。なぜ、こんなに日本のために働いてくれたのでしょうか。「親日家ですから」という理由だけでしょうか。
 本書の後半は、この日本の隠し銀行口座をフランス国家の諜報機関が調査していた、と知ってシラクがあらゆる手を使ってそれをもみ消しにかかる、権謀術数の暗黒ストーリーが描かれています。大統領は国家の最高責任者でありながら、「朕は国家である」式のごり押しは通せないのです。この記録を消滅させろ、これを知る人間たちをすべて消せ、というやり方はできません。それを表面に出ないやり方で、水面下で処理しようとするのですが...。内務省、外務省、防衛省、法務省...これらの省庁のトップ人事を巧妙に変え、この件(通称"Affaire japonaise"=日本事件)に関与する人物たちを次々に更迭します。そしてこの銀行口座のありかを掴んだ当時の国家保安委員会(DGSE)の人物は、別部署に降格されたあげく、ある日、道路横断中に猛スピードの車にはねられ、(一命はとりとめます)、その運転者は軽い罰金刑で放免されるという不可思議な事件が起こります。また奇妙なことに、この人物の名は、最初にあげたクリアストーム事件の、ニセ口座名義人リストにも登場しているのです。
 ところは飛んで、タヒチで長年に渡ってその絶対的な権力をふるっていた政治家ガストン・フロスは、シラク派の重要人物であり、そのフロスの裏金などを調査していた地元新聞記者が、ある日死体となって浜辺に打ち上げられます。その記者は、日本から巨額の金がタヒチを経由してシラクに、という動きを知ってしまったために...。

 "Raison d'Etat"(レゾンデタ)は日本で「レゾンデタ」というカタカナ外来語にまでなっている、国家的理由という言葉ですが、シラクが自分の銀行口座を隠そうとするのはレゾンデタにはなりません。むしろ、この銀行口座への執拗な調査を続けていたフランスの秘密諜報員とその機関=国家保安委員会(DGSE)の方に、この銀行口座が持つ「フランス国に及ぼす危険性」の方にレゾンデタがあると私は思います。そしてこの本でもわからないのは、このDGSEの「日本事件」諜報活動は、国家のトップ(大統領)も知らぬところでなされていたわけで、誰がこの諜報活動を指示したのか、という命令系統がないのです。
 刑事ドラマなどで、ある捜査官が調査の末に(その場合の多くは時の権力者にとって)知ってもらっては困ることに行き着いてしまった時、(その権力者からの命令系統で)捜査官の上司が「もうここまででやめておけ」と封じにかかって、先に進めなくなりますよね。この本にはそれがないのです。シラクが国家最高責任者であっても、いかにシラクが不愉快に思っても、このDGSEの調査活動を大統領命令で止めるわけにはいかないのです。なぜか。それはシラクはその大統領任期が終われば「普通の人」に戻るということを知っていたからです。これが共和国の根幹であり、シラクと言えども、サルコジと言えども、共和国市民であることには変わりがないのです。すなわち犯罪を犯せば「普通の人」と同じ罰が待っているわけです。

 日本で翻訳本が遅からず出ると思います。ぜひ読んでみてください。

 Nicolas Beau & Olivier Toscer "L'Incroyable Histoire du Compte Japonais de Jacques Chirac"(Editions Les Arènes 2008年3月21日刊行。255頁。19.80ユーロ)




 PS:Youtube に、この本の予告篇クリップがあります。ちょっと戯画的にすぎる部分が多いですけど、本の雰囲気はよく伝えています。


(↓)ルイーズ・アタック feat ディディエ・ヴァンパス「シラクを牢屋に!」
 
 
 
 

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