2022年2月2日Web版のロプスは二人の"外国人”ゴンクール賞作家、レイラ・スリマニ(モロッコ)とモアメド・ンブーガール・サール(セネガル)の対談記事(←写真)を載せ、記事タイトルを『フランス文学、それはこの二人である!(La littérature française, c'est eux !)』と打ち上げ花火を上げたのだった。
レイラ・スリマニの三部作『他人の国(Le pays des autres)』の第二部「踊る私たちをごらん (Regardez-nous danser)」は2月3日に刊行され、以来書店ベストセラーを続けているが、私は今日やっと(興奮と共に)読み終わり、現在ブログ記事を準備中である。その第一部に関する紹介記事は、2020年「ラティーナ」誌休刊前最終号(2020年5月号)に書いた。コロナ禍第一波の外出制限令の最中に書かれていて、記事中にも初期コロナ禍に言及している部分がある。第二部の紹介記事を掲載する前に、みなさんには第一部の概略を押さえておいていただきたいので、同ラティーナ誌記事をここに転載する。壮大でプライヴェートな(誰も読んだことのない)モロッコ現代史の始まりを感じていただきたい。
★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★
★★★★ ★★★★ ★★★★ ★★★★
この記事は音楽誌ラティーナに連載されていた「それでもセーヌは流れる」(2008 - 2020)で2020年5月号に掲載されたものを、同誌の許可をいただき加筆修正再録したものです。
レイラ・スリマニ『他人の国』第一部を読む
(in ラティーナ誌2020年5月号)
これを書いているのはフランスで新型コロナウイルス禍緊急対策の外出禁止令が発令されて20日めである。フランスでの爆発的感染拡大を引き起こした発火点と言われているのが、東部フランス、アルザス地方の都市ミュルーズで、2月中旬の1週間この町の新教福音派教会が国内外の信者2500人を動員して催された集会で集団感染が発生し、集会後全国に帰っていった保菌者たちがその土地でさらにウイルスを拡散し、現在の大規模感染となったとされている。
2016年度ゴンクール賞を受賞したモロッコ人(フランスとの二重国籍)作家レイラ・スリマニ(1981年生れ、現在38歳)の待望の新作『他人の国(Le Pays des Autres)』の出発点も奇しくもこのアルザス地方の町ミュルーズである。3月5日に発売されたこの本はたちまち書店ベストセラーの1位になったが、3月18日に始まった外出禁止令のために自宅隔離を余儀なくされた市民たちに熟読されたことは間違いない。スリマニのゴンクール賞作品『優しい歌(Chanson douce)』(邦訳『ヌヌ完璧なベビーシッター』)は、国内で百万部を売り、国際的には40か国語に翻訳されて特にアメリカとドイツで評価が高く、2019年には映画化(リュシー・ボルルトー監督、主演カリン・ヴィアール、↓写真)もされた。モロッコ東部内陸部の古都メクネス生まれ、父(銀行員→政府高官)と母(医師)の方針でフランス語環境で教育を受けた。18歳でパリに留学、2006年から4年間アフリカ時事週刊誌ジューヌ・アフリックのジャーナリストとして筆を奮っている。ベビー・シッターによる幼児殺人という三面記事事件から複雑な社会的心理的な悲劇を編み出し、トルーマン・カポーティ的と評された『優しい歌』のジャーナリスト的アプローチはこの時期に培われている。また2017年に発表した『セックスと嘘』(モロッコにおける女性たちの性的悲惨を告発する証言集)ではその現場取材能力が際立っている。この本で顕著なようにスリマニは行動的フェミニストであり、政治的発言も多く、特に移民難民受け入れに力を注いでいる活動家でもある。 2017年大統領選挙でエマニュエル・マクロンを支援(スリマニは後に「相手が極右マリーヌ・ル・ペンであったが故の当然の支持であり、それ以上でも以下でもない」と弁解)した功に応えて、当選後マクロンがスリマニを文化大臣に推挙したが辞退、しかし再度請われてフランコフォニー(フランス語圏世界)特別大使に就任している。言わばマクロン政権の”高官“におさまったわけだが、その後もマクロンの移民政策や排外主義的失言に対して痛烈な批判を行なっていて、自由な言論人の姿勢は一切失われていない。ここがこの作家の最も信頼できるところなのだ。
さて三部作構成となる『他人の国』の構想は壮大である。発売された第一巻が366ページの厚さであり、三巻では千ページを越す”大河小説“になるであろう。これはスリマニの実の祖父母をモデルにした、フランス人女性とモロッコ人男性の夫婦が第二次大戦後のモロッコで開拓農家の生活を始め、その十年でフランス保護領からモロッコが独立するという大変動に巻き込まれる、というのが第一部。続く第二部はその娘の世代が体験することになるモロッコの「鉛の時代」(1970年代から99年までの国王ハッサン二世統治下の民主勢力弾圧の時代)、そして第三部はその孫(すなわちレイラ・スリマニ世代)が見ることになるイスラム原理主義台頭や「アラブの春」が起こる2010年代まで。すなわち作家に親密で身近な大衆的視点で描いたモロッコ現代史絵巻きなのである。著者の言ではこれはモロッコでは本当に少ないらしい。隣国アルジェリアは悲劇的に激烈だった独立戦争のゆえに多くの文学作品や映画が証言として残された。スリマニはモロッコでその現代史を証言するおそらく最初の文学者となるかもしれない。
『他人の国』第一巻は「戦争、戦争、戦争」と副題されている。戦争の中で出会った二人が、新たな土地で実りある生活を建てていくつもりが、そこでの生活も戦争、さらに「独立」という自分たちが敵なのか味方なのかわからない戦争に巻き込まれていく。戦争しか知らない大人たち。この第一巻の主人公の名はマチルドと言う。ドイツとスイスと国境を分かつフランス東部アルザス地方ミュルーズの豪傑実業家の娘。大柄で水泳が得意で自立心の強い(当時の)先進女性。しかしその若い日々は第二次大戦によってあらゆる可能性が閉ざされていた。1944年、ドイツ占領からその町を解放した連合軍兵士の中に、“自由フランス”に召集され参戦したモロッコ人兵士アミンがいた。“フランス”兵として欧州戦線に送られ、捕虜になるも集団脱走して再び解放の最前線に出て、英雄としてフランスの町々で迎えられたこの小柄な男は、ミュルーズ市民たちの感謝歓迎の食事宴で給仕していたマチルドと出会う。二人は恋に落ち結婚する。浅黒い肌の解放の英雄は、マチルドの未来も解放するはずだった。アルザス女はその希望に賭け、1947年モロッコ、メクネスへ移住する。
夫アミンがその亡き父親から譲り受けた石だらけの荒地を開墾し、果樹園とオリーヴ農園に改造すること。難題を山積みにしたこのプロジェクトにもっぱらアミンは情熱を集中し、マチルドはそれを”土地の女“のように支えなければならない。アミンは妻がこの土地で生きる女として同化することを望むが、それは叶うわけがない。アミンの老母ムイラナの家族との同居がマチルドの土地同化の最初の訓練期間であったが、なんとかアラブ語を覚えその家庭内で女たちと調和的に振る舞うことには慣れても、新聞や書物を読む欧州女はどうしても浮いてしまう。またその地のフランス人植民者社会は、この”原住民”(= indigèneアンディジェーヌ。スリマニはこの小説でこの植民地主義的な呼称をあえて使っている)に嫁いだ奇妙なアルザス娘を訝しげに見る。それはフランス人の男が現地の女を娶る場合(大部分がそうであるが)には、植民地的征服のロジックに適ってごく当たり前のことと見られるが、その逆、すなわち現地の男がフランス女を妻にするのは異常なことであり、白人欧州人の人種的優越心を逆撫でするものなのだ。マチルドはこうしてモロッコ人からもフランス人からも”よそ者”としてはじかれる境遇を生きなければならなかった。
イスラム伝統の家父長制度/男性原理社会の圧力ともマチルドは戦わなければならなかったが、夫アミンは口癖のように “Ici c’est comme ça(ここの流儀だから)”とマチルドを諭すのだった。それでも時代は20世紀の半ばを過ぎる頃で、女性はこれまで敷かれてきたレールに沿うことなく自立開花しようとしていた。ムイラナの末娘(アミンの妹)のセルマはフランス語も話せる聡明で美しいティーンネイジャーであり、高圧的で暴力的な兄オマール(アミンの弟)によるさまざまな禁止強制(女に学問は要らないから学校へ行くな、肌を晒すな、ひとりで街を歩くな…)にも関わらず、反抗的で封建的道徳から解放されたいと望んでいる。マチルドはこの少女に加担したいが、そうすれば老いたムイラナの家族は崩壊してしまうと感づいている。
アミンの弟オマールも職のない不良であり、戦争中フランス軍の中で功を成した兄への負い目と敵愾心から、植民国フランスを憎んでモロッコ民族主義に感化され、独立運動の地下組織に合流し、フランス統治施設や植民者たちを襲撃する前衛隊員となって行方不明になる。老母ムイラナはこの出来の悪い息子の安否が気がかりで病弱化し、アミンに必ずオマールを連れ戻すよう嘆願する。
アミンの農園はアミンの涙ぐましい努力にも関わらず、土質の悪さのせいで開墾が思うように行かず、機械化も進まず、詐欺師にかかって大損をしたり、彼が夢見たカリフォルニア型農園とは程遠い。だがその情熱は懲りることなく保たれていて、夫婦の口論は絶えないが、きつきつの生活に耐えてマチルドも彼を支援するしかなかった。
しかしマチルドが絶対に譲らないのは子供の教育のことであり、長女アイシャはどんな困難があってもメクネスのカトリック系寄宿学校でフランス語教育を受けさせる、と。このアイシャが大河小説『他人の国』の第二部の中心人物となるはずであるが、この第一部では6歳から8歳の”年端のいかぬ“時期での登場である。このアイシャが幼少時から一身に背負うのは混血の問題である。混血の特性として今日私たちが安易に考えるような「いいとこ取り」などないとスリマニは断言する。混血の負性に関してこの小説はこういう象徴的な挿話を持ってくる。アミンがアイシャのために特別にオレンジの木にレモンの木を接木して新しい品種をつくる。アイシャはこれを”シトランジェ(citronnier + oranger = citranger)”と名付け、実の成るのを楽しみにしていたが、何年か後出来た実は苦くて食べられたものではない。欧州白人(美人)と北アフリカ人(美男)の間に生まれたアイシャは、手足が長く縮れ髪の女の子で、家計のせいで身なりが貧しく、植民者ブルジョワ子女ばかりのカトリック寄宿学校で、馬鹿にされ苛められる。そのアイシャが苦境に打ち勝っていくには、二つのことが救いとなっている。ひとつは誰よりも成績優秀な頭脳があったこと、もうひとつはキリスト教信仰に篤く神秘的な体験も訪れたこと。この少女がこの三部作で最もロマネスクな登場人物となるであろうことは容易に予想できる。
だがこの第一部の核はアルザス女マチルドがいかに”土地の女“に変貌していくか、なのである。カレン・ブリクセンやパール・バックを熱読してエキゾティックな新天地での冒険を夢想していた彼女は、1947年に夫の待つアフリカ大陸のモロッコに降り立った時から、その土地が自分に露骨な敵意を向けていることを理解する。気候風土や宗教習俗の違いだけではない。悪戦苦闘の連続でこの土地に馴染もうとする彼女がどこまで行ってもつきまとう「よそ者」感の元は、フランス保護領という名の”植民地モロッコ“なのである。モロッコに移住してからの10年間、それは世界的には第二次大戦後の多くの列強植民地が独立の蠕動を見ていた時期である。1954年フランスはディエン・ビエン・フーの戦いに敗れインドシナ半島を失った。アミンの第二次大戦時の戦友(部下)で、のちにアミンの農場の作業主任となるムラードは、フランス兵としてこのインドシナ戦争に動員され、戦場トラウマを抱えてモロッコに帰ってくる。アミンは第二次大戦での功績を称えられてフランスから勲章をもらっているが、そのことはこの情勢では負い目に見られる。そしてこの男の妻はフランス人である。親しい交流などなかったフランス人植民者たちは、迫りくる独立派の武装闘争を恐れて「内地」へと逃げていく。
マチルドは農家主婦の仕事のかたわら、ヨーロッパでの基礎的な保健知識を生かして、封建的なしきたりによって医者にかかれないでいる土地の女たちのために、家の片隅に小さな看護診療所を開設する。最初は魔女扱いを受けるのだが、衛生保健の問題に多々直面する女たちに信頼を勝ち得て、簡易診療所には長い列ができるようになる。アミンの訝しげな視線にも関わらず、マチルドはこの村里で小さな存在感を獲得していく。
しかしナショナリズム(独立派)は急速に勢力を伸ばして過激さを増し、白人社会への無差別攻撃は村里にまで近づいてくる。ここでアミンとマチルドが問うのは「どちら側につくのか」ということではない。少年時にルワンダ虐殺を体験したガエル・ファイユの小説『小さな国』(2016年)で「ツチ族につくのかフツ族につくのか」という問いが迫り来る殺戮の前で何の意味もない、という状況と同じだ。どちらからも排除されているアミンとマチルドにとって、これは「他人の国」の出来事なのである。
先に書いたようにアミンの弟のオマールは独立運動の地下組織に入り、武装闘争を展開している。これはオマールにとってモロッコを他人の国から自分の国に取り戻すための闘いだった。そのオマールから暴力的に行動の自由を制限されていた妹のセルマにとって、イスラム伝統で女性たちを縛り付けているモロッコ社会に自分の居場所はなく、他人の国であった。恋をし、女として開花する逃走の旅を寸前で止めたのは兄のアミンだった。マチルドはそれをどうすることもできない。夫婦も家族も共同体も国もバラバラに崩壊しようとしていたのを、この小説はその322ページめで、アミンの采配で、イスラム法学士の前でマチルドをイスラムに改宗させ、セルマをムーラド(かつての部下、農園の作業班長)と結婚させることで、崩壊を食い止めるのである。この苦渋のアレンジメントを記憶に固く刻印するのが少女アイシャだった。
終盤は誰が味方で誰が敵かなどお構いなく、周りの農園は次々に焼き討ちに遭い、火の手はいよいよアミンとマチルドの農園に迫ってくる…。
女であること、よそ者であること、異教徒であること、奇妙な国際結婚をした妻であること、乾いた太陽の下の土と汗の匂いを感じさせる女性の波乱の半生。兵士、農民、植民者、山師、旧奴隷、カトリック修道女、娼婦、性転換手術の腕で財を成した医師、村里の子たちのために貸本をする老フランス女性…生き生きとした多彩な登場人物の数々によってバルザック人間喜劇を思わせる庶民目線の物語。第二次大戦から植民地独立までのクロノロジーであるが、この小説では「独立」「自由」「勝利」といったポジティヴな熱狂がない。フランスのために動員されたモロッコの若者たちは、解放の英雄と褒め称えられるが、ひとたびその戦争が終わればまたただの“原住民”に戻る。植民地の学校は自由と進歩を教えるが、ひとたび“原住民”がそれを得ようとすると徹底的に弾圧する。スリマニの小説は、この歴史的事件の当事者でありながら、当事者であることを予め拒否されているような複雑な「よそ者」群像を描く。そして凡百の歴史絵巻ものにありがちな“男がつくる歴史”とは全く縁がない。植民地支配に従属された社会では、女たちは二重に従属させられている。アミンを支え、アミンを立て、アミンに概ね従うマチルドにも、そこは絶対に譲らないという局面が少なからずある。アミンの“Ici c’est comme ça(ここの流儀だから)”という無説明のリクツを拒否する場合がある。この反抗こそがこの女性の傑物たるところであり、この小説の宝である。そしてレイラ・スリマニも現代文学の宝である。
近い将来にこの第二部、第三部を紹介することができずに、この連載の幕を閉じるのは残念至極であるが、“Ici c’est comme ça(ここの流儀だから)”と言い訳して終わろう。
(ラティーナ誌2020年5月号・向風三郎「それでもセーヌは流れる」)
レイラ・スリマニ『他人の国』第一部を読む
(in ラティーナ誌2020年5月号)
これを書いているのはフランスで新型コロナウイルス禍緊急対策の外出禁止令が発令されて20日めである。フランスでの爆発的感染拡大を引き起こした発火点と言われているのが、東部フランス、アルザス地方の都市ミュルーズで、2月中旬の1週間この町の新教福音派教会が国内外の信者2500人を動員して催された集会で集団感染が発生し、集会後全国に帰っていった保菌者たちがその土地でさらにウイルスを拡散し、現在の大規模感染となったとされている。
2016年度ゴンクール賞を受賞したモロッコ人(フランスとの二重国籍)作家レイラ・スリマニ(1981年生れ、現在38歳)の待望の新作『他人の国(Le Pays des Autres)』の出発点も奇しくもこのアルザス地方の町ミュルーズである。3月5日に発売されたこの本はたちまち書店ベストセラーの1位になったが、3月18日に始まった外出禁止令のために自宅隔離を余儀なくされた市民たちに熟読されたことは間違いない。スリマニのゴンクール賞作品『優しい歌(Chanson douce)』(邦訳『ヌヌ完璧なベビーシッター』)は、国内で百万部を売り、国際的には40か国語に翻訳されて特にアメリカとドイツで評価が高く、2019年には映画化(リュシー・ボルルトー監督、主演カリン・ヴィアール、↓写真)もされた。モロッコ東部内陸部の古都メクネス生まれ、父(銀行員→政府高官)と母(医師)の方針でフランス語環境で教育を受けた。18歳でパリに留学、2006年から4年間アフリカ時事週刊誌ジューヌ・アフリックのジャーナリストとして筆を奮っている。ベビー・シッターによる幼児殺人という三面記事事件から複雑な社会的心理的な悲劇を編み出し、トルーマン・カポーティ的と評された『優しい歌』のジャーナリスト的アプローチはこの時期に培われている。また2017年に発表した『セックスと嘘』(モロッコにおける女性たちの性的悲惨を告発する証言集)ではその現場取材能力が際立っている。この本で顕著なようにスリマニは行動的フェミニストであり、政治的発言も多く、特に移民難民受け入れに力を注いでいる活動家でもある。 2017年大統領選挙でエマニュエル・マクロンを支援(スリマニは後に「相手が極右マリーヌ・ル・ペンであったが故の当然の支持であり、それ以上でも以下でもない」と弁解)した功に応えて、当選後マクロンがスリマニを文化大臣に推挙したが辞退、しかし再度請われてフランコフォニー(フランス語圏世界)特別大使に就任している。言わばマクロン政権の”高官“におさまったわけだが、その後もマクロンの移民政策や排外主義的失言に対して痛烈な批判を行なっていて、自由な言論人の姿勢は一切失われていない。ここがこの作家の最も信頼できるところなのだ。
さて三部作構成となる『他人の国』の構想は壮大である。発売された第一巻が366ページの厚さであり、三巻では千ページを越す”大河小説“になるであろう。これはスリマニの実の祖父母をモデルにした、フランス人女性とモロッコ人男性の夫婦が第二次大戦後のモロッコで開拓農家の生活を始め、その十年でフランス保護領からモロッコが独立するという大変動に巻き込まれる、というのが第一部。続く第二部はその娘の世代が体験することになるモロッコの「鉛の時代」(1970年代から99年までの国王ハッサン二世統治下の民主勢力弾圧の時代)、そして第三部はその孫(すなわちレイラ・スリマニ世代)が見ることになるイスラム原理主義台頭や「アラブの春」が起こる2010年代まで。すなわち作家に親密で身近な大衆的視点で描いたモロッコ現代史絵巻きなのである。著者の言ではこれはモロッコでは本当に少ないらしい。隣国アルジェリアは悲劇的に激烈だった独立戦争のゆえに多くの文学作品や映画が証言として残された。スリマニはモロッコでその現代史を証言するおそらく最初の文学者となるかもしれない。
『他人の国』第一巻は「戦争、戦争、戦争」と副題されている。戦争の中で出会った二人が、新たな土地で実りある生活を建てていくつもりが、そこでの生活も戦争、さらに「独立」という自分たちが敵なのか味方なのかわからない戦争に巻き込まれていく。戦争しか知らない大人たち。この第一巻の主人公の名はマチルドと言う。ドイツとスイスと国境を分かつフランス東部アルザス地方ミュルーズの豪傑実業家の娘。大柄で水泳が得意で自立心の強い(当時の)先進女性。しかしその若い日々は第二次大戦によってあらゆる可能性が閉ざされていた。1944年、ドイツ占領からその町を解放した連合軍兵士の中に、“自由フランス”に召集され参戦したモロッコ人兵士アミンがいた。“フランス”兵として欧州戦線に送られ、捕虜になるも集団脱走して再び解放の最前線に出て、英雄としてフランスの町々で迎えられたこの小柄な男は、ミュルーズ市民たちの感謝歓迎の食事宴で給仕していたマチルドと出会う。二人は恋に落ち結婚する。浅黒い肌の解放の英雄は、マチルドの未来も解放するはずだった。アルザス女はその希望に賭け、1947年モロッコ、メクネスへ移住する。
夫アミンがその亡き父親から譲り受けた石だらけの荒地を開墾し、果樹園とオリーヴ農園に改造すること。難題を山積みにしたこのプロジェクトにもっぱらアミンは情熱を集中し、マチルドはそれを”土地の女“のように支えなければならない。アミンは妻がこの土地で生きる女として同化することを望むが、それは叶うわけがない。アミンの老母ムイラナの家族との同居がマチルドの土地同化の最初の訓練期間であったが、なんとかアラブ語を覚えその家庭内で女たちと調和的に振る舞うことには慣れても、新聞や書物を読む欧州女はどうしても浮いてしまう。またその地のフランス人植民者社会は、この”原住民”(= indigèneアンディジェーヌ。スリマニはこの小説でこの植民地主義的な呼称をあえて使っている)に嫁いだ奇妙なアルザス娘を訝しげに見る。それはフランス人の男が現地の女を娶る場合(大部分がそうであるが)には、植民地的征服のロジックに適ってごく当たり前のことと見られるが、その逆、すなわち現地の男がフランス女を妻にするのは異常なことであり、白人欧州人の人種的優越心を逆撫でするものなのだ。マチルドはこうしてモロッコ人からもフランス人からも”よそ者”としてはじかれる境遇を生きなければならなかった。
イスラム伝統の家父長制度/男性原理社会の圧力ともマチルドは戦わなければならなかったが、夫アミンは口癖のように “Ici c’est comme ça(ここの流儀だから)”とマチルドを諭すのだった。それでも時代は20世紀の半ばを過ぎる頃で、女性はこれまで敷かれてきたレールに沿うことなく自立開花しようとしていた。ムイラナの末娘(アミンの妹)のセルマはフランス語も話せる聡明で美しいティーンネイジャーであり、高圧的で暴力的な兄オマール(アミンの弟)によるさまざまな禁止強制(女に学問は要らないから学校へ行くな、肌を晒すな、ひとりで街を歩くな…)にも関わらず、反抗的で封建的道徳から解放されたいと望んでいる。マチルドはこの少女に加担したいが、そうすれば老いたムイラナの家族は崩壊してしまうと感づいている。
アミンの弟オマールも職のない不良であり、戦争中フランス軍の中で功を成した兄への負い目と敵愾心から、植民国フランスを憎んでモロッコ民族主義に感化され、独立運動の地下組織に合流し、フランス統治施設や植民者たちを襲撃する前衛隊員となって行方不明になる。老母ムイラナはこの出来の悪い息子の安否が気がかりで病弱化し、アミンに必ずオマールを連れ戻すよう嘆願する。
アミンの農園はアミンの涙ぐましい努力にも関わらず、土質の悪さのせいで開墾が思うように行かず、機械化も進まず、詐欺師にかかって大損をしたり、彼が夢見たカリフォルニア型農園とは程遠い。だがその情熱は懲りることなく保たれていて、夫婦の口論は絶えないが、きつきつの生活に耐えてマチルドも彼を支援するしかなかった。
しかしマチルドが絶対に譲らないのは子供の教育のことであり、長女アイシャはどんな困難があってもメクネスのカトリック系寄宿学校でフランス語教育を受けさせる、と。このアイシャが大河小説『他人の国』の第二部の中心人物となるはずであるが、この第一部では6歳から8歳の”年端のいかぬ“時期での登場である。このアイシャが幼少時から一身に背負うのは混血の問題である。混血の特性として今日私たちが安易に考えるような「いいとこ取り」などないとスリマニは断言する。混血の負性に関してこの小説はこういう象徴的な挿話を持ってくる。アミンがアイシャのために特別にオレンジの木にレモンの木を接木して新しい品種をつくる。アイシャはこれを”シトランジェ(citronnier + oranger = citranger)”と名付け、実の成るのを楽しみにしていたが、何年か後出来た実は苦くて食べられたものではない。欧州白人(美人)と北アフリカ人(美男)の間に生まれたアイシャは、手足が長く縮れ髪の女の子で、家計のせいで身なりが貧しく、植民者ブルジョワ子女ばかりのカトリック寄宿学校で、馬鹿にされ苛められる。そのアイシャが苦境に打ち勝っていくには、二つのことが救いとなっている。ひとつは誰よりも成績優秀な頭脳があったこと、もうひとつはキリスト教信仰に篤く神秘的な体験も訪れたこと。この少女がこの三部作で最もロマネスクな登場人物となるであろうことは容易に予想できる。
だがこの第一部の核はアルザス女マチルドがいかに”土地の女“に変貌していくか、なのである。カレン・ブリクセンやパール・バックを熱読してエキゾティックな新天地での冒険を夢想していた彼女は、1947年に夫の待つアフリカ大陸のモロッコに降り立った時から、その土地が自分に露骨な敵意を向けていることを理解する。気候風土や宗教習俗の違いだけではない。悪戦苦闘の連続でこの土地に馴染もうとする彼女がどこまで行ってもつきまとう「よそ者」感の元は、フランス保護領という名の”植民地モロッコ“なのである。モロッコに移住してからの10年間、それは世界的には第二次大戦後の多くの列強植民地が独立の蠕動を見ていた時期である。1954年フランスはディエン・ビエン・フーの戦いに敗れインドシナ半島を失った。アミンの第二次大戦時の戦友(部下)で、のちにアミンの農場の作業主任となるムラードは、フランス兵としてこのインドシナ戦争に動員され、戦場トラウマを抱えてモロッコに帰ってくる。アミンは第二次大戦での功績を称えられてフランスから勲章をもらっているが、そのことはこの情勢では負い目に見られる。そしてこの男の妻はフランス人である。親しい交流などなかったフランス人植民者たちは、迫りくる独立派の武装闘争を恐れて「内地」へと逃げていく。
マチルドは農家主婦の仕事のかたわら、ヨーロッパでの基礎的な保健知識を生かして、封建的なしきたりによって医者にかかれないでいる土地の女たちのために、家の片隅に小さな看護診療所を開設する。最初は魔女扱いを受けるのだが、衛生保健の問題に多々直面する女たちに信頼を勝ち得て、簡易診療所には長い列ができるようになる。アミンの訝しげな視線にも関わらず、マチルドはこの村里で小さな存在感を獲得していく。
しかしナショナリズム(独立派)は急速に勢力を伸ばして過激さを増し、白人社会への無差別攻撃は村里にまで近づいてくる。ここでアミンとマチルドが問うのは「どちら側につくのか」ということではない。少年時にルワンダ虐殺を体験したガエル・ファイユの小説『小さな国』(2016年)で「ツチ族につくのかフツ族につくのか」という問いが迫り来る殺戮の前で何の意味もない、という状況と同じだ。どちらからも排除されているアミンとマチルドにとって、これは「他人の国」の出来事なのである。
先に書いたようにアミンの弟のオマールは独立運動の地下組織に入り、武装闘争を展開している。これはオマールにとってモロッコを他人の国から自分の国に取り戻すための闘いだった。そのオマールから暴力的に行動の自由を制限されていた妹のセルマにとって、イスラム伝統で女性たちを縛り付けているモロッコ社会に自分の居場所はなく、他人の国であった。恋をし、女として開花する逃走の旅を寸前で止めたのは兄のアミンだった。マチルドはそれをどうすることもできない。夫婦も家族も共同体も国もバラバラに崩壊しようとしていたのを、この小説はその322ページめで、アミンの采配で、イスラム法学士の前でマチルドをイスラムに改宗させ、セルマをムーラド(かつての部下、農園の作業班長)と結婚させることで、崩壊を食い止めるのである。この苦渋のアレンジメントを記憶に固く刻印するのが少女アイシャだった。
終盤は誰が味方で誰が敵かなどお構いなく、周りの農園は次々に焼き討ちに遭い、火の手はいよいよアミンとマチルドの農園に迫ってくる…。
女であること、よそ者であること、異教徒であること、奇妙な国際結婚をした妻であること、乾いた太陽の下の土と汗の匂いを感じさせる女性の波乱の半生。兵士、農民、植民者、山師、旧奴隷、カトリック修道女、娼婦、性転換手術の腕で財を成した医師、村里の子たちのために貸本をする老フランス女性…生き生きとした多彩な登場人物の数々によってバルザック人間喜劇を思わせる庶民目線の物語。第二次大戦から植民地独立までのクロノロジーであるが、この小説では「独立」「自由」「勝利」といったポジティヴな熱狂がない。フランスのために動員されたモロッコの若者たちは、解放の英雄と褒め称えられるが、ひとたびその戦争が終わればまたただの“原住民”に戻る。植民地の学校は自由と進歩を教えるが、ひとたび“原住民”がそれを得ようとすると徹底的に弾圧する。スリマニの小説は、この歴史的事件の当事者でありながら、当事者であることを予め拒否されているような複雑な「よそ者」群像を描く。そして凡百の歴史絵巻ものにありがちな“男がつくる歴史”とは全く縁がない。植民地支配に従属された社会では、女たちは二重に従属させられている。アミンを支え、アミンを立て、アミンに概ね従うマチルドにも、そこは絶対に譲らないという局面が少なからずある。アミンの“Ici c’est comme ça(ここの流儀だから)”という無説明のリクツを拒否する場合がある。この反抗こそがこの女性の傑物たるところであり、この小説の宝である。そしてレイラ・スリマニも現代文学の宝である。
近い将来にこの第二部、第三部を紹介することができずに、この連載の幕を閉じるのは残念至極であるが、“Ici c’est comme ça(ここの流儀だから)”と言い訳して終わろう。
(ラティーナ誌2020年5月号・向風三郎「それでもセーヌは流れる」)
(↓)フランス国営TVフランス5の「ラ・グランド・リブレーリー」(2020年2月)で『他人の国』を語るレイラ・スリマニ
0 件のコメント:
コメントを投稿