2013年ベルギー映画
"Deux jours, une nuit"
(日本上映題『サンドラの週末』)
監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ&リュック・ダルデンヌ
主演:マリオン・コティヤール、ファブリツィオ・ロンジオーヌ
2014年カンヌ映画祭正式出品作(コンペティション)
フランス公開:2014年5月21日
カンヌ映画祭で既に2度のパルム・ドール賞を獲得しているベルギーの社会派映画監督ダルデンヌ兄弟が、マリオン・コティアールという(悪口で言うと)ハリウッド主演クラスのセレブな(つまり社会派映画などとは縁のなさそうな)フランス女優と組んだ作品です。
舞台はワロニー(ベルギー南部フランス語圏)の地方部です。サンドラ(マリオン・コティヤール)は夫マニュ(ファブリツィオ・ロンジオーヌ)と子供2人で4人暮らし。夫はレストランで働いていて、妻サンドラは太陽光発電パネルを作る中小企業の工場で働いていました。再生エネルギーの成長株だったこの分野も、欧州では数年前から中国産の安価なパネルに押されて、状況は非常に厳しくなっています。サンドラはその職場を病気(たぶん神経症)で長い間休職していましたが、完治(したことになっていますが、服用する安定剤の量がすごい)と共に復職する段になって、経営側はサンドラの所属した作業班(サンドラを入れて17人いた)の「自主的決定」としてサンドラを解雇しようとします。それはその班が17人分の仕事を16人で回してくれたら、その16人にはひとり1000ユーロの一時金を支給するというもの。
これが労働各法において合法的なものかどうかは私は知りませんし、映画も問いません。これが危機の時代の労使関係の現実でしょう。私たちは20世紀的な発想で、そんな時は労働組合や労使調停委員会が労働者を守ってくれると思いたいのですが、これまで世界的水準からすれば恵まれていたと思われていた西欧の労働事情の今日は、まったくそれどころではなくなってしまった。どんなことがあっても「職を失わないこと」が第一目的になってしまう。職を失ったら、次はない。これがこの映画のリアリティーです。だから、この映画に出て来る労働者たちはもちろん未組織で、ひとりひとりこのことに関して多くを語りたくないのです。
サンドラの復職をとるか、千ユーロのボーナスをとるか ー 問われた作業班の16人はどう答えられますか? さらにそこに、作業責任者のジャン=マルク(オリヴィエ・グルメ)がいて、工員ひとりひとりに圧力(恫喝)をかけ、サンドラ解雇は動かしようが無い状態です。
映画はここから始まるのです。作業班の票決でサンドラ解雇が決まったものの、作業仲間のジュリエット(カトリーヌ・サレ。画面には多く登場しませんが、最も多く電話登場し、サンドラ復職のために奔走する人)が、経営者に異議申し立てをし、票決は作業責任者立ち会いで行われたため、その圧力が顕著であり、公正ではない、と再票決を願い出たところ、受け入れられ、翌週月曜日にそれが行われることになります。これが金曜日夕刻。
初めから勝てる見込みのない闘い。予め挫かれてしまっているサンドラに、夫マニュは献身的に後押しをし、絶対に諦めてはいけない、と、残る2日間(土曜日と日曜日)に16人(ジュリエットを除くので実際は15人になりますが) ひとりひとりを説得して歩くプランを立てます。2日間で(ジュリエットを除いて)8人のサンドラ復職の賛意を取り付けること。戦う映画の始まりです。
そこに現れるのは男女を問わず、みんなキツキツで生きている人たちなのです。馬の鼻の先のニンジンのように、千ユーロという大金をつきつけられ、それで「一息」がつける人たちばかりです。だから、サンドラが訪問しても、戸口に顔も出さず、門前払いや居留守をつかう人たちもいます。これをサンドラは理解してあげなければなりません。
問題は初めからすりかえられています。病気で休職するということが解雇の理由になるわけがありません。サンドラは解雇される理由がない。ところが経営側は、従業員たちのつながりを分断させ、彼らの意志としてサンドラを辞めさせる方向に持っていこうとする。経営者は手を汚さない。観る者はまるで19世紀のエミール・ゾラの小説の中にいるような、理不尽がまかり通る世界を体験します。まるで20世紀に労働者たちが獲得したことなど、すべてご破算になってしまったかのような。
しかし、奇跡は少しずつ起こっていくのです。「人間の尊厳 」のレベルでのせめぎ合いのようです。ひとり、またひとりと、サンドラの側につく者が現れます。サンドラは絶望と希望の浮き沈みに大揺れになりながら、その安定剤の投与量を増していきます。しかしサンドラが堪えられないのは、その目の前でその千ユーロをめぐって家族の激しい諍いが起こったり、夫婦が決裂したり、兄弟が流血の喧嘩をしてしまうことなのです。自分のことが原因で巻き起こってしまうもめ事やドラマに、サンドラは罪の意識に苛まれます。そして大量の薬物を飲み込み、自殺を図ることさえしてしまうのです。
そのドラマのひとつに、家を購入したばかりの若いカップルがあり、サンドラの仕事同僚の女が、夫にいくら相談しても千ユーロを守れの一点ばりで、彼女は激しい口論の末、夫を捨てて家を飛び出してしまうのです。夫と別れる決心をした、と彼女はサンドラの家を訪れて言います。そして晴れやかな顔で「私は初めて自分の行き方を決めた」と言うのです。なんという救済! そして車の中でサンドラとマニュと彼女は、カーステから流れてくるゼム「グローリア」を大声で唱和 するのです。なんと美しいシーン。涙、涙。
2日とひと夜、サンドラは歩き回り、走り回り、そのサンドラ票はあとひとりで過半数というところまでこぎつけます。どうしても会えなかった者もいるので、あとは翌日月曜の実際の投票に天命をかけるしかない...。
結末は書きませんよ。
小さな地方都市の中小企業の職のポストひとつが、人間性のギリギリのところまですり減らして傷ついて、多くの人たちを傷つけて...。日々感じていることかもしれませんが、私たちの生きている資本主義社会はここまで非人間的になっているのですよ。
結末は書きませんけど、サンドラがロッカーから自分の私物を取り出して、工場を後に歩き始めた時に、電話で夫のマニュに笑顔でこう言います:
On s'est bien battuそれは後悔のない戦いだったのです。拍手。
私たちはよく戦った
カストール爺の採点:★★★★☆
↓"DEUX JOURS, UNE NUIT" 予告篇
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