2010年2月18日木曜日
クチュリエ一代
PIERRE-DOMINIQUE BURGAUD + ALAIN CHAMFORT + ROBERT MURPHY "UNE VIE SAINT LAURENT"
ピエール=ドミニク・ビュルゴー + アラン・シャンフォール + ロバート・マーフィー共著『サン・ローラン一代記』
今から30数年前,某大学の仏文科を私と同期で出た奴が「俺の会社の制服はYSLだぞ」と自慢していました。で,彼が就職した会社は,今は「商船三井」という日本でトップクラスの船会社になっていますが,当時は合併前で「山下新日本汽船」と呼ばれていました。Yamashita Shin-Nihon Lines,略称 Y.S.L.。その会社の女子社員制服や,男子社員ネクタイにYSLのイニシャルがいっぱいついているからって,それはイーヴ・サン・ローランの手になるものではないでしょうに!
偉大なるクチュリエ,イーヴ・サン・ローラン(1936-2008)の一生を作詞家ピエール=ドミニク・ビュルゴーが十数編の歌詞で描き,それにアラン・シャンフォールが曲をつけてアルバム化したのが "UNE VIE SAINT LAURENT" です。
数年前にメジャーレコード会社から契約を切られたアラン・シャンフォールは前作までXIII BIS(トレーズ・ビス)という独立レコード会社によってCDが配給されていましたが,今回はそこからも離れ,従来のCD販売経路を通さずに,ウェブ通販会社(vente-privee.com)でのみCDを一般小売しています。レコード会社/配給会社/小売店のマージンを取り除いた,という証拠に,そのウェブシップ上でのこのCDの販売価格は税込み5.50ユーロ(約700円)で,通常の新盤CD小売価格の約3分の1です。こういうやり方は一般消費者からは賛同の声が起こるかもしれませんが,フナックのCD売場の人たちをはじめ,音楽製品流通の中で生きる私の同業者たちを全部敵に回してしまった,と言えます。音源配信とCDは2月16日から始まりました。どこまで「流通革命」を起してくれるか,楽しみでもありますが,大したことにはならないというのが大方の予想です。因みにこのVente-privée.comはこの以前にパトリシア・カースのCDアルバム『キャバレー』を同じように6ユーロで売ったという前歴があります。
さて,ピエール=ドミニク・ビュルゴーは,2006年ルイ・シェディッド(-M-マチュー・シェディッドの父)のミュージカル『LE SOLDAT ROSE(ピンクの兵隊)』でその才能を高く評価された新進の作詞家で,この『サン・ローラン』でも作詞というよりもストーリーテリングにその筆が冴え渡ります。
仏植民地時代のアルジェリア,オランに生れたイーヴ少年は,サッカー遊びに興じる近所の子たちに目もくれず,絵と芝居と映画と着せ替え人形遊びに夢中でした。オラン(ORAN)に居た時から,この少年は未来に自分の名前がシャンゼリゼ通りや世界の目抜き通りのオーラン(Haut Rang高いところ)に輝くだろうと確信していました。ビュルゴーはこういうわかりやすい言葉を使います。
19歳でモード界の帝王クリスチアン・ディオールのアシスタントに。ここでもビュルゴーはDIOR(ディオール)とDIEU(デュー=神)という二つの言葉をまぜこぜにして,ファッション界の神様を讃えます。サン・ローランがサン・ローランになれたのはディオールという神の加護があったからこそなのです。この歌"A DROITE DE DIOR"が今,協賛ラジオ局EUROPE 1を筆頭によくFMでオンエアされています。
しかし神ディオールは,52歳の若さで急死(一種の過労死とも言えます),ラ・メゾン・ディオールはこの穴埋めを21歳のイーヴ・サン・ローランに託します。ディオールのための最初のサン・ローラン・コレクションは大成功を収め,バルコニーに立つ長身のメガネの青年の姿が各新聞の第一面を飾ります。
こういう感じでCDアルバムは年代記的にサン・ローランの生涯を歌にして進行するわけですが,ここで紹介する本は,そのCDの進行を軸にして,17曲の1曲1曲を写真とバイオグラフィーと当時の状況説明を加えて膨らませたものです。あくまでもこちらは伝記「本」で,CDは無料付録という形でついています。レコード会社がこれを出せば,豪華CDブックとなって,CD売場で売られることになるわけですが,この本はALBIN MICHELアルバン・ミッシェルという出版社から出たので,「本」として書籍売場で売られるのです。上に書いたような事情で,音楽CD流通業界を敵に回してしまったアラン・シャンフォールが,CD売場に商品を置けなくなることを見越して,それならば書籍売場で売ってもらおうということを巧妙に考えたのでしょうね。今はCD売場よりも書籍売場の方が客が多いし,きっと露出度も高いでしょう。
しかしほとんど写真だらけの大判(19センチX25センチ)ハードカヴァーの100頁本,これにCDがついて25ユーロ(約3200円)というのは良心的と言えます。そしてアラン・シャンフォールの音楽とこの写真集で,サン・ローランの生涯がミュージカル映画のように平易にわかってしまう,という仕掛けです。
ビュルゴーの詞で,生涯の伴侶となるピエール・ベルジェとの出会いを描くとき「禁じられた遊び」をメタファーにつかいます。実際ホモセクシュアリティーが法的に禁止されていた時代(この法的禁止が廃止されるのは1981年のこと!)の比喩で,「私は『禁じられた遊び』をギターで教わり,そのあとギターなしの『禁じられた遊び』を知った。私はギターなしの方が好きだった」という歌詞になります。これはきれいですね。
アルジェリア戦争の時に徴兵され,その間にディオール社が代わりにチーフを雇ったため,サン・ローランは戦地で極度の神経衰弱に陥り,その地獄から這い出す唯一の可能性は自身のメゾン「イーヴ・サン・ローラン」を設立することでした。こうしてベルジェとの公私共の二人三脚が始まるのですが,あの時代からはっきりとホモセクシュアリティーを公にしていた希有な有名人でした。
そしてスモーキングからインスパイアされたパンタロン・スーツが生まれます。これは女性の地位向上にどれだけ貢献したことか。そしてプレタ・ポルテ化で,ファッションを一挙に大衆化させてしまいます。年寄りの金持ち婦人を相手に豪奢な服を作るのか,道行く女性たちのためにきれいな服を作るのか,こうやって考えるクリエーターがサン・ローラン以前にはいなかったのですね。女性がどんどんアクティヴになっていった60年代70年代に,サン・ローランは女性の革命を大胆に応援していたというわけです。
ビュルゴーの詞で,もうひとつすごいのがあります:「マーケッティングとポエジーがひとつ屋根に同居すると,どちらがどちらを欺くということに関わらず,ポエジーの方が身を引いて去ってしまう」。これはモードの詩人と言えどもマーケッティング至上主義に勝てなくなった90年代,2000年代のことで,ポエジーの化身サン・ローランは自分のメゾンYSLを去っていかなければならなくなったのです。
苦い引退劇,そしてカトリーヌ・ドヌーヴの涙に飾られたサン・ローラン71歳の死まで,この本とCDは最後まで美しく幕を閉じます。偉大なクチュリエの歴史だけではなく,これは20世紀後半の歴史そのものとも重なります。すべての曲が秀逸とは言いがたいけれど,シャンフォール一流のダンディズムが,このクチュールの巨匠への愛に満ちて,胸に迫るものがあります。
<<< CD トラックリスト >>>
1. ORAN
2. A LA DROITE DE DIOR
3. LES CLOCHETTES BLANCHES
4. LE JEUNE HOMME AU BALCON
5. PAS DE GUITARE
6. UNE ETOILE QUI TOMBE
7. LES DEUX NE FONT QU'UN
8. SMOKING OR NOT SMOKING
9. PRET-A-PORTER
10. LES MUSES
11. 5, AVENUE MARCEAU
12. MAJORELLE
13. LE MARKETING LA POESIE
14. QUAND ON A TOUT CONNU
15. ON DIT
16. ADIEU MONSIEUR SAINT LAURENT
PIERRE-DOMINIQUE BURGAUD + ALAIN CHAMFORT + ROBERT MURPHY "UNE VIE SAINT LAURENT"
(ALBIN MICHEL刊 2010年2月刊。無料CDつき。100頁 25ユーロ)
(↓)アラン・シャンフォール「ディオールの右側に」クリップ
(↓)2010年3月から8月までパリのプチ・パレで開催されるサン・ローラン回顧展ポスター
登録:
コメントの投稿 (Atom)
1 件のコメント:
コメントを投稿