2025年2月28日金曜日

手を取り行くのも絵空事

"Yôkai - Le Monde des Esprits"
『スピリット・ワールド』

2024年シンガポール日本フランス合作映画
監督:エリック・クー(Eric Khoo 邱金海)
主演:カトリーヌ・ドヌーヴ、堺正章、竹野内豊
フランス公開:2025年2月26日

不思議の国ニッポンでは生者たちの空間に死者たちの霊がここかしこに同居している。このテーマは2023年エリーズ・ジロー監督フランス映画『シドニー・オ・ジャポン(日本上映題「不思議の国のシドニ」)』で展開され、フランスの大女優イザベル・ユッペールをしてなんとも軽薄な心霊体験を演じさせたのである。今回はフランスの大女優カトリーヌ・ドヌーヴが同じような不思議の国ニッポンの死霊と共演するばかりか、自らも死霊となって日本を旅するのである。
 日本通のシンガポール人監督エリック・クーの最新作『スピリット・ワールド』は、前作『ラーメン・テー(日本題「家族のレシピ」)』(2018年)と同じように、群馬県高崎市が重要な映画の顔になっている。高崎は監督にとってよほど思い入れのある町なのだろう。
 老いた著名シャンソン歌手クレール・エムリー 、 Claire Emery 映画中のカタカナ表記では”クレア・エメリー”となっている。エムリーの姓はジャック・ドミー『シェルブールの雨傘』(1964年)の傘店店主マダム・エムリー、その娘ジュヌヴィエーヴ・エムリー(=カトリーヌ・ドヌーヴ)からいただいたものだろう。同ミュージカル映画でジュヌヴィエーヴの歌声はドヌーヴによるものではなく、歌手(ダニエル・リカーリ)が吹き替えしたものだったが、この『スピリット・ワールド』では、シャンソン歌手クレール・エムリーの歌はドヌーヴ自身の声で歌われている。設定は日本で極めて高い人気を博しているシャンソン歌手ということで、モデルとしてシルヴィー・ヴァルタンを想ったりするのだが、映画中で人生最大の心残りのように死んだ一人娘のことが語られるので、これはジュリエット・グレコ(2020年没、不和の関係にあった娘ローランス=マリーは2016年没、最後の日本公演は2014年、予定されていた2016年公演は病気のため中止)と考えるのが自然。グレコが黒のドレスの歌姫だったように、このクレール・エムリーはステージはいつも赤のロングドレスなのだった(美空ひばりのようだ、と私は思った)。
 さてそのクレール・エムリーの久方ぶりの来日公演なのだが、会場はなんと東京ではなく高崎なのだ。ステージにはピアノ伴奏者と赤いドレスのシャンソン歌手ひとり、しかも椅子に座って歌っている(ジュリエット・グレコは最晩年でも立って歌っていたのに)。それを高崎の満員のファンたちは拝むように静聴している。歌はこの映画のためにジャンヌ・シェラルが作詞作曲したオリジナル曲。エミリー・ロワゾー、エミリー・シモン、フランソワーズ・ブルーらと同じように2000年代デビューの女性シンガー・ソングライターとして今や中堅となったジャンヌ・シェラルの才能を私は十分認める者ではあるが、映画で聞くことができるクレール・エムリー(カトリーヌ・ドヌーヴ)が歌う2曲は凡庸ですよ。少なくとも大シャンソン歌手の名曲として観客がうっとりできるような歌のように演出されるには無理がある。それはそれ。そしてこの「ライヴ・イン・タカサキ」コンサートは、高崎には失礼だが、”場末感”が漂っているように見える。それはそれ。
 この高崎コンサートが終わった夜、クレール・エムリーは宿泊ホテルから抜け出すと、目の前に飲み屋が立ち並ぶ小路がある(”場末感”の延長)。クレールは選びもせずに一軒の居酒屋に入り(飲み屋のオヤジが”これはこれはエメリーさん!”と歓待するほどの有名人)カウンターに座り、一言も言葉を言わず手振りで日本酒を注文し、猪口ではなくコップ、徳利ではなく瓶、とその飲む量をどんどんエスカレートさせていき、その挙句、急性アルコール中毒でカウンターに突っ伏して死んでしまう。かなり唐突。
 話は前後するが、その数日前に高崎で元ミュージシャン/作曲家だったユウゾウ(往年のビーチボーイズ系サーフロックのヒットメーカーという設定で、当然この名前は加山雄三に由来する)(演堺正章)がガンで死んだのだが、この男がサーフロック系の分際でシャンソンのクレール・エムリーの大ファンかつ、クレール・エムリーこそ彼の音楽創造の最大のインスピレーションだった、というちょっと無理のあるプロフィール。そのもう一つの創造のインスピレーション源が酒だった、という...。それはそれ。自分の死期を知りながら、大ファンだったクレール・エムリーの高崎コンサートのチケットを買って楽しみにしていたが果たせず。その弔いの意味も込めて、息子のハヤト(演竹野内豊)がそのチケットでエムリーのコンサートに行き、コンサート後のサイン会でエムリーと対面する。
 そのハヤトはアニメーション映画クリエイターとして高い評価を受けているが、創造力枯渇スランプに陥っていて、そのストレスから重度のアルコール依存症(ただものではないウィスキーの量、カップラーメンにウィスキーがばがば入れて食べるシーンあり)になっている。この映画の主役3人はそれぞれがアルコール依存症者で、エリック・クー監督はこれを重大な病気として扱うことはせず、浪花節的な”酒でも飲まなきゃやってらんねえ”人情の側から描いている。これは前時代的な”日本映画”モードであり、私にはあまり感心できない部分であるが、それはそれ。
 クレール・エムリーが居酒屋のカウンターに突っ伏して生き絶え、その肉体をそこに残して幽霊となって高崎の町を彷徨う。西洋人としてこの現象は全く理解できず狼狽えているところで、「エメリーさん」と呼ぶ声あり。幽霊のユウゾウと幽霊のエムリーが出会い、この幽霊間のコミュニケーションではユウゾウが日本語で喋り、エムリーがフランス語で応答するのだが、両者は翻訳することなくすべて理解できるのである。映画って何でもできるんですね。あなたの大ファンでしたと前置きし、ユウゾウは日本では生前に重大なやり残しを置き去りにした魂が天界に行けずに現世に幽霊となって彷徨っているとエムリーに説明する。あなたも私もそういう現世の未練に縛られた幽霊なのです。ユウゾウは天界に行けない理由を探しに、私と一緒に旅をしませんか、と。
 エムリーは前述のように現世での大きな後悔として一人娘エルザのことがあるのだが、映画はそっち側のことは軽視して、もっぱらユウゾウの現世の後悔をどうにかする”旅”としてロードムーヴィー化する展開で、エムリーはその旅のお供として霊界と現世の交錯する不思議の国ニッポンの観察者のような立ち回り。そのユウゾウの死んでも死にきれない後悔とは、別れた妻でありハヤトの母親であるメイコ(演風吹ジュン)のことであり、若き日の過ちを御破産にして、メイコとハヤトが再会/和解してくれないものか、と。ユウゾウはハヤトへの遺言として、若き日の(ビーチボーイズ系)サーフロックバンド(ユウゾウがキーボディスト/コンポーザーで、メイコがヴォーカリストだった)の唯一の大ヒットアルバムのアルバムジャケットを飾った因縁のサーフボードをメイコに届けてくれ、と書き残す。それに従ってハヤトは年代もののステーションワゴン車のルーフにサーフボードを積んで、千葉県外房のサーフィン町(映画では地名は出てこないのだが)いすみ市までロングドライブとなるのだが、そのステーションワゴンの後部座席にはハヤトには見えない幽霊のユウゾウとエムリーが同乗している。撮影は2024年1月という冬場であるが、日本のロードは絵になるねぇ、非日本人観客にはここが十分な見せ場でしょうねぇ。カーステからは往年の(ユウゾウ時代の)Jポップ(なんでスパイダーズじゃないんだろうなぁ)。やがて見えてくるいすみ市海岸の風光明媚、光あふれる冬の海。
Mourir seule au Japon, ce n'est pas si mal, finalement...
(日本で私ひとりで死ぬことって、そんなに悪いことじゃないわね...)
(↑)とクレール・エムリーはまんざらでもない感慨をもらすのである。幽霊として現世ドラマを鑑賞する旅を楽しむように。幽霊友のユウゾウの解説を聞きながら展開されるハヤトの現世ドラマは二つの方向に向かっていく。ひとつは(ユウゾウが望んだような)母メイコとの再会と和解というポジティヴな方向、もうひとつはハヤトのクリエイターとしての創造力枯渇の苦悩から堕ちてしまうアルコール依存症地獄というネガティヴな方向。後者は母と再会した上向きの契機を得たハヤトをしてもなお、地獄へ地獄へと追い込み、遂には死の淵まで追いやるのである。それを救うのが吉祥天女のような顔をした幽霊クレール・エムリーなのだった....。

 オールドスクールなマンガを読まされているような映画だった。セリフの少ない映画。日本語もフランス語も解さないエリック・クー監督はその多くを”絵”で表現しようとしたのだろうが、ダイアローグは(日本語もフランス語も)本当に軽い。「禁止されている場所にも関わらずタバコを吸うドヌーヴは、女王の貫禄で不平を漏らし、自分自身の死、そして愛した者たちの死を語る。それは遺言のように美しく、このようなシンプルな映画によって死者たちが私たちを見守り続け、私たちの耳元でメロディーを囁いてくれるという希望がもたらされるということは稀である」(テレラマ誌2025年2月26日号)という好意的な評価もある。これは単純な不思議の国ニッポン肯定論だと思う。宮崎映画を褒めるようにこの映画を褒められるのかテレラマは!20世紀映画の大女優の存在感はこの映画でどうなっているのか、私は呆れましたよ。
 蛇足ながら、鈴木慶一がユウゾウの元バンド仲間という役で出ていて、ハヤトとかなり長いセリフのやりとりをしている。細野晴臣と久保田麻琴もサーフシティーいすみ市の住人という役で短い出番がありそれぞれ短いセリフを。愛嬌。

カストール爺の採点:★☆☆☆☆

(↓)『スピリット・ワールド』フランス上映版予告編