2015年は大変な年でした。
それはシャルリー・エブドに始まり、私の肝臓ガン発病と手術をはさんで、バタクランで終った1年でした。爺ブログも統計的には急激な変化のあった年で、これまで目立たず細々と月間4000ビュー程度の読まれ方でやってきたのに、1月のシャルリー・エブトのテロの頃(ウーエルベックの『服従』発表)と、11月のバタクランのテロの頃に拙ブログでは見たことのない驚異的なページビュー数をカウントし、2007年ブログ開設以来8年で最高(しかも例年の1,6倍)のご愛読をいただきました。ありがとうございます。
2015年の記事数は38件で、横這い状態ですが、 2015年は紙媒体でも向風三郎の毎月の連載も2件になり、また7-8-9-10月の闘病生活もあったので、それを考えると、よく頑張ってブログ記事書いたものだな、と自分を誉めております。連載記事との重複を避けたわけではないのですが、向こうで書いたものはこちらでは書きづらく、個人的にはこちらに書いていないヴェロニク・サンソンのアメリカ時代のこと(ラティーナ2015年3月号)、オーレリアン・メルルのこと(オヴニー2015年7月15日号)は、自分でも重要な記事だったと思っています。
新刊紹介は2015年は9編のみの紹介で、約束していたブーアレム・サンサルの『2084』もマチアス・エナールの『羅針盤』(2015年ゴンクール賞)も紹介できませんでした。言い訳すると、どちらも入院中に枕元にあったのですが、服薬中で読んでも全然頭に入らないという状態だったのです。で、2015年、私が最も愛した本はヴィルジニー・デパントの『ヴェルノン・シュビュテックス1&2』(↑写真)でした。この本についてはブログではなく、ラティーナ2015年10月号で紹介しました。ごめんなさい。続編(&完結編)『ヴェルノン・シュビュテックス3』(2016年春刊行予定)が出たら、必ず爺ブログで紹介します。
それでは2015年の爺ブログのレトロスペクティヴです。純粋にページビュー数の多い順に10点並べました。どれも思い出多い2015年の瞬間でした。
1. 『今朝、私はレピュブック広場に来ました』(2015年11月15日掲載)
現時点で爺ブログ始まって以来の3万5千ビューをカウントしている記事です。11月13日金曜日のパリ10区・11区街頭、サン・ドニのスタッド・ド・フランス、11区のコンサート会場バタクランでの乱射・自爆テロの2日後にその時点で思っていたことを直截的に書き綴りました。SNS(ツイッター、フェイスブック等)でたくさんの方たちにシェア&リツイートしていただきました。いろいろな意見をいただきました。概ね好意的な評で、この事件の激烈な痛みの質というのが少しでも共有できたのではないか、と思っています。音楽や自由を愛することとは何か、共和制とは何か、フランスで市民でいることは何か、ということを自分なりに初めてちゃんと書いたのではないか、と思っています。続きもあると思います。たくさんの皆さんにありがとうと言いたいです。
2. 『すまんですめばユイスマンス』(2015年1月20日掲載)
1月8日、シャルリー・エブド編集部襲撃テロ事件と同じ日に刊行されたミッシェル・ウーエルベックの小説『服従』の紹介記事です。 これは日本語翻訳本も9月に出ましたし、たくさんの方たちが読んだことと思います。私はその政治的な予言である「2022年フランスにイスラム穏健主義派の政府が誕生」という話題よりも、ウーエルベック一流のエンターテインメント性とフランス19世紀末文学のチャンピオン、ジョリス=カルル・ユイスマンスの転向的なキリスト教帰依に関する評伝的な記述に圧倒されたのでした。ウーエルベックを胡散臭いポップ小説家のように言う人々がいますが、私のウーエルベック=誠実真摯な大作家という評価は作品を重ねるごとに揺るぎないものになっています。
3. 『俺はこの日フランス人になった(マジッド・シェルフィ)』(2015年11月18日掲載)
バタクラン・テロの後で、ゼブダのリーダー、マジッド・シェルフィがリベラシオン紙に特別寄稿した文「大殺戮(Carnages)」を無断で全文日本語訳した記事です。フランスは夢の国ではないし、ましてやフランス人は理想的な人々ではない。この不完全さをいろいろと羅列しながらも、なぜ私たちがこの土壌、この環境、この人間たちの中にいることにしがみつくのか、ということがとてもよくわかるし、私自身とても共感できる一文でした。理想化してはならない。不完全さゆえのフランスの意味。三色旗を窓に翳したりフェイスブックプロフィールにしたりという立場とは少し異なるフランスへのオマージュでした。
4. 『座礁マスト・ゴー・オン』 (2015年11月10日掲載)
11月13日テロの直前に掲載された記事であるということが大きな原因だったと思います。11月15日掲載の『今朝、私はレピュブリック広場に来ました』を読んだ人たちがついでに読んでいったということだったのでしょう。2015年、爺ブログが最も高く評価したアルバム、フ〜!シャタートンの『ICI LE JOUR (A TOUT ENSEVELI) ここでは日の光(がすべてを覆いつくした)』の中の1曲で、2013年1月13日(金曜日)に地中海で起った豪華客船コスタ・コンコルディア号の座礁難破事故を描いた「コート・コンコルド」という歌の紹介記事でした。
5.『今夜俺たちは踊りに行く(アシュカ)』(2015年11月19日掲載)
今年のレトロスペクティヴはどうしてもバタクラン・テロの時期に掲載したものに集中してしまうのですが、稀代のプロテスト・シンガー、HK(アシュカ)が事件後の11月17日にオルター・グローバリゼーション機関紙に寄稿した一文を無断で全文日本語訳した紹介記事です。 アシュカは2014年秋にトゥールーズで知り合ってから、個人的にとても親しくしているアーチストで、2015年も爺ブログだけでなく、オヴニーでも紹介記事を書きました。日本での評価もじわじわ上昇していて、私の周辺ではとても目立った活躍をした人でした。
6. 『あとで肘鉄プラウダ』 (2015年1月30日掲載)
アンヌ・ヴィアゼムスキーの12作めの小説で、映画監督ジャン=リュック・ゴダールとの結婚生活の後期を描いた『1年後(Un an après)』の紹介記事です。1968年という時代、政治と闘争映画、ビートルズとの映画プロジェクト(実現せず)、ローリング・ストーンズとの映画『ワン・プラス・ワン』の驚くべき裏話など、とくに映画ファンの方たちから読んでいただいた記事でした。ヴィアゼムスキー20歳、ゴダール37歳。加速度的に手のつけられないどうしようもない男になっていくゴダール、という描き方はヴィアゼムスキーの愛憎ごちゃまぜの視点でしょうが、時代と映画現場の証言としてたいへん貴重です。
7. 『今朝のフランス語:Du temps de cerveau disponible』(2015年4月3日掲載)
パリの日本語新聞オヴニーに月1回の連載『しょっぱい音符』 を始めたのが4月15日号で、HK(アシュカ)&レ・サルタンバンクの『星に灯りを点す男たち』を紹介しました。その補足のようにその中の歌"SANS HAINE, SANS ARME ET SANS VIOLENCE"(憎しみも武器も暴力もなく)の歌詞について解説した記事です。2004年の巨大テレビ局(TF1)社長の発言から、テレビの仕事というのは広告スポンサーに対して、極端な娯楽番組によって視聴者たちの頭を空洞化してコマーシャルメッセージに無防備な時間を作ること、ということを知るのです。自分も大変勉強になった記事でした。
8. 『ジハード・デイズ・ナイト』(2015年2月16日掲載)
シャルリー・エブド事件の翌日の1月8日に出版されたノン・フィクション本で、ジャーナリストのアンヌ・エレル(匿名)著『女ジハード戦士になりすまして』の紹介記事です。この本はその後5月に日本語訳されて『ジハーディストのベールをかぶった私』(日経BP社)として出版されたので、読んだ方も多いかと思います。ジハード戦闘員スカウトの誘いに乗ったふりをして、フランスからのジハード志願者たちのルートを暴こうとしたジャーナリストの記録ですが、その危険と彼女自身の心理的葛藤ばかりが強調されて、読み物としてはどうなんでしょうか、という私の結論でした。しかしフランスのジハード志願者たちの数は減ることを知らず、11月13日のバタクラン/サン・ドニの乱射・自爆テロの実行犯のほとんどがフランス人であったことをわかった時、普通にインターネットをいじっている間にジハーディズムの魔力に囚われてということはごく身近に起っていることなのだと改めて知らされます。
9. 『ソルガ男の生きる道』 (2015年2月12日掲載)
2000年から2005年まで、エレクトロ・オクシタン・ロックのパイオニアとして、ワールドファンとロックファンの両方を魅了したバンド、デュパンの10年後の復帰アルバム『ソルガ』の紹介記事です。サム・カルピエニアがたまたま古本屋で手に入れたマクサンス・ベルナイム・ド・ヴィリエという20世紀中葉の不詳詩人の詩集『ソルガ』にインスパイアされたアルバムということなのですが、この詩が高踏で難解で模糊模糊したしろもので...。一生懸命訳そうとして、何晩も苦悩したものでした。私はとても好きで、これは後世に残る傑作と思ったものですが、結果としてオクシタニア・ファンからもロック・ファンからも、ピンと来ない作品として注目されませんでした。残念です。
10.『火事になれば、またあの人に会える』 (2015年10月30日掲載)
2015年も爺ブログは新譜紹介の数が多くありませんでした。11点のみ。ごめんなさい。それでも2013年のストロマエ、2014年のクリスティーヌ&ザ・クイーンズのレベルのアルバムに出会えたことは幸運でした。フ〜!シャタートンは一目惚れです。アルチュール・テブールは故エルノ・ロータ(ネグレズ・ヴェルト)+アルノー・フルーラン=ディディエのようなルックスで、故ジョー・ストラマー+故ジルベール・ベコーのような歌い方をする人。文学あり、不良あり、悲恋慟哭あり、シャンソン・レアリストあり、プログレッシヴ・ロックあり...。スケールの大きなバンドとして成長していくでしょう。未体験の方たちはぜひ。
2 件のコメント:
Abd al Malikについて投稿したUBU PEREです。2015年はフランス社会のみならずカストール爺さんにとっても長期入院など大変な年だったのですね。そんな中で質の高いブログやラティーナでの記事など精力的な活動に感心するばかりです。2016年もフランスの音楽、文学、言葉、社会について貴重な情報を発信されることを期待しています。
Ubu père さん、コメントありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
ルノーに関する原稿を準備しているのですが、さまざまな予告にも関わらず、本人が復活してくれないので、それまでお預けかな、という感じ。グラン・コール・マラードのアルバム "IL NOUS RESTERA CA"(2015年10月。これもちゃんと紹介するべきでした。ごめんなさい)の中で、出ない声で思わず歌ってしまったルノー。歌うことへの病みがたい欲求というのがあるんだなあと思いました。私にもそういう「書きたい」「伝えたい」という欲求があるのかしら?インターバルが開くと、荒れ放題のブログが可哀相になって時々帰ってきます。自分なりのペースでしかできませんけど、このブログ大切にしたいと思っています。どうぞよろしく。
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