2012年10月10日水曜日

フレッド・ル・シュヴァリエというアーチストのこと

  1996年8月に私はパリ11 区のオーベルカンフ通りに事務所を開設しました。以来私はオーベルカンフ〜メニルモンタン地区で1日の大半を過ごす人間となったのですが、この地区のことを人の風聞で知っていても、仕事が忙しかったり、外に出る機会が稀だったりして、結局16年の長きに渡って、この地区をゆっくりと探訪することなどなく過ごしてきたのでした。近くのカフェ、近くの昼飯屋、近くのスーパー、近くのマクドナルド、近くのケンタッキーフライドチキン、近くの銀行の現金引き出し機、近くの新聞スタンド、近くの郵便局, 近くの露天市、近くのアカシア並木....そういうことは知っていても、この町がどんな顔をしていたのかはずっと知らなかったのです。時間をかけて見たことがない、と言うべきでしょうか。たまにわが家の都合で、飼い犬の世話を事務所で見なければならなくなった時、私は昼の時間にドミノ君(わが家のジャック・ラッセル老犬)の必要にかられて、メニルモンタン界隈を一緒に散歩するのですが、その時にこの愛すべき町の一部を垣間みていたのでしょうね。町はゆっくり歩くと普段見慣れている光景から、違うものをいろいろと見せてくれるものです。それを知っていながら、私はそれを見なかったのです。
   2012年6月、 地下鉄3号線リュー・サン・モール駅から、オーベルカンフ通りの事務所に向かう途中、幼児用にブランコやジャングルジムがある緑地スクエアがあったり、老人用にペタンク球技場があったりする、大きな通りアヴニュー・ジャン・エカールの壁に、紙にプリントしたイラスト画で、顔を陰陽風に白黒に半分けした少女が、「パリ21区、Anvers et contre tout」と書いたパリ街区の道路標識板を両手で持った貼り絵を見つけました。パリ・モンマルトルにある街区アンヴェール、またはベルギー・フランドルの港町アントワーペンを意味する地名Anversと、フランス語の慣用句 "Envers et contre tout"(万人に逆らって)を掛けたこの標識板を持っているのは、可愛らしさ半分、不屈の意志の強さ半分の不思議なキャラクターの少女。私はこの貼り絵に惹かれるものがあって、フェースブックで紹介しました。そして、日を経たずして、この貼り絵のアーチストが、このオーベルカンフ〜メニルモンタン界隈の町の壁に、別の作品を貼っていることを知りました。
 私はこの貼り絵アートに魅力を感じて、この界隈を歩いて、このアーチストの貼り絵に出会うことに大きな喜びを感じるようになりました。若い娘、若い男、男女カップル、男男カップル、女女カップル、異国から来たような男または女、異星から来たような男または女、不思議な乗り物、不思議な衣装、ハートを赤く塗りナイーヴに恋心をあらわにする男と女、花や魚や鳥などで装飾する分かりやすいロマンティスム... 例は悪いかもしれないけれど、この分かりやすさはサンリオ的だと思います。とても「高級芸術」の領域ではないものでしょう。
 私はそれから、オーベルカンフ〜メニルモンタン界隈をよく歩くようになりました。たぶんこのアーチストの作品に出会うことの喜びを体験するために...でしょう。私は9月からそれを見つけるたびにフェースブックで写真アルバムにして紹介するようになりました。「いいね!」をクリックしてくれるFBパルたちが少なくないのは、たぶん多くの人たちもこんな絵に町で出会ったら快いショックを覚えるのだろうな、ということを思わせてくれます。オーベルカンフ〜メニルモンタンという下町的で雑然とした風景の中で、この貼り絵のある空間は、わかりやすいポエジーの立ちのぼりが見えて、それを感知できる多くの人たちは微笑んでこの佇まいを見ているはずなのです。
 そのあと、私はこのアーチストがフレッド・ル・シュヴァリエという名前で、規模はどうあれ、ギャラリーで展示したり、画集を出版したりしている、非アマチュアのプラスティック・アーチストであることを知ります。フェースブックでも自分の活動を公開しています。
 私はこのフレッドがどれほどの価値があるアーチストなのかを判断することも評価することもできません。ただ、このナイーヴなアートに強烈に惹かれるものがあることは隠すことができません。そして街頭貼り絵という、刹那的である種過酷な環境を発表の場としているストリート・アートということにも思い入れが生まれてきました。なぜならば、雨が降ればこの絵は剥がれてしまい、心ない人がいればこの絵は剥がされたり上に落書きされたり、ということは避けられないのですから。実際に、私がフレッドの絵を通りで見かけても、それがそのままで保存され続けることはないのです。早ければ数日、遅くても数週間で、その絵は傷つけられ、剥がされてしまうのです。
 フレッド・ル・シェヴァリエというアーチストは今日インターネット上の情報で知る限りでは、名のある造形芸術家ではないですし、どうやって喰っているのかもわからないような、若くてナイーヴで心優しい詩人・絵描きであるように私は想像しています。
 なぜ、こんなふうにして通りの壁での貼り絵を続けるのか、それが何の役に立つのか。ー フレッド・ル・シュヴァリエは彼自身のブログの2012年10月 6日の日記で、そのことを考察しています。その青く若くナイーヴな省察に、私はとても心打たれました。それが何の役に立つのか。以下に本人の承諾なしに、私なりのやや過度な意訳も多少含まれますが、全文訳出しました。読んでみてください。

原文 = フレッド・ル・シュヴァリエ 2012年10月6日のエントリー
2012106日(土曜日)
CA SERT A QUOI ?

何の役に立つのか? 人はしばしば僕に問う,貼り絵をすることが一体何の役に立つのか? それは「なぜ?」「どうやって?」「いつ?」という質問を伴う。往々にして最も単純な質問こそ最も難しいものだ。それは僕が一度もしたことがなかったのに,ずっとやりたいと思っていたことだからだ。それはエルネスト・ピニョン・エルネストの影響,それは子供時代のせい,それは詩のせい,そして何かを再び見出したいから,発見したいから,探検したいから。最初は僕が愛していた人のためだった。その人の通り道に貼ること。

そうとも。最初は自分自身のために始めるもんだ。常に。自分自身の物語を語りたいから,自分自身の最も美しい部分を出したいから,それを自分の恐れと涙の液体に漬けさせて,そこに微笑みと優しさを加えて,人は自分自身のために始めるんだ。そのあとで他者との分け合いがやってくる。分け合いと共に飛躍もやってくる。

そんなものは何の役にも立たない,まったく何の役にも。それは良い「コミュニケーション戦略」だろう,確かにそうだが,幼児が3歳になって色エンピツを持って初めて描いた怪物の絵を自分の部屋に貼るとき,それはマーケッティング戦略か? 一階の通りに面した窓に,その絵の表を通りに向けてスコッチテープで貼る時,その子は「コミュニケーション」を意識しているだろうか?

確かに画商たちが見るかもしれないし,お金に興味がないわけではない。「きみにとてもいい仕事を提案したいんだ」という話にももちろん興味はある。だけどそのために絵を描いているのだったら,それはまずしいことだ。

それは何の役にも立たないけど,おおいに役に立っているかもしれない。この貼り絵の前でひとりの女性が立ち止まった。イスラムのスカーフで頭を包んだこの女性は小さい男の子を連れていた。その前にはひとりの老婆が立ち止まり,別の時には同性愛のカップル,酔っぱらい,シックな紳士が同じように立ち止まった。僕は変わらない。いつものように不健康そうな顔をして,黒い衣装を着て,糊を上から下に塗り付ける。立ち止まる人たちはいつも変わる,そして時々微笑みかけてくれる。

今日の女性は連れていた小さな男の子と一緒に写真を撮った。そして私にありがとうと言った。その人はこの絵を「美しい」と言ってくれたんだ。「きれい」じゃないんだ。「美しい」なんだ。わかるかい? それはこのことのために役立ったんだ。僕は大多数の人々に対して何も言いたいことはないし,言い合うことなどほとんどないし,彼らがお互いを支え合って生きていることには言うことはおろか笑うことさえできない。この女性とも何も言葉を交わさずに済まされたはずなんだ。

何も言葉を交わさずに済んだはずなのに,僕とその人は何かを分かち合ったんだ。ほんの5秒か10秒の間,僕は二人を微笑ませ,その微笑みのかけらを僕は二人から盗み取ったんだ。何の役にも立たないけど,このことだけ。それだけでこれはすごいことなんだ。

 私はこのアーチストのおかげで、オーベルカンフ〜メニルモンタン界隈を毎日フレッドの貼り絵を探して歩くようになりました。A quoi ca sert ? 何の役に立つんだ?とフレッドは自問しますが、私はこのおかげで町を興味深い目で見ながら歩くようになったのです。それだけでもこれはすごいことなんだ、とフレッドに言ってやりたい気持ちです。


(↓ Youtubeにある唯一のフレッド・ル・シュヴァリエ動画)

4 件のコメント:

kay さんのコメント...

Paris, ce lieu si beau qu’il fait mourir !!

パリに暮らしていたとき、幸運にもアーティストや
ミュージシャンと交流を持つことができて
彼らの絵を観に行ったり、ライブを聴きに行ったりと
オーベルカンフやメニルモンタン界隈は
懐かしい、思い出のつまった界隈です。
(11区よりは、19 区、20区寄りでしたが)

なので、Fred Le Chevalierさんの絵を見たとき
デジャヴュを感じたので、きっとどこかで目にしていたと思います。

カストールさまの冒頭の文章からグググっときてしまいましたが
Fred Le Chevalierさんのブログの訳を読んで、
ますます感動してしまいました!

たった数秒でも、誰かと何かを分かち合えたら、、
ユマニテに生まれた醍醐味ですね。

Pere Castor さんのコメント...

Kayさん、
イントロの引用文、ポール・ニザンなの?

kay さんのコメント...

はい、そうです。

ポール・ニザンの
『 アデン、アラビア Aden, Arabie 』からの引用です。

Pere Castor さんのコメント...

Kayさんとはその頃この界隈ですれ違っていたかもしれないわけですね。今度すれ違う時は声をかけてくださいね。

この記事を出したあとで、Fred Le Chevalierが、当年39歳の現役高校教師である、ということがフランスのウェブジンの記事で判明しました (↓)
http://www.citazine.fr/article/fred-le-chevalier-des-temps-modernes

ミステリアスだった部分がちょっと明るみに出ちゃいましたが、それにしても興味深い人物像です。