2010年8月24日火曜日

サン・パピエ支援コンサート



 長い間書きたいと思っていたアーチストだったので,ジャック・イジュランの原稿は楽しく書けました。10月号は音楽と関係を保ちながらも,2010年夏のフランス政府による「ロマ狩り」について書こうと思っています。ちょっとテンションが上がってしまうかもしれません。7月末,サルコジの鶴の一声で,フランスにある旅の民たちの「無許可/不法キャンプ地」300カ所を年内に強制解体し,外国籍者(ルーマニア人ロマ等)は出身国に送還することが決められ,内務大臣オルトフーの指揮下,8月だけで40カ所以上のキャンプ地が機動隊によって解体されました。野党,人権団体,国連,米国紙ニューヨーク・タイムズなどが一斉にこの非人道性を指摘し,移民および少数民族に対する弾圧を強化することによって国家の安全が保たれるというサルコジの保全第一主義を批判しました。その声を一切無視して強制執行を続行するフランス政府に,批判の声はさらも高まり,あるキリスト教聖職者は国から与えられた勲章を突き返して抗議し,キリスト教的隣人愛を伝統として持っていた国の急激な排斥主義化を嘆きました。バチカン/ローマ法王庁もベネディクト16世自身がフランス語で少数民族保護をフランス政府に訴えました。今や,サルコジ支持層内部にもこの「ロマ狩り」を懸念する声が上がり始めました。

 あれもこれも一緒にしてはいけないので,「ロマ」件は別の場所で書き続けますが,サルコジの移民政策がもたらした大きな問題のひとつが,この「サン・パピエ」(パピエのない者。すなわち滞在許可を持たぬ外国人労働者)です。簡単に「不法就労者」と決めつけてはいけません。彼らの大部分は正式の雇用契約があり,大手建設会社や公営企業(地下鉄,国鉄,空港公団等)の請け負い企業が,労働力不足で正規契約だけでは到底請け負えないので,多くをこの外国人労働者たちに頼らざるをえません。彼らは正式に給料をもらい,源泉徴収され,収入を申告してフランスで税金を払っています。しかし彼らには滞在許可(パピエ)がないために,社会保障も受けられず,警察の目を恐れながら隠れて生きています。フランスの社会はこれらの労働力を必要としているにも関わらず,彼らに滞在許可(パピエ)を与えて合法化することをせず,逆に彼らを逮捕し,出身国に強制送還するという脅迫をしながら,この非合法状態を長引かせ,隠れた奴隷状態を利用して工事費を安く上げ,大企業に貢献している部分があります。闇労働ですから,会社によっては劣悪な労働条件を強いるところもあります。それだけでなく,病気になった時に保険がないために医者に行けず,子供たちは警察の目が怖くて学校にも行けません。実際に警察が教室に押し入り,サン・パピエの子供を逮捕し,その結果呼び出した親共々,家族全員を強制送還したケースもあります。市民団体や学校教師たちがネットワークを作り,サン・パピエの子供たちに危害が及ばないよう監視していますが,油断できません。
 冗談じゃない。サン・パピエたちは立ち上がりました。自分たちが逮捕され,強制送還されるという危険を冒してでも,この状態に我慢がならなくなったのです。労働組合が役所に対して立ち上がったすべてのサン・パピエたちの滞在の特別許可(レギュラリザシオン=正常化,合法化)を申請します。担当大臣(ベッソン移民相)はグローバルな大量許可は絶対にしないとしながらも,申請はケース・バイ・ケースで全件審査すると言いました。これが遅々として進まないのです。サン・パピエたちの中には正常化されるまで請け負い労働はしない,とストライキを敢行する者もいます。
 昨年冬から続いているサン・パピエたちの闘いは,解決を見ないまま,新聞雑誌メディアが言わなくなったために人々から忘れ去られつつあります。それではいけない,とアーチストたちが声を上げたのです。
 このコンサートは5月末に企画され,ロック,ポップ,ラップ,ヴァリエテ系のアーチストたちが集り,パリ市(パリに左翼の市長がいるのは伊達ではない,ということです)が後援して,9月18日にベルシー総合室内運動場(8000人収容)で開かれます。アブダル・マリック,カリ,ジャンヌ・シェラル,クラリカ,テット・レッド,ヴァンパス,アニェス・ジャウイ...今月の原稿で書いたジャック・イジュランもいます。そして,最新ニュースでは,ジェーン・バーキンが「ラ・ジャヴァネーズ」をアカペラで歌うことになったそうです。

→がコンサート「ロック・サン・パピエ」のロゴマークです。工事中の人間を蹴飛ばして,飛行機で強制送還するという図です。
  このコンサートに2週間先立つ9月4日,ジェーン・バーキン,アニェス・ジャウイ,クラリカ,ジャンヌ・シャラル等の女性アーチストたちだけが集り,移民省建物の前で,ゲンズブール作の歌「レ・プチ・パピエ (les p'tits papier)」を歌います。この歌は1965年にゲンズブールがレジーヌのために書いた歌ですが,当のレジーヌもこのアーチストたちに混じって歌います。「小さな紙切れ」という歌が,人間がこの地で自由に生きていくためにどれだけ意味があるか,という抗議の歌に変わったのは,1999年に小さなNGO団体GISTI(移民支援情報グループ)が開いたコンサートと支援CD録音のために集ったノワール・デジール,ジャンヌ・バリバール,ファムーズ・T,ロドルフ・ビュルジェ,KDD,フランス・カルティニー等が歌った「レ・プチ・パピエ」以来なんですね。↓はその時のクリップです。これがもう今から10年前とは...。


< PS : 9月4日 >
In Jane B, we trust. ジェーン・バーキン、レジーヌ、アニエス・ジャウイ、ジャンヌ・シェラル等が、9月4日、移民担当省の建物の下でゲンズブール作「レ・プチ・パピエ」を歌いました。この曲のオリジナルを歌ったレジーヌは、ニコラ・サルコジと親しい交友関係にあった人で、2007年の大統領選にも積極的にサルコジを支持する側におりました。しかし、この夏の「ロマ狩り」が始まるや、サルコジの移民政策に賛同できなくなり、こうしてバーキン等の反対派と共に歌うことになったのです。これは象徴的な事件です。

0 件のコメント: