『スール・スーリール』2008年ベルギー映画
"Soeur Sourire" スティン・コニンクス監督作品 主演:セシル・ド・フランス
フランス封切 2009年4月29日
セシル・ド・フランスが素晴らしい。この映画はこれに尽きるような気がします。
ベルギーの女性、ジャニンヌ・デッケルス(1933-1985)の生涯を追う、いわゆるバイオピク(biopic)です。伝記映画とは言え、だいぶ脚色され、制作者側の批評眼もかなり強烈です。ジャニンヌ・デッケルスの破天荒な生きざまと悲劇的な結末は、決して彼女が20世紀社会やらショービジネスのシステムの「被害者」あるいは「殉教者」であるとは言えない部分が多いからです。それはほとんどが「自分が撒いた種」の結果なのです。それがこの映画の視点ではっきりしています。
ジャニンヌ・デッケルスの生涯についての概略は 5月4日の拙ブログに書いたので参照してください。愛のない家庭に生まれ育ち、愛のない母親から逃れるために修道院入りしたジャニンヌは、修道院の中でも規律・静粛・祈祷の生活に馴染めません。自分を抑えることができないのです。お腹が空いた、夕食まで待てない、と誰はばかることなく炊事場からパンを出して食べるというシーンがあります。これに修道院長は厳罰を処します。ジャニンヌは懲りません。大声で怒りを表現したり、時には暴力にまで訴えることがあります。
彼女は愛を探して修道院入りしたのに、修道院は愛を与えてくれません。これは駄々っ子のロジックですね。
「ドミニク」のエピソードでも、修道院は顔と名前を出さないことなどさまざまな条件を強要します。そして大ヒットしたことをジャニンヌに隠そうとします。修道院の門の外に報道陣が大挙して詰めかけ、謎の女性歌手「スール・スーリール」にインタヴューを要求します。修道院が堪えきれずに、この門を一度開けてしまうや、ジャニンヌはもうロックスター気取りで有頂天。そしてアメリカの大人気番組(実際はエド・サリバン・ショーのことなんですが、映画では違う名前になっていました)が修道院に番組撮影陣を送り込んで実況放送した時に、ジャニンヌは「私はコンサートツアーをして世界を回りたい」と言ってしまいます。
修道院はそれを阻止する目的で、彼女を数ヶ月間カトリック大学に送り込み、神学を徹底的に勉強させようとします。映画ではこの大学生活の中で、若い男女学生たちと交流することによって進歩的な考え方や女性解放運動を知るように描かれています。折りも折り、68年学生運動の前夜のことですから。そしてここで煙草とアルコールも知るのです。経口避妊薬讃歌「黄金のピル」はこのようなコンテクストで作詞作曲されました。
「私はスター」とのぼせ上がっているジャニンヌは修道院との度重なる衝突に堪え切れず、修道会を脱会して、一人の音楽アーチストになります。修道院とレコード会社の契約によって「スール・スーリール」という芸名が使えなくなるなど、さまざまな障害を乗り越えて、ジャニンヌはカナダのコンサートツアーの契約を勝ち取ります。その第一夜のモントリオールでのコンサートで、大喝采を受けながら、最後にアンコールで新曲「黄金のピル」を歌うのです。この歌がローマ法王庁の逆鱗に触れ、カトリック教会側からの手回しで、翌日からのコンサートがすべてキャンセルになります。ここからジャニンヌは地獄に落ちていくのです。
家族に愛されず、教会に愛されず、社会にも大衆にも愛されずにすべてを失ったジャニンヌは、少女の頃からたったひとりだけ自分を愛してくれた女性アニーのもとに帰っていきます。同性愛をずっと拒否し続けていたジャニンヌは、この地獄の中でアニーとの愛に目覚めるというお話です。
映画は教会やレコード会社や税務局とのトラブルというディテールにはあまり触れていません。何冊も出ているスール・スーリール評伝の本では、この金銭トラブルのことが中心になっているようですが、映画はそれを重要視していません。監督がインタヴューで断言しているように、これは「愛の映画」なのです。愛を求めてさまよい続けた放蕩児が、ボロボロになって最後に見つける愛、という筋書きですね。そしてジャニンヌとアニーは薬物心中であの世に旅立つわけですが、むしろハッピーエンド風な幕切れに描かれています。
実在したジャニンヌ・デッケルスという女性は、本当に手に負えない誇大妄想のエゴイストだったようです。セシル・ド・フランスはこの女性を「ロックンロール・スター」と評しています。ナイーヴな反逆者を貫き通した頑迷な女性の悲劇です。泣けます。
(↓)予告編
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