2009年5月4日月曜日

ニック、ニック...



 「ラティーナ」原稿締め切りまであとX日。頭がフランソワーズ・アルディ漬けから脱することができず、さっきまで何を書こうかいろいろ悩んでおりました。短い時間で、青森の図書館のネットサーヴィスで検索したごく最近のフランスのニュースで、私がフランスを出た4月28日の翌日にフランス封切になった映画『スール・スーリール』が、結構話題になっているようなのです。1963年の地球規模大ヒット「ドミニック、ニック、ニック...」の人の伝記映画です。「ドミニック」はビルボードのチャートで、初めて第一位になった「フランス語」の歌です。出どころはフランスではありません。ベルギーです。それもベルギーの女子修道会です。
 大雑把なことは知っていました。これは修道女シスター・リュック・ガブリエル、本名ジャニンヌ・デッケルス(1933-1985)の自作自演曲ですが、貧しい人への愛のメッセージと少しの寄付ができれば、と思って彼女が作ったこの曲は、この全世界ヒットなど予想していなかった時点で修道会とレコード会社フィリップスの契約によって制作されたものなのです。ですから彼女は本名も出せず、フランス語圏では「ほほえみシスター(Soeur Sourire)」、英語圏ではもっとシンプルに「ザ・シンギング・ナン(歌う修道尼)」と呼ばれていました。全世界で2百万枚を売った時点で、話はガラリと変わってきます。なにしろこの収入は修道会とレコード会社のみが手に入れ、ジャニンヌには一切入らなかったのですから。その上、彼女はほとんど無給でプロモーションショーや、テレビ(米国エド・サリヴァン・ショー等)に出演していたのですから。匿名ながら、世界的名声はジャニンヌのものになりますが、それ以外のものは何一つ手に入れられなかったのです。
 ここからジャニンヌはラジカルに変身し、修道会およびカトリック教会を敵に回し、フィリップスを相手どって訴訟を起こします。するとベルギー税務局が、彼女が得たであろうという収入の概算をもとに、天文学的な数字の税金をジャニンヌにかけてきます。理不尽きわまりない上、払えようがないこの税金を少しでも軽減するために、再びレコーディングしたりするのですが、ヒットは二度とおとずれません。
 重度のノイローゼになったとも、アルコール中毒患者になったとも伝えられました。ベルギーの芸能メディアは、かなり意地悪にこの「なれの果て」を報道しました。レズビアンであったことも揶揄の対象になりました。
 そして1985年、彼女の唯一の親友にして伴侶だった女性アニーと心中することによって、その生涯を閉じています。

 私はこれを映画見ないで原稿仕上げなければならないのです。危険ですかね?

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