テー氏とその若い衆(ムッスー・テ&レイ・ジューヴェン)『埴生の宿』
Moussu T e Lei Jovents "Home Sweet Home"
昨夜13日は事務所から歩いて10分,メニルモンタンの坂の中腹にある小屋「ラ・ベルヴィロワーズ」で,ムースー・T & レイ・ジューヴェンの新アルバム『埴生の宿』のお披露目コンサートでした。ホリゾンはラ・シオタの造船所の写真で,もうこのバンドに関してはホーム・グラウンド(あるいはホーム・スウィート・ホーム)はラ・シオタであって,マルセイユではない!と宣言しているような感じ。MCもマルセイユのことはほとんど言わず,ラ・シオタのことばかりで,マッシリア・サウンドシステムの中のタトゥーではないことがよくわかります。そして,音楽がみんなユル〜い。ドラムスのゼルビノを真ん中に,バンジョー&ギターのブルが左側に椅子に座って陣取り,テー氏が右側でこれまた椅子に座ってヴォーカル(&カズー)という布陣。マッシリアのようにみんな踊りまくるわけではなく,ユル〜いスウィングに合わせて体を揺すっているだけという感じですが,これがまた南っぽくていいですね。
考えてみれば2006年からの短期間にもうアルバムを3枚(ベスト盤入れると4枚)も発表しているんですね。この3枚の中から,やっぱり定番曲(スタンダード曲って言うのかしら,オーディエンスがご唱和できる歌)が結構あって,「マドモワゼル・マルセイユ」や「ボレガ・バンジョー」や「ア・ラ・シオタ」(part 1 & 2)みたいなのは会場が沸きますね。
さあ,次はロックンロールだ! というMCで始まったのが「オプラティ・オプラタ」で,先達へのリスペクトなんですが,もちろんビートルズ,そしてそれをオクシタン・チャチュに変えたクロード・シクルとダニエル・ロッドーへのオマージュです。
やっぱり南はよろしいですなあ。ちょっとだけディジカメでヴィデオを録りました。これはアルバム『マドモワゼル・マルセイユ』に入っていたもので "Lo Gabian"(ロ・ガビアン = カモメ)という曲です。ちょっとカモメには見えないですが,テー氏が鳥のパペットを操りながらの楽しいパフォーマンスです。ほとんど子供向けと言ってもいいでしょう。リフレインはこんな感じです。
S'eri lo gabian, s'eri lo gabian
S'eri lo gabian m'en anariau
S'eri lo gabian, s'eri lo gabian
Sus la testa deil mechants, cagariau
もしも僕がカモメだったら,飛んで行ってしまえるのに。
もしも僕がカモメだったら,悪いやつの頭に糞を落とせるのに。
100%そうカモメ。
2008年11月14日金曜日
2008年11月11日火曜日
今朝の爺の窓(2008年11月)

昨夜から今朝未明にかけてたいへんな風雨でした。言わば台風一過のような今朝の青空です。この風雨のおかげで葉っぱがずいぶん落ちてしまいました。河岸のポプラは裸です。通り手前のプラタナスもずいぶんスケスケになりました。流れの早いセーヌ川が良く見えます。対岸のサン・クルーの森もごらんの通りの茶色状態で、これから2月まではもっと無彩色の冬景色になります。
昨日の夕刻、娘の中学校(コレージュ・バルトルディ)に呼び出されました。第一学期の主要科目のテスト成績を見て、これでは「普通科高校」は難しいのではないか、という厳重注意を、担任教師と、同席した校長から、数分ずついただきました。オーディオ装置のスピーカーテストのようでした。右側からの悲観的な分析と、左側からの「将来は今決定される」式の説教と、ステレオ効果に挟まれて、私とタカコバー・ママとセシル・カストールは小さくなっていました。要は「外国人だから」という言い訳を完全に捨ててもらわなければ困ると言っているわけで、この子のフランス語力はあなた方が何人であろうがクラス平均点以下ではこの子の将来はないと思いなさい、というロジックでした。
確かにときどき思ってました。この子は私のようなフランス語をしゃべっているな、と。私のフランス語を聞いて育っているのだから、当り前でしょうが、私のフランス語というのはお世辞にも模範になり得るようなフランス語ではないのです。確かに私よりも文法的な間違いのないフランス語ですし、私よりも語彙数も口数も多いフランス語です。ただ、本当に私に似ているんだわ。昨日は娘の中学校から、私のフランス語はダメなんだぞおおお、と断定されたようなショックがありました。
私のフランス語問題はともかくとして、娘のフランス語改革を考えてやらねばならなくなりました。ややこしい言語ですが、奥が深いので、私もできるだけつきあってみようと思っています。数学、フランス語、英語、高校受験(ブルベ)まで必死でするしかないのだけれど...必死という言葉にリアリティーを持てないのは父親ゆずりなんだろうなあ....。
2008年11月9日日曜日
笑ってはいけないもの

Jean-Louis Fournier "Où on va, papa?"
ジャン=ルイ・フルニエ『どこに行くの、パパ?』
「障害を持った子の死はさほど悲しいことではないなどと思い込んではいけない。それは普通の子の死と同じほどに悲しいものだ。生涯一度も幸せだったことのない子供の死、苦しむことだけのためにこの世に産み落とされた子供の死は残酷なものだ。その子の死は、その笑顔の思い出すら残すことができないのだ」(P.90)
ジャン=ルイ・フルニエ(1938 - )はそれまでお笑い系の人でした。テレビ番組制作者、コメディー脚本家、コント作家などで、黒い笑い、黄色い笑いを含めたあらゆる笑いの提供者でした。またタブーを知らぬ黒いユーモアで知られた希代のボードヴィリアン、ピエール・デプロージュ(1938-1988)の演目の共同作家でもありました。どういう笑いかと言うと、例えば1998年の作品『神の履歴書』では、失業した神様が再就職探しに苦労する話です。その中で面接で人事部長がその履歴書を見て、どうしてあなたは「老い」をお創りになったのですか?と聞きます。すると神は「人間は醜くなったりリューマチが出て来たりした時に死ぬほうが、きれいで健康なままで死ぬよりもいいでしょう」とその創造を正当化します。フルニエによると、老いとはいつに始まるかと言うと、日焼けしていても醜くなったら、それは老いたということなのです。
そういうふうに老人や、神や、宗教や、外国人や、一風変わった人たちを揶揄してユーモアで包んで笑わせるというのがフルニエのアートでした。ギ・ブドス、ハラキリ誌やシャルリー・エブド紙、カナル・プリュスの「ギニョール」などとも近い、あらゆるものを揶揄して笑いものにする側の人間です。笑いにタブーはないのか,本当に何を笑ってもいいのか,というのがこの人たちについて回る「笑いの限界」の問題です。非ユダヤ人がユダヤ人を笑うこと,非アラブ人がアラブ人を笑うこと,非黒人が黒人を笑うこと,健康人が病人を笑うこと...ここにリミットを設けようとするのが,「良識」であり,「道徳」であり,社会的秩序を壊してはならないとする権力の意志でもあります。
この国には去年から,笑われることも揶揄されることも極端に嫌う大統領がいます。にも関わらず,大統領を笑いものにするお笑い芸はテレビやラジオに溢れていて,無法地帯であるインターネット上は言うまでもありません。それに対してこれまでも数件の訴訟を立てて大統領は自分への不敬を罰しようとしています。これがある日あらゆる大統領への不敬を禁止する法律となったらどうでしょう? 笑いの限界を「国」が決められることになったらどうでしょう? - ある種の笑いを作っている芸人やコント作者たちは,そういう限界を定められることを拒否して,命をかけて笑いを守ろうとする戦士でもあります。端的な例がコリューシュ(1944-1986)でした。
さてフルニエの本です。フルニエですから条件反射的に読者は「今度はどうやって笑わせてもらえるのだろうか」という期待があります。70歳を迎えようとするフルニエは,これまで公にしていなかったことを初めて書きました。これは今まで書けなかったのです。まったく笑うことができない生々しい現実であったからです。
愛するマチュー,
愛するトマ,
おまえたちが小さかった時,クリスマスに私は何度かおまえたちに本(例えば「タンタン」)を贈りたいという誘惑にかられた。そして読んだらおまえたちと一緒にその本について語り合いたいと。私は「タンタン」をとてもよく知っている。私はその全巻を何度も読んだんだから。
私は一度もそうすることができなかった。それは無駄なことだから。おまえたちは読むことを知らなかったし,おまえたちは一生読むことができないのだから。
二人の息子への手紙のかたちでこの本は始まります。150頁のこの書はフルニエが持った二人の重症障害児の息子への断章集です。これは「障害児と共に生きる」といった愛と感動のリポートの類いの書物ではありません。「彼らと共にある時,天使のような忍耐力が必要だが,私は天使ではない」とフルニエは書きます。また彼らのおかげで,フルニエは普通の子の親たちが持つ勉強・進学・将来の職業への心配苦労を味あわずに済んだ,というような苦し紛れで負け惜しみの苦いユーモアが随所に現れます。
新生児に障害があることはすぐにはわかりません。ある日成長が遅れているのではないか,と気づき,その遅れは大したことではないのか,それとも重大なことなのかの判断にも時間がかかります。身体的に障害があるとわかっても,脳の方は大丈夫だから,と言われ,またしばらく時間が経って,いろいろな病院の検査の末,ある日勇気ある医師が「身体的な障害と精神的な障害」を最終的に宣告します。1962年に生まれた長男マチューでこのドラマを体験したフルニエは,妻が次に妊娠した時に,二度同じことがあるわけがない,と信じ込みますが,1964年に生まれたトマは同じように障害のある子だったのです。
その極端に苦渋に満ちたユーモアは,それを「この世の終わり」のようなショックと言うのですが,フルニエの「この世」は二回も終末を迎えてしまったわけです。
インタヴューの中でフルニエは「パトス(悲壮,感の極み)を避けること」を肝に銘じて書いたと言います。この二人の不幸な子を前に,親の溢れる愛情は毎日川のような涙を流す,というシーンはありません。しかし,そのやり場のない悲しみと憤怒は,一度だけ激情となって,二人の息子を車のバックシートに置いたまま,ウィスキー1本を飲み干して目を閉じてアクセル全開で突っ走りたい,という衝動があったことも吐露されます。
ハンディキャップとは何か,障害とは何か。ノーマルであることとノーマルでないこと。フツーであることとフツーでないこと。フルニエは省察します。自分はガキの時分からフツーであることが大嫌いだった。人と違う目立ったことをし,人と違うということが自慢だった。そういう親の子として,人と全く違う子で生まれたわが息子たちを,どうして自分は祝福してやれないのか。
フルニエの想像は,この地球の上で限りなく不幸なこの二人の子供は,もしかしたらどこか他の天体ではフツーに生きられるのではないか,と考えたりします。またこの子たちは羽をもがれた鳥であり,羽さえあれば空と調和して生きられるのではないか,とも。
あまり良い父親の姿はありません。呼吸し,時々ぎゃあぎゃあわめくだけのこわれもの人形のように世間から見られている二人の息子の前で,何もできずに立ち尽くすしかない男です。親の気も知らないで,と舌打ちすることもあります。
「どこへ行くの,パパ?」というたったひと言のフランス語しか言えない息子です。Où on va? 私たちはどこに行くのか? 僕たちはどこへ行くのか,教えてパパ。父親は家に行くと答えたり,海に行くと答えたり,障害者施設に行くと答えたりしますが,子供はその答なんか関心がないのです。この子たちにも父親にもこの問いの答はないのです。
ヴァカンスで海へ行きます。トマは海が嫌いです。それを知りながら話者は無理矢理浜辺まで車いすを押して行きます。トマは困惑の極みで,こう叫びます「ウンチ!ウンチ!」,こう言えば父親は方向転換をしてくれるはずだと思ったのでしょう。フルニエはこのことに驚くべき発見をします。トマはうそをつくことを知っている,と。
この150頁は不可能かもしれない父親と重障害児の息子二人の魂の交流です。斜に構え,皮肉っぽいポーズもありますが,揶揄はもっぱら「ノーマル」とされている世界の側に向けられます。そして「ノーマル」と思っていた自分自身への揶揄でもあります。泣笑いの本です。読む者がこの本で笑う部分も少なくありませんが,それはこの子たちと一緒に奇妙な「ノーマル社会」とその一員であるフルニエを笑うことです。
もしもおまえたちがノーマルだったら - この仮定に託されたフルニエの蓄積された思いは,あれもできたかもしれない,これもできたかもしれないの末に,やっぱり不幸かもしれないと無理矢理に結語しようとするのです。おまえたちがノーマルだったら,障害児の親になるかもしれないじゃないか,と。
結論はありません。この二つの魂と共に生きた父親の記録があるだけです。よく選ばれた言葉で,時おり詩的に,時おり散文的に,ノーマルと非ノーマル世界を行ったり来たりする旅行記のような趣きもあります。ノーマルな人間は深く揺さぶられてください。
2008年度フェミナ賞受賞作品
Jean-Louis Fournier "Où on va, papa?"
(Stock刊 2008年9月。156頁。15ユーロ)
2008年11月8日土曜日
今朝のフランス語「クークー」

くうくう【空空】
(1)何もないさま。むなしいさま。(2)[仏]大乗仏教の根本真理である空の立場は固定的に実体現されてはならず、さらに空として超克していかなければならないということ。空のまた空。
(広辞苑第4版)
coucou[kuku]〈擬音〉n.m. 1.【鳥】かっこう。2. 鳩時計(=pendule à 〜)。3.【植】ラッパ水仙(=narcisse des bois)
coucou[kuku]ーint. 1..C〜!(隠れんぼで)鬼さんこちら。2.C〜(me voilà) !(不意に現れて)ばあ!
(新スタンダード仏和中辞典)
フランスの社会党(PS)は2002年大統領選第一次選挙でのジョスパン落選以来、万年野党の地位に低迷しています。それはその旧体質が原因していると言われ、イデオロギー政党の教条主義からなかなか抜け出せないために支持者を失っていきました。この社会党の頑固な古株は「マムート」(マンモス)と呼ばれ、ジョスパン、ロカール、エマニュエリ、ラング、モーロワ等々のミッテラン時代の化石遺産を排除しない限り、21世紀的現実に対応する政党として再生できないと言われていました。2005年に、セゴレーヌ・ロワイヤルが大統領選に出馬の意志を表明した時、社会党内では「じゃあ、家事は一体誰がするのかね?」という滅茶羅苦茶羅な女性差別の発言をするマムートがいて、社会党に巣食うアナクロ病の重さを感じさせたものでした。
そういう社会党だから体質を刷新して、サルコジと一騎打ちできるような若手が出てくるかどうかが、2007年選挙の課題だったわけです。セゴレーヌ・ロワイヤルは徐々に陣地を拡げて、公認候補として正式に選出されたものの、党内には足をひっぱる輩がいっぱいいて、何か失言したりするたびに「ああ、やっぱり女だから」みたいなことを平気で言うやつがいて...。
2007年5月大統領選、サルコジ54%、ロヤイヤル46%という「大差」で負けた時から、党内でロワイヤル降ろしが始まり、この女だから負けたのだ、というかなりローブローな非難が集中します。
あれから1年半、社会党は派閥抗争を繰返し、リーダー不在のまま、フランソワ・オランド(結婚はしていなかったがセゴレーヌ・ロヤイヤルの元伴侶。大統領選挙前から既に破局。)が占めていた党第一書記の地位をめぐって、内部対立が顕著になっていましたが...。
11月14日にランスで開かれる党大会で、その第一書記が選出されることになっていますが、その立候補者4人の4つの党方針構想に対する党員の承認投票が11月5日に行われ、11月6日午前2時にその開票結果が発表され、大方の予想(パリ市長ベルトラン・ドラノエがトップになるであろう)を裏切って、セゴレーヌ・ロワイヤルが第一位となったのです。
1年半吹き荒れたロヤイヤル降ろしの嵐にもめげず、傷だらけのセゴレーヌは帰ってきました。なんだかんだ言われても、サルコジと一騎打ちが出来る器の左翼人はセゴレーヌ・ロヤイヤルである、と党員は信頼を再び託したわけです。この1年半の臥薪嘗胆時代、セゴレーヌはよく耐えたし、何を言われようが、サルコジ政治への批判発言をやめようとしない、頑なな反サルコジ姿勢が、再び正当な評価を受けようとしているのだと思います。
11月8日、リベラシオン紙の第一面は「クークー、セ・モワ!」と見出しされた、セゴレーヌ・ロヤイヤルのカムバック記事です。空のまた空。そうやって超克していってくれれば、この女性は大政治家になると思います。
折りも折り、オバマ当選の興奮から醒めない多くのプレスは「フランス版オバマの登場はありうるか?」みたいな問いを出します。その時にセゴレーヌ・ロヤイヤルのカムバックが重なって、「えええ!? またあの女!?」のような侮蔑的な反応もあります。フランスは社会党内だけでなく、全国的に旧体質の考え方がまだまだ抜けないのです。

2008年11月7日金曜日
Abd Al Malik... casse la baraque!

2008年11月5日水曜日
今朝のフランス語「カセ・ラ・バラク」

Casser la baraque
casser [カセ]は壊す,割る,折る,破壊するという意味の動詞です。baraque[バラク]は,日本語になっている「バラック小屋」(物置小屋や建設現場の飯場,あばら屋,掘建て小屋...)という意味だけではなく,移動遊園地などにある見せ物小屋や露天屋台という意味でも使われます。文字通りの直訳では「小屋を壊す」ということになりますが,これは主に芸能界で使われる表現で,興行が大当たりする,歌手や芸人がショーで大成功する,という意味になります。つまりショーを打った小屋が観客の大喝采大熱狂で壊れてしまうような図を想像していただければいいでしょう。
Il a cassé la Barack, Obama
今朝,フランスの某ブログでこんな見出しを見ました。あたりまえですが,「オバマは小屋を壊した」という意味ではありまっせん。
2008年11月4日火曜日
Less Worse Blues

マリオ・カノンジュ『ライヴ - リゾーム・ツアー』
Mario Canonge "LIVE - Rhizome Tour"
盛岡の彼女,マリオ・カノンジュ(1960- )はマルチニック島出身のピアニストで,同島を代表するビギン・オーケストラのマラヴォワのリーダーだったポロ・ロジーヌが亡くなってからは,マラヴォワのピアニスト/編曲家の役もつとめています。80年代以降に出て来た島の新しい凄腕ミュージシャンたちのひとりで,最初ジャズフュージョンのバンド「ウルトラマリン」で注目され,その後はビギンやズークやサルサもすれば,ジャズやフュージョンもする,というオールラウンド型のピアニストです。マラヴォワからソロ・ヴォーカリストになったラルフ・タマールのピアニスト/作曲家/プロデューサーでもあり,前述のマラヴォワの他にラテン・ジャズのコンボ「サケショー」(熱い酒,熱燗)のリーダーでもあり,タマールやカノンジュのアルバムを出しているレコードレーベル Kann'Productionsのオーナーでもあります。
マルチニック島の伝統ということでは,マリウス・キュルチエ,アラン・ジャン=マリーの後継者として当代一のビギン・ピアニストと言えるでしょう。このCDのボーナスとしてエンヘンストされたクイックタイム映像で,ステリオ作のマズルカ曲「マニクー・ヴォラン(むささび)」のソロ演奏が見れますが,島のリズムでうきうきしてしまいます。
小柄でちょっとずんぐり体型で,ステージでは大変ひょうきんだったりしますが,あだ名は「シューペル・マリオ(スーパー・マリオ)」で丸顔に口ひげがそういう雰囲気です。しかし,私はマリオを見るとどうしても,昭和時代のプロレスラーで,グレート東郷という人を思い出してしまうんですね。わかりますか?
さてこのライヴは2004年に出した『リゾーム』(地下茎,根茎という意味ですが,ドゥルーズとガタリによる現代哲学用語でもあります)というアルバムの後のツアーでの録音です。ピアノ+ドラムス+ベースのトリオです。第一曲から白熱のビギン曲で始まる,それはそれはたいへんなライヴで,シューペル・マリオの面目躍如といったところですが,私はこのアルバムの見本CD-Rを10月にレーベルからもらった時から,ほとんど1曲ばかりを繰り返し聞いていました。
それはスパイク・リー映画『モー・ベター・ブルース』のサントラ・テーマだった "Mo' Better Blues"のカヴァーなんですが,このCDでは6曲目(最終曲)で収録されています。私はあの映画も大変好きでした。カノンジュのアレンジはゆるめのゴスペル風で,主旋律をハミングでオーディエンスと唱和したりして,とても良い雰囲気で展開します。
話はがらりと変わって,今日はステーツの大統領選挙投票日です。フランスのラジオ/テレビ/新聞,これほど興奮して報道されている米大統領選挙は前代未聞です。ブッシュ時代を終わらせる選挙だからなのか,カラードの大統領という歴史的選択のせいなのか,ラジオ/テレビは今夜は徹夜で特番を続ける構えです。
私は昔からアメリカの大差ない保守2大政党での選挙戦というのに白けてしまう傾向がありました。今回もその考えに変わりはないですし,オバマの超巨額の選挙資金というは一体何なのかを考えると,この人は無名の民たちのことを真っ先に考える政治家では絶対にないことが確信できましょう。まあそんなこと言っても,あの人かこの人かというチョイスしかアメリカの人民たちに残されていないのなら,私は今度だけは,お願いだから,後生だから,バ ッ ド チ ョ イ ス だ け は 避 け て ね と言いたいわけです。ブッシュを2期も当選させてしまった国なんだから...。
その意味でですね,この「モー・ベター・ブルース」が胸に響くのですよ。「モー・ベター」というチョイスは今度の選挙にはないかもしれないですが,「Less Worse レス・ワース」というチョイスだけはしてくださいよ,と。
<<< プレイヤーズ >>>
マリオ・カノンジュ Mario Canonge - piano
リンレイ・マルト Linley Marthe - bass
チャンダー・サージョー Chander Sardjoe - drums
<<< トラックリスト >>>
1. Manman- Dlo (Mario Canonge)
2. Madikera (Mario Canonge)
3. Where are you ? (J Mc Hugh)
4. Plein Sud (Mario Canonge)
5. Lueyr Eteinte (Mario Canonge)
6. Mo' Better Blues (Bill Lee)
+ Bonus video (Quick Time) "Manicou Volant"(A Stellio)
CD KANN' PRODUCTIONS 150971
フランスでのリリース : 2008年11月3日
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