この13枚目の新アルバムのプロモーション中のフランシス・カブレルが、この3月に出版されたカブレル評伝本の中の記載について、私生活侵害・虚偽文書として訴訟を起こして、この本の販売禁止と回収を要求しています。ただならぬことです。問題の本はアラン・ウォドラスカ著『カブレル Les Chemins de Traverse』(L'archipel社刊 2015年)で、著者ウォドラスカは既に40冊を越えるシャンソン・アーチストのバイオグラフィーを発表していて、カブレルに関しても既に2冊の評伝を出版している多作ライターです。
この人の場合、ほとんどが "biographie non autorisée"(ビオグラフィー・ノン・オートリゼ = 本人の承諾を得ていない伝記)のようです。私は "biographie officielle"(ビオグラフィー・オフィシエル = 本人公認のバイオ)よりも、 ライター視点で雑多な情報が多い「ノン・オートリゼ」の方が面白いものが多いと思いますよ。この本も「ノン・オートリゼ」とは言えども、出版時にちゃんとアーチストに1部送って目を通してもらっている(という著者の弁)ようです。
では問題の箇所です。私はこの本買ってないので、雑誌や新聞のインターネットサイトで引用されているものをそのままコピペします。
"La notoriété a fané les amours printanières. Elle a mis sur la route du chanteur d'autres visages en fleurs. Tandis que la muse s'est changée en muselière, les deux amants ont scellé un second pacte, qui a garanti à Mariette le pouvoir de diriger la carrière de l'artiste, le privilège d'incarner pour lui un repère affectif"
結構「雅文 」ですね。そのまま訳してみます。
名声は春の日の恋を色あせさせた。それはわれらが歌手の行く道の上に違った花々のような顔と出会わせた。美の女神(ミューズ)は口輪(ミュゼリエール)に変わってしまったものの、愛する二人は第二の契約を締結する。それはマリエットにアーチスト経歴上の進路を決める権利と、彼にとって常に愛の指標の化身であり続ける特権を保証すること。付帯状況を説明しましょう。マリエット・ダルジョはフランシス・カブレルと40年以上も寄り添って生きる妻であり、カブレル・ファンにとっては最も重要な曲のひとつ(私にとっては最も美しい曲)であり、1977年のカブレル最初のヒット曲だった「プティット・マリー Petite Marie」を捧げられた小さなマリー(すなわちプティット・マリー = マリエット)だったのでした。以前(今年3月)当ブログで触れたジャン=ジャック・ゴールドマンと同じように私生活に関しては全く公にしないというのがフランシス・カブレルの鉄壁でした。知られていることと言えば、南西フランス、ロット・エ・ガロンヌ県の(カブレルが子供時代に住んでいた)小さな村アスタフォールに家族で住み、オーレリー(28歳。昨年歌手デビュー。デビュー曲 "Bref, s'aimer")、マノン(24歳)の二人の娘と、2004年にヴェトナムから養子縁組した娘ティウと一緒に暮らしているということぐらい。
それをこのアラン・ウォドラスカのバイオグラフィーの数行は、フランシス・カブレルがヒットアーチストとなるやいなや、さまざまな女性関係をつくり(違った花々のような顔と出会いを重ね)、マリエットはおっかない管理女房になってカブレルの芸能活動の一切を取り仕切るようになった、と取れる内容で暴露したわけですね。ウォドラスカの本はそれまで芸能ゴシップ系メディアとは全く縁がなかったのに、このアルバムリリース前の数日間はその手のメディアが「フランシス・カブレル、不倫の疑い」と騒ぐようになってしまったのです。
ここで使われる形容詞は "Infidèle" (アンフィデル)です。手元のスタンダード仏和辞典では
infidèle a. 1. 不実な、不貞な、époux 〜 不実な夫。 être 〜 à son mari 夫に不実である。といった訳と例文で、もっぱら夫婦関係での用法ですね。だったら、結婚していなければ、不貞ではないのか。このことは去年フランソワ・オランドとヴァレリー・トリエルヴェレールの関係についてこのブログでここにちょっと興奮して書きましたけど、 私は結婚してないんだからいいんだ、という意見です。Fidelité フィデリテ(貞節)とは結婚という制度が縛りつけているものでしょう。「不実」「不貞」「不倫」は結婚がなければ意味をなさない概念ではないですか。この方向で話はじめると、私、止まらなくなりますのでやめますが、私ははっきり結婚なんてこの世からなくなって欲しい派です。
それはそれ。カブレルが24歳の時にマリエットに捧げた「プティット・マリー」を想い出してみましょう。こんなピュアーなラヴソング、世の中にざらにあるもんじゃないですよ。これを作ったらもうこの女性とは永遠じゃないですか。(↓歌詞、部分訳ですけど)
小さいマリー、僕はきみのことを言ってるんだ
きみの小さな声と、きみの小さな仕草で
きみは僕の命に
何千ものバラの花を降りかけてくれたんだ
小さな野性の子、僕はきみのために戦おう
1万年後には二人で平和な場所で出会えるように
その上の空は何千ものバラの花と同じように美しい
僕は空からやってきたんだ
星たちはきみの話でもちきりだ
きみは木片に両手を乗せて音楽を奏でる
ミュージシャンだって
奏でる愛は周りの空よりもずっと青い
きみの通りの暗闇の中で
小さいマリー、僕の声が聞こえるかい?
僕はきみだけを待っている 出発するために
きみの通りの暗闇の中で
小さいマリー、僕の声が聞こえるかい?
僕はきみだけを待っている 出発するために....
「僕は空からやってきた」、「空で待っているスターマン」、「空でダイヤモンドをもっているルーシー」、みんな同じ仲間ですよ。 こんな歌を作ってしまったら、未来永劫においてこの歌は残ると思わなければいけません。5年後も10年後も40年後も... えへへと笑って「あれは歌の上の話ですから...」とごまかせるわけないじゃないですか。フランシス・カブレルに限って言えば、絶対にありえない、と断言できますよ。
(↓「プティット・マリー」92年のアコースティック・ライヴ・ヴァージョン。ベースはパガノッティ)
1 件のコメント:
30年前の生活を思い出して
号泣してしまいました。その頃はプロヴァンスにすんでました。今では子供達も成人してやはり、フランスの顔だな〜と何かの絆を感じます。ただのノスタルジーかな……
コメントを投稿