2009年12月9日水曜日
何でもアルノー
アルノー・フルーラン=ディディエ『ラ・ルプロデュクシオン』
Arnaud Fleurent-Didier "LA REPRODUCTION"
アルノーとはもうずいぶん長いつきあいです。4年ほど連絡が途切れていましたが、この夏にラ・ロッシェルのフランコフォリーに出演したとどこかで読んで、まだがんばってるねえ、と思ったものですが、その直後SONY MUSIC FRANCEの2009年秋冬のリリース情報の中にアルノーの名前を見て仰天しました。おお、ついにメジャーデビューかあ。しかもレコード会社が次々に大物アーチストたちを解雇している時代に。新人アーチストはレコード会社がよっぽど勝算ありと踏まなければ契約できないでしょうに。難しい時勢にSONY MUSICは慎重に、しかも有効にプロモーションしています。アルバム発売のずいぶん前から、レ・ザンロック誌、テレラマ誌、リベラシオン紙、エル誌などに絶賛記事が出ました。エールのニコラ・ゴダン、ヴァンサン・ドレルムなどがアルノーを褒めちぎりました。国営ラジオのFIPやFRANCE INTERは9月頃からアルバム1曲めの「フランス・キュルチュール」をかなりの頻度でオン・エアしてます。
で、アルバムの発売は延ばし延ばしで、最終的には2010年の1月4日に出ることになっています。
と、ここまで書いていたら、今夜のテレビ番組「タラタタ」(国営フランス4。今夜のメインはシャルロット・ゲンズブール)にアルノーが出演していました。「フランス・キュルチュール」を女性ベーシスト&女性キーボディストを従えたトリオで披露しました(プレイバックだったような気もしますが、同番組の売りはプレイバックなしなので、ライヴだったんでしょうね)。「フランス・キュルチュール」は語りものなので、アルノーの音楽性のとんがったところは見えないでしょうが、ナイーヴな「父親は何も僕に教えてくれなかった」的なモノローグは、事情を知らない人には「新種のスラマーか」と思わせたかもしれません。
私が初めてアルノーに会ったのは96年のことで、当時のインディーポップ誌「マジック」の自主制作盤コーナーに載ったノートル・ダム NOTRE DAMEというバンドの解散記念アルバムを通信販売で買って、気に入ってぜひ日本に紹介させてくれ、とコンタクトしたところ、アルノーがやってきて「いやあ、バンドはもうないから」みたいな...。当時22歳。17区ブルジョワのボンボンみたいな若い子たちが、自宅スタジオで作った「青春の記念盤」的なアルバム。ナイーヴで青臭く、それでも多重録音で弾ける楽器をすべて使った素人オーケストラルなサウンドが、ヌーヴェル・ヴァーグ映画のように低予算ながら遊びと荒削りが同居して...。
アルノーは今晩の「タラタタ」で司会のナギーに対して「僕は音楽をやめるつもりであのアルバムを作ったのに、日本人に注目されて、再び音楽をやるようになった」という発言をしました。そうだったのですね。バンドはなくなって、それでも日本で注目されてNOTRE DAME名義であと2枚のアルバムを作り、そのうちの1枚は日本のレーベルが制作したものですし。良い時代でしたね。
2004年、30歳。アルノー・フルーラン=ディディエ名義の初アルバム『若き芸術家の肖像 = PORTRAIT D'UN JEUNE HOMME EN ARTISTE』(これはもちろんジェームス・ジョイスからの援用ですが、ジョイスの方の題は "PORTRAIT DE L'ARTISTE EN JEUNE HOMME"。違いははっきりしてるんですが、ここでは説明してあげない)を発表します。これがインディー時代最後の作品ですが、日本では有名なのにフナックやフランスのレコード会社やFM局は何もしてくれない、という恨み言なんかが歌われてました。
2009年アルノー35歳。作詞作曲編曲、ほとんどの楽器、全コーラス、ジャケットのアートワーク、ヴィデオクリップまで、全部ひとりでやらないと気がすまないところは、基本的に全然変わってません。「自分の好きなようにやりたい」をSONY MUSICは通してくれた、と私あてのメールで言ってました。これがインディーでやっていたら、やっぱり貧乏臭さが出て来ると思うんですが、さすがメジャーと言いますか、何か音処理がまるで違うように聞こえてきます。いつも通りのどこか調律がいいかげんなようなピアノの音がしますが。
これは一種のコンセプトアルバムです。トップの何も教えてくれなかった父親への恨み言「フランス・キュルチュール」から始まって、その父親への逆コンプレックスから、生殖(ラ・ルプロデュクシオン。再生産)することを恐怖する若者が描かれます。それは母親に対して問い、恋人や、68年(5月革命)を知っているおばあちゃん、44年(ドイツ軍占領時代)を知っているおじいちゃん、などに問いかけ、なぜみんなは自分に何も教えてくれなかったのか、左翼になることも保守になることも知らず、万が一子供ができたらば子供に何も教えることができない親になることを恐怖して、愛の行為がブロックします。
これはある種のサイケデリックな体験です。戦争で死んだ父親を思い続けてその欠乏感ゆえに自分に壁をつくってしまう、ピンク・フロイド『ザ・ウォール』の物語にも似ています。多分今日のテレビ「タラタタ」を見た多くの人たちは、アルノーが若き日のロジャー・ウォーターズに極似していることに気がついたでしょう。私はこれは偶然ではない、と確信しています。
アルバムは私小説的で、映画的です。多くを語らない父親は、最後の曲で、この若者が小さい頃に母親と離婚していることが明かされます。「たとえすべてを語り合わなくても、いいんだ、父さん」という和解がこのアルバムのエンドマークです。
サウンド的には「アルノー印」とでも言うべき、ひとり多重録音コーラスワークがあちこちで「決め技」になっていて、バート・バカラック/ミッシェル・ルグラン風のメロディーとハーモニーがびんびん迫ります。
ジャケットは本当に分かりやすく、愛し合う多数のカップルが寝そべるビーチで、ひとり立ち尽くすやせっぽちの若者の背中です。大人になれない35歳です。
ぜひ聞いてみてください。アルノーの才能はちょっとここで加速度がついたように私は見ました。
<<< トラックリスト >>>
1. FRANCE CULTURE (フランス・キュルチュール)
2. L'ORIGINE DU MONDE (世界の起源)
3. IMBECILE HEUREUX (幸福な愚者)
4. REPRODUCTIONS (ルプロデュクシオン)
5. MEME 68 (68年おばあちゃん)
6. JE VAIS AU CINEMA (映画館に行く)
7. NE SOIS PAS TROP EXIGEANT (注文をつけすぎないで)
8. MYSPACE ODDITY (マイスペース・オディティー)
9. RISOTTO AUX COURGETTES (ズッキーニ入りリゾット)
10. PEPE 44 (44年おじいちゃん)
11. SI ON SE DIT PAS TOUT (たとえすべてを打ち明けなくても)
ARNAUD FLEURENT-DIDIER "LA REPRODUCTION"
CD SONY MUSIC FRANCE
フランスでのリリース:2010年1月4日
(↓「フランス・キュルチュール」のクリップ)
PS 1 : 12月10日
(↓12月9日放映のフランス4「タラタタ」でのアルノー・フルーラン=ディディエ)
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2 件のコメント:
大好きだったNOTRE DAMEの音は隣の部屋から聞こえて来るような感じ...。
そう思ってしまうほどに、このメジャー・デビューした新・アルノーくんのスッキリしたサウンドにはちょっと驚きました。
メロディラインは独特だし、けっして嫌われる声質じゃないから、これからファンは増えると思います。 このアルバム、私も聴いてみたいですね。
すごい才能ですね。
いやー、本当に驚きました。
タラタタは若者向け公開番組でしょうか。
多くのオーディエンスの前で堂々と演奏する
アルノー、すっかり成長しましたね。
(あの彼女とはまだうまくいっているのかな?)
日本盤出るでしょうね、きっと。
2009年の最後の最後にヤラれちゃった感じです。しばしPCの前で固まりました。
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