非常にわかりやすく、任侠映画の定番パターンに則ったワクワクものの作品。アルジェリア人エリアス・ベルケダールの初監督長編映画。凄みとやんちゃさが同居する極道というキャラクターを演じるレダ・カテブ、狡猾でお調子者で恰幅の良い(小型のジェラール・ドパルデューのような体型で登場)白人というキャラクターを演じるブノワ・マジメル、この二人の名コンビの怪演でどれほど救われている映画か。白い街アルジェ、地中海の不条理な太陽(あ、アルベール・カミュを想ってください)の下で展開する二人の極道の物語。上に紹介した砂漠とラクダ競走だけでなく、高層社会住宅の広大な中庭で展開される”闘ヤギ”賭博のシーンなど、コアなアルジェリア光景も織り込んでいる。 それからアルジェリア人音楽アーチストのソフィアン・サイディがオリジナルスコアと選曲を担当したサウンドトラックがのけぞるほど素晴らしい。冒頭から大音量のライナ・ライ「ジナ」(1982年)で煽る。そのほかシェイハ・リミティ、ファデラ、シェブ・ハスニ、ウーム・カルトゥームなど。(復讐が終わって)最後にオマールとサミアと子供たちが平和に海浜ビーチで遊ぶシーンの音楽がソフィア・ローレン「イルカに乗った少年 boy on a dollphin」(1957年)であるところなんか泣かせる泣かせる。(このサントラのトラックリストはこちらのリンクに載っているので参照してください)
という言葉で閉じていました。約4年前のことですが、あの頃は「100万」などという数字はまるで考えられなかった。こんなに続くわけはないと思っていました。2017年に私は続けたかった仕事をやめ、自分の会社を畳み、在宅&病院通いの”専業”(隠居)ガン闘病者となりました。あの時からこのブログの更新が自分の関心の真ん中に来るようになりました。いつか来るXデーの前に、このブログをちゃんとしたものにしておきたい、という”意気込み”もあったのですが、だんだん、このまま続けられるだけ続けたらいいんじゃないかな、と思うようになりました。Que sera sera, what will be will be。気がついたら100万になっていました。
Ari "L'amour n'oublie jamais" アリ『愛は決して忘れない』 (Pauvert刊 2001年3月)
この本の著者はただ Ari とだけ署名している。日常生活では「アリ・ブーローニュ Ari Boulogne」という名前であり、俳優アラン・ドロンの母親のエディット・ブーローニュの戸籍に養子として入籍してその姓を得ており、国籍はフランス人である。ところが著者はそれを認めたくない。母親はクリスタ・ペフゲンという名のドイツ人。ニコという芸名で世界的に知られていた人。1938年ケルンで生まれ、1988年イビサ島で自転車で転倒し、脳震盪を起こしこの世を去っている。アリは出生時の「アリ・ペフゲン」という名に固執しているのではない。母親がクリスタ・ペフゲンと名乗らずに姓なしのニコという名で生き通したことを自分に近づける意味で、姓なしのアリと署名したのである。 本作はドキュメンタリーでも自伝でもない。題名の下に「レシ récit」(物語)と断られている。物語は実名で事実を記述してもいい。著者は自分が書き続けてきた日記と創作ノート(アリは詩人でもある)をベースに自分の物語を綴っている。そしてヘロイン常習者であるからというだけの理由ではなく、十代の時から精神疾患の自覚症状を持つ彼の記述は、ところどころ不安定で混乱した箇所も出てくるが、それは創作によるものであるかもしれない。
テレラマ誌2023年5月10日号は、5ページを割いてもう4年も映画を撮っていない女優アデル・エネルを追跡する記事を発表した。2020年2月28日、フランスで最も権威ある映画賞であるセザール賞のセレモニーで、多くのフェミニスト団体の抗議にもかかわらず、ロマン・ポランスキー監督の『J'accuse(日本公開題”オフィサー・アンド・スパイ”)』が監督賞を含む3部門で受賞したのに激昂して席を立ち、「なんたる恥!」と叫びながら駆けるようにセレモニー会場を退場したアデル・エネル。自ら未成年女優だった頃に映画監督から性暴力被害を受けていたことを告発したアデル・エネル。当時大きなうねりの運動となりつつあった#MeToo ムーヴメントの映画芸能分野での旗手的シンボルとなっていたアデル・エネル。かのセザール賞から3年を過ぎて、現在34歳のアデル・エネルは、マクロンの年金改革法反対闘争で激動するフランスのあちらこちらにいて、短い髪、すっぴんの顔、ウール帽、菜っ葉コート、ナップザックという出で立ちでスト労働者たちのかたわらに立ち、デモ隊のひとりとしてシュプレヒコールを叫びながら歩む。ノルマンディー地方ゴンフルヴィル・ロルシェの石油精製工場をスト封鎖するCGT労働者たちの集会でマイクを取ったエネルは「私はひとりのフェミニスト、ひとりのレスビアンとしてここに来ました。今、ここでみなさんのように、あらゆる重要な場所でこうして団結できたら、私たちは勝利できると言うためです」と闘士の言葉で言った。 「闘争する若い女の肖像(Portrait d'une jeune femme en lutte)」(エネルの最後の映画『火のついた若い娘の肖像 Portrait d'une jeune fille en feu』のもじり)と題されたテレラマ記事(→写真)は、もはやセザール賞やカンヌ映画祭といったものとは全く縁を切ってしまったエネルの現在を伝える。同誌のインタヴューの申し出をエネルは拒絶し、その代わり約70行の書簡で、彼女が映画と訣別した理由について言明している。それは性暴力者たちを許容擁護するだけでなく、環境破壊と貧困の増大を加速的に推し進めるリベラル資本主義に直接的に加担している映画産業へのノンであった。その文体はアジびらのようであり、その政治的闘士的なディスクールは激しい。言い換えれば極左的であり(実際彼女は新生の極左組織”Révolution permanente 永続革命”に属している、あるいは近いところにいるとされる)、男性原理社会と巨大資本支配には憎悪/敵意を剥き出しにする。痛々しさすら感じてしまう。闘士として歩み始め、おそらく振り返ることのないであろうアデル・エネルの選択を尊重しながらも、同記事は”Le cinéma français a, lui, perdu l'une de ses actrices les plus précieuses"(フランス映画の方は、その最も貴重な女優のひとりを失ったのである)という結語で閉じられている。
(←ジャン・ド・ジャルダンに演技指導するポランスキー) 11月13日に公開になったこの映画は封切前から賛否両論に割れ、反対派に押された形でテレビなどでの映画プロモーションが取りやめられたが、実際公開になってみると観客は上映館を満員にし、映画の評価は高かった。国際的にヘイトクライムが急激に(ふたたび)顕在化している昨今、19世紀末フランスを動揺させたドレフュス事件の実話に基づき、陸軍上層部による冤罪と反ユダヤ思潮の台頭にただひとり立ち向かう義憤の士官ピカール(演ジャン・デュジャルダン)の姿はたしかに感動的だ。私が観た映画館でも上映後拍手が起こった。では何が問題なのか? 問題は映画ではなくポランスキーその人なのだ。1977年に13歳の子役少女をレイプしたことで有罪判決を受けたあとも、十数件の女優暴行で訴えられている。この男が、何ら罰せられることなく、国際映画産業に保護されて、のうのうと映画監督として創作活動を続けている。ポランスキーを映画界から追放して、法廷に引きずり出せ ―
この声は女性たちだけのものではない。 セザール賞にこの作品が最多の12部門でノミネートされた時、批判は女性団体からだけではなく、映画人たちからも激烈なものがあり、セザール賞運営の不透明さが非難された。まず評議員の男女比率が7対3で、これでは女性たちの声が圧殺される。男女比率が均等ならば、ポランスキーがノミネートされる可能性はないはずだ。その他その旧態然とした運営体制を糾弾され、2月13日、セザール賞会長アラン・テルジアン(2003年から在任)と幹部らが総辞職し、2021年度(第46回)前に運営体制大改革を行うこととした。つまり、今回の第45回は変革前最後のセザール賞として、その前もって選出された候補作品はそのまま残って2月28日のセレモニーを迎えたのである。 その中に10部門でノミネートされた有力候補作品としてセリーヌ・シアマ監督映画『火のついた若い娘の肖像(Portrait de la jeune fille en feu)』(2019年カンヌ映画祭脚本賞、アメリカでの興行が好調で、2月現在全世界での観客動員数が百万人を突破。日本配給はギャガだが公開日未定。→ 韓国上映版のポスター)があり、作品賞、監督賞の他に主演女優二人(ノエミー・メルランとアデル・エネル)が両方女優賞にノミネートされていた。18世紀フランスの田舎貴族の娘で野生的な美をたたえたエロイーズ(演アデル・エネル)の見合い写真ならぬ見合い肖像画を依頼された画家マリアンヌ(演ノエミー・メルラン)の間に芽生える恋と、運命を自らのものにしたい女性たちの確執と静かな抵抗を描くフェミニストな美しい作品である。この一連のコンテクストにあって、アデル・エネルの主演女優賞ノミネートは大きな象徴であり、一方にある性犯罪者ポランスキーの放免状態を絶対に許してはならないとする女性たちの代弁者としてエネルはメディアに露出しておおいにその怒りを表明していた。 ポランスキー擁護者たちは「作家と作品を分けること」という論を展開した。人物は糾弾されても、作品は評価されうる。文学の例で言うと、ルイ・フェルディナン・セリーヌという人物はナチス協力者・ユダヤ排斥主義者として弾劾されても、『夜の果てへの旅』は20世紀文学の傑作であり、ルイス・キャロルはペドフィルだが『不思議の国のアリス』は児童文学の古典である。ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』、『チャイナタウン』、『テス』など私も若い日に夢中で観たし、傑作だと思っている。芸術家としてのポランスキーを評価せよ、と擁護者たちは言う。だが、ポランスキーの作品に賞という栄誉を与えることは、ポランスキーその人(芸術家としての分身だけでない全的な人格)をも栄誉で祝福してしまうのである。 2月28日、ポランスキー側は同賞セレモニーに監督も出演俳優も制作スタッフも誰も出席しなかった。セレモニー会場であるサル・プレイエルの外にはフェミニストのデモ隊が結集し、ポランスキー弾劾を叫んでいた。
アデル・エネルはあのセザールの真夜中から、#MeTooのシンボルから、すべての非抑圧者の代表として立ち上がり背を向けて退場した私たちのシンボルになったのだ。 エネルはひとりではなく、あの真夜中、司会のフローランス・フォレスティも楽屋で「ムカつく(écoeurée)」とインスタグラムに書き込み、二度とセレモニーのステージに昇らずに、”ずらか”った。 翌日のニュースメディアはポランスキーの受賞を「スキャンダル」と論じるものばかりではなく、エネルとフォレスティの怒りの退場をも「スキャンダル」と報じるものもあった。そして暴力性と悪意も込められたデパントの特別寄稿もまた反響には賛否両論があった。時期を同じくして、米国ではワインスタイン裁判が始まり、栄華を誇ったワインスタイン帝国は崩壊した。これは前進するために倒すべきシンボルであり、アメリカ映画界は女性たちが性暴力のタブーと男性(資本)原理の大きな象徴を突き崩した。フランスにそのシンボルがあるとすれば、それはまさにポランスキーであり、セザール賞であるということがはっきりした。 これを書いている今日、3月8日、国際「女性権利」デー、コロナウィルス禍の脅威にもかかわらず、フランス全土で女性たち(+女性の権利を理解する男性たち)のデモが行われ、1週間前のセザール賞のショックはそのデモにも反映され、ポランスキー受賞への抗議、アデル・エネルへの支持がプラカードに見られ、シュプレヒコールで聞こえる時、私はフランスの映画にまだ未来はあると信じられるのだ。 (ラティーナ誌2020年4月号・向風三郎「それでもセーヌは流れる」) (↓2023年5月、極左系フェミニスト集会「パンとバラ Du pain et des roses」でスピーチするアデル・エネル)
アキ・シマザキの第4のパンタロジー(五連作)は、『スズラン』(2020年)、『セミ』(2021年)、『野のユリ』(2022年)と続いてきたが、この『ニレ』はその第4話。シマザキの通算で19作目の小説にあたる。次作で完結するこのパンタロジーは、前作『野のユリ』まで五連作総題がついていなかったが、本作から”Une clochette sans battant"と名づけられている。直訳すると”打ち舌(ぜつ)のない小さな鐘”ということになるが、形状から判断してスズランの花のことと理解できる。この第4パンタロジー”Une clochette sans battant"の前3話については爺ブログで全部紹介しているので未読の方は(↑)の青いリンクから参照してください。 時代は「令和」期、場所は山陰地方鳥取県米子市、中流家庭「楡(にれ)家」の物語である。まもなく結婚50年(金婚)を迎えようとする老夫婦(テツオとフジコ)は既に住み慣れた家を離れて老人施設で暮らしている。妻フジコはアルツハイマー性認知症がかなり進行している。二女一男の子供がいたが、長女キョーコ(派手好き、男好き、都会好き、国際社会で活躍するキャリアウーマン)は初の子供スズコを出産したのち癌で死んだ。スズコの父親でキョーコのフィアンセだったユージと恋に落ち、フジコを養子に迎えてユージと再婚したのがキョーコの妹で名のある陶芸家となっているアンズ(バツイチで前夫との間の男児トールを育てていた)。ユージが東北大震災で両親ほか身内を失っていたので、アンズとユージは婚後「楡姓」を名乗っている。楡家の末っ子にしてただ一人の男児がノブキ(=今回の小説の話者)、職業は土木技師だがセミプロ級のクラシック・ギタリストで、妻のアヤコはクラシック・ピアニスト/ピアノ教師である。この夫婦にはすでに二人の娘がいて、小説はアヤコが三人目の子供を懐妊するところから始まる。 ノブキは波乱に富み浮き沈みの激しかった二人の姉(キョーコとアンズ)と対照的に、波風の少ない”まともな”生き方でここまで来ていて、まともな職業(土木技師)で固い収入を得ながら、気の合うピアニストと恋愛結婚をし、二人の子供をもうけ、家屋を購入し、今三人目の子の誕生を待っている。ところがシマザキの小説であるから、この平凡な生き方にも日本風土の問題が黙ってはいない。それはフツーの家のフツーの長男たる者のアプリオリな責務であり、家督を継ぎ、両親と同居し、その老後の世話をして最後まで看取ってやる、ということである。それはまさに両親テツオとフジコが切望していたことであったが、ノブキはアヤコとの結婚の時に両親との同居を拒否していて、テツオとフジコはその長男夫婦の決断におおいに落胆している。2020年代の日本において、男系家父長制の世襲の問題とそれに連繫する親の介護問題、これをシマザキは非日本語系読者たちに強調しておきたかったのだろう。ノブキはそこから逃げたわけではない。フジコのアルツハイマー系認知症が深刻になった時点で、両親が実家で日常生活を営むことは困難と判断し、夫婦での上級の老人施設入りを手配したのはノブキだった。これだって”長男の仕事”ではないか。