2021年2月から3月、フランスの書店ベストセラー1位だった本。2008年12月フランス東部ジュラ地方で起こった殺人事件を追うドキュメンタリー書である。著者でジャーナリストのフローランス・オブナ(1961 - )は現在ル・モンド紙とロプス誌の特約リポーターとなっているが、リベラシオン紙の海外特派リポーターだった2005年にイラクで反政府ゲリラに誘拐され157日間人質として監禁されていたことで、あの当時その解放を求めてフランス中の市庁舎役場の正門に顔写真が飾られ、私たちには勇気あるジャーナリストの鏡のようなイメージがある。このことはオブナの2010年の著作『ウィストレアム河岸(Le Quai de Ouistreham)』に関する当ブログの記事で触れているので参照してください。 さてスイス国境に隣接するアン県(01県、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地方)の人口3500人の町モンレアル=ラ・クリューズで事件は起こった。この人口の町なので誰もが誰もを知っているムラ社会。時代と共に農業/酪農業が廃れ、その代わりにこの峡谷地帯に多くのプラスティック工場ができ、住民のほとんどがこのプラスティック産業に従事し、この土地は誇らしげに「プラスティックの谷」を僭称するようになる。だから他のフランスの奥まった地方に見られるような破産状態はなく、隣町ナンチュアの湖上スポーツリゾートの観光収入もあり、人々がなんとか暮らせる環境であった。しかし容赦のない公共サーヴィスの予算減らしは、鉄道やバスでこの町に来ることを困難にさせ、学校や病院は遠くまで行かなければならなくなった。そんな中で郵便局も町の中心部の本局だけ残して町外れの分局は閉鎖するはずだったが、元助役(レイモン・ビュルゴ)の抵抗で存続させ、娘カトリーヌ・ビュルゴをそのごく小さな郵便局のたったひとりの局員として切り盛りさせ、地区住民たちには重宝している。書留や私書箱などの郵便業務、郵貯口座の出し入れ、ラ・ポスト印の携帯電話販促... やることはあまりないが、現金も扱うしATMも金庫もある。ずっと平和な町だったのが仇になって、この局には21世紀になっても防犯カメラがなかったのだ! そして少ない仕事の合間に、町のひまな旧友たち(もちろん全部女)がこの局の小さな待合室に集まり、ほぼ一日中の茶話会を繰り広げるのだった。この田舎の女たちは茶話会だけなく、夜のハメはずしやら、近くの都市へのショッピングなども共にする心許せるコピーヌたち。カトリーヌは最初の結婚で娘をもうけたが、夫との関係はきわめて悪く、二度の自殺未遂を起こしていて、精神的には不安定なところがあった。カトリーヌが死んだという報せが流れた時、このコピーヌたちは遂に自殺に成功したか、と早合点したのだが、それは自殺ではなかった。2008年12月19日、この小さな町でも人々がクリスマス準備に明け暮れる雪の日の朝、ひとり局員は局の前から娘をスクールバスに乗せて送り出したあと、局の中で28カ所をナイフで刺され血の中に倒れた死体で発見された。しかも夫と別居(離婚はしていない)したのち、新しい恋人ができ安定した新生活に向かいつつあり、妊娠中の身だった。静かだったモンレアル=ラ=クリューズの谷は町始まって以来の深い衝撃と悲しみに包まれ、カトリーヌの葬儀にはほぼ町中のすべての人たちが詰めかけ、犯人逮捕のためのあらゆる協力を惜しまないと誓った。ムラ社会の堅固さありあり。
さて、捜査線上で早くから容疑者として上がったのがジェラルド・トマサン(1974 - )という男で職業は映画俳優である(→写真はトマサンが最後に主演した2008年ジャック・ドワイヨン監督映画"Le Premier Venu"のスチール)。商業映画とは程遠いこのドワイヨンのような独立系の作家主義映画にばかり出演しているので、一般的には全く知られていない俳優であるが、そのデビュー作でジャック・ドワイヨン監督にキャスティング発掘されて16歳で準主役として出演した"Le Petit Criminel"(1990年)で、(フランスで最も権威ある映画賞である)セザール賞最優秀新人賞を授与されている。アクターとして養成されたわけではない。実生活での体験の生々しさをそのまま映画に出せる素人を探した結果見出された。トリュフォー『大人は判ってくれない』(1959年)のキャスティングで発掘されたジャン=ピエール・レオーのケースとよく似ている。トマサンは深刻な家族の問題があり養護施設で育ったが、ドワイヨンのキャスティングは養護施設の中で行われ、その様子がヴィデオとして残っていて、フローランス・オブナはその7分8秒のやりとりを本書の102ページから106ページまで一言漏らさず再録している。複雑な情緒を持った少年であったことがはっきりと浮かび上がってくる。 トマサンはこのセザール賞で変わった。一時的な高収入はドラッグとアルコールをいよいよ深化させ、時々声がかかる映画の仕事のためにドラッグ/アルコール抜きの治療を受けにさまざまな土地に転地して、ノマド的に生きていた。映画出演のギャラ収入はすぐに絶え、安宿に住み、非常勤興行労働者(アンテルミッタン)のための失業手当を郵便局経由で受け取って暮らしていた。転々と移住していた先々で、トマサンは自分は映画俳優であることを隠さず、出演した映画のDVDを見せたり、話し上手にその世界のことを吹聴するものだから、土地土地で出会うジャンキー仲間同士の中では人気があった。もちろん女性たちにも。だが将来を一緒にと相思相愛になった女性との間でもその情緒の不安定さ(+暴力)は顔を出すのだった。 事件の土地モンレアル=ラ・クリューズには2007年夏に当時の恋人コリンヌと谷の私営キャンプ場にテントを張ってヴァカンスを過ごす予定でやってきた。ところが、不安定なトマサンは発砲事件を起こしキャンプ場から放逐され、コリンヌは自分の車で逃げ出してしまう。ひとり残されたトマサンが見つけた低家賃のアパートは、町はずれの泉の広場に面した2階建ての古い建物で、トマサンの部屋は最も安い半地下のステュディオで、窓からは通行人たちの足しか見えない(2019年ボン・ジュノ監督『パラサイト』のようだ)。その窓から覗けて見える泉の広場の向こう側に町の郵便局の分局があり、たったひとりの局員としてカトリーヌ・ビュルゴが働いていた。 ひとりでこのジュラ山系の谷間の町に暮らしはじめたトマサンはその低家賃アパート建物の他の住人たちとも溶け込んでうまくやっていた。そしてジャンキーはジャンキーを呼び、この町で無職生活保障受給者ながらドラッグとアルコールだけは絶やさないタンタンとランブイユという二人の男と急激に親しくなる。町から遠くはずれもはや誰も近づかない農家の廃屋を三人の隠れ家として、誰にも邪魔されずアルコールとドラッグを好きなだけ堪能できる秘密の楽園をつくっていた。このマージナルな三人のユートピア体験はこの本の中で異彩を放つ美しさであり、かの事件の後もこの三人の絆は壊れない。
Florence Aubenas "L'Inconnu De La Poste" Editions de l'Olivier刊 2021年2月11日 240ページ 19ユーロ
カストール爺の採点:★★★★★
(↓)2021年2月11日、国営テレビFrance 5「ラ・グランド・リブレーリー」で自著『郵便局の不審者』について語るフローランス・オブナ。2分37秒めから、ジェラルド・トマサン(当時16歳)のジャック・ドワイヨン映画"Le petit criminel"のためのキャスティング時のヴィデオが出てくる。(注:”この動画は YouTubeでご覧ください”と出てきます。指示に従って、"YouTubeで見る”をクリックしてください)
アルバム『プラエファチオ』はキンシャサで録音され、基本的にアフロ・アコースティック・フォークだが、土地柄ルンバもズーグルーも顔を覗かせ、いい感じに多彩さがある。私には「テレ・ムビ(私の体)」という超強烈なインパクトの1曲だけでこのアルバムは十分に価値があるのだけれど、ンバガンディ語の歌はすべて(歌詞カードはあっても翻訳がついていないにもかかわらず)とても説得力があり、往年のトレーシー・チャップマンを思わせる大事な言葉づかいを感じさせる。”アフリカ女性のアンガージュマン”もびしびし感じる。それにひきかえ、2曲の英語曲はどうしたものだろうか。誰に向かって歌っているのかちょっと曖昧になるような気がする。 そんな中で異彩を放つのがフランス語で歌われる3曲め「路地の上で(Sur le pavé)」であり、キンシャサというメガロポリスの路上で貧困と共に生きる少女のストーリーが、まるでフランスのシャンソン・レアリスト(1930年代の写実派シャンソン:ダミア、フレエル、ピアフ...)のように語られ、物語の最後に悲劇が待っている。これはまさにシャンソン・フランセーズの本領のような歌ではないか。
わたしは8歳、路地の子供
でもわたしにはちゃんとした家族があった
わたしは舗道の上で新しい父たち、新しい母たち、
姉妹たち、兄弟たち、なんでも目印になるものを見つける
タクシー運転手で一日15時間
夜明け前から真夜中すぎまで
こんな仕事で何日かの生活費にはなる
だからわたしを見てあの人は幸せそうに微笑んだ
父も母も同じように
働き尽くめ、だからわたしをひとりにしておく
ビルの清掃係
屑篭を空にし、床にモップをかける
通勤の混雑は言うまでもない
母はわたしのごく小さかった頃のことをまるで知らない
母も父も同じように
働き尽くめ、だからわたしをひとりにしておく
わたしは8歳、路地の子供
でもわたしにはちゃんとした家族があった
わたしは路地の上で新しい父たち、新しい母たち、
姉妹たち、兄弟たち、なんでも目印になるものを見つける
午後2時にわたしは学校から戻る
帰っても親も神様の代わりもいない
大人の女たちもようにわたしは舗道を駆け回りたい
ミニスカートの女たちがわたしの味方になってくれる
かの姉たちはかの兄たちと同じように 用心深くて、しっかり絆で結ばれていた
その人たちは店員だったり、客だったり、原付タクシーだったり
カサイ出身だったり、イトゥリ出身だったり
わたしにやさしい言葉と微笑みとボンボンをくれた
路地で暮らす者はあいさつなしで通りすぎることなどしない
かの兄たちはかの姉たちと同じように
思慮ぶかく、なんでも分かち合っていた
わたしは8歳、路地の子供
でもわたしにはちゃんとした家族があった
わたしは路地の上で新しい父たち、新しい母たち、
姉妹たち、兄弟たち、なんでも目印になるものを見つける
女たちが乗り込んでいく車と車の間を縫って
両替屋が請求書を勘定しているそばを通って
いつもと同じような日、そこにあるバー
わたしはその奇妙な場所に行くのをOKした
かの姉たちはかの兄たちのように多忙で
わたしをほったらかしにしておいた
それでもわたしはこのやさしいおじさんを知っていた
毎晩わたしにソーダをおごってくれた
知らない人に付いて行ってはダメ
それが路地の姉たちの忠告だった
その男が服を脱ぎ始めたとき
わたしは逃げ出したかった、
でももうドアは閉まっていた...
(「路地の上で Sur le pavé」)
<<< トラックリスト >>> 1. TERE MBI(私の体)
2. SONGO TE HE(私たちの愛)
3. SUR LE PAVE (路地の上で)
4. RAIN
5. NA MILELI (私は泣く)
6. ZINGO(目覚めよ、立ち上がれ)
7. MBI NGO YEMO (あなたが好き)
8. MBI GWE(私は旅立つ)
9. MBI YEMO SI BABA(父のことを永遠に愛する) 10. IS IT LOVE 11. DEPART (旅立ち) 12. MBI LO (私はここにいる) 13. LEGIGI NO GBI (失われゆく世界)