元ゼブダのリーダー、マジッド・シェルフィの4冊めの著作であり、これまでで最も分厚く、430ページの大著である。前作『俺のゴール人的部分(Ma Part de Gaulois)』(2016年)は、生まれ育ったトゥールーズのシテ(低家賃社会住宅地区)始まって以来初めてバカロレア(大学入学資格試験)に合格するという快挙をめぐる自伝的小説で、その年のゴンクール賞の第一次選考作品のひとつに選ばれるほど高い評価を受け、ベストセラーにもなった。そのあと自主制作(クラウドファウンディング)でソロアルバム『Catégorie Reine (女王級)』(2017年)を発表して、ソロでコンサートツアーも行っている。ゼブダ時代ほどの派手さはないものの、ちゃんと活動を続けているし、何よりも昨今は「作家」の顔がメインのような印象である。
不条理で残酷なこの世界に逆らった3人、何も失うものがない3人の最後の抵抗戦であるこの映画は、やはり死でもって終わるのである。死に向かう最後の合言葉は「Adieu les cons (愚者どもよ、さらば)」。この最後は日本のヤクザ映画、もしくは北野武映画の援用かもしれない超ヴァイオレントなものであり、私は涙がどっと噴き出ましたね。
j'ai finalement choisi le katakana, simple et vigoureux, parfait pour cette plante qui se multiple à une vitesse suprenante. (最終的に私はこの驚くべき早さで繁殖する植物に完璧に合っているシンプルさと力強さを兼ね合わせているということで"カタカナ”を選ぶことにした)(超訳:カストール爺)
Tu m'appelles sans voix あなたは音もなく私に呼びかける Comme une clochette sans battant 打ち棒のない小鐘のように J'entends tout, Suzuran ! 私にはすべて聞こえている、スズランよ! Je t'aime depuis toujours ずっとずっと私はあなたが好きだった Depuis avant ma naissance 私が生まれる前からずっとずっと
Joli, non? (註:"ずっとずっと”という訳語は、荒井由実作「まちぶせ」からの援用 by カストール爺)ー しかしそんなスズランの別の面をアンズは自分の母親から知らされることになる。まず、姉キョーコの誕生日は5月1日であり、フランスではすずらん祭りの日、幸運をもたらすというこの花を愛する人に送る日、この花はこの日に生まれたキョーコの花。教養のある母はこの花が外国語で"lily of valley"、"muguet"、"amourette"などと呼ばれている、とウンチクを垂れる。ん?3番目の言葉を私は知らない、とアンズは辞書を引いて調べる。するとこの可憐なスズランを意味する"amourette"が、「浮気」、「不倫」、(複数形で)「動物の睾丸」などの意味もあるのを知り心を暗くする。睾丸はともかく、アヴァンチュール、フラート、火遊び、ハント、お戯れ... などと連鎖的に思い浮かべると、これは私のイメージするスズランとは違う、が、しかし、キョーコのイメージと合致すると驚くのである。 さらに、初対面のキョーコのフィアンセで生物学専攻の製薬会社マンのユージから、スズランには猛毒があると初めて知らされ、この花は私ではない、キョーコである、といよいよ確信していくのだが...。 長い間複数の男たちとの悦楽的関係を興じてきたキョーコがその趣味から足を洗って、合コンで知り合ったというフィアンセのユージを連れて、ゴールデンウィークに米子に行き家族にそのフィアンセを紹介するという。5月1日はキョーコの誕生日であり、家族パーティーが用意されている。暴かれたキョーコの真の姿を知ったアンズはもはや元どおりの姉妹関係を保てないと思っている、が、そこに現れた(その時点での)未来の義兄たるユージは...。 このゴールデンウィーク滞在中(キョーコは急用ありで単身東京に帰ってしまう)、アンズの陶芸に魅せられ、全作品を観賞し、息子トールとも仲良く遊び、山中にある窯まで行ってくべる薪を割るなどアンズの窯入れの助手として汗を流す。ユージと同じ屋根の下で3夜を過ごしたアンズは、ユージの体から漂ってくる匂いに強烈に反応してしまう。今日びの日本語ではこれを「フェロモン」と称するのだろうが、シマザキ小説にはこんな言葉は出てこない。このフェロモンの魔力に、アンズはその夜ユージとの交情の夢を見てしまい、それまで一度も体感したことのなかった性的オーガズムに身をよじらせるのである。ここ重要。それまでの人生で知ることのなかった性的絶頂を夢で知るアンズ。一体いつの時代の文学なのさ! 案の定というか、見えすぎるシナリオ進行で、アンズはユージへの恋慕でどうしようもなくなり、ユージはアンズのアートに心動かされ(↑上紹介の)かの詩を目にするや、出会う前から知っていた運命的な出会いを直感してしまう。これはアンズにしてみれば、それまで愛した男たちを尽くキョーコに奪われていた(と後で知った)アンズが、初めてキョーコから恋人を奪うという復讐の構図になるわけだ。果たしてそれまで完璧に調和していた姉妹の関係はもろくも崩れて、ひとりの男ユージをめぐって戦争状態に入っていくのか? アンズとユージはお互いの愛を宣告しあい、ユージはキョーコにもはや結婚の意志はないと告げ、混沌の終盤、小説は全く違う(まあ読めないでもないが)カタストロフを用意する...。
(←)写真はジャン=バチスト・モンディーノ。うまいよねぇ。これを書いている10月1日がちょうどダニの誕生日で、1944年生れ、今日で76歳になった。マヌカン、女優、歌手として長〜いキャリアのある人だが、今日多くの人々が記憶している歌手ダニの歌は2001年エチエンヌ・ダオとのデュエットによるシングルヒット「ブーメランのように(Comme un boomerang)」(詞曲セルジュ・ゲンズブール)のみである。
マヌカン、歌手、女優として60-70年代を(表面的には)華麗に生きたこの女性は、じわじわとドラッグに心身を冒され、80年代には芸能シーンから姿を消し、南仏ヴォークルーズに隠れ住んで"毒抜き”の年月を過ごしていた。1987年にそのドラッグの暗黒時代を告白した手記本"Drogue, la galère(ドラッグ、その苦難)”(Michel Lafon刊)を刊行している。この人がりっぱだなぁと思うのは、その後実業家として成功していること。全くの夜型人間と思われていたダニが朝日に始まり夕日に終わる昼型人間に転じて、花屋になるのだよ。ただの花屋ではない。バラ専門店。1993年、あのウンベルト・エコの小説「バラの名前」(仏語題Le nom de la rose)にインスパイアされた"AU NOM DE LA ROSE(オ・ノン・ド・ラ・ローズ、バラの名において)という名のバラ専門生花店第一号店を開店。このコンセプトが成功してたちまちパリ圏20店舗、さらにフランス全国展開、さらにヨーロッパ各国でフランチャイズ店が、という快進撃。ただしダニはこういう大きなことになる前に、高値でその権利を売って、自分サイズの別のバラ専門店を別名("D-Rose", "By Dani", ”Roses Costes Dani Roses”)で開く。いいじゃないですか。(仏語だが、ダニのバラへの情熱をまとめたダニのオフィシャルページ記事のリンク) さて、そんな感じで"ルーザー”ではなく"成功者”として生還したダニは2016年に(何冊めかの)自伝本『夜は長続きしない(La nuit ne dure pas)』(Flammarion刊)を発表、ベストセラー、それとタイアップで同名のコンピレーションアルバム"La nuit ne dure pas"(再録音4ヴァージョンを含む20曲ベスト盤)をリリース。
再録ものでは9曲めで、ジョーイ・スタール(ex NTM)と掛け合いで歌われる"Kesta Kesta"はアルバムの中で最も"ロック”を感じさせるナンバー。当年52歳(もうそんな歳か)でダニの大後輩とは言え、ジョーイも仏ヒップホップを引っ張ってきた重い年季の貫禄で、二人が掛け合えばそれはそれは渋く重い味わい。ケレン・アン・ゼイデル作(詞ドリアン)の”Dingue”(3曲め)はエマニュエル・セニエ(いろいろ問題ある映画監督ロマン・ポランスキーの現在の夫人)のために書かれた曲だが、どうしてダニはカヴァーしたのだろう? セニエよりもロックに聞こえるし、歌唱法はほぼゲンズブールと言っていい。 5曲めの"N comme Never Again"は、1993年にザ・ストラングラーズのジャン=ジャック・バーネルがプロデュースしたダニの同名アルバムのタイトル曲(詞ピエール・グリエ/曲ジャン=ジャック・バーネル)の再録だが、百倍メランコリック。