2025年11月17日月曜日

かくも長き影: 2025年のアルバム

Andrea Laszlo De Simone "Una Lunghissima Ombra"
アンドレア・ラスロ・デ・シモーネ『かくも長き影』


をつくるものは光である。なにやら禅問答みたいな物言いであるが、光源がなければ影はできない。そもさん。
 デ・シモーネ本人曰く「かくも長き影」とは外部から侵入増幅していく思念のメタファーである。それは具体的にはインターネットやらSNSやら、われわれの明晰さ・晴朗さ・沈着冷静を脅かしてやまない圧倒的な影響の数々のことなのだろうが、その影が色濃いと思うのは光が向こう側にある証しなのである。
 イタリアはトリノ出身の39歳、カンタウトーレ/マルチインストルメンタリスト、アンドレア・ラスロ・デ・シモーネの3枚目のアルバムである。フルアルバムとしてはファースト『エッチェ・オーモ(Ecce Homo)』(2012年)、セカンド『ウオモ・ドンナ (Uomo Donna)』(2017年)に続くものだが、2019年の4曲EP『インメンシタ(Immensità)』も重要な作品(レ・ザンロック誌激賞)として注目された。あとフランスでは2023年のトマ・カイエ監督の大ヒット映画『動物界(La Règne Animal)』のサントラも。時間のかけ方に頓着しない独立独歩のインディーの人だが、このアルバムは前EP『インメンシタ』から5年後の録音。とは言っても自宅だろうが、旅先だろうが、閃けば作曲/録音する極端な多産家で、この5年間にできた/録音した曲は732(ななひゃくさんじゅうに)曲。しかし発表するには極私的なものがほとんどだったとデ・シモーネは言う。厳選の上残った17曲(トータル70分強)がこのアルバム『かくも長き影』となった。
 鬼才の風格、フランク・ザッパ顔、70年代カンタウトーレ(フランコ・バッチャート、ルーチョ・バッティスティ、アンジェロ・ブランドゥアルディ...)風な佇まい、硬派で難解であってもおかしくないのだが、それはない。因みにセカンドアルバムからこのアーチストとレーベル契約してフランスに紹介してフランスでのアーチスト活動を牽引しているのが、ラファエル・アンビュルジェ(Raphaël Humburger、 1981年生れ、父はミッシェル・ベルジェ、母はフランス・ギャル)のレーベル Humburger Recordsである。その亡き父ミッシェル・ベルジェには1971年『パズル(Puzzle)』と題されたピアノ・コンチェルト(20分)を含むプログレアルバムがあるんだが、その頃は非常に”硬派”だったということを蛇足で付け加えておく。
 アンドレア・ラスロ・デ・シモーネを初めて聴いた。歌詞も聞かず(聞いてもイタリア語だから馬耳東風であるが)70分通して続けて2回聴いた。メランコリックで美しいハーモニーを構成する楽器(豪奢な弦もヴィンテージ・シンセサイザーも)の数も声の数も豊富で、街音、自然音、機械音、子供の声、通りのブラスバンド、スタジアムの歓声、聖堂内の残響音.... これらをこの青年は集めたり、貼り付けたり、編曲したり、歌わせたり、鳴らせたりが自在にできる人なのだ。これまで聞いたことがない”ウォール・オブ・サウンド”だと思った。そしてデ・シモーネのヴォーカルは、几帳面に楽譜に書かれた通りの旋律と歌詞を穏やかで明瞭でフラットな歌唱で聞かせるのだが、そのエフェクトは20世紀の電話受話器から聞こえてくる声のような、あるいは20世紀のトランジスタAMラジオから聞こえてくる声のようなフィルターがかけられたような...。このヴォーカルのおかげで、全体のサウンドはなんとも言えないノスタルジーに包まれてしまうのである。まず私はこの未体験のメランコリック/ノスタルジック・ウォール・オブ・サウンドに震えてしまったのですよ。
 そしてその歌詞の世界を解くために、テレラマ誌2025年10月8日号(↑表紙写真)の(インタヴューを含む)3ページ記事を熟読した。そこには”外部”との関わりにややナーヴァスに注意して暮らすデリケートな”万年少年”の39歳の音楽家像があった。一家(伴侶+2人の子供=13歳と6歳)でトリノのヴァンシリエッタ(Vanchigliette)地区の一戸建ての旧店舗を改造(中)した家に越してきたばかりで、地下室は録音スタジオとして使っている。デ・シモーネにとって最も大切なものはこの4人家族であり、ここで一緒に暮らすことがすべての中心だと言う。私の音楽は(さまざまな媒体を通して)世界中に行くことができるが、私はこの家にいる、と断言する。この地下室で生まれた曲も多い。地下室には21時半に降りて行って、朝6時半に階上に戻るのが日課だそうだ。「私のヴォーカルがささやき声なのは、子供たちを起こしたくないからなんだ」と。そのクリエーションは発表する作品もあるが、ほとんどの場合が極私的な営為である。「私は聴衆たちが大好きだし、彼らがもたらしてくれるものには感謝しかない。でも彼らと私の関係は真のものではない。私は自分のために音楽を創造している。もしも彼らのことを思ってその創造姿勢を失ったら、私はすべてを失ってしまうんだ。」
 有名になったり、町で人に呼び止められたり、セルフィーを求められたり、ということは避けたい。”上の人”になることは絶対に避けたい。地面に足のついた無名の人として、この世の”リアル”と繋がっていたい。記事中に飛び込みでフランス国営テレビがインタヴューを申し込んできたのを断っている(”2分30秒で自分の仕事を説明できるのか” ← えらい!)。だからこの人のプロモーションは難しいだろう。マネージャーもレーベルも大変だろうが、平衡を保ってほしいとデ・シモーネは言う。平衡が崩れたら私はすべてを止めてしまうだろうとも言う。実際にツアーを途中で中止してしまったこともあり、その理由は”家族の都合”だった。
 自分が”リアル”を失ってしまう脅威は、外部からとめどなく押し寄せてくる。そんな個人的な恐怖や、失いたくないものへのしがみつきを歌にしている。イタリア語はほとんどできないので仏語翻訳経由の又訳であるが、訳してみました。

La notte
夜は
Cela i ladri e cela anche un fiore
泥棒だけじゃなくて花も匿っている
Sfuggito al giorno ma non a vento e pioggia
日の光から逃れられても、風と雨は防げない
E tutti quanti ci fa innamorar
そんなすべてのことが僕らを恋に落とすのさ
E io vorrei tornare
僕は還りたい
Al tempo della mia prima voglia
初めて欲望が目覚めた頃に
Quando si godeva ancora
まだ育ち盛りだった頃
Mi abbandonai a vivere il fiore
僕は心に花を育てていた
Avaro della tua primavera
きみの春を大事にしまっていた
E ora sconvolto dal dolore
今は苦しみに打ちひしがれ
Abbandonato nella mia sventura
不幸の中に投げ捨てられた
Se c'è qualcuno che non ha paura
もしも怖さ知らずの人がいたら
Io prego mi soccorra
お願いだから僕を助けに来てほしい
Ma il tempo non si ferma
でも時間は止めることができない
Desiderata vita e trascurato amore
望んでいた生活となおざりにされた恋
Ma finché non si muore avremo sempre un cuore
でも死なないでいる限りは人にはまだ心がある
E che stringa giuste nozze o che non sappia amare
結婚だけに縛られ、愛することを知らないでいるのか
Vorrò sempre tornarе
僕は今でも還りたい
Al tempo della mia prima voglia
初めて欲望が目覚めた頃に
Quando si godeva ancora
まだ育ち盛りだった頃
Mi abbandonai a vivеre il fiore
僕は心に花を育てていた
Avaro della tua primavera
きみの春を大事にしまっていた
E ora sconvolto dal dolore
今は苦しみに打ちひしがれ
Abbandonato nella mia sventura
不幸の中に投げ捨てられた
Se c'è qualcuno che non ha paura
もしも怖さ知らずの人がいたら
Io prego mi soccorra
お願いだから僕を助けに来てほしい
La notte, la notte
夜よ、夜よ
La notte, la notte
ラ・ノッテ、ラ・ノッテ

 私たちの時代(言わば1970年代)のフォークシンガーたちが歌っていたような内容だと思った。ナイーヴだけど”個人的”本音なのだ。「僕は今でも還りたい/初めて欲望が目覚めた頃に」。ライトでポップなロックンロール(しかしソフィスティケートされた編曲だこと)に乗せて。私にはこういうのは必殺なんですよ。
(Dieci, nove (vai), otto, sette, sei, cinque, quattro, tre, due, uno)
10、9(行け!)、8、7、6、5、4、3、2、1
Ho perso il cuore ed un amico vero
私は私の心とひとりの真の友を失った
Ho perso tutti e non ho più nessuno
私はみんなを失い、もう私には誰もいない
Ho dato amore, ma non son stato sincero
私は愛を与えたのだが、私は真剣ではなかった
Ed ho mentito senza rimorso alcuno
私は何の後ろめたさもなく嘘をついた
Ho avuto un padre e dico un padre vero
私には父がいた、それは真の父だった
Che mi ha mostrato cosa vuol dire essere uomo
父は私に大人になるということはどういうことかを教えてくれた
Ma ho scelto di voler restare bambino
でも私は子供で居続けることを選んだ
Di non seguir l'esempio di nessuno
誰のことも模範にしないと決めた
Ho perso il cuore ed il mio amore vero
私は私の心と私の真の愛を失った
L'ho perso, еd ora non so più chi sono
私は愛を失い、今私は自分が誰なのかもわからない
Ho dato amore, ma non son stato maturo
私は愛を与えたが、私は成熟していなかった
E senza amore dovrò vivеre
そして愛を失ったまま、私は生きていかなければならない
Le ho regalato tutto ciò che avevo
私は私の持っていたものすべてを捧げたのだが
Ma quel che avevo, poi, non era molto
私の持っていたものなんかたいしたものではなかった
E ho preso tutto, derubando il destino
私はすべてを奪い、運命を盗み取った
Ma il destino non è preda facile
でも運命は簡単な獲物じゃない
Forse ho mentito sempre o forse son troppo sincero
たぶん私はずっと嘘つきだったか、まじめすぎていたかのどちらかだ
Ed ho una fragile mente, o sono solo immaturo
私の心は傷つきやすいものなのか、それとも単に未成熟なだけなのか
O, più probabilmente, non voglio pensare al futuro
最も可能性があるのは、私が未来を考えようとしないということ
Perché sono quasi sicuro che sbaglierò per sempre
なぜなら、私はいつも間違った道を進むということをほぼ確信しているから
Nessuno, nessuno
誰にも、誰にも、
Nessuno, nessuno
誰にも、誰にも、
Ha mai avuto un momento migliore
より良い時など一度もやってこなかった
Nessuno, nessuno
誰にも、誰にも、
Nessuno, nessuno
誰にも、誰にも、
Nessuno, nessuno
誰にも、誰にも、
Ha mai avuto un momento migliore
より良い時など一度もやってこなかった
Nessuno, nessuno mai
誰にも、誰にも、一度も
Mai
一度も
Mai
一度も
Mai
一度も
これも大人になることを拒否して歳くってしまって、すべてを失ってしまったと述懐する歌だけど、個人的な悔やみ/恨み節だけではなく、誰にも”約束されたより良い時”など来なかったし、やって来っこないんだ、という調子の"ビタースイート・シンフォニー"なのがたまらなく好きですね。

 それからテレラマ・インタヴューでもこだわっていた”リアル”との関わりというテーマでは16曲め”Non è reale"(それは真実ではない)で、こんな結語を出してしまう。
Noi
私たち
Cosa sappiamo di noi
私たちが私たち自身について知っていること
Cosa ci illumina
私たちを照らしているもの
Cosa ci spinge
私たちを掻き立てるもの
Cosa ci domina
私たちを支配するもの
Non è reale
それは真実じゃない
Non è reale
Non è reale
Non è reale
Non è reale....




 このナイーヴでデリケートで神経質なアーチストに圧倒された。豊かな音楽性、イタリアのDNAのような和声の幻想、囁き声で素朴に歌われる極私的吐露.... そのままでい続けてほしい。爺さんはずっと聴いていたい。

<<< トラックリスト >>>
1. Il Buio
2. Riccardo tattile
3. Neon
4. La Notte
5. Colpevole
6. Quando
7. Aspetterò
8. Per te
9. Un momento migliore
10. Diffrazione
11. Pienamente
12. Planando sui raggi del sole
13. Spiragli
14. Quello che ero una volta
15. Rifrazione
16. Non è reale
17. Una lunghissima ombra

Andrea Laszlo De Simone "Una Lunghissima Ombra"
Ekler/Hamburger Records E05137/HR016
フランスでのリリース:2025年10月17日


カストール爺の採点:★★★★★

(↓)「かくも長き影 Una Lunghissima Ombra」

2025年11月5日水曜日

Un résident de la République

J'sais pas pas pas pas pas pas pas
j'sais pas pas pas


Alain Bashung "Résidents de la République"
アラン・バシュング「共和国の住人たち」
2008年アルバム『ブルー・ペトロル』所収
詞曲:ガエタン・ルーセル


新申請から8ヶ月待たされたが、2035年5月まで有効の Carte de résident(カルト・ド・レジダン=居住許可証)がやっと手に入った。この10年有効カードの更新はこれが5回め。フランス共和国のレジデントになって40有余年、その間に6人大統領が変わった。その間私のような外国人居住者には比較的寛容な時期もあったし冷ややかな時期もあったが、毎回このような居住許可更新のときはフランス共和国の役所は”おまえを住まわせてやっている”という態度をあからさまにする。ずっと納税者だし、犯罪歴ゼロだし、少額ながらチャリティー寄付はまあまあしてるし、事業者だった頃はフランス音楽の振興に(微力とは言え)いくらかは貢献していたという自負があるのだが、移民担当窓口はそんな個人プロフィールを考慮するわけがない。私は”移民A"であり、必要書類の不備がなければ、居住許可は延長できる ー とは言え...。多くのメディアのアンケート調査によると、2027年フランス大統領選挙では(アメリカやかなりの数の主要国がそうなったように)極右ポピュリスト候補が勝ってしまう可能性がかなり高い。その空気は私たちの日々の生活現場でも感じることができる。
 とは言っても、私は2017年に病気で早期退職した隠居人であるから、生きる”現場”としてのフランス社会とちょっと距離ができてしまった。私の行動範囲は小さく、病院(6カ所、滞在十数回)と市中ラボと薬局とは親密な関係になった。2015年に今の病気を発症してから、私にかかる医療費は全額社会保障保険から払われ、私は一切負担していない。この点で、私はフランスにいくら感謝しても仕切れないほどの恩義を感じている。フランス共和国に生きているというのはこういうことなのだ、とその度量を実感している。

 私は日本国籍を有する日本人なので、在仏日本大使館に滞在届を提出している。このことで大使館は私の動向がちょっと気になるらしい。数年前2度電話がかかってきた。「あなたの滞在届の”滞在予定期間”の欄が空白になっているので確認したい」と言う。「あと何年で帰国しますか?それとも永住ですか?」と言う。いや、わからないので空欄にしておいてください、と答えると、それは困ると言う。在留邦人の所在の正確な情報を把握する義務が大使館にはあるという意味のことを言ったと思う。私はできるだけ丁重に事情を説明しようと努めた。ガン闘病者であり、病状はかくかくであり、なになにの医療機関で長期に治療を受けているので、今はフランス滞在を続けています、と。すると「その治療はいつまでの予定ですか?」とたたみかける。あのですね、この病気はそれがわかる状態じゃないのです、と答えると「では永住ということでよろしいですか?」とまで言う。私は日本で高い治療費を払って治療を受けるお金がないので、フランスで治療してもらってますが、将来においてひょっとして日本の地で人生を終えたいと思ってしまう可能性がないわけじゃないのです、永住などということはあなたが私に代わって決められることではないのではないですか? ー 「それでは困るのです、おおよそでいいですから、滞在予定を教えていただけませんか?」.... この職員さんは仕事熱心だが、人間の言葉を理解していない。「そこは空欄のままにしておいてください」と言って私は電話を切った。数日後に別の大使館職員から同じ内容の電話が来たので、以前の方に全部説明してありますから空欄のままでお願いします、と突っぱねた。
 これには後日談がある。去年と今年、ほぼ同じ内容のメールが大使館から送られてきた。「このメールは、滞在届記載事項に不備のあった方に送られています。リンクから滞在届フォーマットに入り、不備の部分を記入してください。」そしてそれに加えて「不備部分の記入がされない場合は、滞在者の所在の確認ができなかったことと見なし、滞在届を抹消することもあり得ます」とあり。これは人間ではなく機械が書き送ってきたのだろう、という印象。私は無視しましたよ。
 日本国は疲れる。ー 私にとって”日本国”と”日本”は別のものであり、日本語や文化などで私の基底を形づくってくれ、家族友人+袖触れ合った人々の社会として私と繋がっている”日本”と、”国”は違うものである ー こんなに離れているのに、こんなに縁遠くなっているのに、日本国は私をひどく疲れさせることがある。いつか国との関係が非常に難しくなることもあるかもしれないが、それはまたその時に。

 同じように”フランス共和国”と”フランス”は別ものとして考えている。20代後半で移住した私をフランスは迎えてくれたし、救ってもくれた。私がここまで生きてこられたのは多くはフランスのおかげである。私に生活の糧を与えてくれたのはフランスの文化(音楽)であり、土地で生活する人間になって小さな家族も作れた。日本をほとんど知らない娘を育て、知識を獲得させ、成人させてくれたのは私たち両親よりもフランスの教育だったと思う。詳らかに挙げないが、フランスの嫌いなところは山ほどあるけれど、好きなところはその倍はある。日本にいる自分というのはまるでリアリティーがなくなったので比較はできないが、フランスにいて良かったと思うことはしばしばある。ところが、”フランス共和国(ラ・レピュブリック・フランセーズ)”となると話は違うのだよ。共和国は王や首領や宗教ではなく、民が決めごとを作り機能させていくものだが、共和国が何の支障もなく機能することなどありはしない。共和国は病み、疲れ、揺れ動いたりする。われわれレジダン(résidents、居住者、住民)は(”フランス人”のように)不平を垂れがちで、ビストロのカウンターはいつもそんなことで共和国の現状を嘆いたり呆れたり怒ったりで...。

 アラン・バシュング(1947 - 2009)のこの「共和国の住人たち Résidents de la République 」はその死(2009年3月14日)のほぼ1年前の2008年3月24日にリリースされた最後のアルバム『ブルー・ペトロル』(20万枚、プラチナ・ディスク)のA面2曲め、すなわちアルバム代表曲として発表された。2009年2月28日(死の15日前)、ヴィクトワール賞セレモニー(3部門で受賞)のステージで歌われたのが、この歌(YouTubeリンク)で、その後2度と公の場に姿を現さなかったから、これが文字通り白鳥の歌となったのですよ。この時バシュング61歳、肺がん最末期。
 この歌の作詞作曲はガエタン・ルーセル(1972 - )で、90年代の人気バンドルイーズ・アタックのフロントマン(ヴォーカル/作詞作曲)であったが、2009年からソロアーチストとしても活動している。骨のあるビートフォークロック系の人という印象はあるが、政治的なメッセージを歌う/書くことは稀だったと思う。時代背景を少し説明しておくと、2007年5月フランスの選挙民たちはニコラ・サルコジを新共和国大統領として選出している。このショックは後年に「トランプ2016」「トランプ2024」を体験した今となっては、たいしたものではなかったと思われようが、当時は私もずいぶん揺れたものだった。娘がまだローティーンだったから、この子はこのサルコジ治世下の共和国で生きていけるだろうか、と不安になっていた。私の業界はCD売上の落ち込みがいよいよ厳しく、運営していた会社を閉める覚悟もしていた頃だ。仕事の方はフランスのパートナーたちに支えられて(本当に感謝している)何とか続けられたが、今はあらゆる意味でレジスタンスの時期である、と念じてサルコジの諸政策にも耐えていた。
J'sais pas pas pas pas pas pas pas, j'sais pas pas pas...
いつの日か、おまえへの愛が薄らいでいき
おまえをまったく愛せなくなってしまう
いつの日か、私は笑うことが少なくなり
全く笑えなくなってしまう
いつの日か、私は走ることが稀になり
全く走れなくなってしまう
昨日まで私たちはかろうじて見つめ合うことができた
お互いに身を乗り出せばの話だが
今日私たちの視線は宙吊りのままだ
私たち共和国の住人
ここではバラ色に青い影がついている
共和国の住人たち
元素たちのことなど、おまえの好きにしたらいい

いつの日か、おまえに語りかけることも少なくなり
その日にはおまえも私に何も語らなくなるだろう
いつの日か、私は航海することも少なくなり
その日には地球がぽっかり裂けてしまうだろう

昨日まで私たちはかろうじて見つめ合うことができた
お互いに身を乗り出せばの話だが
今日私たちの視線は宙吊りのままだ
私たち共和国の住人
ここではバラ色に青い影がついている
共和国の住人たち
元素たちのことなど、共和国よおまえの好きにしたらいい



(↑)このヴィデオクリップに主演しているのはメルヴィル・プーポーである。
この歌の中で共和国は "Chérie"=最愛の女性である。昨日まで見つめ合うこともできた愛する人である。背伸びして耳に手をかざせばその言葉が聞き取れ、互いに近づけばその姿を認めて微笑み合うこともでき、愛する人のために走ることもできた。共和国は疲れ、姿を変え、バラ色(左派/社会党のシンボル)も青色(保守のシンボル)も曖昧になり、その建国原理(この歌では”元素たち”という言葉を使っている)も好き勝手に変えられてしまう。いつか私は共和国に愛想を尽かしてしまうかもしれないのですよ。共和国は病み、共和国は疲れ、私たちも疲れてしまう時があるのですよ。
 J'sais pas pas pas pas pas pas pas, j'sais pas pas pas... これは聞いての通り、シェパパパパパパパ、シェパパパ... と言っているのです。"Je ne sais pas"(ジュ・ヌ・セ・パ = 私は知らない)のくだけた口語表現、と言うよりはほとんど幼児語であろう。知らねえよ、知るか、知ったこっちゃねえよ... ー そういうニュアンスなのだろうか。それよりも、”私にはまったくわからないのだよ”と年寄りが嘆いているようにも聞こえる。私たちの信じてきた共和国って何だったのか、とも聞こえる。嘆き節なのですよ。

 で、私は(たぶん作者も歌唱者も)たとえこの先、どんなに共和国を放り出して逃げたいような事態になろうとも、この共和国を見つめる多くの目があって、何とかしようとする民の意志は抵抗すると思うのですよ。共和国は何とか持ち堪えるものだと思うのですよ。あのサルコジを監獄に送ったのも共和国の司法ですし。そういう共和国のそういう民(レジダン)の端くれであり続けたいと思うのですよ。

(↓)バシュング「共和国の住人たち Résidents de la République」、2008年オランピアでのライヴ。