2月5日のリベラシオン紙別冊NEXTに独占記事でセルジュ・ゲンズブールの末子,リュリュことリュシアン・ゲンズブールのインタヴューが載ってました。
もう25歳ですか...。亡き父の20回忌が3月2日ですが,この時5歳で,実際の話,父親の記憶はあまりないようで,周りの人からの話や残っている画像や映像の資料で父親のことを知っていくような少年期だったようです。母バンブー(本名キャロリーヌ・フォン・パウルス)は,リュリュが6歳になる前に息子を連れてマルチニック島に移住します。子供と自分をパパラッツィから守るためだったのですが,二人はそこでゆったり5年間暮らし,リュリュは褐色に日焼けしてクレオール語を話すようになります。
父が生きていた時にリュリュは父の教育方針でコンセルヴァトワールでピアノを習い始めたのですが,音楽の勉強はずっと続けていてパリからロンドン,そして19歳でボストン,バークリー音楽院に入学します。2年間みっちりピアノを修練した後,専攻としてジャズと映画音楽を選択しますが,ジャズはハードワークすぎて("trop de boulot" と言っている)断念,映画音楽科で「ソングライティング」と「フィルムスコアリング」を学び,自分で作詞(英語で)と作曲ができるようになります。(ボビー・マクファーリンやクインシー・ジョーンズのマスタークラスを受けた,なんてことをうれしそうに語るんですね,この青年は)。
稀にしか会わないけれど,義姉シャルロットとは信頼の絆で結ばれているようです。この記事を書いたフランソワーズ=マリー・サントゥッチは,いつかこの二人が共同で音楽を作る日のことを想像したりします。まあ,私はシャルロットが才能ある音楽アーチストだとは全く思っていないので,あまり夢見ておりませんが。しかし父親の才に至らない2人の子供が、お互いに引き継いだものを出し合えば、なにか面白いものができるかも、というジャーナリスト、サントゥッチの楽観論というのは...ちょっと呆れますけどね。
リュリュに親しい人たちの中で,ちょっとびっくりなのはジョニー・デップで,父親絡みでヴァネッサ・パラディとは家族づきあいがあったのですが、ジョニー・デップは「僕の兄であり、手本である」と断言してます。アメリカでどうやって「XXXの子」として生きるべきかを教えてくれたのはデップらしいです。幼くしてショービジネスと私生活をどう分けて生きるべきかを知ったデップが、リュリュに手本を示しているのだそうです。2人は容貌も似てきます。その上リュリュは(日常生活では)デップと同じブランドの鼈甲メガネフレーム(Moscot社製)にデップと同じスモーク・ブルーのレンズをつけたメガネをかけているので、よくデップの弟と間違われる - これがリュリュの自慢なんですが - そうです。
あとニュー・ヨークでは80年代に父親のミュージシャンだったトニー・”サンダー”・スミス(ドラマー)が、リュリュのニューヨークの音楽的「父親代わり」になっていて、同地での音楽的人脈はトニー・スミスを通して拡がっているようです。
芸能人の子は芸能人、と言いますか、幼くして親はそういう準備をしていて、シャルロットが映画の子役からその世界に入っていったように、リュリュも幼くしてバンジャマン・ビオレーのCDに母バンブーと共に声の出演をしたり、2001年の映画Bande du Drugsore(フランソワ・アルマネ監督)にシャンゼリゼの「ドラッグストア」のマスコット役で登場しています。音楽家としてはマルク・ラヴォワーヌのアルバム"Volume 10"(2009年)に初めてコンポーザーとしてクレジットされています。
こういう風にフランスで「アーチスト」として、端役ではなく正式にデビューする機会を窺っているような状態ですが、義姉シャルロットとは違ってメディアの興奮度が今ひとつという感は否めません。
Je suis just l'enfant de Gainsbourg qui commence peut-être à devinir quelqu'un (僕は何者かになり始めているかもしれないゲンズブールの子供)
2010年12月、リュリュは彼のスタッフと共にニューヨークでスカーレット・ヨハンソン(そうです、『ロスト・イン・トランスレーション』の女優さんです)と録音スタジオ入りしています。録音は概ね順調とは言え、リュリュはどうしても満足せず、何度もセッションを繰り返します。そこに居合わせたトニー・”サンダー”・スミスは「おまえはセルジュを思い出させる。おまえは優しいが、自分が望むものが得られるまで、絶対に手を抜こうとしないという暴君の面を持っている」と評したそうです。
音楽アーチスト、リュリュ・ゲンズブールのデビュー・アルバムは、まだタイトルも決まっていませんが、セルジュ・ゲンズブール作品集になります。自分のオリジナルアルバムというのは時期向早と多分親族・近親者・スタッフが判断したのでしょう。親父様の七光りで「土台」を作ってから、という手堅い戦略なのかもしれまっせん。多くの人たちに支えられて「大人」にしてもらうような戦略って、どういうものかな、と思ってしまいますけど。
そのアルバムは編曲とインストルメンタルの一部(ピアノ)と歌はリュリュが担当しますが、歌のデュエット相手として前述のスカーレット・ヨハンセン("Bonnie & Clyde")、-M-ことマチュー・シェディド("Requiem pour un con")、インストルメンタルナンバーとして"Poinçonneur des Lilas"が予定されていて、リュリュのピアノの相方がマヌーシュ・ギターのアンジェロ・ドバールだそうです。その他、このリュリュ版のセルジュ・ゲンズブール・トリビュートへの共演予定者(承前)としてこんな名前が:ジョニー・デップ&ヴァネッサ・パラディ、ノラ・ジョーンズ、ボビー・マクファーリン、ハービー・ハンコック、レイディオ・ヘッド、ジェイ・ジー、ミカ...。春までに録音が終わって、6月には初シングル、夏はアメリカツアー、9月にアルバムリリース、秋から冬にフランス・ツアー、次いで世界ツアー....。
それが成功したら、改めてリュリュ・ゲンズブールのオリジナルアルバムを制作するのだそうです。夢見るのは自由ですがね、こういうお膳立てがあっても、成功するとは限りませんし、アジア系の顔をした「XXXの息子」ということではショーン・レノンのような例もありますし...。
(↓2010年8月28日、アングーレームの映画祭の一環として催されたリュリュ・ゲンズブールの初のコンサートを報じる国営テレビFRANCE 3)