Lilia Hassaine "Panorama"
リリア・アセーヌ『パノラマ』
2023年度リセ生の選ぶルノードー賞(Prix Renaudot des lycéens 2023)
2022年のゴンクール賞候補に上った前作『苦々しい太陽(Soleil Amer)』に続いて、早くもリリア・アセーヌの3作目の長編小説。前作が20世紀郊外シテとアルジェリア系移民という作者に近い距離にあった題材だったのに打って変わって、新作は近未来(2049〜50年)推理サスペンス(フランスで言うところの”Polar")小説である。今日、明るい未来など書く作家はいない。未来と聞いただけでネガティヴなことばかり考えてしまう時代にわれわれは生きているが、おこがましくも「モアベター」を目指すのではなく、「レスワース」な明日を次世代に残すべくわれわれはそれなりの努力をしている、と思う。しかしリリア・アセーヌの描く未来においては、フランスは一旦壊れてしまい、革命(”新フランス革命”!)が起こり、その後20年の歳月をかけて都市構造(それを構成する建築)をラジカルに改造することによって、無犯罪/直接民主主義/全市民協調のユートピア街区があちこちに出来てしまったのある。
主人公で話者であるエレーヌは2050年時点でアラフィフ、ひとり娘のテッサは難しい年頃のリセ生、伴侶のダヴィッドとは関係が冷えていて、小説の途中で別居することになっている。エレーヌの職業は今日の言葉で言えば警官だが、”革命”後警察組織が大幅に変わり(なにしろほぼ”無犯罪社会”が実現してしまったのだから)、警官は"gardien de protection"(保護監視人)と呼ばれるようになった。しかし”警官上がり”で、昔カタギの”デカ”感覚で仕事している。小説はその閑職のベテランデカであるエレーヌに何年ぶりかで”事件”が回ってくるところから始まる。親子3人一家蒸発事件。そのイントロに続いて、この2049年現在の社会ができる契機となったその20年前2029年の”新フランス革命”がどのようなものであったかを描写する6ページが来る。
ジャングルであったわれわれの町々は動物園に変わったのだ(p11)ディストピア文学の古典ジョージ・オーウェル『1984年』(1949年)では全体主義独裁権力によってあらゆるところに仕掛けられたテレスクリーンによってすべての市民が監視されるが、アセーヌのこの小説では独裁者(権力)ではなく地区住民の一人一人がお互いにガラス張り隣人宅の隣人の行動を”肉眼で”監視し合うことで防犯し、安全状態を保つ。この小説では2029年革命ののち、トランスパランス体制のおかげで犯罪が激減し、隣人同士がお互いを知り尽くして調和的共存関係が築かれたことになっている。当然個人同士の”ソリ””嗜好””ジェンダー””社会的身分”などの違いによって、"類は友を呼ぶ"の倣いで地区は別れ、ブルジョワたちがブルジョワ街区を築くように、エコロジスト街区、労働者街区、ゲイ街区などが出来ていき、それぞれの街区が住民たちの直接民主主義でものごとを決めていく。
小説はこの性善説原則の隠し事のない社会、(表面上)透明なユートピアが、ある事件によって、透明性の限界のような不可視のうごめきが露出してくる、というストーリーなのであるが...。事件はパクストン(Paxton)と呼ばれるセレクトなブルジョワ住宅街で起こる。ここにはガラス張り家屋都市計画の発案設計者にして総指揮者である建築家ヴィクトール・ジョアネも住み、彼の肝入りの町づくりの功あって”フランスで最も安全な町”と呼ばれている。2049年11月に起こった一家3人(夫婦+息子)の蒸発はパクストンという最強の安全環境ではありえない事件だった。妻ローズは世界的な名声のある画家で(その収入でこのパクストンには十分に”入居資格”があり)、そのヒモのような夫ミゲルは詩人でそのほか自分のできる仕事を転々として生きる趣味系自由人(これはこの環境とソリが合わないことままあり)、息子で10歳のミロは両親から引き継いだ”芸術家気質”が災いして学校でイジメに合っていた....。昔カタギのデカのエレーヌとその相棒(助手)のニコの懸命の捜査にも関わらず、一家の行方がつかめぬまま、2050年6月、ミゲルとローズが他殺死体で発見される。ミロはどこかで生き延びているのか?...
往々にして作家は未来を描く装いを借りて”現在”を描写するものである。上に要約して紹介した2029年の"REVENGE WEEK"という同時多発復讐殺人暴動は、裁判所や警察が”正義”を執行しない事例が累積した結果への民衆の反乱と読める。インフルエンサーが腐敗した司法に背を向け、SNSによる何百万というフォロワーの”人民投票”を根拠に復讐殺人を実行し、”民意”の圧倒的賛同を得る。まだ復讐殺人こそ起こっていないが、これはほぼ2023年的現実であり、この2023年7月の警官によるナエル(17歳)射殺に抗議する全国的な(未成年者を中心とした若者たちの)大暴動は1週間続いたし、そこでもSNSが持ってしまった強大な威力が見えた。
そして市民たちがお互いを監視し合う社会、これは2019年のコロナ禍の際に長期間続いた外出制限令(コンフィヌマン confinement)の時に、フランス社会は経験している。それまで規制を嫌う個人主義的な国民性と言われ続け、この制限令は多くの人たちによって破られるだろうと思われていた。ところが市民たちは従順にも家の中に閉じこもり、必要最低限の外出には自らが時刻を記入した外出理由書を手に持って1時間以内に帰宅したのだ。これにはフランス人自身が驚き、病禍に対抗する市民の連帯を自画自賛した「フランス人もやればできる」と。これは街頭で警官たちが監視していたことよりも、市民たちがお互いに目を光らせ、外出する者やマスクをしない者をウィルスをばらまく者とみなして見張っていたのだ。この市民による相互監視は、戦争中の日本の”隣り組”と同じ。日本の伝統はあの頃の「非国民」という罵声と同じ響きを持って、今日のSNS上の「反日」指弾につながっている。
で、リリア・アセーヌはこの市民相互監視の社会を2029年のフランス人はセキュリティーのユートピアとして選択する、と想像したのだ。セキュリティー第一主義、これは現在でも雄弁に市民たちを誘惑する考え方であり、ポピュリズムの第一の武器でもある。ただこの小説の市民のセキュリティーは、警察や軍や国家権力が力によって保障するのではなく、市民ひとりひとりの目が守るのだ、という。透明な社会、隣人に隠すものを持たない社会、ガラス張りの社会の実現。
Lilia Hassaine "Panorama"
Gallimard刊2023年8月 240ページ 20ユーロ
カストール爺の採点:★★☆☆☆
(↓)ボルドーの書店Librairie Mollat制作のリリア・アセーヌ『パノラマ』紹介動画
0 件のコメント:
コメントを投稿