2024年4月30日火曜日

追悼ポール・オースター:おめえも来るか

2024年4月30日、米国ニューヨークの作家ポール・オースターが肺がんのため77歳で亡くなった。フランスで最も愛読されるアメリカ作家であり、私も遅いスタートだったが2004年から読み始め、今や本棚には十数冊が並んでいる。そのアメリカ観、世界観、ストーリーのパワーなど本当に教えられるものが多かったし、信頼していた。爺ブログの前身おフレンチ・ミュージック・クラブ(1996 - 2007)では、オースターの2つの作品を紹介していた。下に再録する『オラクル・ナイト』(2004年4月フランス刊)は、私の初オースター体験であった。ちょうど20年前、私はこんなふうに読んでいたのか、と自分発見の再録であったが、総じて文章はちょっとくどい。ごめんなさい。


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これはウェブ版『おフレンチ・ミュージック・クラブ』(1996 - 2007)上で2004年5月に掲載された記事の加筆修正再録です。

Paul Auster "La Nuit de l'Oracle"
ポール・オースター『オラクル・ナイト』


めて読むオースターである。フランスでも今や翻訳が出版されればたちまちベストセラー上位になるという立ち位置にある人気作家で、2004年4月1日刊行の本書も4月3周目現在フランスのフィクション書籍売り上げランキングの4位にある。フィリップ・ロスと並んで、フランス人が最も愛読する現代アメリカ文学作家のひとりであるが、なぜ、こんなに当地で評価が高いのであろうか? 敬愛する友人である吉田実香さんと伴侶のデビッド・G・インバー氏が共著した『90年代アメリカ話題の作家&BOOK』(スパイク社刊1998年)の中のオースターのページの見出しは「ヨーロピアンな生粋のアメリカ人、オースター」となっていて、その欧州的文学性を強調した作家像を紹介している。またそのページの小さな囲みの短い作家プロフィールのところでは「稀有な現代のストーリー・テラー」という位置づけがされている。
 なぜフランスでオースターが好んで読まれるか、ということは最初の数ページを読んで即座に納得できた。これが本物の「ストーリー・テラー」なのだな、と。それがストーリーはひとつではなく、マトリョーシカ人形(ロシアこけし)のように、ストーリーの中からまた違うストーリーが生まれ、そこからまた別のストーリーが派生し、ときりがないほど多くのストーリーが出てくるのである。一編の小説にここまで多くのストーリーを詰め込んでいいのか、あとで収拾がつかなくなるのでないか、と読む方が心配になってくる。地下鉄に乗っていたら、絶対にひと駅ふた駅は乗り過ごすであろう。物語の中から次々と現れる別ストーリーで読む途切れを与えないのだ。とは言うものの、物語内物語、小説内小説は突然途切れ、再開し、また途切れるということを繰り返す。読む者はわくわくすると言うよりは、その中断/再開の不安定なリズムに不安になる。これは字句通りの意味の「サスペンス」(宙吊り状態)の感覚なのだろう。この未決状態がいやだから読者が先へ先へと読み続けなければならない。これがオースターの小説にあっては多元的に宙吊り状態があるのだからたまらない。
 小説の時間は1982年9月、場所はニューヨーク。34歳の小説家シドニー・オアは、一時は死を宣告されるところまで悪化していた病気を長い闘病生活の末に奇跡的に克服し、自宅に戻ってくるが、なかなか創作活動を再開できない。シドニーにはグレースという妻がいて、出版社詰めのグラフィック・デザイナーとして仕事しているが、シドニーの患った大病の入院費/治療費のせいで二人はほぼ破産状態にある。ある日、シドニーは散歩の足をブルックリンまで伸ばし、一度も入ったことのない中国人経営の文具店に吸い込まれるようにして入っていく。そこで彼はポルトガル製の青い表紙の手帳を購入する。この手帳との出会いが、それまで一行の書けなかったシドニーを変えてしまう。デスクに向かい、この手帳を開くと、シドニーの持ったペンが勝手にすらすらと物語を書いてしまうかのように、次から次に創作のアイディアが出てくるのだ。
 シドニーはここでダシール・ハメットの小説『マルタの鷹』にインスパイアされた過去と一切の関係を絶った男のストーリーを書き始める。小説内小説のはじまり。主人公はニック・ボウェンという名のニューヨークの大出版社に勤める有能な編集者。妻を愛しながら倦怠している男。彼のもとに1920年代の著名な女流作家であったシルヴィア・マクスウェルの未発表原稿が、その孫娘から送り付けられる。その原稿の題名は『神託の夜(オラクル・ナイト)』。つまりこの原稿は小説内小説内小説。この原稿を出版社に持ち込んだ女性、つまり作者女優作家の孫娘であるローザにボウェンは一目惚れをしてしまう。そしてその直後、ボウェンは目の前数メートルのところに見舞った落雷と遭遇する。自分はあと一歩間違えば死んでいたはずである。紙一重の死を体験してしまったボウェンはそのショックによって、自分を一旦死んでしまった人間として悟り、過去と絶縁した新しい人間として再生すべく、衝動的に空港に向かい、自分の一度も行ったことのない土地カンサス・シティーへと旅立つのである。カンサス・シティーでの出会い、新しい友情の始まり、ローザへの未練.... 小説説内小説は思わぬ方向へ独り立ちしていくのであるが....。
 シドニーはわれに還ると、青い手帳の魔力を恐れる自分があり、またグレースとのなぜか釈然としない夫婦関係がある。またシドニーの親友で20歳以上年長の著名作家ジョン・トラウスとの、敬愛もあり、コンプレックスもあり、文学観哲学観の相違もままあるという複雑な友情関係がある。しまいにはこれがグレースをめぐる三角関係であったということが明らかになるが、シドニーはそれを小説最終部になるまで気がつかない。袋小路と迷宮はいたるところにあり、青い手帳を売っていた中国人文具店は忽然と消えてなくなり、妊娠を喜ばない妻グレースは謎の不在の一夜を過ごし、小説内小説の主人公は冷戦時代に作られた核シェルターの中に閉じ込められ、苦しい家計を救う臨時収入となるはずだった映画シナリオはボツにされ、親友トラウスの息子は情緒の欠落した凶暴なジャンキーとなってシドニー夫婦を執拗に攻撃してくる....。そのほか枚挙したらきりがない無理難題をたくさん抱えながら小説は進行する。

 おフレンチ・ミュージック・クラブ『今月の一冊』でこれまで紹介してきたフランスの本とは違って、このアメリカ小説は近々に邦訳が刊行されるであろうから、これ以上の内容説明は控えよう。世界で数百万部読まれているエンターテインメント小説を、何もここでかいつまんで筋を明かす必要などない。
 レクスプレス誌の書評の表現を借りると、オースターは”Thriller métaphisique"(形而上的スリラー小説)という新分野を開拓した人なのだそうだ。よくわからない分野であるが、なんとなく雰囲気はつかめる。この小説でもオースターは無理難題/袋小路をほうぼうに配置しているのであるが、その綿密に計算された構成は名人芸と言うしかないものではあるとは言え、無理難題はゲーム的にひとつひとつ解題/解決されていくわけではない。ほとんど宙吊りのまま放っておかれるのだ。読者は小説内小説の成立に立ち会うかのような期待を持たされるのであるが、小説内小説は中断され、その主人公は核シェルターの中で永遠に助けを待ち続けることになる。青い手帳の魔力もそれが何であったのか、答えはない。文学はそのようなものでは成立しない、というオースターなりの答えなのかもしれない。そして、この小説の核心のそのまた核であるかのような印象を持たせる小説内小説内小説の『オラクル・ナイト』は、最終的になんら中心的な役割を果たしていない。文学においてオラクル=神託など真ん中に持ってきてはいけないのだ、ということか。神の不在はここでも大いなる不安となってこの小説を支えている。
 小説が成立しようとすると、存在が壊れ始める。小説家シドニーの生きたドラマはこれである。作家は身を切られる思いで小説を書いているのではない。実際に身を切られてしまうのである。小説内小説が成立しないのは、その身の切られ方が足りないからだ。この点で言うならば、この小説はメタフィジックであるよりもフィジックなスリラーとして読まれることになる。
 初めて読んだオースターであった。この盛り沢山なストーリーの塊を前にして、これが世界で数百万部のエンターテインメントであることは容易に納得できたが、それだけではすまないだろう。私の知らない現代アメリカ文学は恐ろしい重厚さを持っているようで、もっともっと読まれなければならないと痛感しながら.... また次回。

Paul Auster "La Nuit de l'Oracle(Oracle night)"
Actes Sud刊 2004年4月 220ページ 20ユーロ


(↓)2020年のYouTube投稿で、ポール・オースターのインタヴュー日本語字幕つき「小説家になるには」


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