2022年4月26日火曜日

みんなびんぼのせいや

Ricchi e Poveri "Che Sarà"
リッキ&ポーヴェリ「ケ・サラ」


詞:フランコ・ミリアッチ
曲:ジミー・フォンタナ、カルロ・ペス、リリ・グレコ
1971年サン・レモ音楽祭2位

2022年的今日の最大の問題は「格差」である。テスラの社長が地球規模のSNSまるごと買って好き放題しようというニュースを聞くや、われわれ貧乏人はなぜそれを黙って看過するしかないのか。リッキ・エ・ポーヴェリ(直訳では”金持ちと貧乏人”、1967年ジェノヴァで結成)とはあの頃笑って済まされたグループ名だったのだろうか。南欧の半島国から出たこの男女4人組は、それより数年遅れて北欧の半島国から出てくる男女4人組 ABBAの先駆だったように思えるが、かたやサン・レモ、こなたユーロヴィジョン、欧州の人気を二分した歌謡音楽祭でめきめきその名を世界にしらしめた両グループ、後者が桁違いな地球規模のメガヒットスターに昇格するのに、前者が叶わなかったのは、私は「ポーヴェリ」が原因だと確信的に思っている。「みんな貧乏のせいや」と岡林(1971年!)は歌ったが、一理も二理もあることなのだ。

 時は1971年2月、俳優/歌手/ベストセラー作家と活躍中だったジミー・フォンタナ(あの頃の源氏名、ジョニー・ハリデイやロイ・ジェームズの類、本名エンリコ・スブリッコリ 1934 - 2013)が作曲した「ケ・サラ」が第21回サン・レモ音楽祭本選会の晴れ舞台で、2回にわたって(2組のアーチストによって)披露されるという栄誉を得る。まずジェノヴァからやってきた女二人+男二人の四声ヴォーカルグループ、リッキ・エ・ポーヴェリ。そして既に北米とラテンアメリカでスーパースターになっていたプエルトリコ人ギタリスト/シンガーのホセ・フェリシアーノ(1945 -  。当時プレスリー以来のRCAレコードのドル箱)。カンツォーネが"ワールドミュージック”扱いされていなかった頃、「ボラーレ」「チャオチャオバンビーナ」など世界的ヒットの発祥地として権威を高めていた同音楽祭が、その絢爛豪華性をさらに強調しようと米欧の国際級スターを続々参加させていた頃。「ハートに火をつけて」が1968年のミリオンヒットで、当時ホセ・フェリシアーノは英語&スペイン語スターなのだが、ここで大胆にイタリア語デビューへ。
 そしてジミー・フォンタナ同様俳優としても知られる作詞家フランコ・ミリアッチ(1930 - )が用意した詞が「ケ・サラ(Che Sarà)」ときたもんだ。ちょっと待て。「ケセラセラ」ではないのか?と思ったムキも多かったろう。ヒッチコック映画『知りすぎていた男』でドリス・デイがこの歌を歌ったのが1956年のこと。Whatever will be, will be. 起こるべきことは起こる。Que sera, sera。これはスペイン語である。この歌であまりにも有名になったこのスペイン語常套表現にミリアッチは対抗するつもりがあったのだと思う。この年イタリアは大胆だった。 E sarà, sarà quel che sarà 起こるべきことは起こる、エサラ、サラクエルケサラ。世界中の人はスペイン語ケセラセラのようには覚えられなかったが、「ケサラ、ケサラ、ケサラ」の最初の三連発だけはしっかり記憶したと思う。Italians do it better.

(↓)リッキ・エ・ポーヴェリ「ケ・サラ」1971年サン・レモ音楽祭


(↓)ホセ・フェリシアーノ「ケ・サラ」1971年サン・レモ音楽祭

ではイタリア語歌詞とその日本語訳。

Paese mio che stai sulla collina
おまえ、丘の上の私の村よ

disteso come un vecchio addormentato,

眠った老人のように横たわっている

la noia, l'abbandono, il niente

倦怠と虚無がおまえを捨てたんだ

son la tua malattia,

それがおまえの病い
paese mio, ti lascio io vado via.

私の村よ、私はおまえを捨てて去っていく

Che sarà, che sarà, che sarà,
どうなるのか、どうなるのか、どうなるのか
che sarà della mia vita, chi lo sa?

私の人生がどうなるのか、誰が知っている?
So far tutto o forse niente da domani si vedrà

私は何でもできるが、明日からは何もできないかもしれない、どうなることか
e sarà, sarà quel che sarà.

そして起こるべきことは起こるのさ

Gli amici miei son quasi tutti via
友だちはほとんどみんな去って行った
e gli altri partiranno dopo me.

他の人たちも私に続いて去るだろう
Peccato perché stavo bene, si,

残念だね、みんなの仲間の一員として
in loro compagnia

私はしあわせだった
ma tutto passa, tutto se ne va.

でもすべては過ぎ去り、行ってしまう

Che sarà, che sarà, che sarà,
どうなるのか、どうなるのか、どうなるのか
che sarà della mia vita, chi lo sa?

私の人生がどうなるのか、誰が知っている?
Con me porto la chitarra

私はギターを道連れに
e se la notte piangerò

夜に涙する時には
e una nenia di paese suonerò.

私の村のメロディーを弾くんだ

Amore mio ti bacio sulla bocca,
恋人よ、おまえの唇にくちづけた
che fu la fonte del mio primo amore.

それが私の初恋の始まりだった
Ti do l'appuntamento come e quando non lo so,

いつどこでと言えずに再会の約束をした
ma so soltanto che ritornerò.

私は戻ってくると確信してたから

Che sarà, che sarà, che sarà,
どうなるのか、どうなるのか、どうなるのか
che sarà della mia vita, chi lo sa?

私の人生がどうなるのか、誰が知っている?
Con me porto la chitarra

私はギターを道連れに
e se la notte piangerò

夜に涙する時には
e una nenia di paese suonerò.

私の村のメロディーを弾くんだ

Che sarà, che sarà, che sarà,
どうなるのか、どうなるのか、どうなるのか
che sarà della mia vita, chi lo sa?

私の人生がどうなるのか、誰が知っている?
Con me porto la chitarra

私はギターを道連れに
e se la notte piangerò

夜に涙する時には
e una nenia di paese suonerò.

私の村のメロディーを弾くんだ

Che sarà, che sarà, che sarà,
どうなるのか、どうなるのか、どうなるのか

che sarà della mia vita, chi lo sa?

私の人生がどうなるのか、誰が知っている?
So far tutto o forse niente da domani si vedrà

私は何でもできるが、明日からは何もできないかもしれない、どうなることか
e sarà, sarà quel che sarà.

そして起こるべきことは起こるのさ

Che sarà, che sarà, che sarà,
どうなるのか、どうなるのか、どうなるのか
che sarà della mia vita, chi lo sa?

私の人生がどうなるのか、誰が知っている?
Con me porto la chitarra

私はギターを道連れに
e se la notte piangerò

夜に涙する時には
e una nenia di paese suonerò.

私の村のメロディーを弾くんだ

Che sarà, che sarà, che sarà,
どうなるのか、どうなるのか、どうなるのか

che sarà della mia vita, chi lo sa?

私の人生がどうなるのか、誰が知っている?
Con me porto la chitarra

私はギターを道連れに
e se la notte piangerò...

夜に涙する時には...

 

日本で訳詞岩谷時子/歌越路吹雪で知られているヴァージョンが持ってしまったオプティミスティックな人生論とはかなり異なるものがある。まずこの歌の出発点は故郷の村を出ていくことであり、そこを捨てて新しい土地でこれから何が起こるのか、決して楽天的に考えていないことが読み取れる。イタリアで村から出ていくという現象、これは産業革命期、ファシスト圧政期、19〜20世紀にはよくあったことだった。戦後の高度成長期の後半とは言え、60/70年代でもイタリアの地方部からはフランスなどに”移民”する人たちは少なくなかった。私のような東洋人と同じでイタリア人もフランスでは滞在許可証が必要だったのだよ。「ケ・サラ」はひょっとしたら"移民の歌”なのかもしれない。なぜ移民しなければならないのか。それは「ポーヴェリ」のせいなのだよ。その含みを汲み取って、もう一度この歌を聞き直していただきたい。

(↓)サン・レモ1971から50年後、2021年2月、リッキ・エ・ポヴェーリとホセ・フェリシアーノのヴァーチャル合体ヴァージョンによる「ケ・サラ」が実現。むむむ... なんだかなぁ、We are the world風なエモーション


(↓その擬似TVライヴヴァージョン)


(↓)年代は特定できないけれど多分2010年代、パリのニューモーニングでのホセ・フェリシアーノ。「ケ・セラ Que sera」と歌っている部分がスペイン語ヴァージョン、「ケ・サラ Che sara 」と歌っているのがオリジナルイタリア語ヴァージョン。どっちでもかまわん、という反応のパリの聴衆たち。


(↓)1972年人気絶頂時のマイク・ブラント(1947 - 1975)によるフランス語カヴァー "QUI SAURA(キ・ソラ)"、フランス語詞はミッシェル・ジュールダン


(↓)リクオ「ケ・セラ」(2006年ライヴ)、歌い過ぎだと思うよ。

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