『プティット・ママン』
2021年フランス映画
監督:セリーヌ・シアマ
フランスでの公開:2021年6月2日
(イントロ:さよならを教えて)
最愛の祖母が収容されていた高齢者施設、祖母の部屋と同じフロアーの老人たちひとりひとりに8歳の少女ネリー(演ジョゼフィーヌ・サンズ)は「オ・ルヴォワール(さようなら)」と挨拶し、老人たちは「オ・ルヴォワール」と返しの挨拶をする。オ・ルヴォワール、オ・ルヴォワール...。しかし祖母の部屋には空のベッド。ネリーは最愛の祖母にオ・ルヴォワールが言えなかったことを悔やんでいる。それが最後のオ・ルヴォワールになることを知らなかったから。それを知っていたら、私は上手にオ・ルヴォワールを言うことができただろうか。少女はお別れを言えなかったから、その死別を受け入れられないでいる。機会を失ったさようなら。
(幸せな愛などない)
ネリーの母マリオン(演ニナ・ムーリス)は、その母の遺品を整理するために夫と娘と共に郊外の母の家(それはマリオンが生まれ育った家でもある)にやってくる。死んだ祖母は娘マリオンの少女時代のもの(作文ノート、玩具、宝物...)をすべて保管していた。その母の少女時代のノートを横目で見ながら「つづり間違いが多いわね」と見抜くネリーだった。少女は祖母の形見にと脚の悪かった祖母がずっと使っていた杖をもらう。幸せな愛などない。映画を観る者たちにはそのディテールは明かされないが、マリオンはその母を失った悲しみだけでなく不幸なのだった。そしてその母の家の整理を半ばにして、姿を消す。夫と娘は予めそれを承知していたかのように驚かない。重いけれど優しく過ぎる父と娘の時間。近くには森があり、母が小さい頃よく枝を集めて束ねた三角小屋を作って遊んでいた、と。父が家の整理をしている日中、ネリーはその森へ行ってひとり遊び。すると...。
(アミティエ)
ネリーと同じ年頃、同じ身の丈の少女(演ガブリエル・サンズ)が、森に落ちている長い枝を何本も集めてきてコーン状に立てて小屋を作ろうとしている。「ねえ、手伝ってよ!」と少女はネリーに呼びかける。電撃的なアミティエの始まり。少女の名前は”マリオン”。ネリーと同じ青い目、同じ波打つ長い髪、同じ声、目印を探すとすればいつもヘアーバンドをしている方がマリオン。日本語では瓜二つ。フランス語では deux goutes d'eau(水の二滴)。しかし徐々にわかっていくように、この二人の少女には30年ほどの時の隔たりがある。それを徐々に発見していくのはネリーであり、マリオンとネリーが森の中に作っている枝小屋から片方に進めばネリーの祖母の家があり、その逆に進めばマリオンとその母(演マルゴ・アバスカル。確かにニナ・ムーリスと似ている)があり、二つの家は同じ間取り、同じところに台所、トイレ、サロン、子供部屋がある。マリオンの母は脚が悪く、歩くのに杖を必要とするが、その杖は...。
テレラマ誌(2021年6月2日号)のインタヴューでセリーヌ・シアマは、この二つの世界が時代の兆候を感じさせるようなディテールを極力排して構想されたと言っている。すなわち二人の少女は30年前も今も変わらないような子供服を着ているし、二人が遊ぶのはモノポリー・ゲームやトランプカードであり、スマホやパソコンや薄型テレビなどは登場しない。
こうしてこの映画は特撮一切なしに時間を超えた二つの世界を出会わせたのだ。森のこちら側と向こう側にある二つの家は同じ家である。知っているのはネリーだけ。大の仲良しになった二人の8歳の少女は語り合い、マリオンの夢は女優になることだった。二人の想像力は探偵物語を創作し、その対話劇を二人で演じるのである(この劇中劇が素晴らしい)。そしてネリーだけが、この夢のような時間に終わりがあることを知っている。
その母が脚を悪くした病気を遺伝で受け継いだマリオンは、症状の悪化を防ぐために難しい手術を受けなければならず、入院のためにこの家を離れなければならない。ネリーは父との祖母の家の片付けがほぼ終わり、この家から出て自分の家に戻らなければならない。終わりが近づいたと観念したネリーは、思い切ってマリオンにその秘密を告げる「わたしはあなたの子供なの」。マリオン「あなたは未来から来たの?」 ー
(旅立ち Partir quand même)
祖母に言えなかった「オ・ルヴォワール」をネリーは小さなママンに。そして大きなママンは...。
カストール爺の採点:★★★★★
(↓)『プティット・ママン』予告編
(↓)セリーヌ・シアマ監督が語る『プティット・ママン』のあらすじ
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追記(2021年6月9日)
テレラマ誌2021年6月2日号の巻頭インタヴューでセリーヌ・シアマが登場、6ページに渡って『プティット・ママン』を中心に語っています。敬愛する映画作家として宮崎駿の名前をあげるシアマが、この『プティット・ママン』制作中にもアニメ巨匠にヒントを求めたことや、この映画がコ禍を体験した子供たちへの緊急のメッセージであったことなど。部分訳してみました。
(コンテクスト:『燃ゆる女の肖像』で近世のブルターニュを舞台にした大作を“演出”したにも関わらず、それよりも脚本=シナリオが評価されて、カンヌ映画祭脚本賞を受賞したことに、あえて逆らうように『プティット・ママン』は少人数・少場面で“演出”がダイレクトにものを言うような映画を作ったということについて)
(翻訳はじめ)
テレラマ:この純粋に”演出“を前面に出した映画にしたことは、2019年カンヌ映画祭で脚本賞を受賞することによって以前に増して「脚本家シアマ」というレッテルを貼られたことへのひとつの返答なのですね?
セリーヌ・シアマ「脚本を書くこと、それはそれ自体としてどう演出するかを書くことなのです。だから私は『燃ゆる女の肖像』が受けたこの賞についてとても誇りに思っていますよ、この脚本を書くのに私の人生のうちの5年を費やしたのですから。『プティット・ママン』については、この少女がその子と同じ歳だった頃の自分自身の母親に出会い、一緒に時を過ごすというコンセプトは、神話あるいは古代の民話に通じるものだという印象がありました。このような物語を作ったのは私が最初かどうかは知らないけれど、私は最大級のシンプルさを追求する上で、私が初めてというつもりで制作しました。映画において『バック・トゥー・ザ・フューチャー』のようなしかたで時空間を旅することは、往々にして(過去の)修正やヒロイズムにのみ換算されてしまいます。それに対して私は、この時間の旅を観る人たちにとってとても親密なものにしようと試みたのです。私がつくったこの映画自体が、時を旅するおもちゃ箱であるかのように、いくつかの単純な目印を置いておいてね。ある木の切り株を境界線にして、時の二つの側にある同じひとつの家、とか。」
テレラマ:子供向けの映画にもしようという意図も?
セリーヌ・シアマ「『プティット・ママン』に関して、私は細田守の『おおかみこどもの雨と雪』のようなアニメ映画を思ったりしてました。そして撮影に入ったら、いくつかの案に迷っていると、私は“この場合宮崎(駿)だったらどうするかしら?”としょっちゅう自問したものでした。私は大人にも子供にも同じように観られ大切にされる映画にしたかったのです。同じ感動で大人と子供を結びつけ、親と子という垂直な関係を排して、水平な関係、平等な関係が作れるような。あえて言えば、大人と子供の連帯にいたるものです。私は子供たちが真剣に捉えられるようなフィクションを子供たちに提供しなければならないという緊急性を感じたのです。この(コ禍の)月日に体験したすべてのことについて子供たちに語り、「お別れ」を言えなかったことや、自分たちの親という神秘についても。撮影の間中、私にはいつもひとつのイメージが頭の中にありました。ひとりの大人とひとりの子供がこの映画を観たあと映画館を出て、バスに乗り遅れまいとして一緒に走り出す。その走り方は以前と同じではない、二人は以前と違うように手を繋いで走っている...。」
(P.4 Télérama no.3725 02/06/2021)
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