2025年1月5日日曜日

爺ブログのレトロスペクティヴ 2024

 


2024年6月11日、フランソワーズ・アルディが亡くなった。

始恒例となった爺ブログのレトロスペクティヴ、2024年に掲載された記事の中からビュー数の多かった順で上位10位の記事を振り返り、1年を回顧します。2024年に発表した記事の数はなんとたったの42本しかなく、近年は50〜60本を越えていたのに、42本というのは2016年(つまり、病気前の現役バリバリで仕事していた頃)の水準まで落ちてしまったというわけです。言い訳をさせていただくと、発表本数は42でも、発表せずに”書きかけ”で管理ページに残っているのが16件もあって、端的に言えば、書けなくなっているのです。根気の問題もあれば、日々喪失している日本語力の問題もあります。そんな中で、私にとって最も重要で最も深く”つきあってきた”アーチストのひとり、フランソワーズ・アルディが80歳で亡くなった時、私はなんとしてでも「ちゃんとしたもの」を書いて追悼しなければ、とかなり苦しんでいた。とりわけ”La Question"(1971年)、”Message Personnel"(1973年)、"Le Danger"(1996年)の3枚のアルバムを繰り返し繰り返し聴き直し、私はこの人の”人生”ではなく「音楽と詞」への最大のオマージュを捧げようとしていた。これだけで”書きかけ”4件。... 果たせなかった ...。このことが象徴しているように、私はしみじみ”衰え”を身にしみて感じている。誰に依頼されているのでもない、自分のための記録ではあるが、つきあってくださる皆さんがいることは励みになっています。ありがたいことです。
  2024年7月8月、パリ・オリンピック&パラリンピックはテレビのみの”参加”だったけれど、ああ、フランスに生きていてよかったなぁ、と思える稀有な瞬間の連続であった。長生きして本当によかった。
 映画は共に”文学”絡みだけれど、クリスティーヌ・アンゴの初監督セルフ・ドキュメンタリー『ある家族 Une Famille』と、ニコラ・マチュー2018年ゴンクール賞作品の映画化『彼らの後の彼らの子供たち』(リュドヴィック&ゾラン・ブーケルマ監督)が、最も強烈に印象に残った2作だった。

 音楽では、(これまた書きかけで止まってしまったのだけど)85歳ブリジット・フォンテーヌの新作アルバム『ピック・アップ』がことのほか嬉しかった1枚。世の人たちすべての傾向だと思うが、音楽をアルバム単位で聴くことが本当に少なくなった。LPは(操作が)面倒臭いと思ってしまう人間のひとりである。聴き続ける気力を維持したいが、それよりも刺激のある新しい音楽が欲しい。10〜12トラック/35分〜45分のスケールで。
 文学は2024年はゴンクール賞ルノードー賞もすごい作品だったので実りある1年だったと思う。とりわけガエル・ファイユ、私はうれしくてたまらん。そしてこれも書きかけ止まりなのだが、自身と家族の暗部と傷と雪解けの可能性ばかりを書き続けてきたエドゥアール・ルイの最新作『崩壊(L'Effondrement)』(38歳でボロボロの死を遂げた異父兄の人生の再検証)は、やはり(時間がかかっても)ちゃんと紹介せねばと思っている2024年最重要作品です。

 では2024年爺ブログのレトロスペクティヴ、1年間多くの人たちに読まれた記事10本です。

(記事タイトルにリンク貼っているので、クリックすると該当記事に飛べます)


1. 『小説ミドリ事件(2024年3月18日掲載)
在東京のフランス人ジャーナリスト西村カリンの初の小説作品。2月にフランスの死刑廃止を成し遂げたロベール・バダンテールが亡くなり国葬→パンテオン入りを果たし、日本で死刑囚袴田巌が58年かかって無罪を勝ち取った、という年(=2024年)のタイミングで発表された、日本の死刑制度の現状をひとつの事件(自分の子3人を殺した福島県双葉町出身のシングルマザー)に立ち会いながら照射する勇気ある小説。ジャーナリストとしてではなく、”作家”として書きたかった著者の強い思いがよく伝わってくる。日本人にこそ読んでもらいたい書であるが、日本での出版予定はあるのだろうか? とにかく当ブログ記事は2024年で最も反響のあったものであり、西村カリンさんへのささやかな援護射撃になったのではないか、と思っているのだが、どうだろうか?

2. 『追悼ポール・オースター:九分九厘の幸福(2024年5月1日掲載)
2024年4月30日、77歳で亡くなったニューヨークの作家ポール・オースターの追悼の意を込めて(2004年と2006年に書いた)二つの過去記事を再録したものの一つ。現代アメリカ文学など全くの門外漢である私であるが、オースターだけは熱心に読んでいた。門外漢の書くオースター紹介であるが、現在まで爺ブログには5本のオースター記事があり、いずれも多くの人に読まれている。20年も前に書かれたものでも、である。オースターの最後の小説『ボームガートナー』(2023年)に関しては、ちょっと遅れて7月31日に(思いを込めて)(”追悼ポール・オースター3”として)長い紹介記事を掲載したのだが、これが夏の時期だったせいか、オリンピックの真っ最中だったせいか、少数の読者にしか読まれていない!オースターの最後に相応しい力作なので、ぜひ読んでみてください。

3. 『追悼ポール・オースター:おめえも来るか(2024年4月30日掲載)
ポール・オースターが亡くなった日に、どうしていいのかわからなくなり、とっさに私のオースター初体験のことを書いた20年前の記事(Web版”おフレンチ・ミュージック・クラブ”に初出)を再録することにした。そう、これも私が”書けなくなった”証拠で、2024年の爺ブログでも「ラティーナ」、「エリス」、「おフレンチ・ミュージック・クラブ」に書いた記事をちょくちょく再録して、お茶を濁すという傾向があった。あまり感心できない傾向ではあるが、この20年前の記事にしても、自分がこんなことが書けたんだ、という大きな驚きがある。私の日本語は今よりずっと確かで豊富であった。まるでモノ書きのようではないか。オースターを初体験した衝撃と長いつきあいの始まり、私はこういう自分であったことを忘れて久しいようだ。だからたまにこうやって過去と再会することが必要なのだ。長いつきあいと言えば、この記事のコメントで、本当に長いつきあいになってしまった吉田実香さんが登場している。また楽しからずや。

4. 『ちびのフランチェーゼと呼ばれた天才彫刻家の愛と死とイタリア(2023年12月30日掲載)
2023年ゴンクール賞小説、ジャン=バティスト・アンドレア著『彼女を見守る Veiller sur elle』の長編600ページをほぼ紹介してしまう長〜いネタバレ記事。記事中で重ねて強調しているが、この作品はゴンクール賞らしからぬ大衆エンタメ小説である。フランスで60万部売れ、世界34ヶ国語で翻訳されているそうだが、日本語版はどうなっているだろうか?映画化が決まり、2026年公開で制作進行中だそう。超一流のエンタメ映画になるのであろう。2024年フランスの大衆映画のチャンピオンは『モンテクリスト伯』(デュマ原作)であった。そして2024年12月に修復完成再開院したノートルダム大聖堂に因んでヴィクトール・ユゴー『ノートルダム・ド・パリ』は再び驚異的ベストセラーになった。われわれはこういう”大絵巻物”系ストーリーに弱いところがあるのだね。エンタメ特有の金銭臭もぷんぷんするのだが。

5. 『余は如何にしてルワンダ人となりし乎(2024年9月20日掲載)
2024年ゴンクール賞選考で最後までカメル・ダウード『天女たち』と競り合い、最終的にルノードー賞を獲得したガエル・ファイユ『ジャカランダ』の超長いネタバレ紹介記事。第1作目の長編小説『プティ・ペイ』(2016年)はルワンダの隣国ブルンジを舞台にした迫り来る内戦と大虐殺を少年の視線で捉える作品だった。『ジャカランダ』はフランスのヴェルサイユでテレビニュースを通してしかルワンダ大虐殺を知らなかったフランス/ルワンダ混血少年が、後年ルワンダ現地でその悲劇を再検証していく、1994年から2020年までルワンダなるものを自分の血と肉としていく青年ミランの魂の軌跡。夫と子供を虐殺で失いそれでも人道活動に奔走する女性ウゼビ、その祖母で115歳で往生したルワンダ立国から現代までのすべての歴史を記憶しているロザリー、そのロザリーの曾孫でロザリーの記憶を書き残そうとする少女ステラ、この3人の女性の素晴らしさが、この小説の重要な説得力であり、小説をアフリカ女性讃歌にも高めている。文句なしの★★★★★。

6. 『Jay le taxi, c'est sa vie(2024年11月18日掲載)
単独親権の国ニッポンにあって、日本人妻によって子(娘)から引き離されてしまったフランス人夫の「娘との再会」悲願達成なるか、という一見(国際)社会派映画。ベルギー人ギヨーム・スネ監督『Une part manquante (また君に会えるまで)』(日本語を話すロマン・デュリス主演)。爺ブログでは取り上げる作品を低く評価したり貶したりということは非常に珍しい。日本が絡んでいるからという理由で神経質になるほど私はウヨクではない。だが、ちょっとひどい映画。2024年は日本関連ではイザベル・ユッペール主演の『Sidonie au Japon(シドニー、日本で)』という映画も紹介しているが、これもどうしようもなくひどい映画で...。これもそれもヴェンダース『パーフェクト・デイズ』症候群なのだと思うのだが、私は『パーフェクト・デイズ』はちゃんとした評価してましたよ。

7. 『やりすぎたらバランスが壊れる(2024年4月14日掲載)
濱口竜介の『悪は存在しない』は、プレス評では賛否両論あった映画だが、私の周囲のフランス人の間では否定論がほとんどで、『ドライブ・マイ・カー』を絶賛した人たちの落胆は大きかったようだ。まあフランスでの観客の入りも今ひとつだったし、新聞雑誌の12月の年間映画回顧でこの映画を持ち出すところは皆無だった。爺ブログは好意的に評価しましたよ。この映画のプロモーションで言われた「エコロジカルな寓話」というキャッチコピーだけれど、その方面を強調するのであれば、ある種のわかりやすさが要求されるのだと思う。カオス、カタストロフが結論部にある”寓話”などありえない。初めからこの映画は寓話などではなかった。観る者の思い込みをくつがえすのも映画の力だと私は思った。濱口が当代で最も突出した映画作家の一人であることには疑いの余地はない、と言ってしまおう。

8. 『1990年、ドロン vs テレラマ(2024年8月21日掲載)

8月18日、アラン・ドロンが死んだ。私にとってこれはほとんどどうでもいいニュースだった。その超巨大なエゴに嫌悪感すら抱いていた。芸能界に迎合的なメディアを除けば、この希代の大俳優は触れることを避けるべき厄介な存在であった。1990年(34年前)硬派の文化批評誌テレラマの(当時若手の)女性ジャーナリスト、ファビエンヌ・パコーは果敢にもこの怪物にインタヴューすることに成功するが、その内容は...。なお、この死の時期に、爺ブログでは2023年5月の掲載以来、驚異的なビュー数を記録しているアリ・ブーローニュ(歌手・マヌカンのニコの息子で、認知されていないが父親はドロンと主張していた)の記事(これも2001年におフレンチ・ミュージック・クラブに書いたものの再録)が再びビュー数を急上昇させ、現在累積9000ビューを超えて、爺ブログ歴代4位になっている。これは日本の読者のドロンへの関心の高さ、ということをこのブログでも証明しているのだね。

9. 『華麗なるアンドレ・ポップの世界・その1(2024年7月12日掲載)
作編曲家/楽団指揮者アンドレ・ポップ(1924 - 2014)の生誕100年没後10年の記念CDボックスを入手したのがきっかけで、ちょっとまとめて紹介しようかなと思って始めた記事。これも”書きかけ”(トム・ピリビ、ポルトガルの洗濯女、恋はみずいろ、マンチェスターとリバプール...)が4本あり、まだまだ書きたいとは思っているのだけれど...。”Song for Anna(天使のセレナード)"はウクレレ奏者ハーブ・オオタ(オオタ・サン)による世界的大ヒットということと、ポール・モーリア楽団等のオケものイージーリスニングのスタンダードということは知られていても、アンドレ・ポップの曲だということはあまり知られていない。そういう目立たなさがアンドレ・ポップの魅力でありましょう。

10.『華麗なるアンドレ・ポップの世界・その2(ジェーンBの命日に)(2024年7月16日掲載)
ジェーン・バーキンが76歳で亡くなった日の一年後に書いた記事。1974年のジェーン・Bのシングル「マイ・シェリー・ジェーン」は、詞ゲンズブール、作編曲アンドレ・ポップという珍しい顔合わせ。記事は”芸能人形”のようであった1970年代のジェーン・Bと、「栄光の30年」の終焉期のフランスについても言及している。日本、英米を含めて1970年代はテレビが色々な文化事象を牛耳ると同時に低俗化したと私は思っているが、レコード音楽業界が限りなく巨大化したのもこの時期で、そういう時代に「大ヒットメイカー」のような目立ち方をすることなく、職人芸でこの世界の土台を固めていたような人物がアンドレ・ポップだったのではないかな。この「華麗なるアンドレ・ポップの世界」のシリーズは2025年に必ず再開させます。刮目して待て。

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