最悪になった父アハメドとの関係、アシルの世界との決別と逃走、夜のパリを彷徨い、バスチーユ運河沿いの灌木の下に身を隠し野宿するイブラヒム。しかし救済の手がかりは見出される。宿無し(父親のいる自宅に帰れない)のイブラヒムを匿ってくれたのは、職業リセの同級生の少女ルイーザ(演ルアナ・バジュラミ、2001年コソボ生まれ)で、この一人暮らしで独立心が強く勝気な娘が、イブラヒムに違う新しい道へと導いていく...。 映画の中で最も美しいシーンは、ルイーザに連れられてバスチーユ広場中心の「7月の円柱」(高さ50メートル、てっぺんに「自由の精 Le génie de la liberté」像)の内部螺旋階段を登って、二人で頂上からパリを眺望する、というともすれば月並みに取られてしまいそうな図であるが、わぉっ、パリ12区の暗部しか見ずに生きてきた少年が、革命と自由を象徴する塔の上で、やっと広い世界が見えるようになるのである。しかもルイーザと二人で。感涙してしまうではないか。 (この映画の翌日に観た『ガガーリン』で、同じように最も美しいシーンは、主人公の黒人青年とロマの娘が、建設工事現場のタワークレーンのてっぺんの運転室に登り、郊外上空からパリを見下ろす、という図。塔の高みからずっと世界を見渡せば、一挙に何かが変わるセンセーション。同じような感涙シーン)
ムッスー・テ&レイ・ジューヴェンが両大戦間1930年代のマルセイユ歌謡をカヴァーした異色作『オペレット』を発表したのは、今からちょうど4年前の2014年7月のこと。このアルバムについてのタトゥーへのインタヴューは本誌2014年8月号の当連載記事に掲載されたが、そのインタヴューは2014年サッカーW杯ブラジル大会の真っ最中に行われていて、そのテレビ中継(ブラジル vs チリ戦だった)を横目で見ながらの落ち着かない質問のやりとりだった。その大会でフランスは準々決勝でドイツに敗れて消え、勝ったドイツが7月13日の決勝でアルゼンチンを下して世界一になった。4年後今年のロシア大会で7月15日決勝でクロアチアを破り、われらがレ・ブルーは二度目の世界チャンピオンに輝いた。この気分が上々の時に、タトゥーが新作『オペレット・2』(フランス発売10月19日)の製品見本と沢山の資料を送ってきた。浮かれてないで仕事しよう。
Massilia Sound System "Sale Caractère" マッシリア・サウンド・システム『性悪』
2014年の青いアルバム『マッシリア』から7年後、マッシリア・サウンド・システムの9枚めのアルバム『サル・キャラクテール』である。前々作『ワイと自由』が2007年であるから、同じように7年のインターヴァルを置いてマッシリアは還ってきた。2014年、前作『マッシリア』、ドキュメンタリー劇場映画『マッシリア・サウンド・システム:ル・フィルム』(クリスチアン・フィリベール監督)、400ページの大著評伝"Massilia Sound System - La Façon de Marseille"(カミーユ・マルテル著)、そして全国ツアーで結成30周年(一応1984年結成ということになっている)を祝ったこの中高年たちがまた還ってきた。なぜ還ってくるのか。それは私が7年前アルバム『マッシリア』の紹介記事にも書いたことだが、マッシリアがいくら30+α年間がんばってきても、その地盤マルセイユ(およびプロヴァンス、ひいてはオクシタニア)は少しも良くなっていないどころか、日に日に悪くなっているということに、この中高年バンドは黙っておれないからなのだ。
新アルバムの音楽的屋台骨は「ラバダブ Rub a Dub」である。すなわち1970年代ジャマイカのダンスホール・サウンド・システムの原初的なレゲエ・ルーツのスタイルに立ち返って、ということなのだ。ヴィンテージな機械と電子楽器のリディム(インスト)とサンプルによる100%卓上づくりのバックトラックである。驚くかもしれないが、ブルー(Bluことステファヌ・アタール)のギターもバンジョーも聞こえない(やっと12曲め「早かれ遅かれ Tôt ou tard」でバンジョーとアコギが)。前作前々作でブルーのよく鳴るギターのせいで「マッシリアのロック化」のようなことも言われたものだが。これは、マッシリアのオフィシャルなファーストアルバムと言われる『パルラ・パトワ(Parla Patois)』(↑写真、1992年)の30周年(マイナス1)、ということがおおいに関係しているらしい。2015年に44歳の若さで他界したゴアタリ(Goatari Lo Minot、マッシリア在籍1989年 - 1996年 ターンテーブル/キーボード/リズムボックス)への弔いということもあろう。あの頃のスタイルで初心に還り、とジャリ・パペ・Jとタトゥーがイニシアチブを取ったのだ。
そう言えば、私たち年寄りは前世紀の音楽ばかりヘッドフォンで聴いているなぁ。 そしてマルセイユに言及する曲がある。2013年”欧州文化首都”マルセイユ=プロヴァンスという大イヴェントをきっかけに、低所得者層を駆逐して新たな裕福階層が大手を振るうようになったマルセイユ。ガリとジャリによる「露頭に(A la rue)」(6曲め)。
俺は服従するしかない (リフレイン:タトゥー) Le Capitalisme est une cochonerie 資本主義は汚辱そのものだ
Qui nuit gravement à la santé 健康に非常に有害なもの C'est une véritable saloperie 不潔きわまりないものだ Qui devait être prohibée 禁止されるべきものだ Le Capitalisme est une maladie 資本主義は疫病だ
Qui détruitnotre humanité われわれ人類を破滅させる C'est une dramatique pathologie それは悲惨な疾病だ Qui devrait être éradiquée 根絶されるべきものだ (Lo Mercat)