Les Irrésistibles "My Year Is A Day" レ・ジレジスティーブル「マイ・イヤー・イズ・ア・デイ」
詞トム・アリーナ/曲ウィリアム・シェレール フランスでのリリース:1968年3月14日
ウィリアム・シェレール(1946 - )の来歴は、仏語版ウィキペディアに記載されたものを読むだけでも、かなり複雑なものがあり、いつかちゃんと紹介しなければと思っている。米軍GIとフランス女性の間に生まれた私生児であること、幼くして母に連れられてアメリカに渡り夢破れて帰仏、11歳でクラシック音楽家を目指し短期間で現代音楽の前衛まで習得してしまうが、ビートルズ音楽に邂逅して....。22歳で作編曲家からポップ音楽アーチストへ、25歳でバルバラ と出会いその強い進言で"歌手へ...。最初の妻との間に二人の子供、離婚後その妻は新興宗教に盲信し子供たちが庇護を求めて...。バイセクシュアル、アルコールとドラッグ(コカイン),,, etc etc 。2021年3月に出版された自伝"WILLIAM par William Sheller"(Equateur刊、193ページ)もあるが、読むべき時が来たら...。 11歳でベートーヴェンを目指して音楽家を志した少年は、師事した高名な音楽教授(イヴ・マルガ、ガブリエル・フォーレ門下生)からその才能の萌芽を認められたものの、11歳からではスタートが遅過ぎ、この遅れを取り戻して一廉のクラシック音楽家になるには、学校をやめてコンセルヴァトワールに専修するように、と。ピアノ、和声法、作曲法などに加えてマルガ教授はラテン語、哲学、歴史、文学まで少年にみっちり教え込み、さらに「セリエル音楽」の領域まで踏み込んでいくが... 。すべて優秀な成績で習得していくが、ある日ガールフレンドのアパルトマンでビートルズの音楽と遭遇する...というのが前述ウィキペディアの説なのだが、そんな単純なものではないと思うよ。で、クラシック出身の作編曲家としてウィリアム・シェレールはポピュラー音楽の世界に入っていくのだった。 一方パリの西郊外の保守的で排外的で裕福層だらけの旧城下町サン・クルーにあるアメリカン・カレッジで知り合った4人の在巴アメリカ人子弟で1966年に結成されたロックバンドがあった。名はまだない(とりあえず自分たちでは The Sentriesと名乗っていたようだ)。全員16歳のメリケンベビーフェイスのボンボンだった4人は双子兄弟のスティーヴ・マックメインズ(ベース)とジミー・マックメインズ(ヴォーカル、オルガン、リズムギター)、トム・アリーナ(リードギター)、アンディ・コーネリアス(ドラムス)。何ヶ月もレコードデビューのための曲を探していたが、ついにこれはというメロディーと出会う。作曲者は全く無名のウィリアム・シェレールという男。この曲にギターのトミー・アリーナが詞をつけて出来上がったのが"My year is a day"。
Really wanna change my mind
But I know it takes some time
Thoughts are boucing in my brain
Oh Lord are they gonna change
Seems I lost her years and years ago
I need her so, can I go on sad
I feel so bad, I think I'm had
And my year is a day,
And my year is a day,
My year is a day
日本には「十年一日(じゅうねんいちじつ)という四字熟語があり、長い間全く変化が見られない状態を指すのであるが、この「一年一日」という歌は、恋人を失った苦悩が1日で1年分ほど重いというココロなんですな。わかりやすい英語であり、このわかりやすさが非英語人にもビシビシせまるというのが「ヒットの秘訣」なのであった。 1968年2月、(1965年開業、当時パリで最先端の録音スタジオだった)ステュディオ・ダヴートで、"サム・クレイトン”ことジャン・クロードリック編曲指揮の大所帯楽団をバックに、この曲とB面"She and I"(詞曲マックメインズ兄弟)は録音された。ルックスで売れるバンドと思われたのだろうが、高級メンズウェアブランド(一時はカルダンの対抗だったらしい)BRILがスポンサーにつき、けったいなデザインの服をバンドに着せ、もう一社スポンサーで英国高級スポーツカーのトライアンフがその新しいロードスターTR5をレコードジャケットとスコピトン(60年代版プロモーションクリップ)に登場させている。
そしてレコード会社CBSはこのバンドに Les Irrésistibles(レ・ジレジスティーブル、抗しがたい魅力)という難しいフランス語バンド名をつける。ちなみに日本で最も知られているヴァリエテ曲のひとつ、シルヴィー・ヴァルタンの "Irrésistiblement"(あなたのとりこ、イレジスティーブルマン)も同じ1968年のリリースであるが、何のエニシもない。シングル盤の裏ジャケにバンド名の言い訳のように、レ・ジレジスティーブルは米国ロサンゼルスで結成されたバンドであり、"THE BELOVED ONES"が現地でのオリジナルのバンド名であり、レ・ジレジスティーブルはそのフランスデビューのためのフランス語訳バンド名であるかのように書いている。まるっきりウソであるが、ウソだらけの芸能界だから驚かない。↑ちなみに日本CBSソニーからのシングル盤”Lands of Shdow"に記されたバンド名は「ザ・ビラブド・ワンズ」であり、日本側にしてみればこれはアメリカ産のバンドなのだから、売る側にしてみればその方がしっくりくるという話なのだろう。 そしてシングル盤「マイ・イヤー・イズ・ア・デイ」は1968年3月14日に発売になる。
あ、(と今気づく)、ヴォーカル君(ジミー・マックメインズ)のウール帽は、この記事を書いている時点から2週間前(12月10日)に他界したモンキーズのマイク・ネスミス(1942 - 2021)にあやかったものかもしれない。モンキーズ(1965 - 1971)全盛期であったからして。 時の偶然はこの発売直後に、戦後フランス最大の社会運動「68年5月」をもってくるのである。この全土ゼネストの数週間、大手ラジオは連帯ストで通常番組が流せず、音楽ばかりをぶっ通しで流し続け、その結果桁外れの”68年ヒット曲”をいくつか生むことになる。「パリ朝5時」(ジャック・デュトロン)、「騎兵」(ジュリアン・クレール)、「レイン&ティアーズ」(アフロディティーズ・チャイルド)、「オン・ザ・ロード・アゲイン」(キャンドヒート)、「シンク」(アレサ・フランクリン)、「自転車」(イヴ・モンタン)... 「敷石の下は砂浜だ」ー 学生街カルティエ・ラタンで投石と道路封鎖用に剥がした舗道の敷石の下は砂だった。バリケードの中はビーチ・パーティーとなり、若者たちは砂の上で愛し合った ー なあんてね、後の世の人たちはロマンティックな作り話で美化するんだけど。この68年的状況の中で、レ・ジレジスティーブル「マイ・イヤーズ・イズ・ア・デイ」は、わかりやすいロマンティック・バラードとして大ヒットするのだった。「僕の1年は1日」ー これをカルティエ・ラタンの壁に落書きしてみよう、りっぱな68年スローガンになるではないか、意味は幾通りにでも解釈され、革命的な1行詩に勘違いもされよう。ー それはどうかわからないが、この曲は68年春から夏にかけてフランスでメガヒット曲となり、国境を越えベネルクス、英国、ドイツ、スペイン、カナダ、イスラエル、南米諸国、米国でもリリースされて、その総売上はなんと2百万枚と言われている。これが後にも先にもレ・ジレスティーブルの唯一のヒット曲であったことは言うまでもない。しかしこの曲は当時すでに(国際的)大スターであったダリダによってフランス語("Dans la ville endormie")とイタリア語("L'aquilone")でカバーされ、これがまたヒットしてしまうのだった。このうちダリダ1968年フランス語ヴァージョンは、2021年の007映画『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』(監督キャリー・ジョージ・フクナガ、主演ダニエル・クレイグ)の挿入歌にもなった。まあ、この最後の分の印税収入は別としても、1968年に無名作曲家ウィリアム・シェレールはこの1曲で巨万の富を得てしまう。 その獲得した大金すべてを、ウィリアム・シェレールはシンフォニック・ロックアルバム『LUX AETERNA(永遠の光)』(1969年録音/1972年2000枚限定リリース)の制作費として注ぎ込むのだが、この話はまた別の記事で詳しく紹介しましょう。
今回なぜ、この曲なのか、と言うと、フランスにいる方たちにはすぐに合点がいくだろうけど、この年末テレビでよくかかっている大手スーパー・チェーンのアンテルマルシェ(Intermarché)の2021年3分間長尺CMフィルムのせいなのである。 食材/食品の種類の豊富さで他店との違いを特徴化する戦略のこのスーパーは"On a tous une raison de mieux manger(誰でもよりおいしく食べたいわけがある)"というキャンペーン・テーマでこの種の3分間長尺CMを既に何本か作っており、2019年バンジャマン・ビオレー歌「セ・マニフィック」を音楽として用いたCM作品は爺ブログのここで紹介している。 ではまず"Un endroit pour vivre"という曲について。これは1981年に発表されたウィリアム・シェレールの5枚目のアルバム"J'suis pas bien"からシングル盤として切られた "Une chanson noble et sentimentale"のB面曲だった。その後、自作自演歌手シェレール全キャリアを代表する1曲となる"Un homme heureux"の入ったソロ・ピアノ弾き語りライヴアルバム"Sheller en solitaire"(1991年)などほとんどのライヴアルバムで重要レパートリーとして登場し、シェレールの"スタンダード"曲となっていく。 このピアノ弾き語りのバラード曲は、前半のフレーズだけ聞くと、たまたまたどり着いたその場所こそ自分が住むべき場所じゃないか、と単純に思ってしまうのだが、後半になると歌詞は難解になる。はっきり言ってよくわからない。一応訳してみた。
<<< トラックリスト >>> 1. Bolega la camba (片脚を揺らして)(詞曲ダニエル・ロッドー) 2. Lo pinçon e la lauseta (あとりとひばり)(トラッド)
3. Lobeton (子狼)(トラッド) 4. Lo virolet (ぼんやり者)(詞ロッドー/曲トラッド)
5. Dança dels potons (キスのダンス)(詞ロッドー/曲トラッド) 6. Pimponet (ピンプーネ)(詞ロッドー/曲セリーヌ・リカール) 7. Planta un caul (キャベツを植える)(詞ロッドー/曲トラッド) 8. Tombèt(転んだ)(詞ロッドー/曲トラッド) 9. Ai vist lo lop (狼を見た)(詞曲ロッドー) 10. Bonjorn d'Occitania (オクシタニアからこんにちわ)(詞ロッドー/曲トラッド+アエリス・ロッドー) 11. Dancem la trompusa (だましっこ踊り)(トラッド) 12. L'Autre jorn sus la montanha (ある日山で)(トラッド) 13. Chiborlin (シボルリン)(詞ロッドー/曲トラッド) 14. Faguem la ronda (丸をつくろう)(詞曲ロッドー) 15. Sus mon caval (馬に乗って)(詞曲ロッドー) 16. Lo tustet de joanet (ジャネットのノッカー)(詞ロッドー/曲トラッド) 17. Los dalhaires (草刈り人)(トラッド) 18. I ! I ! I ! Borriquet (ヒンヒンヒン 子ロバ)(トラッド) 19. La grimacièira (グリマシエイラ)(詞ロッドー/曲トラッド) 20. Vira vira lo molin (風車を回せ)(詞曲ロッドー) 21. Pichonet que dança (ちびっこのダンス)(トラッド) 22. Lo Filoset(フィロゼ)(トラッド) 23. Lo tusta pal (手を叩こう)(詞曲ロッドー) 24. La calha (つぐみ)(トラッド)
25. Revira-te (回れ右)(トラッド) 26. La civada(オート麦)(トラッド) 27. Lo galant de la catin (カティの優男)(詞曲ロッドー)
LA TALVERA "BOLEGA LA CAMBA" CD CORDAE/LA TALVERA TAL23 フランスでのリリース:2021年12月
2021年12月現在、発売1ヶ月で驚異的な勢いで売れ続けているオレルサン4枚めのアルバム『シヴィリザシオン』から、新しいプロモーションクリップ"Le jour meilleur"が12月16日に公開された。ひところのフレンチ・ラップ/ヒップホップから見ればたいへん異色だったノルマンディー(両親が教師/中流家庭)出身の日本マンガ好きのベビーフェイスラッパー。郊外・人種・階級・暴力といった問題と無縁なわけではなく、それにコミットした曲もあることはあるが、本領の(ラップ的)世相読み・社会観察はずっと個人的な世界で、良くも悪くも散文的でわかりやすい。悪ぶらない
ベビーフェイスぶりが評価されているのかもしれない。
クララ・ルチアニ『Coeur(ハート)』(爺ブログでレビューできずにごめんなさい、6月からずっと書きかけのまま放ってあります)は、6月という時期に登場したこともあるが、陽光あふれる昼型ディスコファンク(シックとかクール&ザ・ギャングとか)というおもむき。南の音。それに対してアルマネのそれは太陽少なめ北側欧州の暗めな夜のディスコ、言わばディスコ黎明期のドナ・サマー(舞台はオランダ、ドイツ)を思わせる欧州系歌謡ディスコ(ボニー・Mとか)風。最初の曲「ディスコ最後の日(Le dernier jour du disco)」は、恋の終わりとディスコの終わりがシンクロする驚くほどアホっぽく大胆な歌謡ディスコチューン。
そして最終曲「火を焚け(Brûler le feu)」、アルバムの最後の最後に、最もヴェロニク・サンソン流儀の曲を持ってきたのだけれど、完全に「本家」を凌駕する出来栄えなのでした。どうしてここまでするんですか。2分9秒めに「ふっ」とブレスが入るの。そのあとピアノの右手が高音階部を8分音符単音で昇ったり降りたり、たったこれだけのことが何でこんなに美しいのか。ヴェロさんなどには想像もできないことだと思いますよ。13曲のエレガントな大歌謡スペクタクルの幕。終わったとたんにもう一度聴きたくなること必至。
2021年11月19日にリリースされ、売上およびメディア評ともに(オレルサン)最高の勢いで盛り上がっているアルバム。最も広範囲の支持層を持つラッパー。郊外ではなくノルマンディーの地方都市出身で、両親が教育者の中産階級の出。マニアックな(日本)マンガ好き。ラップの他に映画、テレビ(カナルプリュス局のグランジュと組んだショートコント連作"Bloqués")などでも稀な才能。アルバムは4枚目。年齢は不惑の40歳。しじゅうファック。その20年にわたる活動を、弟のクレマン・コタンタンがずっとヴィデオ撮影して追いかけていて、それをまとめたドキュメンタリー連作”Montre jamais ça à personne(こんなもん誰にも見せんじゃねえ)”(42分 x 6回)が10月16日からAMAZON PRIME VIDEOで公開されている。私はPRIME VIDEOと契約していないし、するつもりもないので観ていないが、予告編(↓)はこんな感じ。
オレルサンの新アルバムは『シヴィリザシオン(Civilisation)』と題されたが、この語「シヴィリザシオン」は今や極右のボキャブラリーである。彼らが「文明の危機」を訴える時、それは人類の文明ではなく、古来ヨーロッパにあったとする(キリスト教的倫理道徳観に基づいた)西欧白人文明である。このシヴィリザシオンは狭義であるという但書はない。アプリオリに文明とはこれしかないという考え方である。危機にある文明は(彼らによると)このままでは何年も待たずに起こってしまう「大変換 Grand Remplacement」(歯止めなく流入する非・反キリスト教系移民の増加によって人口的に多数派になり、非・反キリスト勢力が政治的文化的にフランスを制圧する)によって消滅する。ゼムールはこの「大変換論」に基づいて、(文明を守るためにはこれしかない)移民ゼロ政策を提唱する。移民を入国させないだけではなく、現在フランスにいる移民(および移民出身者)のすべてを追放する。「シヴィリザシオン」の敵を撲滅する、という考え方が今フランスですごい勢いで支持を広げているのだ。 こういうシヴィリザシオン論が蔓延する状況で、誰かが文明ってそういうもんじゃないだろう、あんたたちの専売特許じゃないだろう、人間全部のものだろう、と違う文明のヴィジョンを言わなきゃならない時なのだ。一介のラッパーがそれまでの自分の人生を見据えて、ひとつの文明を考えたのだ。ひとつの文明を持ちたいと思ったのだ。で、唐突にこのアルバムの核心的な結論部とも言える最終曲"Civilisation"を聞いてみよう。
そしてアルバムの極め付けが8曲目の「ガソリンの匂い(L'Odeur de l'essence)」であり、衝突しあう人々、街頭闘争、機動隊の突撃、環境破壊、狂変する自然、戦争廃墟などの映像のめまぐるしいコラージュで編集されたヴィデオクリップは、これこそが危機に瀕したシヴィリザシオンであり、やつらの言うそれとは規模も次元も違うと言っているように見える。なぜ街は炎上しているのか、なぜ人々は右往左往してぶつかりあっているのか、なぜいたるところで「ガソリンの匂い」がするのか、これをオレルサンは4分にわたってラップし続けるのである。歌詞中 "Génération Z parce que la dernière"(Z世代、Zは最後だから)という一言が出てくるが、これは言うまでもなく、ゼムール(Zemmour)のZのことである。
アルバムにはアコースティック・ギターだけだったり、楽器少なめ編曲の曲もあるのだが、私は圧倒的にこの厚め室内楽アンサンブルのようなバッキングの曲が好きです。 次の曲もそういうサウンドデザインの曲で、シングル化されてたいへん高踏的で難解ドラマティックなヴィデオクリップもつけられた「人生って時々 (La vie parfois)」(7曲め)。