後者は世界一の自転車ロードレース「トゥール・ド・フランス」は言うに及ばず、ジャック・タチの映画(「祭りの日」邦題「のんき大将脱線の巻」)や、ロベール・ドワノーの写真などでフランスの心の風景になくてはならない乗物です。そして自転車にまつわるたくさんのシャンソンが生まれました。この自転車シャンソンのことを「シャンソン・ア・ペダレ Chanson à pédaler(ペダル漕ぎのシャンソン)」と言ったりしますが、多くが自転車のペダルを漕ぐリズムで作られています。フランスで最も良く知られているシャンソン・ア・ペダレは、イヴ・モンタン歌の「ア・ビシクレット A Bicyclette」(詞ピエール・バルー/曲フランシス・レイ)です。これは1968年の5月革命の時期に発表されたという背景があり、5月革命ゼネストでガソリンスタンドにガソリンがなくなり、しかたないからみんな自転車を漕ぎ出したという状況BGMでもありました。
私がフランスに住み始めた1970年代末は、自動車が世の中で一番デカイ顔をしていたような頃で、自転車や歩行者は最優先権を自動車に譲らなければならず、道を歩くのも恐怖の連続でした。こんなところで自転車など絶対乗れるわけがない、と新座の外国人の私は思ったものですが、大道を我が物顔で縦横無尽に走る自動車の群れを縫って、曲芸師のような自転車乗りのおじさんおばさん(おにいさんおねえさん)がいました。すごいなあ、パリ的だなあ、と感心したものです。あの当時はパリの舗装道路は多くが石畳だったのです。これも私に自転車に乗ることを恐怖させる原因のひとつで、ガタガタという振動がサドルから腰に伝わり、ちょっと走っただけで、あとで腰痛が襲ってくるような次第で...。その上石畳は雨で濡れたりしてたら,つるつるに滑るのです。パリで自転車は難しい、とつくづく思ったものでした。
しかし時は移り、エネルギー危機や公害問題などで、自動車が都市部でデカい顔ができなくなり、自転車が見直され、遊歩道と自転車道が整備され、2007年から開始された市営貸し自転車ヴェリブの驚異的な普及なども手伝って、パリの車道は今や自転車が我が物顔で走るようになりました。郵便配達さんも、原付バイクやスクーターが減って、自転車が復活しているし、パリ市警も多くの自転車パトロール隊を配備するようになりました。
まあ自動車が減ったパリの道で増えたのは自転車だけでなく、ローラースケート、キックスクーター、スケートボードなどもですけど、自転車はそのチャンピオン格でしょう。
これはフランスに暮らすほとんどすべての人が経験することですが、自転車は盗まれるものなのです。高級自転車でなくても、オンボロ自転車でも盗まれるのです。ある日、あなたの自転車は消えています。私は家族の分も入れれば3度そういう目にあっていますが、これはそういうものだと思わなければなりません。翼が生えたんだ、と。
さて、クリオのデビューアルバム『クリオ』の中で、最も美しいメロディーを持った歌です。シャンソン・ア・ペダレです。「エキリブリスト Des Equilibristes」は軽業師、曲芸師といった意味です。子供たちの世界。自転車さえあれば、天才的なパイロットにも、熟練のメカ整備士にもなれる、世界は自分たちのもの、そういう夢のような子供時代の瞬間を想い出してみましょう。還ってくるものではありませんが。甘いメランコリーに包まれてみましょう。
あの子たちは今何時なのかも
自動車やトラックのことも知ったこっちゃない
風なんてまったく気にしない
天気のこともへっちゃらだ
通行人たちなど見向きもせず
あの子たちはペダルに足を乗せて
下っていく道を降りてくる
あの子たちは軽業師
メカに強い
ほんの小さな自転車乗り
ほんの小さな子供たち
あの子たちは肘に擦り傷があるけど
何も感じていない
1日を大いなる食欲で
むさぼりつくように楽しみ
坂道を踊りながら降りていき
また坂道を踊子のように登っていき
その6歳の人生とその笑い顔を
運び去っていく
あの子たちは軽業師
メカに強い
ほんの小さな自転車乗り
ほんの小さな子供たち
コブができた膝小僧の
ちびっこの少年が
震えもせずに両手をハンドルから離し、
通行人たちの注目を浴びながら
降りてきて
焼けた舗道石の上にサンダルをそっと着地させる
あの子たちは軽業師
メカに強い
ほんの小さな自転車乗り
ほんの小さな子供たち
油で汚れた手で
修理を試みる
終わったらズボンで手を拭う
それから外れたチェーンを直し
専門家の権威でもって物事を解決する
あの子たちは軽業師
メカに強い
ほんの小さな自転車乗り
ほんの小さな子供たち
傷ついた膝、
乱れた髪
頰を赤くして
その二輪が回り
通行人など目にも入れず
両足をペダルに置いて
下り道を降りてくる
通行人なとに目をくれず
両足をペダルに乗せて
下り道を降りてくる
あの子たちは軽業師
メカに強い
ほんの小さな自転車乗り
ほんの小さな子供たち
(↑ヴィデオクリップはクリオの出身地フランシュ・コンテ地方の主邑ブザンソン市のミコー公園 Parc Micaudで撮影されています。きれいなところですこと)
<<< トラックリスト >>>
1. HAUSSMANN A L'ENVERS
2. ERIC ROHMER EST MORT
3. CHAMALLOW'S SONG
4. DES EQUILIBRISTES
5. SIMON
6. LE BOUT DU MONDE
7. PRINTEMPS
8. TU PEUX TOUJOURS COURIR
9. PLEIN LES DOIGTS
10. LE COIFFEUR
11. ERIC ROHMER EST MORT (duet with FABRICE LUCHINI)
CLIO "CLIO"
CD UGO&PLAY AD3637C
フランスでのリリース:2016年4月1日
カストール爺の採点:★★★★⭐
PS : (2016年4月27日記)
テレラマ誌2016年4月27日号、ヴァレリー・ルウーによるクリオのアルバム評。(以下無断翻訳です)
知りませんでした? ヴァンサン・ドレルムとアレックス・ボーパンには娘がいたのだ。彼女はその祖母であるバルバラにどことなく似ていて、最近見かけなくなった二人の従姉妹であるカルラとベリーにも。その可愛い娘の名前はクリオ。28歳。永遠の文学部女学生の世界、パリ的景観への愛好、そして二人の父親ドレルム/ボーパン同様の作家主義映画の偏愛(ボーパンはモーリス・ピアラの名を挙げ、ドレルムはトリュフォーを崇拝している)。彼女にとってはそれはエリック・ロメールであり、このアルバムで最も美しい歌で「エリック・ロメールは死んだ、でも私はもっと見たいのよ」と歌っている。華奢な仕上がりのオマージュで、教訓話シリーズ(ロメールの1963年から78年までのContes Moraux連作)の映画作家の作品をそのままに想起させるように聞こえる歌。このことはファブリス・ルッキーニ(ボーナストラックでクリオとデュエットで歌っている)が証人になってくれるだろう。その他の曲も同種のメランコリーが刻み込まれていて、感情を言い切るのではなく仄めかすようなとても視覚的な文体のきめ細かさをよく証明している。本当のことを言えば、私たちが幸運な発見ができるのは、まさにこのアルバムの前半でのことなのだ。「オースマン大通りを逆に(Haussman à l'envers)」「シャマロウズ・ソング (Chamallow's song) 」「軽業師たち (Des équilibristes)」が、たくさんの真珠玉のようにつながって続き、胸に迫り、文才に溢れているが、全く過度な装飾がない。残念なのはアルバム後半で、若干コミカルな歌("Simon", "Tu peux toujours courir", "Le coiffeur")がちりばめられているが、余談的付け足しのようである。クリオは歌い始めてからまだ2年しか経っていない。彼女のファーストアルバムは形がよく味覚にあふれた果実に似ているが、ほんの少しだけ熟し方が足りないのである。
ヴァレリー・ルウー(テレラマ誌2016年4月27日号)
PERE UBUです。ルノーの記事に気を取られてこの記事を読んでいませんでした。読み進めるうちに懐かしさのあまりこれを書いています。クリップが撮影されたParc Micaudは、ブザンソンにいたときによく散歩しました。下宿屋がその上の丘にあったので。でも当時(1979年)はそんなに整備されていなかったような...80年春から翌年夏までパリにいましたから、ひょっとしてどこかの街角かResto UでPere Castorさんとすれ違っているかもしれないですね!「A bicyclette」は68年に発表されたのですね。そんな背景はまったく知りませんでした...また一つ知識が増えました。改めてこの曲を聴いてみます。
返信削除Père Ubuさん、コメントありがとうございます。
返信削除これはこれは、Père Ubuさんが「ビゾンタン」だったとは! ブザンソンに住む人を「ビゾンタン、ビゾンティーヌ」と呼ぶと知ったのは、クリオの取材をしてからでした。クリオは24歳までブザンソンで暮らしています。大学までですから、Père Ubuさんと同じキャンパスではないですか?
今週号のテレラマ誌のヴァレリー・ルウーのアルバム評で「永遠の文学部女学生風」という表現が言い得て妙。エリック・ロメールに捧げた歌があるように、たいへんな(作家主義)映画好きで、60年代ヌーヴェル・ヴァーグ特集などのためにしょっちゅうパリに来て映画観ていたそう。現在のパリ風景よりも、映画の中のパリを偏愛していて、若いお嬢さんなのにノスタルジック・パリ派。今はベルヴィルに住んでいます。ローラースケートと自転車は子供の頃からずっと続けていますが、ベルヴィルは坂の街なのでたいへんそう。アニメ映画「ベルヴィル・ランデブー」(2003年)も自転車映画でしたね。ご覧になりましたか?
こんにちは。Père Ubuです。地元では「ビゾンタン」を「ビーゾンタン」と発音していました。方言ですね。クリオという歌手はロメール好きの”ノスタルジック・パリ派”ということでますます興味が湧いてきました。しかも住んでいる場所がピアフの町ベルヴィル、もう言うことなしですね。「ベルヴィル・ランデブー」はアニメとは知らずにタイトルに惹かれてレンタルで観ました。ベルヴィルの風景が楽しめると思っていたのでがっかりしたことを覚えています。このところフランスの音楽界も懐古ムードが強いのでしょうか?Zazの「Paris」、Bruelの「Entre-deux」などが出ていますよね。
返信削除Père Ubuさん、コメントありがとうございます。
返信削除クリオ、ぜひ聞いてみてください。ストリーミング、MP3ダウンロードまたはCD購入は、クリオの以下のHPからできます。
http://www.radioclio.com/