アキ・シマザキ『紫陽花』
1999年『Tsubaki (椿)』での文壇デビュー以来一貫してパンタロジー(五連作)形式で書き続けている在モンレアルのフランス語作家アキ・シマザキの、5番目のパンタロジーの第1作め。『Tsubaki』から数えると21作め。
シマザキの小説に音楽が重要なファクターになるケースは珍しいことではないが、今回はクラシックピアノ楽曲(複数)とその作曲家(複数)、そして音楽家の生涯が大きく物語に切り込んでくる。
それは、三度映画化され、漫画化もされ、宝塚化もされたクララ・シューマン(1819 - 1996)と9歳年上の夫ロベルト・シューマンと15歳年下の弟子ヨハネス・ブラームスという稀代の音楽家三人の三角関係である。わかりやすいので、とりあえず2008年ドイツ+フランス+ハンガリー合作映画『クララ・シューマン 愛の協奏曲(原題:Geliebte Clara)』(ヘルマ・サンダース=ブラームス監督)の日本語版予告編をご覧あれ。これが小説の組立と大きく関係してくる。
小説の時代はスマホが普通に普及している今日的現代である。滋賀県大津の百貨店オーナーの家の次男坊であるショータは、東京の国立大学の文学部の4年生で、卒論(テーマは『私小説の限界 (La limite des romans autobiographiques)』)を準備中、卒業後も修士課程→博士課程とアカデミズムのレールに乗り続けるつもりではあるが、並行して作家になるという野望もある。小説冒頭時点では金持ちのボンであり、経済的にはこの学業を続けていくのに何の不安もないのだが、このシマザキ新作では日本の教育費の高さ、公立私立問わず大学の高額学費の問題、返済奨学金と学費ローンで借金地獄に堕ち自殺にまで至る苦境に晒される日本の多くの学生たちの現状が、背景の情報として説明されている。これはカナダやフランスの読者たちはかなり驚くと思う。それから日本の文系、端的には文学部であるが、修士課程・博士課程の末に一体喰っていける未来があるか、”家元制度”にも似た文系アカデミズムピラミッドを極めていくには上位にある権威教授陣との”関係”がものを言うという封建的システムについていけるか、それは純粋に自由な研究とどれほど距離のあることなのか、といった日本の大学で学ぶ(文系)学生たちの深刻な閉塞感も。シマザキはその内部をかなり調査したのではないか。あるいはその内部にいた人かもしれない。小説の中でショータの重要な女友だちであるサヤの年上ボーイフレンドのH.という人物(文学部大学院生)を登場させているのだが、まさにこのH.こそ(純粋で自分を曲げずに研究したい故に)日本の大学の歪みをもろに被り、教授とのヨリが悪く修論を撥ねられ、学費ローン返済のためにバイトに消耗しながらも、大学を変えてでも博士課程に進みたいと苦しみ足掻いている。ショータは一度も会ったことのないこの個性的な苦学生に、ひょっとして自分の未来かもしれないという反面教師の姿を見ながらも、少々シンパシーを抱き気にかけている。
ショータは大学入学後しばらくは東京都内に住んでいたが、人付き合いと喧騒が苦手で、ガールフレンドとの破局を機に通学に片道電車で一時間かかる鎌倉に引っ越して、海の見えるベランダつきのアパートに住んでいる(家賃は親払い)。鎌倉に惚れてしまった男。その数ある古い名所の中で最も気に入っているのが明月院(あじさい寺)である。その見事な紫陽花はショータを魅了するだけではなく、作家デビューを模索しているショータの初長編小説のインスピレーションともなっていく。『紫陽花夫人(Madame Ajisaï)』と題されることになるその小説は、鎌倉で女弟子しかいなかった箏曲教室を主宰している40代の未亡人のところへ、頼み込んで弟子入りした20代の若者が厳しい師匠夫人のもとで箏曲音楽の奥深さを極めていきながら、ディープな恋愛へと...。ハーレクインものではないか、これは。ま、それはそれ。そういう”純”文学小説を構想しているのであった。
ショータには同じ大学の経済学部にいるベン(勉)というダチがいて、4年生で商社マンを目指しているが、ショータと違ってバイトを掛け持ちしないと生きていけない。メインのバイトはレストラン店員であるが、その他に破格に条件のいい家庭教師の話が舞い込んでくる。都内のオダという名の開業病院医師のブルジョワ家庭で、有名中学を目指す一人っ子小六男児の受験全科目+スポーツをコーチするという仕事。優男ジェントルマン医師の父親も好感が持てるが、それよりも美貌の夫人にベンの目は行ってしまう。このベンと前述のサヤ(短大を卒業して横浜でOLをしている)がショータの親友にして相互相談相手であり、ショータの作家志望を応援している。
最初のカタストロフは6月末にやってくる。ショータの実家の家業、大津の百貨店が倒産し、両親夫婦は破産宣言を余儀なくされる。ショータの大学授業料は年度末まで払ってあるが、鎌倉のアパートの家賃はふた月先まででその先は払えない、食費生活費は自分で何とかしろ、と。ボンの身からビンボ学生に転落してしまったショータは、鎌倉の海の見えるアパートを去り安アパートを探さなければならない。生協その他でアルバイトを探し、ベンのように掛け持ちして自活費用および翌年の修士課程学費を捻出しなければならない。奨学金/学費ローンという道もあるが、それはなんとかして避けたい。← これわかる。借金恐怖症。借金と聞いただけで萎縮してしまい、その地獄のことばかり想像してしまうタイプ。← 私がそうだった。病気で22年続けた会社を畳まなければならなかった時、どうにかこうにか負債ゼロで終えられた時の安堵感ときたら...。それはそれ。
成績優秀なショータであるから、バイトの件は塾教師と書店店員のポストを見つけ、当面の自活のメドが立ったのだが、問題は住処である。場所に拘らなければ安い物件は見つかるだろうが、ショータはその文学的インスピレーションの元である鎌倉を去り難い。鎌倉モナムール。あっと驚く渡りに船。ベンが家庭教師バイトをしているブルジョワ開業医オダが鎌倉に持っている別邸の住み込み管理人を探している、と。住み込みバイトであるから家賃はなし。故郷のショータの十何歳年上の兄は冷笑的リアリストであるから、こう警告する。
クララ・シューマン「音楽の夜会」バラード、作品6第4番。瞬時にこの曲名がショータの脳裏に蘇えったのは、大津での少年時代にピアノ教室で女教師からみっちり鍛えられたレパートリーがクララ・シューマンの数々のピアノ曲だったからである。医師オダとの面接はつつがなく進み、そしてピアノの音が止み、面妖にもエレガントなオダ夫人がその場に姿をあらわす。この瞬間からショータは”寝ても覚めても”状態に陥ったのだが、それを隠し、ピアノを弾かれていたのはあなたですか、クララ・シューマンですね、とショータは夫妻の面接評価点をぐっと上げる好印象コメントを発し、採用が決まる。
こうして鎌倉のオダ別邸の離れの部屋に暮らすようになった。週日は夫の医院を手伝うこともなく、横浜の音楽学校でピアノ教授をしているオダ夫人は、近年全くピアノに触れていないというショータの少年時のピアノ歴を知り、もったいないから鎌倉別邸サロンのピアノを自由に弾いていい、という許可を与えピアノ修行を再開するよう勧める。時々はレッスンをつけてあげるから ← ただより高いものはなし。とりあえずロベルト・シューマン「トロイメライ」を一緒にやってみましょう、ってな調子。
オダ夫妻と息子のカズヤは週日は東京で暮らし、週末を鎌倉で過ごす。ショータはバイトと講義のない日は鎌倉で過ごすが、週末は終日バイトで稼がなければならない。だからオダ家族と鎌倉別邸で会うことはほとんどなく、横恋慕しているオダ夫人ともほぼすれ違いのはずだったのだが...。ある晴れた(講義もバイトもない)水曜日、海の微風に誘われるまま七里ヶ浜を散歩していたら、赤く塗装した一艘の小型船が波に揉まれて江ノ島の方角に向かっていくのが見える。あれあれ?これは子供の頃母ちゃんが語ってくれた昔の事件を思い出させる。1910年1月、真冬の荒れた七里ヶ浜沖で逗子開成中学の生徒12人を乗せたボートが突風に煽られ転覆、全員死亡。この七里ヶ浜の悲劇は時の女性教諭が歌詞を書き、「七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の根)」という歌になり、今も歌い継がれているはず。はてどんなメロディーだったかな?ショータは別邸に戻り、サロンに入りグランドピアノを開けてポロンポロンと右手でメロディーを弾き始める。おお、ちゃんと覚えていたぞ。今度は左手のテキトー伴奏アルペジオを加えて弾いてみる。ふむふむ悪くない。歌心をピアノに込めてもう一度弾いてみる。すると、サロンの後方から美しい歌声が介入してきたのだった。
シマザキの小説に音楽が重要なファクターになるケースは珍しいことではないが、今回はクラシックピアノ楽曲(複数)とその作曲家(複数)、そして音楽家の生涯が大きく物語に切り込んでくる。
それは、三度映画化され、漫画化もされ、宝塚化もされたクララ・シューマン(1819 - 1996)と9歳年上の夫ロベルト・シューマンと15歳年下の弟子ヨハネス・ブラームスという稀代の音楽家三人の三角関係である。わかりやすいので、とりあえず2008年ドイツ+フランス+ハンガリー合作映画『クララ・シューマン 愛の協奏曲(原題:Geliebte Clara)』(ヘルマ・サンダース=ブラームス監督)の日本語版予告編をご覧あれ。これが小説の組立と大きく関係してくる。
小説の時代はスマホが普通に普及している今日的現代である。滋賀県大津の百貨店オーナーの家の次男坊であるショータは、東京の国立大学の文学部の4年生で、卒論(テーマは『私小説の限界 (La limite des romans autobiographiques)』)を準備中、卒業後も修士課程→博士課程とアカデミズムのレールに乗り続けるつもりではあるが、並行して作家になるという野望もある。小説冒頭時点では金持ちのボンであり、経済的にはこの学業を続けていくのに何の不安もないのだが、このシマザキ新作では日本の教育費の高さ、公立私立問わず大学の高額学費の問題、返済奨学金と学費ローンで借金地獄に堕ち自殺にまで至る苦境に晒される日本の多くの学生たちの現状が、背景の情報として説明されている。これはカナダやフランスの読者たちはかなり驚くと思う。それから日本の文系、端的には文学部であるが、修士課程・博士課程の末に一体喰っていける未来があるか、”家元制度”にも似た文系アカデミズムピラミッドを極めていくには上位にある権威教授陣との”関係”がものを言うという封建的システムについていけるか、それは純粋に自由な研究とどれほど距離のあることなのか、といった日本の大学で学ぶ(文系)学生たちの深刻な閉塞感も。シマザキはその内部をかなり調査したのではないか。あるいはその内部にいた人かもしれない。小説の中でショータの重要な女友だちであるサヤの年上ボーイフレンドのH.という人物(文学部大学院生)を登場させているのだが、まさにこのH.こそ(純粋で自分を曲げずに研究したい故に)日本の大学の歪みをもろに被り、教授とのヨリが悪く修論を撥ねられ、学費ローン返済のためにバイトに消耗しながらも、大学を変えてでも博士課程に進みたいと苦しみ足掻いている。ショータは一度も会ったことのないこの個性的な苦学生に、ひょっとして自分の未来かもしれないという反面教師の姿を見ながらも、少々シンパシーを抱き気にかけている。
ショータは大学入学後しばらくは東京都内に住んでいたが、人付き合いと喧騒が苦手で、ガールフレンドとの破局を機に通学に片道電車で一時間かかる鎌倉に引っ越して、海の見えるベランダつきのアパートに住んでいる(家賃は親払い)。鎌倉に惚れてしまった男。その数ある古い名所の中で最も気に入っているのが明月院(あじさい寺)である。その見事な紫陽花はショータを魅了するだけではなく、作家デビューを模索しているショータの初長編小説のインスピレーションともなっていく。『紫陽花夫人(Madame Ajisaï)』と題されることになるその小説は、鎌倉で女弟子しかいなかった箏曲教室を主宰している40代の未亡人のところへ、頼み込んで弟子入りした20代の若者が厳しい師匠夫人のもとで箏曲音楽の奥深さを極めていきながら、ディープな恋愛へと...。ハーレクインものではないか、これは。ま、それはそれ。そういう”純”文学小説を構想しているのであった。
ショータには同じ大学の経済学部にいるベン(勉)というダチがいて、4年生で商社マンを目指しているが、ショータと違ってバイトを掛け持ちしないと生きていけない。メインのバイトはレストラン店員であるが、その他に破格に条件のいい家庭教師の話が舞い込んでくる。都内のオダという名の開業病院医師のブルジョワ家庭で、有名中学を目指す一人っ子小六男児の受験全科目+スポーツをコーチするという仕事。優男ジェントルマン医師の父親も好感が持てるが、それよりも美貌の夫人にベンの目は行ってしまう。このベンと前述のサヤ(短大を卒業して横浜でOLをしている)がショータの親友にして相互相談相手であり、ショータの作家志望を応援している。
最初のカタストロフは6月末にやってくる。ショータの実家の家業、大津の百貨店が倒産し、両親夫婦は破産宣言を余儀なくされる。ショータの大学授業料は年度末まで払ってあるが、鎌倉のアパートの家賃はふた月先まででその先は払えない、食費生活費は自分で何とかしろ、と。ボンの身からビンボ学生に転落してしまったショータは、鎌倉の海の見えるアパートを去り安アパートを探さなければならない。生協その他でアルバイトを探し、ベンのように掛け持ちして自活費用および翌年の修士課程学費を捻出しなければならない。奨学金/学費ローンという道もあるが、それはなんとかして避けたい。← これわかる。借金恐怖症。借金と聞いただけで萎縮してしまい、その地獄のことばかり想像してしまうタイプ。← 私がそうだった。病気で22年続けた会社を畳まなければならなかった時、どうにかこうにか負債ゼロで終えられた時の安堵感ときたら...。それはそれ。
成績優秀なショータであるから、バイトの件は塾教師と書店店員のポストを見つけ、当面の自活のメドが立ったのだが、問題は住処である。場所に拘らなければ安い物件は見つかるだろうが、ショータはその文学的インスピレーションの元である鎌倉を去り難い。鎌倉モナムール。あっと驚く渡りに船。ベンが家庭教師バイトをしているブルジョワ開業医オダが鎌倉に持っている別邸の住み込み管理人を探している、と。住み込みバイトであるから家賃はなし。故郷のショータの十何歳年上の兄は冷笑的リアリストであるから、こう警告する。
Rien n'est plus cher que ce qui est gratuit.久しぶりにこんな古い諺聞くと、言う人の顔の表情まで想像できる。それはそれ。これまで4年間別邸管理人として住み込んでいた数学科の大学院生が9月からボストンで博士課程を取ることになり、緊急で探している。小説の進行上、あとになってこの姿を消す大学院生というのも謎の人物となるのだが、この時点では置いておく。ベンがオダ夫妻にショータを推薦するや話はとんとん拍子で進み、ショータは件の鎌倉オダ別邸に採用面接に出かけていく。その海辺に立つ洋館の外門から入ると、そこには夥しい数の紫陽花が咲き乱れる庭園があり、やがてピアノの音が聞こえてくる....。
ただより高いものはなし。
クララ・シューマン「音楽の夜会」バラード、作品6第4番。瞬時にこの曲名がショータの脳裏に蘇えったのは、大津での少年時代にピアノ教室で女教師からみっちり鍛えられたレパートリーがクララ・シューマンの数々のピアノ曲だったからである。医師オダとの面接はつつがなく進み、そしてピアノの音が止み、面妖にもエレガントなオダ夫人がその場に姿をあらわす。この瞬間からショータは”寝ても覚めても”状態に陥ったのだが、それを隠し、ピアノを弾かれていたのはあなたですか、クララ・シューマンですね、とショータは夫妻の面接評価点をぐっと上げる好印象コメントを発し、採用が決まる。
こうして鎌倉のオダ別邸の離れの部屋に暮らすようになった。週日は夫の医院を手伝うこともなく、横浜の音楽学校でピアノ教授をしているオダ夫人は、近年全くピアノに触れていないというショータの少年時のピアノ歴を知り、もったいないから鎌倉別邸サロンのピアノを自由に弾いていい、という許可を与えピアノ修行を再開するよう勧める。時々はレッスンをつけてあげるから ← ただより高いものはなし。とりあえずロベルト・シューマン「トロイメライ」を一緒にやってみましょう、ってな調子。
オダ夫妻と息子のカズヤは週日は東京で暮らし、週末を鎌倉で過ごす。ショータはバイトと講義のない日は鎌倉で過ごすが、週末は終日バイトで稼がなければならない。だからオダ家族と鎌倉別邸で会うことはほとんどなく、横恋慕しているオダ夫人ともほぼすれ違いのはずだったのだが...。ある晴れた(講義もバイトもない)水曜日、海の微風に誘われるまま七里ヶ浜を散歩していたら、赤く塗装した一艘の小型船が波に揉まれて江ノ島の方角に向かっていくのが見える。あれあれ?これは子供の頃母ちゃんが語ってくれた昔の事件を思い出させる。1910年1月、真冬の荒れた七里ヶ浜沖で逗子開成中学の生徒12人を乗せたボートが突風に煽られ転覆、全員死亡。この七里ヶ浜の悲劇は時の女性教諭が歌詞を書き、「七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の根)」という歌になり、今も歌い継がれているはず。はてどんなメロディーだったかな?ショータは別邸に戻り、サロンに入りグランドピアノを開けてポロンポロンと右手でメロディーを弾き始める。おお、ちゃんと覚えていたぞ。今度は左手のテキトー伴奏アルペジオを加えて弾いてみる。ふむふむ悪くない。歌心をピアノに込めてもう一度弾いてみる。すると、サロンの後方から美しい歌声が介入してきたのだった。
真白き富士の根 緑の江ノ島ピアノから目を上げると、そこにはオダ夫人が立ち、カンターレしているのであった。それも六番ある歌詞を全部スイングアウトしたのであった。音楽のマジック。なんか昭和の松竹純愛映画に出てきそうなシーン。あっと驚くショータ、今日はいないはずの夫人が何故に? ー 「ここは私の家よ、好きな時に来て何が悪いの」ー わ、きつい言い方。
仰ぎ見るも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
捧げまつる 胸と心
(この”七里ヶ浜沖難破”は小説後半で重要なファクターとして再登場する)
オダ夫人は用もないのに鎌倉別邸に立ち寄ったわけではない。水曜日はショータが”非番”で一日鎌倉にいるとわかっていて、横浜の音楽学校の午後の授業の前にと、朝駆けで鎌倉にやってきた。ショータに会いたくて。あっさり白状するオダ夫人であった。その左手はピアノの鍵盤に触れ、ポロンポロンと「トロイメライ」の旋律をなぞっていく。ショータはその指に光る結婚指輪を凝視してしまう。そして吃りながら、オダ夫人に告白する。
オダ夫人は用もないのに鎌倉別邸に立ち寄ったわけではない。水曜日はショータが”非番”で一日鎌倉にいるとわかっていて、横浜の音楽学校の午後の授業の前にと、朝駆けで鎌倉にやってきた。ショータに会いたくて。あっさり白状するオダ夫人であった。その左手はピアノの鍵盤に触れ、ポロンポロンと「トロイメライ」の旋律をなぞっていく。ショータはその指に光る結婚指輪を凝視してしまう。そして吃りながら、オダ夫人に告白する。
Je... je suis amoureux de vous... depuis le premier jour.ジュ... ジュスイザムルードヴー... ドピュイルプレミエジュール。
メロディーが止み、夫人の手が学生さんの顔を優しく撫で、夫人の唇が学生さんの唇に覆いかぶさる(p90)。あ〜あ...。
こんなに詳らかにここで説明しなくてもいいような歯の浮くような展開であるが...。その2週間後の水曜日(水曜日というのもやや重要なファクターというのがあとでわかる)、”非番”のショータが別邸離れの部屋で遅く起きた朝、ラジオからメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番(この曲はメンデルスゾーンが22歳の時に作曲した、俺と同じ歳だったのか、という感慨)が流れている中、パジャマ姿の学生さんの部屋をノックする音あり。パジャマでおじゃま。ドアを開けるとそこにはオダ夫人が。「すぐ着替えます」「時間がないのでそのままで」ー 学生さんの部屋で朝のコーヒーを共に。(中略:ここで最初の愛情まじわりあり)ー L'amour physique est sans issue (肉体の愛は出口なし ー セルジュ・ゲンズブール)、35歳と22歳、その絶頂のあとで22歳くんは脳裏に不倫の2文字がチカチカ点灯し、自責の念にかられる。35歳夫人は落ち着き払って、「心配しないで、私と夫はもう終わりなの」と近未来における離婚を予告する。
小説はこのあたりから、厚みも深みも含蓄もない、平板な”ハナシ”になってしまうのですよ。その辺の人から聞く”ハナシ”のようなストーリー。ふ〜ん、と聞き流してもいいような。夫ドクター・オダは、自分の医院の看護婦とできてしまって、もうヤヤコがお腹の中にいて...。ふ〜ん。息子カズヤの受験が終わるまで物音は立てないでおくが、合格したら即座に離婚して、来春3月にはカズヤと夫人はこの鎌倉の屋敷(夫人の祖父母から相続した夫人の所有不動産)に定住する、と。ふ〜ん。ではクララ・シューマンはどこに行ったのか? ショータはブラームスなのか? 好色医師オダはロベルト・シューマンなのか? ← この3番目だけが違う。ロベルト・シューマンを想わせる人物はあとで出てくる。
こんなに詳らかにここで説明しなくてもいいような歯の浮くような展開であるが...。その2週間後の水曜日(水曜日というのもやや重要なファクターというのがあとでわかる)、”非番”のショータが別邸離れの部屋で遅く起きた朝、ラジオからメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番(この曲はメンデルスゾーンが22歳の時に作曲した、俺と同じ歳だったのか、という感慨)が流れている中、パジャマ姿の学生さんの部屋をノックする音あり。パジャマでおじゃま。ドアを開けるとそこにはオダ夫人が。「すぐ着替えます」「時間がないのでそのままで」ー 学生さんの部屋で朝のコーヒーを共に。(中略:ここで最初の愛情まじわりあり)ー L'amour physique est sans issue (肉体の愛は出口なし ー セルジュ・ゲンズブール)、35歳と22歳、その絶頂のあとで22歳くんは脳裏に不倫の2文字がチカチカ点灯し、自責の念にかられる。35歳夫人は落ち着き払って、「心配しないで、私と夫はもう終わりなの」と近未来における離婚を予告する。
小説はこのあたりから、厚みも深みも含蓄もない、平板な”ハナシ”になってしまうのですよ。その辺の人から聞く”ハナシ”のようなストーリー。ふ〜ん、と聞き流してもいいような。夫ドクター・オダは、自分の医院の看護婦とできてしまって、もうヤヤコがお腹の中にいて...。ふ〜ん。息子カズヤの受験が終わるまで物音は立てないでおくが、合格したら即座に離婚して、来春3月にはカズヤと夫人はこの鎌倉の屋敷(夫人の祖父母から相続した夫人の所有不動産)に定住する、と。ふ〜ん。ではクララ・シューマンはどこに行ったのか? ショータはブラームスなのか? 好色医師オダはロベルト・シューマンなのか? ← この3番目だけが違う。ロベルト・シューマンを想わせる人物はあとで出てくる。
こうしてショータと夫人は毎水曜日に別邸離れ部屋で情交する関係になり、「ショータ」「スミコ」とプレノンで呼び合い、チュトワマン(tutoiement)で話す恋仲になる。シマザキが作品中でこの(日本語環境にはない)チュトワマンという親密性を強調するのは初めてではないが、
ー Désormais, au lit, nous nous appellerons simplement Sumiko et Shôta.
ー En nous vouvoyant ?
ー Non, en nous tutoyant, d'accord ?
( ー これからはベッドではスミコとショータって呼び合うのよ)
( ー ヴーヴォワマンで?)
( ー やあね、チュトワマンでよ、わかった?) (p108)
こういうダイアローグはありえないのみならずグロテスクだと私は思うのだ。
さて逢瀬を重ねていくにつれて、若者は次の春には身を隠すことなく堂々とスミコの恋人になれるのだ、という思いが強くなっていく。春よ来い。年が明け、郷里大津で正月を過ごしたショータは1月3日には鎌倉別邸離れに戻ってきて、翌日からのバイトに備えている。外は雪。Toc toc。ドアを叩く音。「ボナネ、ショータ!」ー 夫オダは愛人宅へ、息子カズヤはいとこの家、二人の不在をいいことにスミコは逸る心で若者のところへやってきた。勢いの新年情交のあと、スミコは今夜はこの部屋に泊まると言う。これがファーストナイト。長い冬の雪の夜、スミコは自分の過去を若者に語る....。
まずオダ夫妻がショータを別邸管理人に採用した最大の理由は、夫妻がよく知るある男とショータの履歴書顔写真がよく似ていたからだ、と。男の名はキタノと言い、オダの高校時代からのダチで、オダの医師試験合格祝いのこの別邸でのパーティーでスミコ(この時既にカズヤの母)は初めてキタノと出会っている。派手で社交の名人であるオダと対照的にキタノはもの憂い静的(フランス!)文学科院生で、スミコとの間に電流が走る。修論のあと(バイトで旅費を貯めて)フランスに留学して現地で博士号を取り、帰国したら出身大学の恩師教授推薦で”助教”におさまることになっている、と。修士→博士→教授の道を歩み始めたショータはまずこの男との相似性に衝撃を受ける。キタノは横浜の出版社でアルバイトをしている。スミコはカズヤが保育園に入ったのを機会に横浜の音楽学校でのピアノ教授職を再開している。ある6月の水曜日二人は偶然横浜駅で再会する。一緒にコーヒーを。この時からスミコとキタノは毎水曜日の同じ時間に同じコーヒー店で会うようになる。At the same place, the same café, the same time... Me and Mrs Jones...。おわかりかな?ショータとスミコの別邸離れでの密会と同じ水曜日なのである。しかしショータとの肉体密会と異なり、キタノとスミコはカフェで会ってカフェで別れるプラトニックな関係だった。お互いの愛を知りながらも。
キタノはスミコに小説を書きつつあることを告白する。ストーリーは言わぬがそのタイトルは『紫陽花の涙(Les Larmes de l'hortensia)』という。キタノがスミコに抱いたイメージは紫陽花の花だった。つまりスミコのイメージのヒロインというわけである。出来上がったら最初にスミコに読んでもらうという約束だったのに、遂にそれは叶わない。
博士号を土産に約4年のフランス留学から日本に帰ってくると状況は一転する。出身大学の恩師教授が急死し、”助教”の座はキタノに回ってこない。どこの大学も受け入れてくれない。喰うために雑多の教職を掛け持ちしたり安い稿料で雑誌記事を書きまくったり、身を粉にして働かなければならない。ー(日本のアカデミズムの現状はこうなのだ、というシマザキの状況説明なのだね)ー キタノのストレスは限度を越え、精神を病んでしまう。"Schizophénie"と書かれているがこれは分裂症のことである。スミコの前でも感情の変調が抑えられなくなる。ー
さて、ここでもう一度クララ・シューマンのことを思い返してみましょう。ロベルト・シューマン、クララ・シューマン、ヨハネス・ブラームスの三角関係において、狂気に駆られてライン川投身自殺を図り、その挙句2年後に精神病院で死んでしまうのですよ、ロベルト・シューマンは!
ある嵐の日、鎌倉のオダ家別邸に姿をあらわしたキタノは、オダ夫妻にこれから江ノ島に行く、と告げ、(鎌倉と江ノ島を結ぶ)弁天橋を渡らずに、七里が浜から小型ボートを漕ぎ出し、江ノ島に向かうが高波がボートを巻き込み...。キタノが持っていたバッグにはかの『紫陽花の涙』の原稿が入っていたと言われる。しかし海難救助隊の懸命の捜索にもかかわらず、ボートもキタノも行方不明となって、数日後捜索は打ち切られる...。真白き富士の根...。
スミコのシークレットストーリーをもって小説の長〜い第一部(147ページ)が終わり、続いてわずか10ページの第二部が2年後の後日談として加えられている。未亡人箏曲師匠と若い男弟子の恋愛小説『紫陽花夫人(Madame Ajisaï)』は完成し、文学誌S.(まあ「すばる」のことでしょうな)に掲載された後、好評につき単行本化され、ショータはその書店サイン会に招かれるほどの新人作家になっている。現在の住まいは鎌倉の海を見下ろすベランダのあるアパート、つまりかのオダ別邸離れに住む前にいた学生時代の古巣。スミコは離婚して旧姓に戻り、息子とかの別邸に住んでいるが、ショータとの関係は過去のものになっている。日本の大学アカデミズムに愛想が尽きたショータは修士課程後、もの書き+臨時教師で自由に生きることにした。そんな日に、新聞文化欄に載ったフランスで話題の日本人作家によるフランス語小説、という記事に目が点になる。作家はフランスで文学博士号を取得し、その小説は『紫陽花の涙(Les Larmes de l'hortensia)』と題されている、と。記事を読み終えた途端にショータのスマホが鳴り、画面にスミコと表示される...。(第一話完)
”連ドラ”の手法ですね。ネットフリックス時代の産物なんでしょうが。これまでのシマザキのパンタロジーでは一話ずつの完結性がはっきりしていたのだが、この『紫陽花』に始まるパンタロジーでは、第一話が「波乱はまだまだこれからだ」という終わり方。シマザキはこれからいろいろ出ますよ〜と、この第一話のいろんなところにそのタネを埋め込んだ感じ。鎌倉、大学アカデミズム、文学(業界)、クラシック音楽、フランス...。しかしそのほとんどが浅薄で表層的で、日本の常識的風景をガイドしているような印象(これは多かれ少なかれシマザキ全作品に通じる印象であるが)。私は上の”概説”で、クララ・シューマン、ロベルト・シューマン、ヨハネス・ブラームスの関係について説明を加えているが、シマザキの本文には何も詳しいことは書かれていない。クララ・シューマンの”重さ”をこのスミコ夫人に重ね合わせることなど、この小説ではまるで意図されていないかのように。それから”純文学作家”を目指すショータと、同じ志向を持ったキタノの、それぞれの”文学”観が全く見えないのはどういうわけか。ちゃんとした文学的リファレンスを示さないから、ハーレクイン作家並みと思われていいのだろうか。いろいろと不満が残る。
もう一つ。大津の百貨店が倒産して、ショータの生活が一転して明日住むところにも困るような事態になった時、女親友のサヤが横浜の自分のマンションに一緒に住んで、と申し出るパッセージあり(p54)。「私料理うまいし、生活費は折半できるし、ショータのこと助けたいの」と強く主張するのだが、ショータは「それはデリケートな問題で、僕は恋人でもない女性と一緒に住むことはできないよ」と辞退する。この返答にサヤは当惑した表情でしばらく沈黙したあと、こう言う「ショータ、違ってたらごめんなさいね、私あなたのことゲイだとばかり思ってたのよ」(!!! ) ー この箇所、おおいに問題あると思う。
Aki Shimazaki "Ajisaï"
さて逢瀬を重ねていくにつれて、若者は次の春には身を隠すことなく堂々とスミコの恋人になれるのだ、という思いが強くなっていく。春よ来い。年が明け、郷里大津で正月を過ごしたショータは1月3日には鎌倉別邸離れに戻ってきて、翌日からのバイトに備えている。外は雪。Toc toc。ドアを叩く音。「ボナネ、ショータ!」ー 夫オダは愛人宅へ、息子カズヤはいとこの家、二人の不在をいいことにスミコは逸る心で若者のところへやってきた。勢いの新年情交のあと、スミコは今夜はこの部屋に泊まると言う。これがファーストナイト。長い冬の雪の夜、スミコは自分の過去を若者に語る....。
まずオダ夫妻がショータを別邸管理人に採用した最大の理由は、夫妻がよく知るある男とショータの履歴書顔写真がよく似ていたからだ、と。男の名はキタノと言い、オダの高校時代からのダチで、オダの医師試験合格祝いのこの別邸でのパーティーでスミコ(この時既にカズヤの母)は初めてキタノと出会っている。派手で社交の名人であるオダと対照的にキタノはもの憂い静的(フランス!)文学科院生で、スミコとの間に電流が走る。修論のあと(バイトで旅費を貯めて)フランスに留学して現地で博士号を取り、帰国したら出身大学の恩師教授推薦で”助教”におさまることになっている、と。修士→博士→教授の道を歩み始めたショータはまずこの男との相似性に衝撃を受ける。キタノは横浜の出版社でアルバイトをしている。スミコはカズヤが保育園に入ったのを機会に横浜の音楽学校でのピアノ教授職を再開している。ある6月の水曜日二人は偶然横浜駅で再会する。一緒にコーヒーを。この時からスミコとキタノは毎水曜日の同じ時間に同じコーヒー店で会うようになる。At the same place, the same café, the same time... Me and Mrs Jones...。おわかりかな?ショータとスミコの別邸離れでの密会と同じ水曜日なのである。しかしショータとの肉体密会と異なり、キタノとスミコはカフェで会ってカフェで別れるプラトニックな関係だった。お互いの愛を知りながらも。
キタノはスミコに小説を書きつつあることを告白する。ストーリーは言わぬがそのタイトルは『紫陽花の涙(Les Larmes de l'hortensia)』という。キタノがスミコに抱いたイメージは紫陽花の花だった。つまりスミコのイメージのヒロインというわけである。出来上がったら最初にスミコに読んでもらうという約束だったのに、遂にそれは叶わない。
博士号を土産に約4年のフランス留学から日本に帰ってくると状況は一転する。出身大学の恩師教授が急死し、”助教”の座はキタノに回ってこない。どこの大学も受け入れてくれない。喰うために雑多の教職を掛け持ちしたり安い稿料で雑誌記事を書きまくったり、身を粉にして働かなければならない。ー(日本のアカデミズムの現状はこうなのだ、というシマザキの状況説明なのだね)ー キタノのストレスは限度を越え、精神を病んでしまう。"Schizophénie"と書かれているがこれは分裂症のことである。スミコの前でも感情の変調が抑えられなくなる。ー
さて、ここでもう一度クララ・シューマンのことを思い返してみましょう。ロベルト・シューマン、クララ・シューマン、ヨハネス・ブラームスの三角関係において、狂気に駆られてライン川投身自殺を図り、その挙句2年後に精神病院で死んでしまうのですよ、ロベルト・シューマンは!
ある嵐の日、鎌倉のオダ家別邸に姿をあらわしたキタノは、オダ夫妻にこれから江ノ島に行く、と告げ、(鎌倉と江ノ島を結ぶ)弁天橋を渡らずに、七里が浜から小型ボートを漕ぎ出し、江ノ島に向かうが高波がボートを巻き込み...。キタノが持っていたバッグにはかの『紫陽花の涙』の原稿が入っていたと言われる。しかし海難救助隊の懸命の捜索にもかかわらず、ボートもキタノも行方不明となって、数日後捜索は打ち切られる...。真白き富士の根...。
スミコのシークレットストーリーをもって小説の長〜い第一部(147ページ)が終わり、続いてわずか10ページの第二部が2年後の後日談として加えられている。未亡人箏曲師匠と若い男弟子の恋愛小説『紫陽花夫人(Madame Ajisaï)』は完成し、文学誌S.(まあ「すばる」のことでしょうな)に掲載された後、好評につき単行本化され、ショータはその書店サイン会に招かれるほどの新人作家になっている。現在の住まいは鎌倉の海を見下ろすベランダのあるアパート、つまりかのオダ別邸離れに住む前にいた学生時代の古巣。スミコは離婚して旧姓に戻り、息子とかの別邸に住んでいるが、ショータとの関係は過去のものになっている。日本の大学アカデミズムに愛想が尽きたショータは修士課程後、もの書き+臨時教師で自由に生きることにした。そんな日に、新聞文化欄に載ったフランスで話題の日本人作家によるフランス語小説、という記事に目が点になる。作家はフランスで文学博士号を取得し、その小説は『紫陽花の涙(Les Larmes de l'hortensia)』と題されている、と。記事を読み終えた途端にショータのスマホが鳴り、画面にスミコと表示される...。(第一話完)
”連ドラ”の手法ですね。ネットフリックス時代の産物なんでしょうが。これまでのシマザキのパンタロジーでは一話ずつの完結性がはっきりしていたのだが、この『紫陽花』に始まるパンタロジーでは、第一話が「波乱はまだまだこれからだ」という終わり方。シマザキはこれからいろいろ出ますよ〜と、この第一話のいろんなところにそのタネを埋め込んだ感じ。鎌倉、大学アカデミズム、文学(業界)、クラシック音楽、フランス...。しかしそのほとんどが浅薄で表層的で、日本の常識的風景をガイドしているような印象(これは多かれ少なかれシマザキ全作品に通じる印象であるが)。私は上の”概説”で、クララ・シューマン、ロベルト・シューマン、ヨハネス・ブラームスの関係について説明を加えているが、シマザキの本文には何も詳しいことは書かれていない。クララ・シューマンの”重さ”をこのスミコ夫人に重ね合わせることなど、この小説ではまるで意図されていないかのように。それから”純文学作家”を目指すショータと、同じ志向を持ったキタノの、それぞれの”文学”観が全く見えないのはどういうわけか。ちゃんとした文学的リファレンスを示さないから、ハーレクイン作家並みと思われていいのだろうか。いろいろと不満が残る。
もう一つ。大津の百貨店が倒産して、ショータの生活が一転して明日住むところにも困るような事態になった時、女親友のサヤが横浜の自分のマンションに一緒に住んで、と申し出るパッセージあり(p54)。「私料理うまいし、生活費は折半できるし、ショータのこと助けたいの」と強く主張するのだが、ショータは「それはデリケートな問題で、僕は恋人でもない女性と一緒に住むことはできないよ」と辞退する。この返答にサヤは当惑した表情でしばらく沈黙したあと、こう言う「ショータ、違ってたらごめんなさいね、私あなたのことゲイだとばかり思ってたのよ」(!!! ) ー この箇所、おおいに問題あると思う。
Aki Shimazaki "Ajisaï"
Actes Sud刊 2025年5月7日 170ページ 16,50ユーロ
カストール爺の採点:★☆☆☆☆
(↓)ビリー・ポール「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」(1972年)
カストール爺の採点:★☆☆☆☆
(↓)ビリー・ポール「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」(1972年)
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