2024年12月8日日曜日

明日なき暴走 (Born to run)

"Leurs Enfants Après Eux"
『彼らの後の彼らの子供たち』

2024年フランス映画
監督:リュドヴィック&ゾラン・ブーケルマ
主演:ポール・キルシェール、アンジェリナ・ヴォレット、サイド・エル・アラミ、ジル・ルルーシュ、リュディヴィーヌ・サニエ
原作:ニコラ・マチュー『彼らの後の彼らの子供たち』(2018年ゴンクール賞)
フランス公開:2024年12月4日


画の最後から紹介する。ひとりオートバイでロレーヌ地方の田舎道を疾走するアントニー(演ポール・キルシェール、日本で『動物界』公開中)が消え、エンドロールが始まると同時に流れる音楽はブルース・スプリングスティーン「明日なき暴走(Born to run)」(1975年)である。ニコラ・マチューの原作小説を読んだ者なら、ここは絶対ニルヴァーナ「スメルズ・ライク・ティーンスピリット」(1991年)が来るはずだと構えていたと思う。私もそのひとりだった。ところが、あにはからんやザ・ボスが来たのだ。そしてこれが極上だった。鳴った瞬間涙が迸り出た。明日なき暴走、1975年、日本のCBSソニー洋楽A&Rはよくぞこんな卓抜な日本語題をつけてくれたもんだ。このエンディングの風景はどんぴしゃに明日なき暴走なのである。明日なき暴走とはこの映画を観た者には深く核心的な日本語表現となる。そして、ザ・ボスのシャウトも。
 1990年代、東フランスの破産工業地帯ロレーヌ地方の小さな町に生きる3人のティーンが織りなす1992年/1994年/1996年/1998年、四つの夏の物語。長年の失業でアル中と化した父パトリック(演ジル・ルルーシュ)、パトリックと口論が絶えず離婚も時間の問題と諦めている母エレーヌ(演リュディヴィーヌ・サニェ)、この二人の間の一人息子がアントニーであり、父母に依存して生活しているが無軌道でやや荒れた青春を生きている。1992年夏、14歳のアントニーが一目惚れしてしまうのが、町の有力者(町長)の娘ステフ(演アンジェリナ・ヴォレット)で、この退屈極まりない地方から抜け出すためにパリ進学目指して勉強していて、ブルジョワ娘の決められた行く末に反抗もしている。この映画では原作よりもこの少女の性的好奇心が強調されているような気がするが、それはそれでいい。もうひとり、今は閉鎖したこの町の鉄鋼工場に移民労働者としてやってきたモロッコ人の息子アシーヌ(演サイド・エル・アラミ)は、町から疎ましく見られているマグレブ移民二世たちの不良グループのリーダー格で、失業者の父マレクと二人暮らし。マレクから就職先を見つけることを厳命されているが、モロッコ移民の子に職は回ってこない。

 止まってしまった溶鉱炉、廃屋となって放置された鉄鋼工場や倉庫などが重苦しい背景となっている町の風景が、この映画のもうひとつの主役であり、この30年前の風景が浦山桐郎『キューポラのある街』(1962年)だったと想像してみるのも一興だが、これは若者たちだけでなく町の人たちの多くを押しつぶし、窒息させるような背景である。そんなところにも毎年夏はやってきて、ヴァカンスなど縁のない人々も陽光の季節を享受している。そしてこの町には美しい湖がある。その一角にはブルジョワ娘たちがたむろするプライベートビーチがあるらしいという噂を嗅ぎつけたアントニーとその相棒のいとこ(映画でも名前は出てこず「いとこ= le cousin」としか呼ばれない:演ルイ・メンミ)は、貸ボート屋の倉庫からカヌーを盗み出し...。というのが映画の冒頭。貸ボート屋に盗みの現場を発見され、必死でカヌーを湖面に漕ぎ出し、全速力で沖を目指し、追っ手を振り払ってたどり着いた岸辺にいた水着姿の少女二人。そのひとりが豊艶なオーラを放つステフだった。アントニーはこの瞬間から運命的なものを感じ取ってしまうのだが...。別れ際、今夜プール付きの大邸宅でパーティーがあるから来て、と誘うステフ。14歳アントニーはカッコつけたくて、父親パトリックが(若き日の輝かしい過去の記念として)宝物にしているレース仕様のオートバイを、一晩だけだからとパトリックに内緒で母親からキーを借り受け、颯爽とブルジョワ子女たちが狂乱して酔いしれているパーティーへ、と。夜も更けた頃、文字通りフランス語の "Trouble-Fête"で、招待されていないマグレブ二世不良グループが登場、入場阻止を無視して中に入りステフらに悪態をついているところを、リーダーのアシーヌにアントニーが強烈な足払い。凄まじい眼光での睨み合い。ここからアントニーとアシーヌの長く運命的な(おそらく一生続く)抗争が始まるのである。マグレブ不良団は一旦退散し、パーティーは夜明けまで続き、散会となって帰宅しようとすると... 父親の宝物オートバイが忽然と無くなっている...。

 映画の大筋は、原作小説にほぼ忠実なので、ストーリー展開に関しては私の原作小説紹介記事を参照してください。しかし映画は原作の鏡ではなく、双子監督リュドヴィック&ゾラン・ブーケルマは意図的に原作の”部分”を膨らませているところがある。不安定で無軌道な若者アントニーの右左にぶつかりながらの突っ走りがシナリオの軸であるが、ステフとアシーヌとの絡み合いと同じほどに父パトリック(写真)の存在をこの映画はクローズアップしている。おそらくこれはパトリック役を今や俳優としてだけでなく監督/プロデューサー(特に2024年映画"L'Amour Ouf")としても今日のフランス映画界の重鎮となってしまったジル・ルルーシュに託したことに起因するのだろうが、この名優の存在感を存分に活かして山場を作ってもらおうとしたのだろう。上述のようにパトリックとは製鉄所閉鎖によって職を失い、定職を得られないままその日暮らしの失業者を長年続けていて、アル中になり粗暴になり、妻子に対して強権的・暴力的になり、妻エレーヌは離婚のことばかり考えるようになった。宝物のオートバイを盗難されたことを知った時アントニーとエレーヌはパトリックに殺されるだろうというレベルで真剣に恐れていた。激すると手のつけようもないほど極度に暴力的になるパトリックであったが、この映画ではなんとか家族のよりを戻したい、エレーヌと復縁したいと願って不器用な努力を繰り返すデリケートさを名優に演じさせている。これが感動的に見えるのはさすがジル・ルルーシュと思わせる。アルコールを断ち、貯金箱に金を貯めエレーヌに捧げようとしたりするが、努力は実らない。最愛のオートバイと最愛の家族を失い、行き場を失ったパトリックは、1996年7月14日、フランス革命記念日のお祭り騒ぎ(花火、野外ダンスパーティー...)のさなか、泥酔した足で湖に進み入り自ら命を絶つ。その現場をひとり目撃していたのが、オートバイ争奪の大乱闘でパトリックに半殺しになるまで殴打されたアシーヌだった。これがこの映画の山場のひとつ。
 それから原作小説が全4章の副題をその年を象徴する”若者”音楽のタイトルにしていた(第一章1992年ニルヴァーナ「スメルズ・ライク・ティーンスピリット」、第二章1994年ガンズ&ローゼス「ユー・クッド・ビー・マイン」、第三章1996年シュープレームNTM「ラ・フィエーブル」、第四章1998年グロリア・ゲイナー「アイ・ウィル・サーヴァイヴ」)ほど音楽に重要な意味を持たせていたが、映画はふんだんに音楽を挿入(23曲の挿入歌)して同じように重要なファクターとしているものの、原作小説の挿入曲をあまり踏襲していない。
(↓フランスの映画音楽専門サイト Cinezik.org に載っていた挿入曲リスト)

"Run to the Hills" - Iron Maiden (1982)
"Pretend We're Dead" - L7 (1992)
"Mr Loverman" - Shabba Ranks (1992)
"Non soumis à l'État" - IAM (1991)
"Where Did You Sleep Last Night" (Leadbelly / Nirvana) - covered by Amaury Chabauty et Les Petits Chanteurs à la Croix de Bois
"My Lovin' (You're Never Gonna Get It)" - En Vogue (1992)
"Under the Bridge" - Red Hot Chili Peppers (1991)
"Je te donne" - Jean-Jacques Goldman & Michael Jones (1985)
"Bust a Move" - Young MC (1989)
"Feed My Frankenstein" - Alice Cooper (1991)
"Genius of Love" - Tom Tom Club (1981)
"Where Is My Mind" (Charles Thompson / Pixies) - covered Amaury Chabauty et Les Petits Chanteurs à la Croix de Bois
"I Don't Want a Lover" - Texas (1989)
"Rivers of Babylon" - Boney M (1978)
"Samedi soir sur la terre" - Francis Cabrel (1994)
"Nothing Else Matters" - Metallica (1991)
"Que je t'aime" - Johnny Hallyday (2019)
"Savoir aimer" - Florent Pagny (1997)
"La Fièvre" - Suprême NTM (1995)
"You Can't Hurry Love" - The Supremes (1966)
"I Will Survive" (Dino Fekaris, Frederick J. Perren / Gloria Gaynor) - covered par Amaury Chabauty
"Born to Run" - Bruce Springsteen (1975) - Ending roll

フランス東部の田舎FM、田舎カフェ、田舎ディスコなどで当時の若者たち及び町民たちが聞いていた音楽、と想像してみよう。特に印象的なのはステフとアントニーがプールの水の中にいて、かのギターイントロが鳴りだすと「これわたしの大好きな曲」「俺も」と二人水の中に口を沈めて口パクで歌い出すレッチリ「アンダー・ザ・ブリッジ」。それから1996年のフランス革命記念日の町の野外ダンスパーティーで、田舎DJが「お待ちかねのチークダンスタイムだよ」とMCを入れて始まる曲がフランシス・カブレルの「地球の上の土曜日の夜(Samedi soir sur la terre)」(1994年アルバム"Somedi Soir Sur La Terre"はわが最愛のポップ・フランセーズアルバムの10枚に入ると思う)、この曲に揺られながらアントニーとステフはまるで恋人同士のように体を密着させて踊るのですよ。長いシークエンス。美しい。この姿を影から見ていたパトリックが、息子も一人前に恋をするようになったか、とひときわの孤独感に突き動かされたか、ひとり泥酔の足で湖で入水自殺を...。
 

 最終章1998年はフランスがW杯優勝で沸き立ち、社会的に打ちひしがれたこの町もひとときすべてを忘れて勝利に酔いしれ、蜃気楼のユートピアが見えそうな気がしたが、ステフは一途な恋慕を貫いているアントニーを捨てカナダに旅立つと言い、アシーヌは因果応報のように買ったばかりのオートバイをアントニーに奪われ、アントニーは恋を失う。W杯優勝の大騒ぎに紛れて、三人それぞれの青春はこうして終わりを告げられるのである。

 映画の核はアントニーを演じたポール・キルシェールである。少年のマスクはときおりローリング・ストーンズデビュー時のミック・ジャガーを想わせる。退屈を打ち破りたい衝動はこの少年を走らせ、暴走させる。向こうっ気の強い喧嘩腰も報われない一途な恋慕も似合っていない少年のあがきのように見える。これがティーンスピリットさ、とも見える。大変な大器ではあるまいか。
 430ページの大河小説を2時間20分に凝縮したこの青春残酷映画、やや苦言を言えば、原作小説を読んでいないと追いきれない部分がかなりある。それを克服する「勢い」はあると言えるかな?

カストール爺の採点:★★★☆☆

(↓)『彼らの後の彼らの子供たち』予告編



(↓)ザ・ボス「明日なき暴走」(1979年ライヴ)

0 件のコメント:

コメントを投稿