2024年2月10日土曜日

叱ってもらうわマイ・ダアアアアアアリ!

"Daaaaaalí !"
『ダアアアアアアリ !』


2024年フランス映画
監督:カンタン・デュピュー
主演:アナイス・ドムースティエ、エドゥアール・ベール、ジョナタン・コーエン、ジル・ルルーシュ、ロマン・デュリス、ピオ・マルマイ
音楽:トマ・バンガルテール
フランス公開:2024年2月7日


地球規模メガヒットのエレクトロ・アーチスト Mr Oizoが、映画監督カンタン・デュピューになって、2007年から矢継ぎ早の多作で12本、2024年だけで公開予定新作が3本ある。映画評価は世界的に高く、すでに奇想天外映画の巨匠として君臨してしまっている。
この新作は20世紀の天才芸術家サルバドール・ダリ(1904 - 1989)を題材にしているが、ありていな”バイオピック”であるはずがない。
映画の時代は1970年代、最初に現れるのが自称30歳の女性ジャーナリスト、ジュディット(演アナイス・ドムースティエ)で、イデタチもふるまいもフツーの街おんな風で、”ジャーナリスト”を想わせる鋭いインテリジェンスが欠落している。自己紹介的なモノローグで、自分はその前は薬剤師をしていたがあまりにもつまらないのでやめて、思いつきで雑誌ジャーナリストになった、とイージーなことを言う。その最初の大きな仕事がなんと20世紀屈指の奇才芸術家サルバドール・ダリのインタヴューなのである。古風でクラッシーなホテルのスイートルームを用意して、大芸術家のお出ましを待つ。階にエレベーターが着き、ダリはステッキをつきながら早足で(ドア前に出迎えで出ている)ジュディットの待つスイートルームへと長い廊下を歩いてくる。このシーンが素晴らしい。映画を見る者には目視で約20メートルほどと映るこの長い廊下、ダリが早足で歩けど歩けどなかなか部屋に着かないのである。その歩く時間の間に、ダリの指定した飲み物(炭酸水)が用意されていないのに気づき、あわててルームサービスで取り寄せる(ルームサービスの方が早く来て難なく解決する)が、ダリは歩き続けている。その間にジュディットが緊張のあまり小用を催してしまい、トイレに駆け込み用を足して戻ってくるが、ダリは歩き続けている。映画全般にちりばめられたシュールな笑いの仕掛けの第一弾。序盤のこれで観る者はデュピュー(+ダリ)の奇想ワールドに引き込まれることになる。この果てしない歩行の間、ダリはあのカタルーニャ語訛りの強い独特のフランス語でしゃべり続けている。ほぼダリの声帯模写のこの語り口がこの映画のギャグ武器であるが、この最初のシーンで登場するダリを演じるエドゥアール・ベールがこの「ダリ口調」においては群を抜いている。

 さて、この映画でサルバドール・ダリを演じる男優はひとりではない。6人いる。エドゥアール・ベール、ジョナタン・コーエン、ジル・ルルーシュ、ピオ・マルマイ、ディディエ・フラマン、ボリス・ジヨ。この6人によるダリということで、映画題の"Daaaaaalì !"の[a]が6つ並んでいるのだ、と。このうちボリス・ジヨのダリは1時間17分の上映時間中、たった4秒しか登場しないし、誰もあれがそうだったのかと記憶するものもない。ディディエ・フラマンのダリは、他のダリ(特にジョナタン・コーエンのダリ)が幻視してしまう超老体のダリで車椅子に乗り、間近にせまる死におののいている。同時代の"同体”のダリを4人(ベール、コーエン、ルルーシュ、マルマイ)が分担して演じるのだが、この分担にルールもロジックもない。同じパーソナリティがつながりもなく別男優にひょいひょい移っていく。このキテレツな演出は、おおシュールレアリスムだわ、と感心する反面、罠としてこの4人のうち誰が一番”ダリっぽい”か?というモノマネ比較にもなってしまう。で、私は上に書いたように、エドゥアール・ベールが他3人をはるかに上回って”ダリっぽい”と判定してしまったのですよ。ピオ・マルマイ?あんなのダリじゃねえよ、っていう否定的評価も。(↑写真:演ピオ・マルマイのダリ)

 さて冒頭のホテルの廊下シーンに戻り、(エドゥアール・ベールの)ダリは長時間の歩行の末、やっと指定ルームに到着する。あの時代の(雑誌)ジャーナリストのように、メモ手帳とボールペンを携えて、ジュディットがいざインタヴューを始めようとした時、写真班もビデオ撮影班もその場にいないと知った超誇大妄想ナルシストのダリは激怒し、映像イメージのないダリのインタヴューなどあり得ない!とそのまま踵を返して、また長い廊下をすたすたと歩いて姿を消す。失意の悲しき新米ジャーナリストのジュディットは、リベンジの念に燃え、必ずインタヴューを取ってやる、と。ジュディットの上司ジェローム(演ロマン・デュリス)は気前よく、予算のことなら心配するな、と大掛かりな撮影スタッフを用意してジュディットをバックアップしてやるのだが、このジェロームは女性&職業差別丸出しに「まあ、パン屋の娘にまともなジャーナリストインタヴューなどできるわけないな」というセリフを映画中で何度か繰り返している。なぜ”パン屋の娘”に例えられたのかはジュディットにもわからないのだが、このニュアンスそれとなくわかる(ということは私も職業差別者か)。それからジェロームとジュディットがちょっと高級そうなイタリアレストランでのランチミーティング中に、伊丹十三『タンポポ』(1985年)を想起させてしまうような、ジェロームがいとも下品にパスタをずるずる頬張るシーンがある。こういう効果的な細いギャグがすごくいい。(↑写真:アナイス・ドムースティエとロマン・デュリス
 映画はこの新米ジャーナリストの再度(再々度、
再々度...)のインタヴュー申し込みと、それを断るダリの追いかけごっこのように展開するが、そのシロート女のようなひたむきなアプローチが功を奏して、ただのインタヴューではなくドキュメンタリー映画巨編の態をなすプロジェクトとして進行する...。それに加えて映画はサルバドール・ダリのコート・ダジュールのヴィラの暮らしぶりも映し出す。ヴィラの使用人たちが巨匠を「サルバドール!」と呼び捨てにする(しかし敬意は込められている)ところがいい。その使用人のひとり庭師のジョルジュ(演ニコラ・ローラン)がある夜サルバドールとガラのダリ夫妻を自宅に夕食に招待する。出てくる料理が、ルイス・ブニュエル(+ダリ)映画『アンダルシアの犬』(1928年)のリファレンスか、蛆虫の入った煮込み料理で...。それはそれ。 この夕食会にもうひとり客がいて、ダリの対面に座っているのが村の司祭のジャック神父(演エリック・エジェール)。ジョルジュはこのジャック神父の話をダリに聞いてもらいたくてこの夕食会をセッティングしたのだった。というのは、神父が世にも奇怪な夢を見たというのだ。この夢は巨匠ダリにインスピレーションを与えるに違いない、と。(そしてそのインスピレーションでダリは素晴らしい作品を描くことになり、それは天文学的金額で売れ、その売り上げ金の半分がインスピレーション元の神父とその仲介の庭師ジョルジュに入る、というよからぬ陰謀)。ダリがダリ以外の人間からインスピレーションを受けることなどない!と巨匠は立腹してその場を立ち去ろうとするのだが、まあまあまあまあ....となだめて、神父の世にも奇怪な夢の話が展開される....。火炎地獄から一頭のロバに救出され、それに乗って旅していくと背後からカウボーイに射殺され....。荒唐無稽な不条理ストーリーが続き、「ここで私は目が覚めたのです」で結ぶ。このパターンは映画の進行中、あと数回使われ、ストーリーの山が来ると「ここで私は目が覚めたのです」と。そういう感じで神父の夢はさまざまな方向に枝分かれし、ジュディットのインタヴュー追いかけごっことも絡み合い、ダリ贋作事件にも発展し...。カンタン・デュピュー監督の果てしない想像力のこれでもか、これでもか、という映画に膨らんでいくのであった。

 この映画の魅力を引き立てているのが、トマ・バンガルテール(ex ダフト・パンク)のオトボケ哀愁フォルクロール音楽のようなキャッチーなメロディーのテーマ音楽(映画中繰り返し挿入される/↓にYouTube貼っておく)で、私は「モリコーネ級」と称賛したい。サントラ盤(←写真)7インチシングルは限定で2月9日にリリースになっているので、欲しい方は早めにアクションを(売切れ必至)。

 冒頭の繰り返しになるが、この映画はダリの"バイオピック”ではない。カンタン・デュピューの想像力は、巨匠ダリと同じほど奇想天外な「ダアアアアアアリ」なる人物を創り上げてしまった。この人物はダリのコピーでも贋作でもない。このオリジナル・ダアアアアアアリで勝負したのがいさぎよい、と高く評価しておこう。

カストール爺の採点:★★★★☆

(↓)『ダアアアアアアリ!』予告編



(↓)『ダアアアアアアリ!』ティーザー、30秒版

(↓)トマ・バンガルテール『ダアアアアアアリ!』のテーマ

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