稀代の編曲家にして呪われた作曲家ジャン=クロード・ヴァニエの原稿を書きながら出会った1枚。マリー=フランス・デュフール(Marie-France Dufour 1949 - 1990)はステージネームをマリーと名乗り、夫はリオネル・ガイヤルダン(ニノ・フェレールのギタリスト→70年代の人気ソフトロックバンド、イレテ・チュヌ・フォワ)、1971年にパテ・マルコーニ社からデビュー。9枚のシングル盤とLP1枚を発表した他、1980年にはミュージカル『レ・ミゼラブル』のフランス初演に準主役エポニーヌ役で出演している。しかし、1990年に41歳という若さで白血病で急逝。
そのマリーが1973年のユーロヴィジョン・コンテストにモナコ代表としてエントリーしたのがこの曲 "Un Train Qui Part”(汽車は出てゆく煙は残る)。あの頃は出場国も少なく、今と違ってフランス語でも優勝チャンスはいくらでもあったんだが、マリーのこの曲は17か国(17曲)中8位の結果。この曲の作詞はボリス・ベルグマン(アフロディティーズ・チャイルド、アラン・バシュング、リオ...)、作曲はベルナール・リアミス、そして編曲がわれらがジャン=クロード・ヴァニエであった。
そしてルクセンブルクで開催されたこのユーロヴィジョン本選会(テレビ生中継)で、この歌の楽団指揮者として登場したジャン=クロード・ヴァニエがパジャマ姿(に黒タキシードの上着を羽織って)だったという珍事。この年のユーロヴィジョンは、前年1972年9月のミュンヘンオリンピックでのパレスチナ武装組織「黒い9月」によるテロ事件の影響で、同コンテストにイスラエル代表が参加するというのでものすごい厳戒体制が敷かれていた。この時のことを、レミ・フーテル&ジュリアン・ヴュイエ共著の評伝本『ジャン=クロード・ヴァニエ』(Le Mot Et Le Reste 刊 2018年)の中でヴァニエはこう証言している。